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結章*発露の篇


『彼』視点の幕引き篇ですヽ(´o`;

その日。


校舎裏を通って教室へ戻ろうとしていたのには特別な理由も何もなかった。

図書棟から教室へ戻るのに、本来なら通る必要もない。従って、普段から特に学園内でも人気の少ない校舎裏だ。


そこで繰り広げられていた光景は、一言で言えば醜悪の二文字で事足りる。


その光景自体に不快さを覚えたのは事実だ。

しかし、その時点ではまだ時間を費やしてまで関わろうとは思っていない。


気持ちの変化は、視線を集団の中に向けた後だ。

『彼』がその足を止めたのはその視線の先に『彼女』を認めたからだった。



蒼井 沙紀。彼女である。






地面に押し付けられたのだろう。

全身が砂と泥で散々な有り様になっていた。

うつ伏せに横たわっている為に、表情は見えない。

所々切り落とされたのだろう。

細かな髪の束が、周囲に散乱している。


一言も発さない『彼女』を囲んで、六人の令嬢たちが耳障りな嘲笑を落としているその様相。





度を過ぎたそれに、呆れよりも怒りを覚えた自分はまだ救いがある。


離れた位置から一部始終を見た『彼』は止めていた足を前に踏み出し、その集団へ歩み寄る。






「………何をしている」





六人の令嬢たちが、歩み寄る自分に気付いた。

その場の全員に視線を巡らせれば、彼女たちはみるみる内に青ざめていく。


血色を失った表情は、明らかに動揺して歪められていた。



「……み、美鶴様。いえ、あの……これには理由があるのです!!」



この状況を他者に見られても尚、保身に走る彼女たちの程度が知れる。

ここで、いっそのこと開き直られた方が余程可愛げがあると思えたかもしれないね。

いずれにしろ、この発言を聞いた時点で見限っていた。

ここ数年でも稀な最低値の印象を彼女たちに覚えた自分は針が振り切れていたのだろう。


酷く平淡で、尚且つ冷然とした声。

自分でも感心するくらいに、それは容赦がなかった。





「……それは、さぞ愉快で不快な理由なのだろうね?宝生、梅ヶ谷、白崎、碧霄院、園宮、…あと首謀は君だろう、緋櫻の二の姫。 これ以上その不快な弁明を続けるのは止めてくれるかな。直ぐにこの場を去り、荷物をまとめること。……今日中に君たちがこの学園を去らない時は、それぞれの家に生徒会の名で通達を出すことになる。この意味は分かるね…?」




それだけを告げ、沈黙した自分には油断があった。


追い詰めるだけ追い詰められた人間心理。

実際のところ、分かっていなかった。



詰めの甘さ。



見覚えのある、澄んだ双眸。



狂乱した彼女の目は、異様な光を宿していた。



緋櫻の令嬢は、その手に鋏を持ったまま襲い掛かる。

その先に、今もうつ伏せのままの『彼女』。


標的に向けられた銀の軌跡は、迷い無く降り下ろされた。






鮮血が飛ぶ。





見開かれた双眸を、間近で見詰めて笑う。







「………満足した?」






囁く声に、悲鳴を上げた令嬢と。

両刃を滴り落ちていく『彼』の血。



あまりに似通った混沌に、苦笑する。

ああ、これが目を背け続けてきたものかと。

これが、自らを縛り付ける枷かと。



そして振り返る。

息を飲んだ気配を、少し前に聞いていた。



『彼女』と目を合わせる。

見開かれた栗色の双眸は、戸惑いも顕に『彼』の右手に向けられていた。


地面から立ち上がって、自分に駆け寄った彼女はポケットから徐にハンカチを取り出して止血しようとする。


咄嗟に血で汚れると思い、首を振った。

しかし、彼女はまるで無視した。

手際よくハンカチを巻き終えて、一呼吸。




『彼女』はここでようやく口を開いた。




「警備員を呼ぶべきでした。万一の事が起きてからでは遅いんです」



まさかそこを冷静に突いてくるとは。

瞬いている間にも、どこか俯きがちに『彼女』は言葉を続けた。



「ただ、……助かりました。あなたが止めに入ってくれたことに感謝します。ありがとう。あ、と。そうだ、医務室はこの先を右に曲がって二つ目の角にあります。……では、私はこれで」



言い終えるや否や、足早に去っていく背をやや呆然としたまま見送った。

暫くの間、思考が追い付かない。




その後。

いまだ泣き崩れる令嬢たちと、意思を自失したまま空を仰いでいた緋櫻の令嬢は駆け付けた警備員に連れていかれた。


警備員の一人に事情を聞かれ、『彼女』の名は伏せてあらましを説明した。


詳細は改めて文書にて、後日纏めて提出することを

約束した後は一人その場に残った。









空を仰ぎ、実感した。

自分はいまだ過去に縛られたままでいる。


目を背けたところで、逃げられるものではなく。

この傷は、生涯にわたって自分を苦しめるだろう。



救われないな、と。

内心の呟きは口を出ていた。


けれども、この時。

『彼』はふと思い至る。





『彼女』は生きている。



あの時には、救えなかったもの。

母も、弟も。

もうこの世界にはいない。



けれども『彼女』は違う。

彼女は今も、生きてこの世界の中にいる。




自分にも、救えるものがあったのか。


そう『彼』は思った。




『彼女』の生を実感し、同時に『彼』が自らの枷に気付いたこの日。


空を仰いでいた『彼』自身がほんの僅かに救われたような笑みを漏らしたことに、この時はまだ当人さえ気付かないままで終わった。








その時に落とされた種子は誰にも見えないまま、密かに確実に芽吹こうとしていた。






そうして数日が過ぎた頃。

『彼』は再び食堂を訪れていた。


やはり『彼女』はそこにいた。

以前と変わらず、この上もなく幸福そうな様子で座っている。

今日のメニューは三つ葉散らしの親子丼。



………卵が好きらしいね。



やや離れた位置に席を取り、軽食をつまみながら『彼女』を眺めた。

周囲の喧騒はまるで耳に入らない。



ここ数日で彼は気付いていた。

実は、『彼女』は自分の近くにいる事が多い。

意識して探すようになってからは、自分を囲む人波の端に紛れるように立つ彼女を見つけること複数回。


どうやら『彼女』は意図的にそうしている。

人波に紛れ、気配を殺すことで身を守っているのだ。

頻繁に見かけると思えば、一日を通してまるきり見かけない日もある。

それは移動教室の多い日が特にそうだった。



観察した結果、『彼』は一つの結論に至った。



『彼女』は自分を見て、周囲の人波を利用しながらなるべく平穏な日常を送るべく工夫している。




思い当たった時には、苦笑を隠せなかった。


自分が不快しか覚えない人波が、『彼女』にとっては幾らかの救いになっている。

なんて皮肉な話だろう。

根本は『彼』の非だ。

理由はどうあれ『彼』を囲む集団から『彼女』が被害を受けている事実は変わらない。


苦笑を消し、今後の方針を決めるべく食堂を訪れた。



今日も『彼女』は独自のエフェクトを纏いながら食事をする。


微笑ましい光景だ。

どこか宣伝効果さえ覚える食事風景。


知らぬ間に微笑んでいた『彼』はふとここで我に返る。




「……?……」





どうして、自分は平気でいられる。

以前、逃げ出したそれと寸分違わぬ光景を前にしているというのに。


苦痛しか、覚えなかった。

それが全て夢幻だったかのように、今自分は楽しんでいる。


………楽しい?


真っ白に塗り潰された思考に、被さるようにしてようやく彼は認めた。


ああ。なるほどね………そういうことになるのか。


視線を『彼女』に向けたまま、とうとう彼は全てを自覚した。



いまだ処分するどころか、洗濯して綺麗に畳んだハンカチを常に持ち歩いている今も。


薄らと残る傷跡を少しも不快に思わない理由も。


死を目前にしたあの日以来、日常に退屈と不快しか見出だせなかった筈の自分が微笑む訳も。



A :『彼』は『彼女』にいつしか恋をしていた。



見詰めるだけで、幸福を覚えるのは何故か。

今まで感じたことのない暖かさを感じるのは何故か。

視界に入るだけで、鼓動が跳ねるのは何故か。

見えない日には、日常が途端に色褪せるのは何故か。


全ての問い掛けの答えは、これ以上ないくらいに単純だった。


全てが、『彼女』から得られる感情だった。




今も失われることのない、あの日の記憶。

それはいつからか、食自体への恐怖や嫌悪を抱かせた。

食べることは、生命維持には欠かせない。

それが、否定されれば何が起きるか。


食への意識の希薄さ。

色の無い双眸から得た死の感覚と同時に。

それは『彼』から生への執着を奪ってきた。



何の苦労もなく、ただ食を楽しんでいるようにしか見えなかった『彼女』。

その姿に嫌悪した。


けれどもそれは、半分は正しく。

けれどもそれは、半分は誤りだ。


『彼女』はこの学園で傷を負いながらも、変わらずに食を愛しているだけだった。

それを『彼』は見落として、一方的に嫌悪したに過ぎない。



『彼女』を見詰め直した『彼』は認識を改める。




『彼』のなかで、『彼女』はどんどん大きくなっていく。



それは、憧れにも似た何かから始まった。



自分が嘗て喪ったものを持つひと。

次第に興味は思慕へ変化していく。

自覚してからは、早い早い。

執着に似た想いの集積。

うん。自分でも呆れるくらいの規模だよ。



ここまで育った以上は、運が悪かったと思って『彼女』には諦めて欲しい。




この先も君を見ていたい。

隣にいて、自分も見て欲しい。

見詰め合いたい。

君が、欲しい。


喪われていた筈の生への渇望は、最早すべて君に手向けられるものだから。




……だから、もう諦めてね?









計画は滞りなく進められた。


入学してきた彼女の弟に接触し、協力を取り付けた。


彼女を囲い込むために企画したガーデンパーティで、哀れな子羊に踊ってもらった。


機を見て踏み出した後は、叔父たちを集めた談話室へ彼女を連れていった。



予定通り、追い風は自分に味方した。



面白いくらいに表情を変えていく彼女を見ながら、ようやくこの腕に柔らかな肢体を抱く。



ああ、ようやく捕まえた。


青ざめる君も。

泣きそうな表情もすべてが愛おしい。



だから今、君の耳元で誓いの言葉を告げる。








「私の愛しの令嬢? これからもずっと君だけだよ」
















ここまで読んでくださった方々に、心から感謝を。


『彼』視点の回想篇終了になりますヽ(´o`;


追記として、魔女の来訪篇を予定しています。

そちらも宜しければ読んでいただければ幸いです…



それ以降はまだ未定ですが、風呂敷を広げていける間はもう少し『彼女』『彼』『弟』『???』達の世界に向き合っていきたいと思っている今日この頃です。


では、またお会いできる幸運を願ってヽ(´o`;

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