独房
*
――ドンドンドンドン……
「愛、さん?」
長く寝ていたかもしれない。重い瞼を擦り、LIKEを確認する。しかし、通知は一件も入ってない。
――ドンドンドンドンドンドン……
扉を荒々しく叩く音が静かな独房に響く。女性なら、こんな乱暴に叩かないし、連絡も来てないから愛さんでもない。
「じゃあ、誰?」
スマートフォンをポケットにしまいながら立ち上がると、たまたま目についた机を扉前まで持っていく。
そして、鉄格子の窓からそっと覗いてみることにした。
すると、窓の向こう側から此方をジッと睨みつける、背の高い青年がいた。
「おいお前! 窓から覗いてねぇでここを開けろ!」
「えぇっ!」
突然青年が怒鳴り声を上げてきたので、私は怖くなって震える。
知らない人だから、聞こえないふりをしてやり過ごした方がいいのか、それとも「わかった」と言って入ってきたところを背後から攻撃した方がいいのか。どちらにしろ敵だったら関らないようにしたほうがいいし。
「でも……」
再度覗いてみると、右手には鉛色の金属バットを握りしめていた。仮に攻撃してしまったら返り討ちにされそう。だから、ここは素直に従った方がいいかもしれない。見た限り狂者でもなさそう。
ん? てことは、破片者? だとしたら、「椎名望」にソフトを渡す為に探してるのかもしれない。
それなら直接本人に聞いてみた方が良いと思い、鉄格子の窓から覗くようにし、恐る恐る声をかけてみることにした。
「貴方はもしかして、破片者?」
「あぁ。そうだ。何か知らねぇけど、ここ来る前にきめぇ仮面被った奴から、変なソフトみてーなもの渡されてよぉ……」
そう言うとパーカーのポケットから赤いソフトを取り出してきた。
「これを『椎名望』に渡せってさ」
綺麗なヘーゼル色の目で見ながら彼は答える。
まさか、赤髪のお兄さんも破片者だったんだ。驚きのあまり、唖然とする。
「あっ、そう、なんだ」と相槌を打つと、彼はソフトをしまいながら、こう話を切り出してきた。
「だからよ、俺を入れてくれ」
「わ、分かった」
そう言うと、私は机から降りて元に戻し、鍵を外してギギギッと音を立てながら扉を開けた。
青年は麗とあまり変わらない程背が高く、髪型は短髪のショートウルフ。整髪料を使ってるせいか、毛先が綺麗に固まっていた。
上はダークレッドのパーカー。下は黒いサルエルにカラフルのスプラッター柄がプリントされていて、黒いスニーカーを履いている。
「えっと、『椎名望』のことなんだけど……」
言いかけた時だった。
「のーぞーみーさぁぁぁぁぁん!」
『えっ!?』
突然、暗闇からバツ印のマスクをした長髪の女子高生が、此方に向かって凄まじい勢いで走ってきた。
「あ、愛さん?」
彼女はハァ、ハァ、と息を切らしながら近くまで来ると、「まじでごめん! 遅くなった!」と私に謝る。
「テメェ! デケェ声出して走ってんじゃねーよ!」
「あっ! さっきチョコくれた人!」
マスク越しで指をさしながら声をあげた。
「えっ! 愛さんこの人知ってるの?」
そう訊ねると「うん。そーなんだよねー」と言いながら、短い丈のスカートについた埃を軽くはらう。
「実は一号室を探索してた時に、この人が勢いよく扉を開けてきたんだー」
「そ、そうなんだ」
指を指しながら分かりやすく説明すると、青年の方へと目を向け、「だよね?」と聞く。
「あぁ。開けたのは本当だ。探索してたらこいつがすっとぼけた顔でこっち見てきたからよ。だから……」
「だから?」
彼女を指差しながらそう言うと、突然、視線を逸して口籠ったので、私はオウムの様に同じ言葉をかぶせてみる。
「だから、その……、あぁー! 色々あって、拾った板チョコをこいつにあげたんだ!」
すると、彼は片手で髪をグシャグシャに乱しながら答えていた。
はぁーん。なるほど。
「つまり、愛さんに惚れて思わずチョコを渡しちゃったってこと?」
「っ! ちげーっつってんだろー!」
直球で聞いてみると、かなり動揺しながら顔を赤らめている。
麗もそうだけど、男の人って好きな人を前にすると素直じゃないよね。好きなら「好きだ」って言っちゃえば楽なのに。ていつも思う。
「でも、いいじゃん」
「えっ!?」
「ウチのコト、そー思ってるなんてさ、嬉しいっていうか、何ていうか……」
傍にいた彼女が、優しそうな眼差しで言い、こめかみを掻いて視線を下に向けた。
「とりま、ここじゃ危ないから中に入ろうよ」
と話題を変えてきたので、渋々うん。と頷き、中に入ることにした。もしかして、愛さんも……
「はぁ」
麗がいなくて一人でいる自分が惨めに見えてくるから、今は二人のこと、あれこれと考えるのはやめとこう。
そう思い、私は二人が入ったのを確認すると、そっと扉を閉めた。
「ん? ここ、確か誰もいなかったはずだ。でも何でお前が?」
「実は、狂者かと思って便器の隣に隠れてたの」
「こうやって」と言い、白いパーカーのフードを深く被ってその場でうずくまる。
「はぁ? マジかよ!」
「まぁ、気付かないように身を屈めていたからかな」
そう答えると「ふーん。なるほどな」と腰に手を当てながら関心していた。
「それより、あの金髪の看守はどこ行ったのかわかる?」
彼女は看守のことが気になったみたいで、彼に訊ねる。
「看守? あぁ。あの『野郎好きの看守』か」
「野郎好きの看守?」
何食わぬ顔して答えていたので、思わず声が裏返る。
「え? ちょっと待って! つまり、その看守はマジで『男が好き』ってこと?」
「あぁ。あれは間違いねぇ。『ガチホモ』だ」
「ガチホモぉ!?」
彼女は驚いていたが、マスク越しな為、此方からだとどんな感情なのかは読み取れない。まさか、腐女子という訳ではないよね……
「俺、何もしてねぇのに追っかけられたし」
「やっぱり『ホモ』は『ホモ』なんだね! そういう人、漫画だけの世界かと思ってた!」
彼女は目をまんまるくしながらあれこれと言っていた。
「そう、なんだ」
私はと言うと、その『ホモ』に連れ去られた麗のことが気になり、「ふぅ」と一つため息をつきながら視線を床に落とす。
「そういえば、お互い自己紹介してなくない?」
「あっ! そういえば!」
隣で重いため息を聞いていたのか、彼女はさり気なく違う話をし始めた。
「ウチは愛。とりま、よろしく」
「俺は……、戮だ。字は本名じゃねぇ」
「え? それってどういうこと?」
まるで某小説の冒頭みたいなニュアンスで答えていたが、このゲームはそもそも、本名じゃなくて違う名前で名乗ってるってこと?
でも、あの個人データ票にも本名で載ってたし、支配人は確かに私のことを『椎名望』と言っていた。だから私の場合は本名なのは間違いないと思うけど……。
頭の中であれこれと考えている時だった。
「んーっとな、仮面被った奴が『漢字一文字でないと此方で処理しきれない。だから好きな名前で名乗ってくれ』って言われてこれにした」
「それ、本当?」
聞いてみると、理由があまりにも単純だった為、ポカンと口が開く。
「つーか、ただ単に向こうの処理が面倒くさいから名前変えろって変じゃない?」
「あぁ。呆れて笑っちまうぜ」
彼は鼻でフッと笑いながら、左手をパーカーのポケットに突っ込んだ。
「私は……『椎名望』」
「はぁ!? お前が?」
「うん。誰だと思ったの?」
自己紹介した途端、驚きながら聞いてきたので、私も聞き返す。
「あっ。普通に中性的な男かと……」
私が男? 確かに間違えられたこともあったけど、「中性的な男」とうやむやに間違えられたのも初めてだ。
「え? 私、女だよ?」
咄嗟に否定する。
「いや、一瞬男に見えたからさ……」
そう言うと、再び私から視線を逸らしたので「まぁ、いいよ」と言って許す。
「それよりさ、安全な場所何か知らない? どこ探してもおんなじ部屋ばっかで正直飽きてきたっていうか……」
今度は愛が不貞腐れたように様に言い、再び彼に訊ねていた。
「んー。片っ端から探すしか方法なくね?」
「え? 知らないの?」
「あぁ。おんなじ景色ばっかで俺も飽きてきたところだ」
そう言いながら、金属バットを持って軽く素振りをする。
「そういえば戮さん?」
「何だ?」
「細くて長くてさっと摘める物、持ってる?」
ふと、奥にある便器の中が気になったので、聞いてみることにした。
「そういえばよ、ここの上に何か置いてあるの、見えないか?」
「え? どこ?」
「ここ」
指差した先には、便器の上に設置された棚だった。その上には棒状の何かが置かれているのが見える。しかし、ここからだと棚が高くて、それが何なのかが分からない。
「つーかお前、背はいくつなん?」
「158」
「そりゃぁ、見えないか」
怠そうに言いながらホイッと棚の上にある何かを取り、「ほらよ」と言って私に渡してきた。
「あ、ありがとう」
お礼を言うと、手に取ったものをじっくりと見る。
何かの正体は金属製のロングトングだった。長年使ってないせいか、全体に埃が被っていたので、軽く払う。
私は左手にロングトングを持ちながら便器の蓋を開け、ガチャガチャと音を立てながら光るものを摘んだ。
そっと中から取り出してみると、黒色のヌメリがベットリとついた鍵束らしき物だった。
「わっ! くっさっ!」
「ぅおえっ! くっせーぞおい!」
この時、悪臭に耐え切れなかった愛と戮は、咄嗟に便器から離れ、鼻をつまんでそっぽを向く。
「とりあえず、どうしよう……」
私はロングトング片手に、洗い流せる場所を探していた。
「水、出るかな?」
すると、便器の反対側に蛇口がついた小さな洗面台を見つけた。鏡は何故か付いていない。
「まぁ、出るんじゃね? とにかくやってみなきゃわからねぇだろ」
「確かに……」
「とりま、そのくっさい臭いをどーにかしない限りは先に進めなさそうだし」
そう言いながら二人共鼻をつまんで答えていた。
「わ、分かった」
相槌を打つと、左手で蛇口を捻る。すると、少し濁ってはいるが水が出てきた。まぁ、このヌメリを落とす程度なら使えると思い、ひたすら洗うことにした。
洗っていくうちに、色が少しずつ銀色になってきた。しかし、あのカビた水に漬けられていたせいか、臭いは少ししか取れなかった。
「これで、大丈夫かな?」
「あぁ、どうやらどっかの鍵みてーだな」
「つーか、そのタグは何て書いてあるの?」
彼女が鍵の一部に取り付けられていたタグに指をさす。
「んー。【宿直室】と書かれている」
「宿直室かぁ……」
その言葉を聞いた途端、彼は壁にバットを立て掛け、その隣で寄り掛かりながら腕を組みはじめた。
「戮さん、どうしたの?」
「いや、そこなら安全じゃないか! と俺のここが言っている!」
訊ねてみると、カッコつけるかのように、人差し指でトントンとこめかみを軽く叩く。
って、俺のここって、どーいうことだ?
「それ、自分で頭がいいって言いたいわけ?」
「多分、な。まぁ、俺の勘はかなり当たるからそこ行っても大丈夫だと思うぜ」
そう言うとバットを再び持ち、扉の前まで歩き始めた。
「ふーん。変なの」
彼女も呟きながらブレザーのポケットに両手を入れ、彼の後をついていく。
「ところで、望さんはどう思う?」
「んー。私も戮さんには同意見かな。今の所進展がないから……」
突然、聞かれたので歩きながら思ったことを答えると「確かにそうだよね」と納得していた。
「あっ。そういえばよ、俺、その部屋らしき場所、ここ来る途中で見かけたぜ」
「それ、ほんと?」
私はびっくりしながら再度聞く。
「あぁ。バッチリと【宿直室】と書かれてたからホントだ」
そう言うと、躊躇いもなく扉を開け、その場を後にした。
「とりあえず、宿直室に行く。手掛かりが分かるかもしれないし、早く麗を助けないと……」
それを聞いた彼女は呆れながらも「あーはいはい。確かにそうだね」と棒読みで答える。
「望さんは麗さんの傍にいないと、胸が苦しくなって死んじゃうんでしょ?」
「えっ!? ち、違うって!」
思わず顔が真っ赤になる。
「嘘つくなー! この似たもん同士のリア充めー!」
そう言うと私の両頬を思いっきり引っ張ってきた。
「痛い痛い痛い! 愛さん痛いって!」
「麗さんは望さんのことが好き。っていうのはわかってるんだよ? それに対して望さんはどうなのよ? えぇ?」
彼女は目を細めながら再び頬を思いっきり抓る。
「そこはちゃんと言うからやめ……」
「おい! お前らうっせーぞ!」
その途端、先に出て行ったはずの戮が独房を覗き込みながら怒鳴り声を上げた。
「え? 戮さん? 行ったはずじゃ……」
「ったく、お前ら何なんだよ! さっきから『麗さん』『麗さん』って!」
「はぁ」と大きいため息をつきながら呆れ気味に言い始めた。
「実は……」
「そういうのは宿直室に着いてから言え。ここで言ったらバレるだろうが!」
「だって!」
「ガタガタ言うな! 早く行くぞ!」
此方の話に全く耳を貸さず、怒鳴りながら言うと、そそくさに独房から立ち去った。
*
「はぁ」
怒られちゃった。でも、こんなに怒鳴り声あげて怒られたのは、久々かもしれない。私は深いため息をつく。
「つーか、あんなにカンカンに怒らなくてもいいのに……」
彼女はボソリと呟く。
「でも、行こう。また怒られちゃうよ」
「そうだねー。怒られるのは嫌だし。りょーかい」
怠そうに言いながら彼の後を追うように、急いで独房を出た。




