シャワールーム
*
気分晴らしでシャワールームへと入った僕は、掛具からシャワーヘッドを外し、蛇口を捻ってお湯が出るまで確認すると、再び強く捻って元の位置に戻した。
おもむろに両手を見る。そのまま洗おうとも考えたが、素手に違和感を感じた為、嵌めていた革製の手袋を外して洗剤置き場の近くに置く。
「あぁ」
僕の両手、真っ赤っかだ。落とさないと。
溜息混じりに呟くと、お湯を両手に当てる。
あの時、血だらけの両手を見て、頭の中が真っ白になったのを覚えている。保健室で休んでいたら寝てしまって、それ以降のことは全く覚えていない。真っ先に血の臭いが鼻に入ってきて、慌てて起きたらこの状態になっていた。
望には絶対見せられない。
だから、手にボディーソープをたっぷりつけ、「落ちろ落ちろ」と強く願いながら手を洗い始める。
「……」
ふと、変なことを思い出したが、考えるのはやめ、ぼんやりと手を洗っていたら、ボディーソープの泡と共に手についた血の跡が無くなっていた。これでいい……
「うっ……」
突然頭が痛くなってきて、思わずその場にしゃがみこむ。視界はぐにゃぐにゃに歪むと、勝手に瞼が閉じて意識が遠くなっていった。
*
中で静かに響く水飛沫。濡れた床。倒れた体を怠そうに起こしながら目覚めると、シャワーのお湯を出しっぱなしになっていたので思いっきり蛇口を強く閉めた。
「ふぅ……」
真正面にある鏡を見て、自身の銀髪を弄ったり、頬を軽くつねったり、周囲を見渡した。
ここ、どこなんだ? それと……、そうか。ここで血の跡を落としていたのか。ったく、余計なことしやがって。
薄紫色の虚ろな目が怪しく映り、鏡に向かって睨みつける。オレから見ても不気味に感じて嫌だ。更に両腕を捲ると、血の気がない腕が見え、吐き気を感じた。この腕を見る度に鎖のように絡みつく憎悪が全身を襲う。
「あーあ」
なんだよ。生まれてからずっと周りに、「天使」だとか「可愛い」だとか勝手に持ち上げられて正直迷惑だ。気晴らしにネットを開いてみても「羨ましい」「アルビノになりたい」て心無い書き込みを見つけてガッカリすることもあった。
そのせいか、光やみんなの視線が眩しくて眩しくて、嫌になる。みんなが羨ましがる程、いいものではない。
「外に遊びたい」とオレが泣いてお願いしても親からは無視される。呼ばれたと思ったら、何故か知らない間に閉じこもった部屋に隔離されていて、大人の都合で治療の実験台にされていた。子供の意見なんてガン無視だ。
「ふざけんな!」
鏡に向かって暴言を吐くと、力強く叩き割る。すると、ガシャンと大きな音がし、辺りは破片で散乱した。オレの右手の甲からは、血がじんわりと滲み出る。
痛さは全く感じない。ただ単に傷口から『赤い液』が流れている感覚でしかない。次第に心地よい感触へと変わり、快感を得る。
「あははハハハハ。やっぱ気持ちぃぃなぁ!」
笑いながら言い放つと、周辺を片っ端から荒らしまくって、タイルの壁を拳で割り続けた。
そのせいか、手の甲は血だらけになっていたが、全く気にせずに、近くにあったカミソリで自身の両腕に沢山傷をつける。
そして再び無我夢中で周囲を壊し続けた。自分も壊し続けた。そう。何もかも全て……
*
「はぁ……はぁ……」
なんだか疲れてきた。壁に寄りかかるように静かに座り、何となく周囲を見渡す。タイルは割れて粉々になり、血が所々についていた。途中、カミソリで切った切り口からは、液が流れていたから、それを手にとってベッタリとつけたんだっけ。
でも、どうでもいいや。オレはこれでいい。『生きている』と確かめることが出来るだけでも幸せだ。だって、こうでもしないとオレはオレではなくなる……。
心の中で問いかけながらも、壁に背を預けると、そっと瞼を閉じ、考えるのをやめた。
*
――トントン
「麗? いたら返事して」
ん? この声って……。望?
声で目覚めた僕は、重い瞼を擦っていたが、何故か生温い液体が目につく。
「何……これ!」
右手や両腕を見ると、血だらけになっていて自我を失いそうになった。
「どういう……こと?」
辺りには、粉々に散乱したタイル。割れて落ちたガラス片。荒らされた様にバラバラになっている備品。出入り口の扉は、血で塗ったような跡が残っていた。
「開けるよ?」
――ギー……
望が脱衣室に入ってきた。
「どうしよう!」
嫌だ嫌だ嫌だ嫌だ嫌だ嫌だ嫌だ嫌だ嫌だ嫌だ!
この姿を誰かに見られるのが怖くなり、頭の中が「嫌だ」の一色で塗り潰されていく。
「麗?」
一歩ずつこちらに向かってくる足音と声。全てが赤い飛沫で覆われていても、現実だと未だに信じ切れない僕の手元には、血でベッタリと付いた鏡の破片があった。
「これは……」
虚ろな目で恐る恐る破片を見つめると、半分だけ血で覆われた僕の顔が映る。
一体、誰がやったんだろうね。僕以外の誰かがここを荒らしたんだ。きっと、そうだよ。うん。
「だから、僕……。知らない」
ボソリと呟きながら天井を仰いだ。




