パンドラの箱
「もう、カウンセラーごっこは済んだのか? 椎名」
「あっ。先生……」
「えっ!? な、ななな、なんで!? せせせ、先生が!?」
彼は、背後の声に気づいて振り向いたせいか、驚きと共に戸惑った顔をしていた。
「ったく、サクヤが慌てて俺を呼ぶから、何があったかと思ったじゃないか!」
「えっと……、確かに何かはあった。うん」
「なら、詳しく聞かせてくれないか?」
「そこまで、言うなら……」
なので、私は事の詳細を先生に伝えた。
例えば、日記を差し出した途端、『アキラ』になって大暴れし始めたから、サクヤを強制的に外に出したとか。
そして、落ち着いたかと思えば突然、『つぐ』になって今に至る。と。
「はは。全くお前らは……」
先生はと言うと、何故か呆れた表情で肩を竦めていた。
「姉ちゃん!」
「あっ。サクヤ……」
「あれから大丈夫だったの!? お兄ちゃんから、変な事されてない!?」
「うん。今の所は、平気……」
サクヤは一直線に私の元へと駆け寄るが、大袈裟だって……。
内心、溜め息をつきつつ、わんわん泣く彼を宥めながらつぐに視線を向け、作り笑いでこう問いかける。
「だよね! つぐ!」
すると、つぐは「ふぅ……」と溜め息をつくと、静かに首を縦に振った。
「わざわざ僕の事なんか、庇わなくてもいいのに……」
「別に庇ったわけじゃない」
「え?」
「それだけは勘違いしないで。それに、少し、ここで頭冷やした方が良いと思うの」
「……」
しかし、彼は目を真ん丸くしながら呆然と突っ立っている。
「あ。その前に、あれだけは回収しとかないと」
ふと、思い出した私はつぐの元へと歩み寄ると、水色のコートのポケットに右手を突っ込み、バタフライナイフを取り上げる。
万が一、それで自傷して床が汚れたら、それで不味いと思った。ただ、それだけ。
あとは、リュックから例の手紙を取り出し、静かに彼の目の前に置いた。
「そういや椎名」
「何ですか?」
「実はな、君を呼んでる人が控え室にいるんだ」
「えっ? まさか……」
「あぁ。かなり面倒臭い奴だがな。だから、サクヤと一緒に戻ってみるといい」
「戻っても、大丈夫なんですか?」
「あぁ。俺は今一度、彼と話さないといけないからな。ま。気にするな」
「は、はい……」
「姉ちゃん、いこ」
「うん」
そして、やる事を終えた私は、椅子に置いた荷物とぬいぐるみのくまたろーを抱えながら、サクヤとともに部屋を後にする。彼はというと、依然、椅子に座ったまま動かなかったが、敢えて何も声をかけなかった。
これも、彼の為……。
「あっ。幸さん……」
控え室に戻ると、幸が黄色いノートパソコンを開きながら作業をしていたが、容姿がガラリと変わっていた。
「おー! 望ちゃん! 無事に辿り着いて良かったわー!」
そう。笑顔で出迎える彼女の容姿は、以前よりかなり血濡れていたのだ。服全体には血飛沫の跡があり、パソコンを使う両手も指先から真っ赤に染まっている。
それに、彼女の隣には何故か、大きなランドリーカートが置かれていた。
中を少し覗くと、大量の白いシーツが何十にも覆い隠すかの様に乗せられているが、いない間に一体何が……。
「あの……」
「あー。そう言えばあれから、赤いUSB見つけたんだー」
なので、問いかけようとしたが、彼女は終始、笑いながら違う話題へと逸らしてきた。
「あ。見つかったんですね」
「そそ。まーさか、愛ちゃんが持っていたとはねー」
「愛さんが?」
しかし、彼女は複雑そうな顔で頷きながら、更に言葉を続ける。
「しかも、手に握っていたみたい」
そして、私にノートパソコンの画面を見せてこう言う。
「それに、中身は有り得ない程複雑なんだけど、愛ちゃんの本当のお父さん、蛇川斑と言うらしいの」
「へ、蛇川!?」
まさか、先生の親族の中に愛さんのお父さんがいたとは。初耳だったので少し驚いた。
「そそ。ってかあんまり興味無さそうな顔してるねー」
「うん……」
だけど、私は彼女の目の前に座ると、箱からシガレットを取りだし、ガリっと噛み砕いた。確かに興味が無かったのは否定しない。
「まっ。それと、色々と分かったこともあるけど、聞きたい?」
「んー。気になる。かも」
「じゃー、バットなニュースと良いニュースがあるけど、どっちがいい?」
「じゃあ……。バットなニュースからで」
そして、古い蛍光灯のぼんやりとした光に当てられた壁を眺めつつ、ボソリと口にした。
「おっけー。じゃー、まずは、バットなニュースからね。えっとー、中毒死事件の真犯人が分かったけど、めっちゃ驚いたのよー」
「え!?」
一体誰が?
だけど、これでずっと引っかかっていた疑問が晴れると思うと、やっと一歩進んだ。という気持ちになる。
「まさか、麗ではない。って事ですか?」
「うん。犯人は……、事件の真犯人でもあるし、彼の人格を崩壊させた張本人でもあるらしいの」
「崩壊させた……張本人……」
「うん。これ、闇サイトの一部だけど、そう書かれていたよー」
「これが……」
そして、彼女はふぅ。と大きな溜息をつきながら、重い口を開く。
「ちなみに犯人は……、城崎源。麗の実のお父さん。だよ」
「お父さん!?」
私は驚きのあまり、思わず大きな声で反応してしまった。
「そそ。実はあたい、望ちゃんに会う前、突然この人が襲いかかってきたの」
「えっ……」
しかし、彼女はパソコンに映っている男性の写真を指さし、更に言葉を続ける。
「だから、このナイフで返り討ちにしたんだー……」
そう言って黒いスカートのポケットから取り出してきたのは、赤い柄が付いたバタフライナイフで、麗が持っていたのと同じタイプだ。
きっと、あのナイフは幸さんのものだろう。
「それで、大丈夫だったんですか!?」
「まぁ。何とかね。だけど、とち狂った様な目をしていた。かなりの危険人物だとあたいは推測するね!」
「うそ……」
しかし、私は驚きと共に戸惑いの声をあげてしまった。何故なら、写真で見た彼の姿は、あまりにも普通なお医者さんにしか見えなかったからだ。
「よくいるんだよねー。嫌なことは全部無くして、うまい具合に隠してのほほんと世の中を過ごす人が」
「それって、なかなか用意周到じゃないですか!」
すると、隣で静かに聞いていたサクヤが驚いた表情で彼女に訊ねていた。
「まーねー。薄気味悪いけど」
「それで……」
「んで、これからどーしよーか。と言った所がバットニュースかな」
「あとは……」
「彼の弱点さえ分かれば、こっちで対策は練れそうなんだよねー」
「それなら……」
ふと、私は手に抱えていたくまたろーをテーブルの上に置く。
「あー。それって、麗君のじゃなかったっけ?」
「はい。だけど、ちゃんと『彼ら達』から許可を貰ってきました」
「『彼ら達』って……」
「正確に言うと、『つぐ』が壊していい。ってOKを出してきたので、そのまま持ってきた」
そして、ポケットから携帯裁縫道具を取り出し、ぬいぐるみの隣に置いた。
「ふーん……。で、大丈夫なの?」
「え?」
「あ。いや、つまり、他人の物壊すって事でしょー? 崩壊しない?」
「うん。だけど、何で彼らがあんな事を言ったのかがさっぱり……」
だけど、仮に重要なものがここに隠されているとしたら……。
「じゃー、あけましょーよ! 許可貰ったなら早速!」
なので、サクヤは意気揚々に口を緩ませると、くまたろーを分解しようとしていた。
「んまぁ。待て待て落ち着いてって……」
『えっ!?』
「まだグットなニュースを聞いてないでしょーよー」
「あ。忘れてました」
「ぼ、ぼくも……」
「全くもー!」
「じゃあ、聞きますので、グットなニュース、話して下さい」
しかし、幸さんにグダグダ言われながら止められてしまったので、仕方なく優先順位を変えることにした。
「分かったよー。えっとね、グットなニュースはというと、滝沢をこのゲームから離脱させる方法を思い出した」
「それって、つまり、生かすことが出来るって事ですか!?」
「それもあるねー。んま、方法は麗君には伝え済みだよ。あとはもう一個」
「もう一個?」
すると、彼女はバックから、黄色くて小さなソフトと、中ぐらいの機材を取り出し、パソコンに取り付け始めた。
「3つ揃ったって事は……」
「あっ。まさか……」
「そそ。ソフトが完成するって事。そして、望ちゃん」
「ん?」
「ゲーム機、貸して?」
「あっ……」
なので、彼女の要求通り、パーカーのポケットからゲーム機を取り出すと、素直に渡したが、何をするつもりだ?
内心戸惑うけど、信じるしかないと思った私は無言でシガレットを齧る。
「あっ。ごめん。姉ちゃん。はい」
それを見たサクヤは、手に持っていたぬいぐるみを私の元へそっと置くと、再び俯いてしまった。
「別に謝らなくてもいいのに……」
私は彼に聞こえないよう、ボソリと本音を呟くと、裁縫道具から小さなハサミを取り出す。そして、違和感があったくまたろーの背中に躊躇いなく切り込みを入れた。
カシャリカシャリと、布が切れる音を聞きながら切り口を開けると、白い綿に紛れて金属の様な物体が顔を覗かせた。
「白い……USBだ……」
「わぁおー」
なので、指で摘んで四方から眺めてみると、間違いなくUSBメモリーだった。でも何で?
「もしかして、相当見られたくない内容が書かれてそうねー!」
「だけど、何でお兄さんの物の中に?」
「んー……」
なので、暫く考え込んでいたが、目の前にいる彼女から放たれる鋭い眼差しが、かなり痛い。
「ま。それより、それ貸して!」
「あっ……」
しかし、彼女は我慢できなかったのか、私からUSBを奪い取ると、何かに憑かれたかのように、パソコンに差し込んだ。
そして、今までよりも早いスピードで、カタカタと音を鳴らしながら打ち込み始めた。
でも、これで本当に、真実がわかるのなら……。
私は祈るように真剣に打ち込む彼女に視線を送った。勿論、隣にいるサクヤも同じく、ゴクリと唾を飲み込みながら彼女を見ている。
「えっと、これとこれを繋げて……」
彼女はというと、独り言を言いながら、オレンジ色のバックから小さな機材を取り出し、テーブルに置いてパソコンと繋げた。
「まとめて……、こうやって……、よしっ!」
そして、黄色いソフトを機材にはめ込むと、あっという間に完成させてしまった。
「できたん、ですか?」
「うん! やーっと完成したよー」
彼女は満足そうな笑みを浮かべると、ソフトを機材から離したが、一体何をする気だ? 返す素振りを全く見せてこないので違和感を感じていたが……。
「さて、覚悟はいい?」
「えっ!? それって……、うっ! あぁ!」
しかし、彼女はニタニタと笑いながら、勝手にソフトをゲーム機にはめ込んでしまった。と同時に、私の頭が割れるように痛い。痛い。痛い!
「あああっ! ああ。あああ!」
私は奇声を上げながら両手で頭を抱えると、椅子から転げ落ち、その場で意識が遠のくなってきた。まるで、あの時と同じ様な感覚だ。
そして、微かに残る意識の中、彼女は私に向かってこう言葉を吐いてきた。
「やっぱりねー。『常者』の椎名、望ちゃん」




