戦術 05-09 魔と知
……ジリ
異音が聞こえ、後ろを振り向いた。
……ジリジリ、ジリリ。
地べたを這う大きなムカデのような音が聞こえてくる。
「エテン」
地面に伏せていたルードの上半身が起き上がる。
黒い髪が抜け落ち、頭皮が露わになる。
ヒトの肌色から橙色へと染まり、やがて紅へと変化する。
「ば、化け物!!」
エテンシュラはルードだったものを化け物と呼ぶ。
化け物は両手を使い、自分の上半身を立たせる。
ルードは自分の身体を胴で立たせると、血だらけの口元をニヤリとさせた。
エテンシュラが虫の息であったルードを乱暴にしたのはある予感があった。
――コイツは息の根を止めないと何かをする!
彼の頭を踏み続けたのも憂憤していた感情を吐き出すためではなく、ルードから発する何かどす黒いものを潰すためのものだった。
そして、予感は的中していた。ルードは生き返ったのだ。
顔面傷だらけのルードは口を開いた。
「エテン。エテン。エテン」
棒読みで感情のこもっていない声だ。
なのに、背筋が凍るような耳障りな声をするのか。
「やめろ!! オレの名前を呼ぶな!!」
エテンシュラはルードの顔面に蹴りを入れる。
しかし靴底が燃え、足を引っ込めた。
「エテン殺ス。エテン殺ス。エテン殺ス」
ケケケッと笑うように、ルードはエテンシュラの名前を繰り返して言った。
すると、ルードの両手から火炎の渦が巻き起こった。
エテンシュラは燃えた靴を地面にこすり、その場から走りだし、盗賊らのいる場所へと飛び込む。
「エテン殺ス」
ルードの両手から火炎の渦を放たれる。
その渦は盗賊達を飲み込み、瞬時に灰へと化した。
「やばいな」
盗賊らのいる場所から抜け出し、岩山に隠れていたエテンシュラはルードが放った火炎の渦を見て、冷や汗をかいた。
「――なんだあれは、なんだんだ! あれは!」
理解の範疇を超えた魔法を操る。
そんなヤツと戦えなんて無理である。
「冗談じゃねえよ!! 粗悪な絵本に出てくるようなラクガキと戦えなんて!!」
エテンシュラはハァハァと息を切らせながら、策を考える。
しかし、モノもなければ、策もない。
あるのは絶望だけだった。
「エテン。エテン。エテン」
上半身のルードは残された両手を足のようにカサカサと動かし、エテンシュラを探し始める。
「エテン。エテン。エテン」
左右上下に首を動かして、対象者を探す。
首があらぬ方向へと曲がっても、ルードは平然としている。
もはや彼は人間ではない。
人間のカタチをした何かであった。
「エテン」
ルードは盗賊の一人を見つけ、片手を上げた。
「エテン殺ス」
ルードは手から紅の珠を発する。
盗賊は不思議そうにその珠をずっと見る。
ルビーのような輝きにそっと指をつける。
紅の珠は盗賊の指を食らい、そのまま、全身を駆け巡る。
盗賊はその珠に吸われるように、焼き殺された。
「エテン、エテン、エテン」
ルードは一つの体温が失われたのを見ると、両手を動かし、エテンシュラを捜索した。
エテンシュラはルードの奇妙な行動を観察していた。
「ルードと同じように、体温で人間を探している。今のアイツに、オレを判別する頭を持っていない」
エテンシュラは頭を動かしている、坑木がミシリと音を出した。
何百年も続く鉱山だ。坑木がダメになってもおかしくない。
「このままだと、生き埋めになっちまう。なんとかして脱出を。あんな化け物と一緒になんて死んでも死に切れねえよ」
エテンシュラは胸につかえた息苦しさを吐くように、無味乾燥な笑い声を吐き出す。
「ハハハハハハ」
笑うしかないというのはこういうことを言うのだろう。
すべての手段を失った男に残されていたのは絶望しかなかった。
「ハハハ、……ハ。――アハハハハ!!」
ところが、その笑い声がやがて感情がこもる。
「アハハハ! ハハハハ!!」
気が触れた。いや、何かに気がついたとでも言うべきか。
エテンシュラは笑い声と共に、いつものニヤケ顔を浮かばせた。
「鈍った鈍ったとか言ったが、なんてことはない!! 読みは鈍ってねえ!!」
エテンシュラは動き出した。
「軍師エテン、ココにありだ」
そして、何を思ったのか、彼はルードの前へと出てきた。
「ルード!! オレはココだ」
エテンシュラは大声で挑発する。
「エテン」
ルードは振り向く。
「そうだ! ユセラ王国の軍師! エテン・デイブレッドがココにいる!!」
エテンシュラは自分の位置を知らせるように、親指で自分をさす。
「エテン殺ス。エテン殺ス。エテン殺ス」
ルードはその挑発に乗ったか、片手をかざし、紅の珠を発射する。
紅の珠はゆっくりと近づき、エテンシュラの横を通り過ぎる。
「それじゃあねえ!! それじゃあオレは殺せねえ!! 全身を燃やせ!! すべてを燃やし尽くせ!!」
「エテン……」
ルードは無意識に、策を仕掛けているのではないかと勘付く。
しかし、もはや化け物でしかないルードに理性的な行動ができるはずがない。
自分のやりたいことをただやる本能で動いていた。
ルードはその場に止まり、両手を上げる。
轟々(ごうごう)と火の大玉ができあがっていく。
「それでいい。それでいい」
エテンシュラは部屋の隅へと向かい、何かを手にした。
それは彼が先ほど捨てたはずのボウガンであった。
「あばよ」
エテンシュラはためらうこともなく、ボウガンの矢を放つ。
矢はあられもない方向へと行き、天井にある坑木に刺さる。
坑木はグシっと音を立てて、折れてしまった。
天井が揺れ出し、廃坑が震えだす。
ルードの頭上に土がこぼれていく。
しかし、ルードはそれに気づかない。
「エテン殺ス。エテン殺ス」
同じような言葉を何度も吐きながら、火を燃やすことをやめない。
天井からこぼれていた土が岩となり、彼の頭上を叩きつける。
だが、ルードの両手にある火は未だ燃え尽きず、彼の右目はギラギラと輝く。
「エテン殺ス」
この言葉のために、火を焚き続ける。
しかし、一度、崩れだした天井は落ちていく。
天井から落盤するモノがルードを潰しにかかる。
ルードは岩石の濁流に飲まれて、身体がちぎれていく。
「エテン。エテン。エテ…………」
仇なす者の名前をいつまでも口にし、ルードは土石流に巻き込まれ、潰されてしまった。
※※※
滝つぼの洞くつの頂上、ザックスは木の幹を的に見立て、ボウガンの矢を放っていた。
「けっこういい音鳴るな」
エテンシュラは準備に余念のないザックスを褒める。
「これから熊狩りだからな。失敗できない」
「そうだな。失敗はできないな」
エテンシュラはそういって、ボウガンの練習をするザックスの様子を見ていた。
「エテンシュラ? やってみる?」
「いやいや、オレは」
「一度、やってみ」
ザックスはボウガンを装備させる。
「ボウガンの使い方はこう使うんだ」
ザックスはエテンシュラにボウガンの使い方を教える。
「矢をハメて、対象を捉えて、そして射る」
エテンシュラは木の幹に向けて、ボウガンの矢を放つ。
しかし、矢は木の幹とは別の方向へと向かってしまった。
「やっぱり。こういうのオレには合わない」
「だよな」
「オマエさん、知っていて、オレにこういう意地悪したのか」
「ふふふ」
「おい、ザックス!」
「なんだ、ただの冗談だろうが」
「違う。ちゃんと教えろ! 絶対どまんなか狙ってやる」
ザックスは笑いながらエテンシュラにボウガンをレクチャーする。
風向き、視線の置き方、弓矢の構え方など、ボウガンの基本的な使い方を教える。
エテンシュラは反抗することもなく、ボウガンの使い方を学んでいく。
日頃、遊んでいる遊び人が必死になって勉強している姿に、ザックスは笑っていた。
エテンシュラがボウガンの矢を放つ。
木の幹をかする程度だが、先ほどよりも上達していた。
「エテン! ザックス! クマを見つけたぞ!! ほら穴の中だ!!」
マハラドが二人の下へとやってきた。
「じゃあ、行くか」
エテンシュラは二人を連れて、ほら穴へと向かう。
「エテンシュラ。今度はこういう仕事があったら頼むよ」
「次のことを考えるまでに、今の仕事をしっかりやろうぜ」
「それまでにボウガンの腕を上げてくださいよ」
「ムチャ言うなよ」
「もうコツは教えた。あとは練習だけ」
「誰がするか。誰が」
エテンシュラはザックスの煽りにそう返答する。
「エテン。あんたは遊び人なんかをするような人間じゃない」
「どうしてそう思うんだ?」
「あんたは人の話を聞く人間だ。そういう人間はなかなかいない。だからあんたはヒトをまとめる側の人間にいるのがいいと思う」
「ギルドマスターにでもなれというのか?」
「いや、もっと、なんていうの。そう――」
ザックスはカオを見上げる。
「軍のお偉いさんにでもなるべき人間だよ」
※※※
エテンシュラは山影から廃坑を見ていた。
廃坑の入り口はすでに岩石が落ちており、中に入ることができなかった。
ルードを倒した後、天井を支えていた坑木が崩れ、廃坑全体が揺れだした。
エテンシュラは残った盗賊と一緒になって、廃坑から脱出し、九死に一生を得ていた。
何百年間もの間、存在していた炭鉱は眠りについた。
黒き山林の団長と共に、その役割を終えたのであった。
廃坑を眺めていたエテンシュラは静かに呟く。
「運だった」
誰にも言うにもなく、ただ言った。
「最後は運が勝った。寂れた廃坑を戦場になったことがオレの勝利の要因だ」
エテンシュラはボウガンを手に取る。
「こいつはやっぱなじむ。木の土手っ腹にでも打ち込もうとして正解だったわ」
エテンシュラはボウガンを地面に置くと、夜空を見た。
夜空に広がる星空はキラキラと輝く。
その星の輝きが、魔導石に似ていた。
「純粋なる魔導石か。そんなのが森の向こう側にあるのか……」
エテンシュラはまぶたを閉じると、人外となったルードの表情を思い出した。
「あの時、アイツのカオは悪魔のような表情になった。ひょっとして悪魔って……」
頭を左右に振り、妄想を振り払う。
「いや、それはない。ないはずだ」
はぁはぁと息をし、自分の妄想を消し飛ばす。
「まったく、イヤになるな!」
エテンシュラは眠気を飛ばすように、勢い良くその場で立ち上がる。
「帰るか」
エテンシュラは山を降り、盗賊団のアジトから出て行く。
ラドル村を脅かしていた盗賊たちはもはや何処にもいなかった。




