廊下&温室
*
「おい! 早く急げよ!」
戮の怒り声が通路中に響く中、私達は一本道となっている通路をひたすら走っていく。先は真っ暗で見えないし、本当にここで合っているのだろうか。かなり不安になるが、今はただただ前を見て走るしかない。
「つーか、先が見えないんだけど!」
「はぁ!? 俺に聞くなよ!」
――バギッ!
愛と戮が言い合っている時、背後で何者かがとてつもなく硬いものをガリガリと噛み砕く音がした。
「ちょっと待って! 今の音って……」
『えっ?』
なので思わず声を上げてその場に立ち止まると、みんなも私の反応が気になったのか、走るのをやめ、静かに耳を傾ける。
すると、距離は今いる位置からかなり遠いはずなのに、骨や肉を貪る様な音が耳に入ってきた。想像は……なるべくならしたくない。
「まさか……」
「狂者が人を……」
「おい。それ以上言うな」
彼はそんな状況に苛立ちながら言い放つと、ヘーゼル色の目で私達を睨みつけていた。
「あの……、唐突で申し訳ないんだけど……」
「んあ? 急になんだ?」
突然、私の背後にいた麗が戸惑い気味にこめかみを掻きながら、こんな質問をする。
「何で戮さんは……その……、僕のことを城崎って呼ぶの? 初対面だし、知らないはずじゃ……」
「あー。あれはな……」
すると、彼は明かりがない天井に軽く視線を向けてからボソリと呟いていた。しかし、近くにいた私も気になっていたので、二人の会話に耳を傾ける。
「あのホモ看守が持っていた書類に、お前の名前が書かれていたからそう呼んだだけだ。深い理由なんて全くねぇよ」
「ふーん……」
満更でもない様な素振りを見せていたが、麗は軽く相槌を打ちながらも曇った顔つきで視線を床に落としている。あんな表情、あの時の休憩室以来だ。
確か、部屋の電気がかなり暗かったから、さり気なく聞いたんだっけ。そしたら「僕は先天性色素欠乏症だから暗くしないとダメなんだ」と言って、自分のことを卑下していたのを思い出した。
「つーか、それがどうした?」
「あ、いや。やっぱり……、何でもない」
「はぁ?」
「まぁ、それよりここから抜けなきゃ、話したいことも話せなくなるし……ね」
「あぁ。そうだな」
彼は意味ありげな言葉を残しながら微笑んでいた。
しかし、この時口元は笑ってはいたが、薄紫色の目には光が無く、虚ろな目をしていた。そのせいか、彼の前にいた私は何だか背筋が凍る程の寒気がする。可笑しいなぁ。いつも見ている顔のはずなのに……。
「ねぇ、とりま、先行こう」
「あ……うん」
軽く考えていると、突然、右隣にいた愛が心配そうに声をかけてきた。なのでコクリと頷くと再び走る事にした。
――ウイィィィィィン……
背後では、あの鉄格子の時に聞いたチェーンソーの機械音が周囲を響かせながらこちらに迫ってきている。私達は追いつかれない様、前を見て走る。
まるで鬼ごっこをしているかの様な感覚だが、捕まったら死が待っていると思うと、更に恐怖が増す。
「はぁ……はぁ……。ねぇ! 扉はまだ!?」
「あぁ!? 風の音がするのはこの先だからまだに決まってるだろ!」
「えぇー!」
彼女が息を切らしながら言うが、説教を言い放っていた。
私はというと、あまり運動は好きではないに加え、左手には体が弱い彼の手を握りながら走っていたので、二人のペースについて行くのがやっとだ。
「うぅ。この通路、どこまであるんだろう。望はどう思う?」
「んー……、私もちゃんとした距離までは分からない。先は真っ暗だし」
「だよね。こんな場所、初めて来た」
「私も……」
私と彼は互いに軽く相槌を打つと、少し立ち止まり、はぁ。はぁ。と乱れた呼吸を一時的に整える。背後をチラッと見ると、まだ狂者の姿はないが、相変わらずチェーンソーの機械音が遠くから聞こえてくる。
「いつまで走れば、いいのかな」
「それは僕に聞かれても……」
「そっか……。でも、早くここから抜けたい」
「そうだね。もう走るのは嫌だなぁ」
愚痴をこぼし合いながらも先を行く二人の後を追う。走りながらだけど、私と麗との些細な会話。思い出として残しておきたいけど、どうやって残そうかな。頭の中で色々と思考を巡らしながらも、長い通路をひたすら走る。
「おーい! 着いたぞ!」
何メートルか走った頃、先を走っていた戮が古びた扉を見つけ、こちらに振り向きながら声をかけてきた。
「あっ!? ここ?」
「そうだ。多分よぉ、こんな感じで隙間が空いてたから、風の音がしたんだな」
よく見ると、赤く錆びついた扉には隙間風が吹いていたが、彼はドアノブに手をかけ、躊躇いもなくギーッと音を立てながら開ける。
ふと思う。ここから処刑室だと、かなり距離があったから風の音さえ聞こえないはず。なのに、それを聞いたと言う戮の蝸牛神経は一体どうなってるんだ。
「ここって……」
「おいおい。何だここ!?」
扉を開けた先には、無数の植物らしき物が部屋いっぱいに飾られていた。
よく見ると、どれも丁寧にプランターに入れて栽培されており、天井には白色の蛍光灯が新品同様の明るさを保ちながらこちらを照らしている。広さはメインルームより二倍程はあるかな。迷わないようにしよう。
「蛍光灯、眩しいね」
「うん。あまり長居はしたくないかな」
そう笑いながら言うと、麗は蛍光灯の光を遠ざけるように、棚の僅かな影に隠れながら歩いていた。その上の天井には長年使われているだろう、扇風機が取り付けられており、銀色の髪が左右になびいている。もしかして、風の音の正体って……。
「ところでよぉ、ここは植物園か何かなのか? どこ見ても変な植物ばっかだ」
「いや……。葉っぱの形がどれもおんなじだから、違うと思うんだけど……」
「じゃあ、何だ?」
彼はイライラ気味に訊いてくると、私はプランターに入ってる植物の葉を一つ一つ見ながら答えていた。葉は六枚の葉が手の平の様な形で集まっていて、何本も縦筋が入っている。こんな葉っぱ、見るのは初めてだ。
「これさぁ、大麻じゃね?」
すると、隣で見ていた愛がボソリと呟いた。確か、愛さんは植物にも詳しかったんだっけ。
「はぁ!? 大麻って確か、個人で育ててたら違反だろ?」
「まぁ、確かにそうだけど、あくまでもウチの予想だよ!?」
「んー」
二人がやり取りをしている間、私は考える。まさか廃墟と化した刑務所の地下に、隠れ家みたいな温室があったとは……。
でも、覚醒剤にまで手を出したヤク中看守の中道ならやりかねそうなことだと思いながら、健気に生えている大麻を見る。
「もしかして、ここで密かに大量生産して、全国至るところに売り捌いてたんじゃ……」
「それ、本当だったら気味が悪いね」
「気味が悪いっつーか、マジでこういう話はテレビとかのメディアもんで自然と耳にするからなぁ……」
そう言うと、戮は両腕を組みながらプランターが置かれた棚によりかかる。
「へー! そうなんだ!」
「そうなんだ! って……。城崎お前、まさかの箱入り娘ならぬ箱入り息子か!?」
「え? 箱入り息子!?」
「あぁ。お前、あまりにも世間のこと、知らなさ過ぎ」
「世間っていうか……」
麗はそう言うとこめかみを掻きながら考え事をし始めた。その姿には動揺を隠しきれてないような感じにも見えるし、突然聞かれたから回答に困っているとか。そんな情景が私の目に入る。
「えっ? ちょっと戮さん! 今、麗さんに対して何て!?」
「つーか、俺はただ城崎に対して思ったことを言っただけだ! 悪いことなんて一言も言ってないぞ!」
「はぁ!? なにそれ?」
「なにそれ……、って何だよ! お前はとりあえず落ち着け!」
「そんな困らすことばっか言ってたら落ち着けるわけないじゃん!」
「てめぇ……!」
「ふっ!」
すると、二人の口喧嘩に近いやり取りを聞いていた麗が、肩を震わせながらクスクスと笑い始めた。
『えっ!?』
動揺した私達は思わず彼を見る。
「あははっ! 戮さんと愛さん、面白いね!」
「面白いって……」
「でも、さっき言ったことは、あながち間違いではないよ」
ニコニコと笑いながら答えると、何故か大麻の葉を撫でていた。私はと言うと、突然の変化に戸惑いを隠せない。今起きている状況を呆然と眺めながらやり取りを聞く。
「本当に僕は、箱入り息子だからね」
「まじかよ……」
「うん。病気が原因であまり学校にも通えなかったけど、両親はどうしても僕に病院を継ぎたいらしくて、有名な家庭教師やら色んなお偉い人を呼んできては勉強漬けの毎日だったよ」
「おい。それって、まじか?」
話した内容が余りにもスケールが大きかったのか、戮は驚いた表情をしながら一つ一つ耳を傾けている。
「うん。全部本当の話。でも、ずっと勉強やってたら流石に飽きてきちゃって……」
「そりゃぁ、飽きるよな」
「うん。だから密かにサボったりしてたんだけど……親の期待が大き過ぎて、点数が少しでも落ちていたり、サボってる所を見られたりしたら……」
そう言いかけた途端、彼は突然その場にしゃがみこんで泣き始めた。
「れ、麗さん!?」
「え? ど、ど、どうしたの?」
「お、おい……」
私は驚いて彼に声をかけ、背中をさする。
「……ううっ。あっ。望、ごめんね……」
「大丈夫だけど……どうした?」
「さっき……嫌なことを思い出しただけ。あとは、大丈夫」
彼はコートの袖で涙を拭い、私に微笑みかけながらゆっくりと立つ。
「本当に、大丈夫?」
「うん。本当に申し訳……」
言いかけた時だった。
――ガシャーン!
「えっ……」
突然、錆びた扉から破砕音がしたので、私達は思わず後ろを振り向く。まさか……
「キャハハハハハ!」
そこには、狂った様な笑い声を発しながらチェーンソーを振り回す黒い影 狂者が扉を踏みつけていた。
「くそっ! とりあえず急いで奥に行くぞ!」
『うん!』
そう言うと、迷宮みたいに大量に置かれた大麻入りのプランターの棚を掻い潜る様にまっすぐに進んだり、右に曲がったり左に曲がったりして撒くように走る。
――ヴィィィィン!
狂者もチェーンソーを振り回しながらこちらに向かって追いかけていた。
「キャハハハハハ! キャハハハハハ!」
笑いながらプランターの棚を次々と壊していく。そのせいか、床は土や大麻の残骸が溢れて滅茶苦茶だ。
でも、今はそんなことを気にする暇がないので、背後を見ずにひたすら走っていく。
――ガシャーン!
そして、チェーンソーを振り回した勢いで蛍光灯が粉々に粉砕され、辺りは暗闇へと染まっていった。
「くそっ! 何も見えねぇ!」
「焦ったら見つかっちゃうって!」
戮は声を荒らげていたが、彼女は静かな声で言いながら宥めている。
「あっ。大丈夫だよ。暗闇は慣れてるから」
「え?」
すると、彼は笑いながら左ポケットからスマートフォンを取り出した。
「それと、狂者は目が一つしかないし、瞳孔は赤いから分かりやすい」
「そりゃぁ、そうだけどよぉ……」
「だから、こうして……」
そう言いながら、カメラのアイコンを選んで幾つかの機能をオンにすると、明るさも一番最大にする。
「まさか……」
「そう。そのまさかだよ。まぁ、その間に時間が稼げると思うから、逃げられるかと思って……」
「でも、スマートフォンは一つしか……」
「大丈夫。使うのは『僕』のではないから」
ニッコリと笑うと、タイマーに設定し、それを暗闇の中へと思いっきり放り投げた。
「はぁ!? ちょっと麗さん、何やってんの!?」
「まぁ、見てみれば楽しいことが起きるよ」
それを見た彼女は動揺していたが、ふふっ。と微笑むと、狂者の声がする方へと耳を傾ける。
――ヴィィィィン……
狂者が投げた音に反応し、音のする方へと向かっている。再度見てみると、いつの間にかスマートフォンを手にしていた。
――カシャカシャカシャ……
その途端、眩い光と共に、連写機能が独りでに発動する。
「ヴォォォォォォォォ!」
音と共にチカチカと光り、狂者は強力な光に耐えきれず、獣の様な叫び声をあげながら両手で目を抑える。そのせいか、派手な音を立てながらチェーンソーを落とし、機械音だけが虚しく響いていた。
「す、すげぇ……」
「てことで、その間に扉を探そう!」
麗はそう言うと、笑顔でその場から立ち去った。なので、私達はその後を追うように、奥隅にひっそりと佇む鉄の扉を開け、その場を後にした。




