序章*追憶の篇
予告してました『弟』視点ですヽ(´o`;
まだまだ詰めの甘さは残りますが、本篇で曖昧だった点を少しずつ回収していく予定です。
弟は『彼』のことを見てきた。
それは弟が『姉』を大切に思うからであり。
それが、弟にとって打開の糸口を見いだす手段に他ならなかったからだ。
*****
うららかな春の一日。
初夏といっても良さそうな暖かい日差しの下で、桜がその花びらを散らし、時折吹いてくる風に青葉を揺らしている今日この頃。
昼休みの中庭に、一際目を引く光景がある。
今日もまたそれを見かけて、やれやれと内心で同情を覚えながら彼は見守っている。
その柔らかな色素の薄い髪を風に任せ、微睡む『彼』。
彼の頭を膝に乗せたまま、微動だにしない『姉』。
最近では恒例になった光景である。
遠目では分からないかもしれないが、姉の顔は蒼白に近い。
こうしている今も、冷や汗がだらだらと背を伝っていることが察せられる。
外側はともかく、内情はおよそ和やかとは呼べない。
見るものが見れば、分かる。
『姉』の災難を集約したような光景だ。
気の毒過ぎて、自分はあまり直視できない。
あの日から、今日で一月が過ぎようとしている。
『彼』が自分に接触を図ってきてからは二月。
今思い返しても、あの初対面はあり得ないものだった。
「はじめまして。蒼井 澪君? 君の義兄になる榊 美鶴です。これから宜しくね?」
それが『彼』の第一声だった。
耳を疑う以前に、誤りを指摘したのは彼自身が知る『姉』を考えれば、まず現時点であり得ない発言だったからである。
「人違いです。僕に姉はいますが、姉からは婚約どころか恋人ができた等の知らせも受けていないですから」
この切り返しに、受けた当人は束の間目を瞠り、それから柔らかな笑みを浮かべて見せた。
その微笑に予感する。
これは、やばい。
姉さん……今回は一体何をやらかしたんだ、と。
「やはり姉弟だね。その遠慮のない在り方には好感が持てるよ。澪君、未来の義兄として君に頼みたいことがあるんだ。……話を聞いてくれるかな?」
『彼』の発言に、内心で溜め息をつく。
姉さん、外堀をざくざく埋められつつあるよ。
切っ掛けが何かは知らないけれど、どうしてこんなやばいのを釣り上げたのさ…
まぁ、昔から勉強は出来るのに要領はいまいちだったし……きっと今回は逃げられないだろうな。
もっと小物なら、自分でも何とか出来たかもしれないけれど。
ごめん姉さん。
さすがにこれは僕には対処できない。
早々に投降し、『彼』からの頼みを引き受けることにした。
それが姉の為にもなると直感で感じたからだ。
まず何より、自分でも『彼』を観察してみようと思った。
場合によっては、それが事態の打開に繋がるかもしれないと思ったのもある。
彼と関わっていく過程で、『姉』を知るに至った要因が判明した。
それは、姉の親切心だった。
昔からそうだ。外へ出れば、何かと見知らぬ人の手助けをすることが多かった姉。
まさか、姉自身の足を掬う原因になるとは。
いつからか、その頻度の多さに自分もその時々で程ほどにしておくよう伝えてはいたが。
現実に災難を招くとは流石に思わない。
自分の認識が甘かった。
人生は何かと不条理なものだ。
彼は彼の叔父に言われて訪ねた際に、『姉』を見初めたのだと言っていた。
これは不運としか言えない巡り合わせだ。
その切っ掛けさえ無かったなら、『彼』はこの学園で姉を見いだすことは無かっただろう。
あの作り物めいた秀麗な相貌。
その他諸々のタグ。
本来であれば交差する筈の無かった道筋。
『彼』を狙って群がる蝿のごとき集団に邪魔されて、視界に捉えることすら出来なかった筈だ。
やれやれ、である。何のための集団なのか。
姑息な手で『姉』を散々苦しめて来たわりに、詰めの甘い話である。
彼の叔父という人物。
その人がキーパーソンになって運命は狂い始めたと自分には思えてならない。
事実、その人に遭遇さえしなければ『姉』の人生は今とは違ったものになっただろう。
僕の姉は、ああ見えてとても芯の強いひとだ。
こちらが見守っているつもりで、実際は姉が自分を守ってきたのだと知ってからは余計にそう思う。
だからこそ、姉には幸せになってほしい。
それが、この予定不和。
自分の力不足もあって、『姉』はまんまと『彼』の広げた罠に掛かってしまった。
あの日、裏側で起きていたことを自分は知っている。
つくづく抜け目のないひとだ。
あの日もわざとパーティに関心のない振りを装い、取り巻きの一人が『姉』に目をつけるように仕向けていた。
最も狂信的に『彼』に陶酔していた令嬢を游がせて、広げた網の中。
知らぬ間に足を踏み入れていた姉は、逃げる間も与えられずに囚われの身となった。
ちなみに、彼の叔父を含めて集まっていた面々は『彼』の思惑を本当の意味では知らない。
だから、あの場で意図的に『姉』を追い詰めていたのはあくまで彼一人。
しかし周囲を囲まれたあの状況では、姉が状況を察しきるには無理があった。
始めから終わりまで、全て『彼』の思惑通りに進んでいた。
いっそ呆れるほどに周到なシナリオだ。
ここで少し昔語りをしておこう。
うん、脈絡ないよね。
でも、きっとこの先は暫くそんなゆとりも持てなくなる気がするから。
こういう時の自分の勘は、まず外れない。
姉が中学三年で、自分が二年だったあの頃。
それは普段を当たり前に甘受していられた、限りなく幸福な日々だった。
それを根底から覆したのは、両親の死。
残された自分と、姉。
今になって思い返しても。
あの日を境に、姉は変わらざるを得なかったのかもしれない。
葬儀の後、家を訪ねてきた『あの人』の計らいで、姉は編入試験を受けた。
それが、白鴛清華大付属学園への道筋。
勿論姉は合格した。
それもその筈。
当時の姉の学力ならば、県の有名進学校にも無理なく入れるレベルだった。
だからこそ、入学後すぐに行われた試験でも当然のことながら主席に躍り出た。
誰にでも予想の付きそうな結果に、姉は思い至らなかったらしく。
その日の夜は、部屋の隅に蹲って自分の認識の甘さを悔やんでいた。
勿論、この時の背景色は灰色。
分かり易かったな…
姉が再起するまで待って食べたその日の夕食。
勿論冷めていた。
これにまた、うちひしがれていた姉。
あの時はまさに悪循環だった。
流石に可哀想で、レンジで全部暖め直した。
まさに姉らしい逸話だ。
中学の頃は、その優しい性質と憎めないマイペースさで周囲にも友人は多く、やはり何かと頼られる存在として愛されていた姉である。
それが当たり前だった世界。
実は得難いものであったことを知ったのは入学から数日経った頃のことだ。
姉が、着ていた制服を泥だらけにして帰ってきた。
自分に見つかる前に汚れを落とそうとしていたのだろう。
普段に比べて早く帰宅していた自分と鉢合わせになった。
偶然が重なって良かったと今になっても思い返す。
あれを見過ごしていたら、後々自分は姉を責めただろう。
そう、あえなく見つかった姉だった。
言葉では大したことはないと言いながらも、その双眸は既に絶望を知ったそれだった。
そんな哀しい目を姉にさせた奴等が許せなかった。
怒りに身を震わせ、問い詰める自分に姉は首を振る。
憎むのさえ、面倒だと。
そう言って姉は笑ったのだ。
それからの日々も姉は一人で考え行動して、少しずつ改善していく生活のなかで笑顔を取り戻していた。
それでも自分には分かってしまう。
その微笑みは、あの優しい日々のなかで浮かべていたまっさらなものではないことも。
痛みを知って、それでも優しさを失わずにいる姉の強さも。
そして、時折ふとした瞬間に過るようになった憂い。
それがこの学園にいる限りは、消え去ることは無いことも。
姉は、中学に入った頃から自分の体型を気にしている様子だった。
自分もそれには気付いていた。
けれども正直なところ、姉は小柄でややふっくらしてはいるものの全体的には背筋も通って綺麗だ。
身内の贔屓目かもしれないが、自分にはそう見える。
まぁ、確かに美人かと言われたらどちらかと言えば可愛い容姿だと答えたくなるタイプではあるかな。
ただ、中学当時の友人が話していたことがある。
恐らくそれが、姉の自己肯定の低さの由縁だ。
「あれはね、どっかのバカが依りにも寄って臆面も配慮も無く考えもなしに浴びせた言葉のせいだよ。多分ね。……ふ、あんなに可愛らしい沙紀を指してあれが何て言ったと思う?
曰く。
食べ過ぎればそりゃあデブにもなるさ、と。
そう抜かしたのさ、あれは。因みにこの害虫は既に処理済だ。その日のうちに再起不能にしておいたよ」
この友人こと彼女は『姉』との関係を聞かれると決まってこう答えていた。
友人を越えて、半身も同然だと。
そう言って憚らない彼女と姉はそれはもう、こちらが呆れるくらいに仲が良かった。
具体的には、中学生活の殆どを一緒に過ごしてきたと言っても過言でない。
今も、姉は時折懐かしそうに彼女を語るときがある。
道が離ればなれになり、直接会えなくなって尚も姉の心を支えてくれているもの。
そこに確実に彼女は含まれている。
しかし、半身…
考えようによっては、結構ぎりぎりな発言だったりする。
口には出さないけど。
その辺りは踏まえている。
つくづく姉は変なのに好かれやすい。
ここまで揃うと、ある名称が過る。
……変人ホイホイ。
自分の今までの苦労は、皆さんなら分かってくれると信じてます。
処理を始めると切りがないんだよね。
ところで昔語りもこれくらいで切り上げようと思う。
それもこれも、不穏な風の予感がするからね。
姉にこれ以上の負担を強いるのは酷だ。
自分も、選択しないとならない時が迫ってる。
近頃、半身を名乗る少女の周りに不穏な噂を聞く。
やれやれ、と思った。
自分が彼女に伝えなくとも、彼女はその豊富な人脈をもって現状を掴んだと見える。
紫園の魔女。
その名で広く知られた彼女が動く。
そう遠くない内に。
嵐が、やって来る。
だから、義兄さん?
まだまだ勝負はこれからだよ。
*****
実際のところ『弟』はあえて目を逸らしている。
自分もまた、その周囲を変人たちに囲まれる当人であり。
まず、間違いなく彼もまた姉の今後を左右するキーパーソンになりえるという事実から。
それは、火を見るより明らかだ。
それを知る者から見れば、まだまだこの先は長い物語の序章に過ぎないことも分かる。
「あの姉弟たちは、見ていて飽きないですね……」
今日もまた、学園の隅で呟かれる言葉。
彼等が気付く日も、そう遠くはないかもしれない。
『弟』視点でした。
読んでくださった方々へまず感謝を。
続いて『彼』視点を上げていくつもりですが…
もしかすると、『???』視点が後半占めてくるかもしれないです。
本篇は完結したのに、後から存在を主張してくる変人たち……
今後も宜しければお付き合いください。