音楽室
*
「ねぇ……」
「……ん?」
「ねぇってば!」
「んぁぁ!」
私は彼女の声で起きると、あくびをしながら周囲を見渡す。
「ここ、どこ?」
確か、あの時は不気味な男から愛さんを助ける為に、剃刀で先生の手の甲を切りつけて怪我をさせたけど、それから背後でドカンとやられて……。そこからの記憶が全くない!
そう思いながら、むくっと上半身を起こす。
「ウチも知らない。多分、あの豚野郎のアジトではないかと思う」
アジト、か。まぁ、私が見た限りだと、ベー卜ーベンみたいな肖像画(何故か血痕がベッタリと付いている)が壁側にあるから、ここは音楽室かな。
「そうみたい。鍵、探さないと……えっ!」
「どした?」
彼女が訊ねてきたが、上半身を横に振っても両手が紐のような縄で縛られ、思うように動けない。足首も同様だ。
「手足が、縛られてる!」
「嘘っ! あっ! ホントだ!」
彼女も同じような状況になっていた。
「ったく! 何なのよ! マジでふざけんじゃねーって!」
マスク越しで声を荒げながら、近くにあった椅子を縛られた両足で思いっきり蹴り飛ばす。しかし、椅子は倒れずに少し動いただけだ。
ここから、どうすればいいんだろう。
不安と恐怖が容赦なくのしかかる。更に周囲を見渡すと、そこはえげつない空間となっていた。
部屋全体は、壁も天井も血まみれになっていて、奥側のピアノも、全体的に赤黒く染み付いている。木琴だと思うが、木の代わりに誰かの腕が音階ごとに置かれていた。持ち手は棒だが、その先は目玉をイメージしたレプリカかな。見ただけでとても不気味だ。そして、普通の音楽室と異なる物が床中に散らばっていた。
「これ……」
「人のだね。気持ち悪い」
「うん」
床は血まみれ。肉の破片が山積みに置かれている所があちこちにある。何とも言い難い状況だ。悪趣味にも程がある。
「肉の内容は……。あまり、口に出せないものだね」
「ん。つーか、そんなのムリヤリ口に出さなくてもいいって!」
「え? なんで?」
「だって、それ言ったら、ひき肉やむね肉が食べれなくなるから……。うっ!」
そう言い合ってると、部屋全体から鉄分と腐敗した匂いが鼻につき始めた。いくらあの貯蔵庫で大量の死体をかき分けていたとはいえ、それに加えておっさんの加齢臭に近い匂いも混じっていては流石に気持ち悪い。
一体、何を混ぜたら、こんな悪臭に進化するんだ!?
疑問に思うがその前に、頭が痛い。胃の中も胃酸がぐるぐると暴れて食道付近まで上がってくる感じがした。今にでも吐きそう。
早く愛さんと一緒に抜けなければ。でも、このような状況じゃ、手足の紐が解かれない限りは無理だ。どうしよう。
「そーだ! 麗さん、連絡取れるかな?」
「あっ。麗に助けを……」
そう思い、パーカーに潜ませたスマートフォンを取ろうと、手首を前後に擦って縄を振り解こうとした時だった。
「先生の前で縄を解こうとは。君達は何をしてるのかね?」
『えっ!?』
突然の声に驚き、目の前を見る。すると、わかめ頭の白衣を着た中年の男がしゃがみ込みながらこちらを見つめていた。
「ダメだよぉ! 逃げたりしたら!」
「貴方はまさか……、遠藤先生?」
「ほぉ。知ってたのか。『遠藤』の名が知らぬ人の耳にまで入るとは。私も有名になったものだ」
そう言うと、遠藤は右手で右耳の中をほじる。
「そーいやあんた、ロリコンで悪趣味な先公だ。ていう事で有名なんでしょ?」
「んなっ!」
意表を突かれ、彼は驚きながら目を泳がす。
「ていうことでさ、バラされたくなかったら早くこれ解いて!」
「……」
「ねぇ!」
彼女は眉間にシワを寄せ、両手に縛られた縄を彼に見せる。
「……」
しかし、彼は頬杖をついて無言でしらばっくれようとしている。
「ねぇってば!」
「……」
呆れ気味に、「はぁ」とマスク越しでため息をついていた時だった。
「言わないと言わないで調子に乗りやがって」
「え?」
「そんなこと言うとなぁ。この手でお前を隅から隅まで触るぞ! グヘヘへへへへへへ!」
突然、遠藤は変態へと豹変し、肉がついた大きな掌で彼女の右頬に触れようとした。
「はぁ!? 触んじゃねーよ! くそ豚ぁ!」
彼女は左側に避けながら睨みつけ、暴言を吐いた。
「そう拒まれても困っちゃうなぁ。でぇーも、どっちにしろ、その格好じゃあ、二人共何もできないだろうねぇ! グフフフフフフフフフフ!」
しかし、彼は口角を吊り上げながら不敵な笑みで笑い、襲いかかろうとする。
「愛さん!」
私は咄嗟に大声で叫ぶ。
「望さん! ウチはいいから! 早く切れる物を!」
「う……。でも!」
そう言いかけた時、彼は私の方に振り向き、こう言い放ってきた。
「まぁ、望と言ったか? 君もなかなか良い体の部位を持っているねぇ!」
「はぁ?」
そう言いながら、じわじわと少しずつこちらに向かって歩み寄ってくる。近くまで来ると、その場で屈み、顔を覗き込もうとしていたが、私は彼と一切視線を合わせないよう、下を向く。
「その闇をも飲み込むかのような漆黒な瞳! 真っ黒く艷やかな黒髪。そして白い肌! これを見てしまった者は、誰もが君の魅力に吸い込まれていくだろうねぇ」
その後に「まるでオニキスみたいな瞳で美すぅい!」と不穏な笑みを浮かべながら、私を凝視する。黒縁の眼鏡越しから、輝きを無くした濁った目が、更に気持ち悪さを増してきた。
あぁ……来るな来るな来るな来るな来るな来るな来るな来るな来るな来るな来るな来るな来るな来るな来るな来るな来るな!
頭の中で連呼するかの様に後退る。しかし、背後にはロッカーがあり、これ以上下がることができない。
「とても素敵だよぉ! のぞみぃ! その漆黒な目! その憂い顔! 初めて君を見るが……」
「あ……いいっ……」
全身を震わせながら、怯えた声で言うと、首を横に振って拒む。両手両足を縛られているせいか、叫んだとしても、この後に何をされるのか分からない恐怖が支配する。
「とても美しい!」
彼は不気味な笑みを溢すと、私の右頬を触ろうと手を伸ばしてきた。
「ぃやぁぁぁぁ!」
プツリと糸が切れたかのように、突然泣き叫び、それと同時に思いきり目を閉じる。
――グシュッ……
「あ゛あぁぁぁぁぁ!」
その瞬間、ブスリと響く鈍い音と共に、誰かが近くで呻き声を上げていた。なので、咄嗟に目を開けると、遠藤がゾンビの様に白目を向きながら、近くで呆気無く倒れていくのを見た。
「どういう、こと?」
人の首……に……
私は突然、目の前で起こった惨劇に青い顔をしながらただ呆然と見つめる。右側の首筋には、何故か1―2で置いてきたはずのハサミが突き刺さっていた。
その背後には、謎の人が不敵な笑みを浮かべていた。口元以外、全体を黒いローブで纏っている。はみ出た肌は白いが、この時点では周りが薄暗いせいか、男なのか女なのかはっきりと分からない。
謎の人は私から引き離すかのように、彼の両足を掴み、教室の中央までズルズルと引きづっていく。ハサミが刺さった傷口からは、水流のように赤黒い液体が止むことなく流れていた。私は何故か、そこからどのぐらいの深さで突き刺したのか、予想がついた。恐らく、動脈辺りまで恨みを込めてグリグリとやったのだろう。
彼は首元付近にしゃがみ込み、ハサミを思いっきり抜き取ると、視線を下に向けたまま、無言で私の目の前に向かって放り投げた。それと同時に、首からは大量の血が横へ勢いよく吹き出し、床全体に広がって、血だまりと化す。
ハサミは接続部まで、イチゴジャムのようにべっとりと血がついていたが、これがあれば、縄は切れる。縛られたままだが、ハサミを両手で持ち、愛がいる入口付近まで両足と下半身を使って横に動く。
「今のうちに、これで切ろう」
「そーね。りょ!」
私は彼女に声を掛けると、両手に縛られた細い縄を、交互に交代しながら切り合う。両手が開放された所で、両足に縛られた縄をハサミで切断していた。
――ガンッ……ガンッ……
その時、鈍器みたいなもので殴って骨を粉く様な音がしたので、前を向く。すると、謎の人が右手に鉄の棒を持ちながら、馬乗りになって彼を殴り続けていた。
なるべくなら見ないようにしよう。と思っていても、悍ましい音が気になって仕方がない。
何かが切れて吹き出す音、楽しそうにグリグリと抉る音が音楽室中に響く。共鳴するかの様に、肉片をグシュッ。と靴で踏み潰す音も混じる。
私はその音を聞きながら、うっすらと目を細めた。遠くからだが、遠藤の顔はもう誰だかわからない程、無様な姿と化していた。
謎の人はというと、肉の塊と化したモノを蹴り上げ、再び鉄の棒で殴る。まるで血を吸うかのように、ローブも鉄の棒も、徐々に血まみれになっていく。
殴り終わると今度はスタンガンに持ち替え、肉の塊に突き刺し、ビビビビッと電流を流していた。肉の塊はビクビクと上下に震わせていたが、それに対して謎の人は狂気の笑みを浮かべ、手を止めない。
「これ……どういう、こと?」
放心状態になっていたせいか、声を震わせながら、その場から動けなくなっていた。
「ウチも……分からない」
彼女も同じく、その場で呆然と立ち尽くしながら一言呟いた。
「ねぇ。今のうちにここを出ようよ」
「でも、鍵が!」
「望さん!」
彼女は泣きそうな顔で私に言ってきたが、鍵を探さないと。と思い、必死に周囲を探す。
「あっ!」
すると、最初に彼が倒れた場所に、赤く光る何かを見つけた。床の血と混じっていたせいか見えにくかったが、右手でそっと持つと、鍵の形をしていた。
この床の様に赤い色をしている。パーカーの裾で拭いても、血痕が付くだけで本体そのものは落ちてないから、これは赤い鍵なんだな。と認識した。
「それ、次の間の鍵! あったね! 望さん!」
「……うん」
しかし、顔は真っ青になっていた。ここは喜ぶところだろうが、何故か喜べない。目の前で惨劇な現場に出くわしてるせいか、喜びより恐怖が勝っているという感じだ。
「それ持って早くここから出るよ!」
「う。うん」
私は彼女に押されながら震える腰を起こし、音を立てないように音楽室を後にした。
*
「ふぅ。なんとか出れたけど……」
「うん」
「あのフードの人、何者なんだろうね」
音楽室から少し距離を置いた所で、私と愛は体中を震わせながら、話していた。それもそのはず。あの悲惨な場面を見た後だ。
「敵か、味方か、わからない。でも……」
「でも?」
途切れ途切れに言う私を、彼女は心配するかのように聞き返す。
「助けてくれたお礼をしに、行かなくちゃ」
「え?」
どうしてもお礼をしなくちゃ。という考えが動き、来た道を戻ろうとした。
「そのついでに、誰だか確認しに、また戻らないと」
「はぁ!? また戻るの?」
しかし、彼女はブラウンの目をまん丸くし、驚いた顔で言い返してきたので思わず振り向く。
「さっきのこともあったのに、望さん、正気?」
「正気……だけど」
「でも、ダメだよ。また何かあったら困るから! 戻っちゃダメ!」
泣きそうになりながらそう言うと、首を横に大きく振って私を止める。
「分かった。愛さんがそう言うなら……」
俯きながら返事をし、愛の右手をそっと握る。
戻らない。ということで、ひとまず彼女の言うとおりにすることにしたが、結局あの人の正体はわからなかった。ローブが全体をすっぽり覆い隠していたせいかもしれないけど、背が高かった。というのだけは印象に強い。
一体誰だろう。助けてくれたのは嬉しかった。
「でも、あそこまでやらなくてもいいのに……」
「確かにそう。だね。望さん」
「うん」
私はそう頷きながら、重い足取りで調理室の前を通り過ぎ、その場を後にした。




