Re:『 』
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私は音楽室を出た後、謎の人とはある程度の距離を保ちながら、後をついていく様に歩く。凶器は持ってなかったが、ローブには血が点々とついていて、中には真新しい血痕もある。そのせいか、少しだけ怖さを感じる。
「あの……」
「……」
私は勇気を出して声をかけてみたが、その人は聞こえなかったみたいで、こちらには一切振り向かずに歩いている。
少し歩くと『3―1』の教室の前に着いたが、その人は入ると真っ先に中から扉を閉め、鍵をかけた。これで密室の状態になったので、外部からの部外者はどうやっても入ってこれない。しかし、狂者は別だが……。
それと、ここの教室に入るのは初めてだけど、他の教室と同じ様に、机と椅子が規則正しく並べられていた。謎の人はというとおもむろに近くにあった机に腰掛け、生き物を観察するかの様に、黙って私を見ている。
まぁ、相手がどんな目で見ているかはフードで隠れてて分からないが、視線を感じるのは確かだ。
ただ、私はあまり人に見られることには慣れてないから、正直恥ずかしい。
「……なぁ」
「えっ?」
突然向こうから声をかけてきたので、慌てて返事をすると、その人はニンマリとした口元を見せてこう言ってきた。
「あの状況を見て、お前はどう思った?」
「どうって言われても……」
「例えばなぁ……。ドロドロしてて気持ち悪かった! とかさー! 簡単に言っていいから!」
「んー……」
笑いながら言ってくるその人の問いに、私は少し戸惑う。
「あー、気持ち悪いは無かった。まるで某ホラーゲームの一部を見ている様な感じだったし。別に変わったことは……」
「そ、そう、なのか……」
少し考えた末、素直に言うことにした。何が目的でこんな質問を投げかけてくるのか、全く意味が分からないけど、まぁ、ひとまず怒らせなければいっか。そう思い、その人に視線を向けていたが、何故か困惑している様な素振りを見せている。
「ってことはさ、お前はあの塊を見ても、何とも思わなかったのか?」
「うーん。人肉はここでも見慣れてるから何とも……。ただ、生のお肉を見ると思い出して食べれなくなる。というだけで別に……。ってそれがどうしたの?」
「そっか……」
再度訊かれたのでありのままに答えると、その人は戸惑いながら黙り込んでしまった。
もしかして、まずいこと、言っちゃったかな。
一瞬、背筋が凍る。
「……そういやお前」
「なに?」
「椎名。って言ったか?」
「えっ? そ、そうだけど……」
「やっぱかー! その名前、どっかで聞いたことがあってさー」
ふと、低い声で私を呼んできたので、恐る恐る返事をすると、再び満面な笑みを浮かべながら話しかけてきた。なんか馴れ馴れしいと思ったが、怒っていなくて少し安心だ。
「聞いたことある。って。その、どこで?」
「あー。場所は生憎思い出せねぇ……」
オウムの様に逆に聞き返してみると、その人はどこか思い詰めた表情(口元しか見えない)で答えていた。
「でもさぁ……」
「ん?」
次は何を聞かれるんだろう。私は緊張しながらも椅子の向きを互いに向き合えるように直して座り、言葉を待つ。
「お前、オレと逢ったこと……、あるよな?」
「いや。初めてだと思うけど」
「それは無い!」
「はぁ!?」
きっぱりと答えると、今度はお前を見たことがある。と唐突に言い始めたので、思わず目が点になる。
「お前とはぜってーどっかで逢ったことがあるんだ! その猫みたいな目と顔だちだけ、かなり印象に残っていてさ……」
「顔だけ覚えてるって……」
私は呆れ気味にはぁ。とため息をつく。そういえば、思い出した。世界には自分と似ている人が三人程いるってネットの記事で見かけたことがあったことを。かと言って単に私に似ている人物をたまたまどっかで見ただけじゃ……。
そう思いながら再び相手が喋るのを待つ。
「まぁ、オレはこうやって少しだけお前のこと、覚えてるんだけどさ……。でも、いつの間にか人形みたいに無愛想になりやがって」
「無愛想って……。突然なに? 失礼でしょ?」
すると、謎の人は突然、私に向かって挑発してきたのでムキになって言い返した。
「私だって……、好きでこんなになってる訳じゃ……ない!」
ここに来るまでの間に色んなことがあって……。ただでさえ思い出したくないことばかりなのに。言われたことが的を得ていたせいか、それに対して強気で言えなかった自分が非力で悔しくて悔しくて。堪えきれずに涙が頬を伝う。
「あーはいはい。分かった分かった。泣かなくてもいいからさ」
しかし、相手はニンマリと笑いながら私を適当にあしらうかの様に言っている。
「泣いてなんか……!」
その人の言い方が軽過ぎて凄い頭にきそうになったので、涙を拭いて再度言い返そうとした時だった。
「……」
「……えっ?」
謎の人は何も言わずに突然机から立ち上がると、座ってる私の目の前まで歩いてきて、押さえるかの様に両肩を強く掴んできた。
「……やっぱり、お前に泣き面なんて、似合わねぇな」
「ちょっ! 何言ってるの? ホントに意味分かんないからやめてって!」
私はいきなり肩を掴まれたので、恐怖のあまり、全身が震える。
「そんなお前に一つだけ、言っておく」
「一つ……だけ?」
「あぁ」
冷たく返事をすると、震える私の耳元まで顔を近づけてきた。
「オレはいつだって、お前の事を『第一に考えて』動いている。それだけは忘れるな」
「えっ……」
囁くような甘い声で告げた後、私の耳元からそっと顔を離していたが、目の前で目まぐるしく変わる出来事に頭が追いつかず、しばらくの間固まっていた。
「じゃあ……、あの先生の首元に、鋏を突き刺したのは……」
「あぁ。あれはな、オレが処分した」
「処分って……」
戸惑いながら問いかけると、その人は鼻でふっ。と笑う。
「まぁ、あの豚はミンチにでもすりゃぁ、到底お前に触れることも出来ねぇ。でも、その前に邪魔が入っちまったから顔しか潰せなかったけどな」
「顔しか……潰せなかった?」
自慢げに語り始めていたが、若干の怖さはあった。やってることは犯罪。なのに、何だろう。この人はまるで狩りに成功した猟人の様に、獲物を捕まえてやったという幸福感に満ち溢れている。
「あぁ。再度潰そうとしたらな、今度は赤髪のアイツが小型のチェーンソーを持ってな、一心不乱に豚をバラバラにしてたのさ」
「バラバラ……に?」
「そーそー。正に豚の解体ショーだったから、思わずその場で笑っちまったよ。あは、あははっ。あははははっ!」
この時私は、狂った様に笑うその人は、邪魔者は容赦なく踏み潰していく悪魔そのものに見えた。
「それでな、オレも持っていた包丁でソイツと仲良くやりたかったんだよ」
「友達……、欲しかったんだ」
「まぁなー。オレ、オトモダチがいなくてよ。でも……」
「でも?」
「アイツ、オレを見た途端、子犬みてぇにビビって壁側まで逃げて震えてたさ」
「そ、そうなんだ……。それで、その後は?」
「その後か? 確か、赤髪のアイツの目が透き通っていて、綺麗な茶色だったから珍しくて。つい近距離から眺めちゃった!」
「そ、そういうことが、あったんだ……」
それであの状況になっていた。と。だからか。
あの時確か、戮さんは両頬が血塗れていて、放心状態になっていたなぁ。それを見た愛さんは妄想をしたまま乱入したのはいいが、まさかの急展開で慌てていた。動揺してスマートフォンを思いっきり血まみれの床に落としていたし、大丈夫かな……。
この人の狂気に満ちた自慢話を聞いた後、一人納得していたが、それと同時に心配もしていた。
「それと、お前の望みなら、何だって化けられるさ」
「何でも……、化けられるの?」
「あぁ。だってオレはな……」
不敵な笑みを浮かべながらそう言い残すと、両手でずっと被り続けていた黒いフードを取り始める。
「心がない正真正銘の『化物』だからさ」
そう言って謎の人はニッコリと笑顔を見せていたが、私は目を思いっきり見開いたまま、凍りついてしまった。
だって、両頬に紅い鮮血が付いても気にせずに目の前で微笑む人は……。




