合章 *出逢いの篇
『彼』視点第二幕ですヽ(´o`;
彼の叔父曰く。
「この学園に、蒼井 沙紀という生徒がいることを知っているか?」
その問い掛けに、彼は脳内検索をかけた範囲で答える。
「蒼井…確か、編入後の一期試験で主席になった子がそんな名前でしたね…」
咄嗟に思い出せたのはそれくらいだ。
思えば、あの時は周囲の騒ぎがただ煩わしいばかりで早々に場を離れていた。
つまり、件の『彼女』にはまだ視線さえ向けてはいない。
今になって思い返せば、自分を取り巻いていた彼女たちの視線を辿れば『彼女』に行き着くことになったのかもしれない。
「そうだ、その子だよ。美鶴、君からあの子にお礼を言っておいて貰えないか?」
「お礼、ですか?」
自分の浮かべた戸惑いに、叔父は薄く笑みを返した。
「あの子は、この学園でも数少ない良識の持ち主であることは確かだ。出来ることなら自分が直接彼女のもとへ出向きたい。だが、折角の機会だ。美鶴、君に任せたい」
「……………?」
彼の叔父の発言が読みきれず、自分でも珍しいことに反射的に聞き返していた。
「お礼の理由はなんです?」
「この学園の広さは、利点と同時に欠点でもある。迷った自分が言うのだから確かだ。あの子には、道案内をしてもらったんだよ。この学園の路をほぼ把握しているであろう『彼女』に興味はないか?」
そう言って叔父が微笑む。
これには、純粋に畏れの感情を覚えた。
今までに叔父がまともに笑っているところを見たのは僅かに数回程度。
珍しい、と。
ただそれだけで済むような、可愛らしいものであるはずがない。
実際そういう人なのだ。
榊本家から既に離れた人とはいえ、嘗てその名は一族の中でも畏れをもって呼ばれていた。
その叔父が会心の笑みを浮かべて、語る存在。
いかにその生徒に関心を抱いているかは、それだけでも十分に伝わる。
この笑みを見てからでは、否応にも見方は変わった。
うん。
とりあえずは、引き受ける以外の道はなかったね。改めて考えてもそう思うよ。
叔父を見送った後に『彼』はある場所に向かって歩いていた。
その間も、彼の思考は先程の叔父の話について自分なりの賛否を出している。
まだ当人と直接会ったことがない現時点で結論を出すのは、時期尚早だ。
それでも、確かに数少ない良識と称した叔父の意見には頷ける。
何せ、この学園の生徒たちのプライドの高さは折り紙つきだからね。
そんな彼らもいずれは箱庭を出て、そこで現実を知るときが来る。
その時に潰れるか、歪んだまま積み上げていくのか、自身を省みるのか。
その命題には少なからず興味がある。
……やれやれ、話が脱線してしまうよ。
そろそろ主題に戻ろうか。
それにしても道案内、ね。
この学園にそんな親切心を持つ令嬢が存在していること自体が驚きだ。
話を聞く限り、叔父の立場を知らない善意の第三者であることは間違いない。
立場を予め知っての行動ならば、違った絵になるところだが。
あの叔父がそこを読み違える程、耄碌したとも思えない。
興味を、覚えたのかもしれない。
心なしか普段に比べても速い足取りで向かう先は。
白鴛清華大付属学食。食堂の一角。
事前に情報を仕入れ、昼休みに行動を開始した。
今はその道行の途中だ。
仕入れ先は、白鴛清華大付属学園 新聞部。
略して『白聞』と呼ばれる彼らの情報収集力と、全学園生徒の個人情報の蓄積は非常に有用だ。
勿論この事実はごく一握りの生徒にしか知られていない。
恐らく都市伝説的に知る生徒は多くても。
そんなものが現実に存在し、自らを脅かす可能性があることなど彼らは信じないだろう。
表向きは新聞部の名を掲げながらも、その実態はこの学園の風紀を司る役職。
彼らは生徒会と同等、もしくはそれ以上の権限を持つ組織である。
しかしそれは公にされたことはない。
彼らは生徒の風紀、すなわち監査としての目を任されている。
それは公にしては意味がない。
生徒会の目の届かない範囲を、陰でカバーすると同時に生徒会役員を糾弾する権限を持つ彼らであるからこそ、その本来の役を知られてはならない。
けれど、いつの世も例外は存在する。
今はなにかと情報の扱いには気を配らないとならないご時世だからね。
彼らはその点で、ミスを犯した。
きっかけは、数回にわたって載せられた例の一面記事だよ。
あの時は多目に見ていた分を、借りを返してもらうべく情報を探ってみれば出る出る。
見事に改竄された学生証。
彼らは風紀の役として、本来の身分を隠していた。
最終的にリストアップしてきた新聞部全員が、そうそうたる顔ぶれであったことだけ伝えておくよ。
あれを公にしたら、学園は大きく揺れる。
それを容易に想像できればこそ『彼』は約束した。
彼らの詐称については目を瞑る。
その代わりに、あの一面の借りは自分が望む情報を提供してもらうことで手を打った。
そして今回。
ある生徒の行動範囲について情報を求めた『彼』に新聞部の面々はいつになく不思議そうな顔になった。
その真意を探ろうとした面々に、『彼』は無言で微笑んでおいた。
空気を読める彼らのことは、あながち嫌いではない。
時間帯も影響しているのだろう。
正午を回って、人気も少なくなった食堂に辿り着く。
然り気無く見渡した先。
そこに『彼女』がいた。
やや癖のある栗色の髪は緩やかに背を覆っている。
ふんわりと長いそれは、柔らかそうだ。
一見して小柄な女性徒。
素肌だとわかるそれは、白磁。
髪と同じ色の目は、瞬きもせずに一点を見詰めていた。
そこだけが、空気が違って見えた。
実際違った。
後になって考えたとき、この時の彼女の状況はけして安穏なだけのものではなかったと分かる。
しかし、その時の『彼』はそれを知るよしもなく。
エフェクトが掛かったような、喜色溢れる空気。
幸福に緩められた表情。
黄色の卵が眩しいオムライス。
それを美味しそうに頬張る『彼女』。
食事を、楽しんでいる。
それがありありと分かる雰囲気だった。
『彼女』から発せられていた全てに、『彼』は嫌悪した。
それは、とうに『彼』が喪ったものだった。
それは同時に、嘗ての自分が持っていたものでもある。
喪失の自覚が『彼』にそれを思い出させた。
虚の双眸が、再び彼を見上げた。
目を逸らし、食堂を後にする。
林檎の香に目眩を覚える。
まるで開いた傷口から、目を反らすように『彼』はそこから逃げ出していた。
うん?
これで、終わる可能性も無くはなかったね。
自分の弱さが、彼女を忌避した。
臼闇の中でも、自分は生きていけただろう。
痛みから目を背けて、生きながら死んでいく道も用意されていた。
実際今もまだ逃亡し続けていたなら、末路はそんなところだったろうね。
重なった偶然。
それが結果として、自分を臼闇から引き摺り出した。
それが同時に未来を切り開く。
泥だらけの彼女。
透明な双眸。
振りかざされた銀色の軌跡。
赤が滴るその場所で、『彼』が一度手放した筈の希望が再び繋がった。
その日から数えて三日後の夕刻のこと。
『彼』は再び『彼女』を見つけた。
ここまで読んで頂いた皆様にまず感謝を。
次回で『彼』視点回想の終わりを予定しています。
追加で現在と、弟視点で予告していた『魔女』の来訪までを上げていく予定でいます
宜しければ今暫くお付き合い下さいヽ(´o`;