美術室
*
近くの階段を登っている時だった。
「ん? なんか遠くで音してない?」
「まさかぁ。気のせいでない? だってここにいるの、ウチラとあの黒い奴しかいないよ?」
「確かにそうだけど……」
二階の反対側で、とても大きな足音が酷く響いていた。なので、音の正体を愛に訊ねてみたが、どうやら気にはなってない様だ。
黒い奴(狂者)だと、ここまで届く程の音を立てて歩かない。でも、あれこれと考えると怖くなってしまうので、やめることにした。
すっきりとしない気持ちのまま、美術室の前に着いた私は、徐に扉の取っ手に手をかけた。
――ガタッ
「あれ? 閉まってる」
しかし、横に引こうとしても、扉が開かない。
「鍵、探さないと」
「あっ。それなら大丈夫」
「え?」
その場を後にしようとした途端、愛が制服のブレザーから鍵束を取り出し、その一つを鍵穴に差し込んだ。
――ガチャッ
「その鍵束、どこで?」
「職員室の壁辺りに掛かってた。スペアキーみたいだけど」
彼女はつっけんどに答えながら、左手でガラガラと扉を開ける。
「ということは……」
そう言って隣の理科室に視線を向けると、「あー。うん」と頷きながらこう答えた。
「隣の部屋開けたの、ウチ。でも、何故か音楽室と校長室だけ、スペアも全部持ち去られてた」
「とすると、保健室のガラス棚開けたのも?」
麗が訊ねると、彼女はうん。と頷く。
「とりま、全部空けとけばいいと思って」
「な、なるほど……」
「まっ、入ろう」
「う、うん」
バッサリと返されたがこの時、私は懐中電灯を持ってなかった。でも、いちいちスマホを開いてライト機能を使うのも面倒くさい。なので、何処かにあるだろうと信じ、恐る恐る中に入ることにした。
*
美術室に入った私は鍵を閉めると、早速彼女に訊ねてみることにした。
「懐中電灯、持ってる?」
「あー、このちっちゃい奴なら」
そう言って、ブレザーのポケットからまた探って小さな懐中電灯を取り出す。そして、右手で器用にカチャッと電源を入れ、フローリングの床を照らし始めた。
「これなら、見つからずに探索できるね」
「うん。確かに」
「来たら闇に紛れれば良い話だし。あっ、麗さんは髪も白いからどっかに隠れないと」
彼女はそう言いながら、周辺を照らす。
「え? でも、望も上が白だから、闇に紛れても目立つよ」
「はっ!?」
突拍子もなく話がこっちに飛んできたので、思わず目が点になる。
「まぁ、確かにそうだけど……」
「それより望さん、ちょっときて!」
すると、彼女は埃塗れの木の棚の上に不思議な物が置かれたのを見つけ、こちらに手招きする。
「これ、何?」
「えっ?」
照らした先をよく見ると、色は白く、丸い形をしていた。試しに指先で触れてみると、ザラザラした感触がする。紙粘土で作ったのかな。真ん中には短い棒がぷすりと垂直に刺さっていた。
「んー。見た感じ、林檎に見立てた置物、かな。あと、何かある?」
「ここには……ん?」
それ以外に何か無いかと聞いてみると、彼女は悩みながら徐に周囲を照らす。ふと、薄暗い部屋の奥の方を照らした時、その手を止めた。
「どうした?」
恐る恐る訊ねると、はぁ。と溜息をつきながらこう答える。
「何か、視線を感じる」
「え? それ怖いって!」
話を聞いていた彼は、かなり動揺していたようで、執拗に辺りをキョロキョロと気にしていた。
「あー、そんなにビビらなくても大丈夫だと思う」
「な、何で?」
「これは、警戒してる訳ではない。向こうから助けを求めてる」
彼女が顔色一つ変えずにあっさりと返し、奥へと足を進めるので、二人揃って唖然とした顔をする。そして、渋、彼女の後ろについていきながら、付近を探索し始めた。
「もしかして……」
「視線の正体は、これらの様だね」
彼女が足を止めて照らした先には、少し大きめの石膏像が三つ、真正面に置かれていた。
「わっ!」
彼はその不気味な光景に、思わず驚いて声を出す。色は白く、左右の石膏像は普通だが、真ん中の石膏像は片目しか色がついてない。その石像だけ表情は寂しく、琥珀色の目が異様な光を放っていた。
「あー。なるほど」
眼の色がべっこう飴に似てると思い、納得したようにボソリと呟く。
「え? 望さん?」
「ん? どうしたの?」
「いやっ、あの、もしかして、何か分かったのかなって」
しかし、彼女の右隣りで呟いてしまった為、二人共戸惑っていた。
「あー、うん。助けを求めてるってことはさ……」
そう言って私は、背負っていたリュックを近くに降ろす。そして、手前にしまっておいたアルミに包まれたお手製のべっこう飴を一つ、取り出した。
「え? まさか!」
驚いて私を見る。
「そう。そのまさか。どこかに貼り付けられる物、無いのかな」
「はりつける? そういえば、これがころがってたよ。はい」
彼はニコニコと笑いながら、自身の足元にあった接着剤を拾い、私に差し出す。
「さんきゅ!」
お礼を言って受け取ると、接着剤をべっこう飴につけ、反対の片目の窪んでいる所(瞳の部分)に貼り付けた。
――カチャッ
「ん?」
すると、何処かから、何かが開いた音がした。
「まさか、これで正解だったなんて」
「それより、どうぞうさんのおめめ、とけないのかなぁ?」
「あっ。そこまで考えてなかった!」
確かに常温で置いといたら、いつの間にか溶けて、片目だけドロッドロの悲惨な目になってしまうだろうなぁ。
内心、哀れに思いながら、私達は音の主を探し始めようとした時だった。
――アリガトウ。
『えっ?』
突然、声が聞こえたので、私と愛は思わず声がする方へ視線を向ける。しかし、彼には全く聞こえていなかったのか、二人が石膏像へと足を進めていたのを不思議そうな顔をして見ていた。
よく見ると、琥珀色の石膏像の口元が、不気味な微笑を浮かべている。少し経つと、再び声を発し始めた。と言っても、口元は全く動いてない。
誰かが遠隔操作で音声を入れてるのか?
疑問に思ったけど、敢えてそこには触れないようにした。
「あっ。此方こそ……」
戸惑いながら言葉でお礼を返したその時だった。
――ココニモウヒトリ、ナイテルコガイル
「え? 泣いてる子?」
それを聞いた彼女は、懐中電灯を持ちながら上下左右と辺りを見渡す。
「えっと、その、泣いてる子は、何処にいるんですか?」
私は再度、石膏像に訊ねる。
――カベガワノ、ドコカニ……
「壁側にいるのですね。わかりました。教えて下さり、ありがとうございます!」
「なるほど。壁側ね」
すると、石膏像は語ったと同時に、声がそこで途切れてしまった。私は丁寧にお礼を言うと、先に壁側を照らしていた愛と共に、幾つかある絵画を目で追うよう、一枚一枚見て探す。
ん? 泣いてる子?
ふと、何かを思い出したかの様に、徐にパーカーのポケットから、七不思議が書かれたメモを取り出す。
「ねぇ。麗?」
「ん? なーに?」
振り向いて返事をし、私の元へゆっくりと戻る。しかし、両手には筆と液体が入った蓋付きの瓶を握りしめていた。
「それ、一体、どこにあったの?」
「あー、これのこと?」
驚いて訊ねると、呑気な声で筆と液体入りの容器を私に見せる。
「接着剤が落ちてた所の近くに、これがあったから、何か使えるかと思って!」
「あー、ん。ありがとう」
そう言って、筆と容器をポン。と私の両掌に差し出した。それを受け取った私は、まじまじと見てみる。
筆は大きい平筆で、立体物も余裕で塗れる程幅が広い。そして、白い筆先はとても柔らかい。容器はガラスでできていて、黒いプラスチックの蓋。とても頑丈そうだ。中身は赤黒い液体が入っているが、水で薄めなくてもすんなりと塗れそう。
あっ。そういえば!
『紅く染めよ』と書かれたあのメモを思い出した私は、早速白い置物の所へそれらを持って行く。私は蓋を頑張って開け、絵の具を筆に浸すように付け、ベッタリと塗ってみることにした。
「これで、いいかな」
赤黒く塗られた果物の置物になった。なので、瓶と共に筆も近くに置き、その場を後にする。
そして、七不思議に書かれた絵画について、この中では物知りであろう彼に訊ねてみることにした。
「そういえば、涙する絵画って、どれか分かる?」
「んー……」
彼は懐中電灯に照らされた数ある絵画を一つ一つ見ながら考え始める。しかし、口にした言葉は意外なものだった。
「絵は、あんまり詳しくないんだ」
『うそっ!』
懐中電灯を持っていた彼女も、隣で聞いていたようで、私と一緒に口を揃えて言った。
「あー、誰がこれを書いたとか、この絵のタイトルは。って聞かれても、僕は答えられない! ってことだよ!」
「え? めっちゃ意外なんだけど!」
「な、なな何で?」
ブラウンの目をぱちくりさせ、喰いつくように訊ねているせいか、彼は戸惑い気味で返事を返していた。
「なんつーか、めっちゃ詳しそうに見えた。いかにも、家にこういうのを、全部金の高級な額縁に入れて、大事に何枚か飾ってます的な。そんなイメージがした」
「それ、同意。美術館みたいと言いたいんでしょ」
「そーそー!」
「えぇぇ! 望までそれ言う?」
「うん」
思ってたこと、代わりに言ってくれてありがとう!
彼女が彼のイメージを事細かに語っていたが、実は私も内心思っていたので笑いながら頷いた。
「元々、興味がないからそんなこと言われても……あっ!」
「ん?」
顔を真っ赤にしながら二人に言い訳をしていた彼は、ふと、ある絵画に指を指す。
「もしかして、あれが噂のやつかな?」
「え? どれどれ?」
彼女が探しながら、懐中電灯を照らし回すと、一枚だけ奇妙に左にずれている絵画を見つけた。
「あー。これか」
遠目ながら見てみると、茶髪の少女が描かれていて、確かに泣いている様にも見える。再度目を細めて見ると、目だけが黒く塗りつぶされていて、そこから赤黒く塗られた液体が、涙の様に頬に伝っている。その為か、近寄りがたい異様な雰囲気を漂わせていた。
「何か、不気味」
ボソリと呟いてその場で佇んでいたが、様子が明らかに可笑しかった。
「そうだね。って、どうしたの?」
「……」
「愛さん?」
「……」
声を掛けても、絵画を凝視していたまま。しかも、懐中電灯を持ってる手はガタガタと震え、青ざめた顔をしている。
これ、危ないやつじゃ……
そう思った私は、震える彼女の腕を強く掴み、最初に入ってきた扉付近まで無言で連れて行った。
「愛さん? 大丈夫?」
「……はっ! のぞみさん! ご、ご、ごご、ごめんなさい!」
小声で改めて訊ねると、顔を見て安心したのか、泣きそうな顔をしていた。どうやら、我に返った様で、一時的だが、私もホッとする。
「一体、何があったの?」
「さっき、突然金縛りみたいなのに遭って、その場から全く動けなかったの!」
「金縛り?」
「うん。照らした途端、耳元で『カエセ』と突然聞こえてきて……。その瞬間、体が急に動かなくなって!」
震える声で訴えながら頷く。
「望、ここにいたら危険だよ。早く出よう!」
「そう、ね」
その話を聞いた私達は、気味悪い美術室から出ようと、扉に取っ手をかけた時だった。
――……カエ……シテ!!
――ガタガタガタガタ
『え?』
その途端、絵画が震えるように揺れ始め、それと同時に女の子の叫ぶような呻き声が、耳元に入ってきた。
私は狂者侵入防止の為に、閉めていた鍵を開け、扉を開けようと横に引く。
「うそっ! なんで?」
しかし、何回もガチャガチャと引いているが、ビクともしない。
「望?」
「どうしよう! 鍵を開けたはずなのに、扉が開かない!」
『ええっ!』
――ガシャーン
「ひっ!」
叫んだと同時に、部屋の奥から陶器が割れるように絵画が倒れ落ちる。その衝撃音に驚き、思わず声が漏れた。
――アァ……アァ……
――ズッ ズッ
それと同時に、身体を引きずる様な悍ましい音と唸り声が、奥から徐々に近づいてくる。
――ワタシノメ……ワタシノメ……
このままじゃ危ない!
そう思い、念を込めて横に強く引くと、何故かスッと開いた。
「あ、開いた!」
「でも迫ってきてる! 後ろで声がする!」
「早く出て!」
私は泣き叫びながら、先に二人を廊下に出す。
そして、最後に出ようとした時。
――カエセ……カエセ……
――ズッ ズッ ズッ
「えっ!」
背後から声がしたので、驚いて振り向くと、そこには絵画から茶髪で両目のない少女が、上半身を飛び出し、ほふく全身した状態で現れた。
そして、少女は呪文のように、『カエセ』と不気味な声をあげながら、何度も何度も言い、一歩一歩這い蹲る様に、此方へ近づいてくる。
私も唾をゴクリと飲み込み、視線をそのままにしながら足を少しずつ廊下へと退けていた。
やっとのことで、廊下に出れそうだ、と思ったその瞬間。
――カエセェェェェ!
「愛さん! 鍵閉めて!」
「分かった!」
少女が叫びながら襲ってきたので、彼女はバタンと扉を強く閉めると、直ぐ様に鍵を閉めた。




