宿直室2
*
「……んんっ!」
私は鉛みたく重くなった体を仰向けにし、そっと目を開け、粒みたいな穴が多い天井をぼんやりと眺めていた。目線の先には一つだけ薄暗く光る蛍光灯がついている。
「戻って、これたんだ。でも……」
現実に戻った後も、何だかモヤモヤしていて落ち着かないし、納得いく答えが見つからない。
「はぁ、ムカつく」
ソフトを手に入れ、ゲーム機に挿し込む度に段々と蘇っていく記憶。
しかし、今は全てを思い起こしたいのかと言うと、なんとも言えない。そんな苛立ちが私の中で積み木のように、一段一段と不安定に積み上げられていく。一歩誰かに押されたら積んだ積み木が全部倒れていきそうな感じだ。
「ん? 何だろう……」
ふと、両手が温かくなり、何かを持っていた感覚が手に宿っていたので、確かめるかの様に握ったり開いたりと動かしてみる。あの時は衝動に駆られて……
「そうだ! 思い出した!」
この手であいつらを『消した』んだった。だって、スピーカーみたいに何回も言って五月蝿くてしつこくて騒がしくて、今にでも鼓膜が破れそうだったから。だから、消すには相応しい人間だと。
「まぁ、あんな奴、殺られて当然かな」
ボソリと呟きながらおもりになった体を起こそうとした時だった。
「おい。椎名」
「え?」
目の前から声がしたのでふと顔を見上げると、自ら立ち去ったはずの戮が、茶色の目で睨みつけながら腕を組んで私を見下ろしていた。
「お前、さっき何て言った?」
「さっきって?」
「『あんな奴、殺られて当然』って……」
「えっ? そ、そ、それは!」
まさか目の前に人がいたのは予想外だったので、思わず視線が泳ぐ。その姿を見ていたのか彼はふっ。と鼻で笑いながら話しかけてきた。
「あー。お前もなかなかだなぁ。って思っただけだ。深い理由はない」
「え?」
「あの机に置いてあったゲームソフト、俺に許可なく挿したんだろ?」
ヤクザのような怒り口調で言いながら私の背後にあった事務机に指をさす。
「うん。許可なく挿したのはごめんなさい」
そう言いながら私はゆっくりと立ち上がると、パーカーとジーンズに付いた埃を手で軽く払った。
「でもその後、気を失ってしまって。起きた時には何だかムカムカしてきて……」
「それが『怒り』っつー奴だ。ムカついてカッとなって殺りたくなったんだろ?」
「うん」
「だからとっとと挿して爆発したかったんだろ?」
「うん。そうだよ」
返す言葉が見つからず、ただただ頷くことしか出来なかった。いつもはどんなに正しいことでも『違う』と反論できるのに。彼の圧が強すぎるというのもあるが、言ってることは一つも間違っていない。その言葉一つ一つが投げられたナイフの様に真っ直ぐに飛んできて、私の心に深く突き刺さる。
「その通りだよ。私は……」
「なんだ。お前、俺より正直じゃねぇか」
「え? それ、どういうこと!?」
再び彼の口から予想外な言葉が出てきたので困惑する。
「怒りを行動に移さず、感情としてありのままで出せてよ。そんなお前はすげぇと思う」
「ありのままだなんて! それは……」
戸惑いながら答える。麗と言い、戮さんといい、男の人に褒められ慣れてないから妙に照れるっていうか、なんとも言い難い変な気分になる。
しかし、彼は机に置かれた『枷』の鍵を見つめながらこう呟く。
「俺はな、一度キレちまったら、誰にも止められねぇよ」
「とめられ……ない?」
どういうことだろう。怒りだしたら自分だけでは抑えられないとかかな? 自分なりに考えて聞き返す。
「そうだ。サツでもお手上げになるらしい」
「そうなの!?」
「あぁ。俺を止めた厳ついサツから聞いた話だけど、まるで我を忘れて暴走する殺戮ロボットみたいな」
「それって……」
かなり危ないんじゃ。と言いかけそうになり、ゴクッと唾を飲む。
「ん?」
しかし、先の話で一つだけ矛盾点があったのを思い出し、再度戮に訊いてみる。
「じゃあ、さっきの口喧嘩は?」
「あれは……、相手が女だったから我慢してただけだ!」
「これ以上俺に言わせんな!」と彼は言いながら顔を真っ赤にしてそっぽ向いた。
「あの……」
「あぁ?」
「もしかして、愛さんのこと、気になってるの?」
それでも何だか納得がいかなかった私は更に訊ねると、彼は「おいおい」と眉間にシワを寄せながら呆れ気味にこう答えた。
「何を言い出すかといえば、今度はあの訳分かんねぇメンヘラ女のことかよ。俺はあいつを見るのも初めてだから、そこまでは知ら……」
「誰がメンヘラ女だって?」
『あっ……』
すると、背後から怠そうな声色がしたので振り返ってみると、そこには深緑色の制服を着た愛さんの姿があった。
「さっき、ウチの話してたんでしょ!」
「あ"ぁ!?」
「つーか、顔がちょー真っ赤になってるじゃん! マジウケんだけど!」
そう言うと彼女は、人差し指を指しながらゲラゲラと笑い始めた。
あれ? 愛さんって笑うとこんな感じなんだ。
初めて笑う彼女の姿に、私は少し困惑する。
「っるせぇ!」
「何ていうか……」
茶色の髪をなびかせながら彼に笑顔で送るが、視線を床に落とし、何かを考え始めた。
「どうした?」
「あ。いや……。何でもない! ところで望さん、これ食べるんだっけ?」
声をかけると毎度同じように素っ気なく返されるが、この時は何故か突然笑いながらブレザーのポケットから銀紙に包まれたチョコレートを取り出してきた。
今日の愛さん、何だかおかしい。いつもはぶっきらぼうな顔して「違うし」と言ってそそくさにその場からいなくなっちゃうのに……。
「あっ」
そういえば、あの充電器を挿してからと言うのも、愛さんはこんな調子だ。支配人の言うことが正しい事だとすると、あの充電器を挿したことによって、愛さんが失われていた「喜びの感情」が素で出せるようになったっていうこと?
未だに謎が多い『心の補給源』のことで頭の中が一時こんがらがる。
「どした? めっちゃ暗そうな顔して。体調悪いの?」
「あっ、別に。何でもない」
ふと、無意識に暗い顔になっていたせいか、彼女が心配そうな顔で覗き込んできた。なので、軽く微笑みながら首を軽く横に振る。
「ふーん。じゃ、今あげるね」
そう言うと彼女は、銀紙越しから小枝を割る音を出しながらチョコを割り、その半分を私に渡してきた。
「あ、ありがとう」
「しっかしよぉ、このチョコ甘めぇな。ミルクチョコなのは確かだろうけど、ここまで甘すぎるのは……」
食べようとした途端、壁側にいた彼が突然、不満を口にしながら銀紙を半分まで破いて豪快に齧り始めた。
「ふーん。そこまで甘い甘いって言うなら、どんぐらい甘いのか、ウチが試しに食べてみるよ」
「おい。なんだよ、その上から目線で物言う言い方」
「え? ウチ、いつもこんな感じだけど?」
「ふーん。俺はカカオ多めのブラックチョコの方が好きだけどな」
「と言っても、今の状態だと唯一の栄養補給源だから仕方なく頂くが……」と小言を言いながら壁に凭れて食べていた。
彼女は横目で彼を見ながら「さっきからブツブツうっさいんだけど!」と言い、同じく壁に寄りかかって×印のマスクを机の上に軽く置く。そして半分になった板チョコを更に割って一粒にしてそれを口に入れて味わっていた。初めて見る口元には、見てて痛々しいぐらいに大きい痣と、下唇付近に口ピアスを三つ。
「確かに甘いけど、ウチ的には丁度いいかな」
「お前、こんぐらいの甘さが丁度良いのか?」
「ん。そだよ」
「こんなのホワイトチョコ食ってるようなもんじゃねぇか。まだまだ子供だな」
「うっさい。黙って食べて」
私はと言うと、二人の会話を聞きながら近くの事務椅子に座り、板チョコを縦一列に割っていた。パリッと一口、齧ると、濃厚な甘さとカカオの風味が口いっぱいに広がる。
「このチョコ、美味しい」
全部食べるのはもったいないから、残りの二列は麗と一緒に食べようと思い、残すことにした。
それにしても、さっきからこの二人、何だかお似合いだなぁ。いっそなら付き合っちまえ。と内心思う。
「でも……」
それより麗を見つけてここから脱出しないと!
ふと我に返った私は、チョコをパーカーのポケットにしまい、いつまでも会話が途絶えない愛と戮に声をかけることにした。
「いちゃついてるところ申し訳ないけど……」
「いやいや!」
『いちゃついてねーから! あっ……』
声が揃ってしまい、顔を真っ赤にしながらそっぽ向く二人。
「愛さん、私のこと、言えない状態になってるよ」
「もー。望さん、いつからそんなキャラになった?」
それはこっちの台詞だ! と言いたかったが、当の彼女は悪びれもなく、ぶーぶーと口を尖らせながら答えていた。なので呆れて「はぁ……」と深い溜息をつく。
「キャラも何も、とりあえずこんな所出たいから先進もうって言おうとしたんだけど……」
「あー。それならさっき、隣の食堂で妙なものを見つけたんだが、途中でコイツが来ちまって全部は見きれてねぇんだ」
「何よそれ。ウチが悪者みたいになってるじゃん!」
彼は隣にいる愛に指を指しながら口を開くと、彼女は不貞腐れ気味に言いながら机の上に置かれた×印の付いたマスクを取って口元に着けていた。
「んだよ。悪者だとは一言も言ってねぇだろうが! 愛と言ったか? 少しは人の話を最後まで聞け!」
「はいはーい」
彼女は怠そうな声で返事をすると、何食わぬ顔で背に壁を預けながらスマートフォンを弄り始める。
「何だよアイツ。てきとーに返事しやがって……」
「あっ。戮さんだっけ?」
「あぁ。椎名か。用はなんだ?」
私は彼に恐る恐る声をかけてみると、フッ。と鼻で笑いながら聞いてきた。
「えと、ソフトのこと、色々と教えてくれてありがとう」
「あー。あの赤いやつか。あんなのに礼はいらねぇって」
そう言うと彼はバキッと音を鳴らしながら再びチョコを頬張る。
「確か、食堂だっけ? 妙なものがあるっていうのは……」
「あぁ、その通りだ」
「とりあえず、ここに残るのも退屈だろうし、狂者とまだ遭遇してないのも気がかりっていうか……」
「まぁ、今からあれこれ考えても解決しねぇだろ」
チョコを食べ終えると、相槌を打ちながら事務机の近くに置かれたゴミ箱に銀紙を投げ捨てに行っていた。
「確かに。てことで戮さん、その場所まで案内して」
「おう」
私は言いながら机の上に置かれた『枷』と書かれた鍵を手に取り、パーカーのポケットにしまうと、彼はこちらを一切見ずに軽く返事をしながら扉の近くに立てかけた金属バットを手にし、ドアノブに手をかける。
「ねぇ。ウチを置いて、どこに行くの?」
すると突然、愛が彼のパーカーの裾を軽く引っ張りながら、悲しげな顔で攻め寄ってきた。
「でもお前、あの下手物みたいな物、嫌じゃなかったのか?」
「嫌だけど、行くしかないじゃん。ここに留まっても進まないっていうか……」
彼が少しだけ彼女の方に視線を向けると、しどろもどろになりながら下を向いて答えた。
「今まで強気でいたけど、本当は一人になると死にたくなる程苦しくなって、怖くなって……」
「あー。そうか」
そう言うと彼は、俯く彼女の頭を軽く撫でながら低い声で「これ以上何も言うな」と語りかけた。
「ん。でも、早く麗さんを助けないと……」
「麗?」
「あっ。実は私と愛さん、最初にその人と一緒に来てたんだけど、麗があの看守に攫われちゃって……」
「そいつ、男なんだろ?」
私は「うん」と首を縦にふる。
「厄介だなぁ」
「うそっ!?」
「あったりめぇだろ。アイツは何回も言うが『ホモ』なんだぞ。そいつから離れようと今までの間、色んな作戦を立てながら攻撃してるんだけど、何故か全く効かねぇんだ」
「何、その絶対倒せないボス的な存在」
ゲームをやってるとよくあることだが、そのゲームの仕様上の問題で、どんな方法を使ったとしても、何故かやられてしまう「絶対倒せないボス」的な存在がいる。
仮に彼のいうことが本当だとしたら、今の状況は不死身のボスと、「捕まったら死ぬ」と言うチート並に危ない狂者が私達を狙っている。ということになる。
「それと、何故か攻撃当てると顔が喜んでて『もっとやってぇ!』って擦り寄ってきて気持ちわりぃし」
「うーわっ! っていうかそれ、ただのどM……」
「の時もあればよ、『私が虐めてあげる』と言いながら追っかけてくるし。何なんだよアイツ!」
「とりま、そいつはどっちにでもなれるのね。何かめっちゃ引くわぁ……」
そしておまけに「サドマゾになれる能力」持ちか。本当に麗を助け出してここから抜け出すことができるのか?
と不安を抱えていると、また頭の中で疑問点が浮かんできた。
「ん? 不死身?」
この刑務所に入る前の支配人とのやり取りを思い起こしてみると、支配人はここに関しては全く追加要素も何も言ってはいない。学校エリアに入る時は「ボス機能ヲ追加シマシタ」とか、必要の無い「アップデート」までもわざわざ親切に言ってきていた。なのに、今回だけこんな重要なこと、支配人が言い忘れるか?
「何か、怪しい」
思わず本音が漏れる。
「おい。怪しいってどういうことだ?」
「え? その話めっちゃ気になるんだけど!」
すると、その本音をたまたま隣で聞いていた戮と愛が、驚いた表情で私に問いかけてきた。
「もしかしたらだけど……」
周囲を見渡しながら「耳貸して」と小声で言うと、ある事を二人に告げた。
「それ! どういうことだ?」
「マジで?」
私は静かにコクリと頷くと、宿直室の扉を開け、「どっちの方向行けばいい?」と後ろを振り返り、話を変える。彼も「あー。なるほどな」と呟きながら西の方角に指を指す。私から見たら東だが、来た道より先に進めばいい話。道が単純だとこうもあっさり行けるんだ。と思いながら宿直室を後にした。




