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第1話

 魔術というのは多少のミスも命とりとなる。アリほどの小さなミスが起きないように魔方陣のかたちを何度も見直し、ろうそくの位置も微調整していく。儀式で使われる道具を用意して、魔方陣の中央に置いた台座の上にかける布のしわを伸ばして準備は終わりだ。


 部屋のすみにある机には、持ち上げると両腕がしびれるくらいの大きな本が広がっている。わたしの師匠セロン様は準備の間、本から顔を上げることはなかった。


「師匠、準備は完了しました」


 そう伝えると、師匠はようやく顔を上げて、「フルグライトを呼んでこい」と命じてきた。


「フルグライト様ですか?」


 そう来たかと動揺する。できれば、「フルグライト様」ではなく、別の人間が良かった。わたしや魔術師に対してもう少し好意的な男なら命令の難しさは格段に下がる。それを期待して師匠に聞き返したのに、彼は青白い顔をぴくりとも動かさなかった。


 蛇のように切れ長の目でわたしをにらみつけて、「ほう、口答えでもするつもりか? この半人前が」とでも言いたそうだ。


「い、いえ、フルグライト様ですね、ただいま」


 そう命じられて儀式部屋を出たものの、わたしの気は進まなかった。「フルグライト様」ことアルダス・フルグライトは、この城のなかでとびきり魔法とは縁がない武人だった。魔法が使えないくせになぜ城勤めをしているのかといえば、その特異な体質のせいだった。魔法がまったく体を通さないのだ。


 魔力がなければ、ふつう魔法がかかり放題だと思うかもしれないが、それを補うほどの精神力がある。実直、悪魔のささやきがつけ入る隙を作らない。魔法なんて使わなくても腕っぷしだけで何とかしてしまうのだ。その腕っぷしと体質がフルグライト様を騎士団の団長へと押し上げた。


 部下からの信頼も厚く、女性にも当然、モテる。しかも彼が連れている女性たちは美しい人たちばかりだ。同じ女性としてこうも違うのかとうっかり比べて、落ちこむ。比べるほど対等でもないのにも関わらずだ。


 そんなどうしようもないことを考えていたら、騎士団の団長の部屋に到着していたようだ。おかしいな、足はものすごくゆっくりを心がけていたのに。


 たどり着いてしまったのなら仕方ない。わたしは息を何度も吸い、数分の時間を無駄にしてからノックを試みた。返事を確かめてから扉を開ける。開けてしまえば、もう逃げられない。恐る恐る部屋のなかに足を踏み入れて、フルグライト様と対面する。


 短く刈りこんだ黒髪、その下の強い眼差しがわたしを貫いて、胸の痛みを呼び覚ました。快晴の空を思わせる青い瞳は嫌悪だろうか、細められたままだ。わたしは見つめて話す勇気も出ずに、彼の太い首辺りに目線を移した。


「あ、あの、ご機嫌はいかかでしょうか?」


 本題の前に当たりざわりのない話をする。彼の喉仏が上下をして、とてもわずらわしそうに「ああ」とうなるように答える。


 誰からも人望を集めるこの人は、どう考えてもわたしだけには素っ気なかった。噂によれば、魔術師という類いが嫌いなのだと聞いた。だから、彼の態度は当たり前のことなのだ。


 気にしないように。早く仕事を終わらせてしまおう。


「師匠があなたをお呼びしろと」


「セロンか……準備ができたのだな」


 また、彼の喉仏が上下をする。何だ、師匠と話はついていたようだ。今回の儀式は彼に関連したものかもしれない。これはすんなり連れていけそうだと安心していたら。


「エリアル……」


 名前を呼ばれたのははじめてで、驚きのあまり、フルグライト様の瞳に目が行った。彼は口を開きかけたまま、呆けたようにこちらを見つめている。そして、この彼が何かを言いかけることなんてあっただろうか。たぶんない気がする。


「フルグライト様?」


 頭を傾げてみるが、彼の顔は固まったまま動かない。不躾とは知りつつもまつ毛の長さがわかるくらい顔を近づけてみる。わずかに瞳が揺れるのがわかった。詰めた息が恐る恐るというようにゆっくり吐かれていく。


「フルグライト様?」


「……離れろ。魔法臭がきつい」


「えっ?」


 一瞬、何を指摘されたのかわからなかった。でも、遅れて言葉の意味を理解した。わたしには感じないが、魔法の臭いが彼を苦しめていたらしい。彼は大きな手を口元に当てて、顔半分を覆い隠している。よっぽど、臭かったのだろう。


「ご、ごめんなさい!」


 もう頭を深く下げて謝るしかない。あとはできるだけ遠くに、反対側の壁に貼りつくくらいの勢いで下がる。そうすると、またため息の音が聞こえてきた。


 ――ああ、やっぱり、フルグライト様に嫌われている。これ以上不快にならないように、できるだけそばに寄らないと心がけなければ。師匠のもとへと動き出す、彼の背中を追いかけた。

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