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輪 廻

作者: 水木 誠治

    輪 廻



 その夜、突然チャイムが鳴って誰かが訪問してきた。そして私はうかつにも、それが誰なのか確認せずにドアを開けてしまった。

「――よう」

 ドアの縁に手が現われ、ぐいと一気にドアが開いた。その男は中に入ると素早くドアを閉め、不気味な笑みを浮べながら言った。

「よくも、俺を殺してくれたな」


  * * *


 瞼を細く開くと、白い天井がうっすら見えた。その天井は低いようで高い。本当はどちらなのか、よく判らなかった。確かなことは、私がいまベッドに寝かされているということだ。

「――お気づきですか? お嬢様」

 声の降ってきた方を見ると、白衣の男が立っていた。白髪の頭からすると、おそらく歳は五十を過ぎているだろうが、柔らかい顔つきのせいでもっと若く見える。フレームのないまんまるの眼鏡が印象的だった。

 その初老の男のとなりには、やはり白衣を着たずっと若い男。さっきの人と対称的にこちらは不気味なくらい無表情で、凍りつくような冷たい眼をしていた。

 そして、その冷血動物の一足後ろにはナースらしき姿も見える。

 ここは病院なのだろうか。そう思って、仰向けのまま室内を見回した。

 やけに広い部屋には、私が寝ているベッドがひとつだけだ。しんと静まり返って、物音ひとつしない。そして、気持ち悪いくらいに真っ白な部屋。床も天井も、ベッドも机も、何もかもが白。清潔感を通り越して、部屋全体が無菌状態じゃないかと錯覚しそうなくらいだ。

「ここは……どこ?」

 私は、誰ともなしに訊いた。

「病院ですよ」

 ベッドの横に立つ初老の男から、すぐに答えが返ってきた。

「やっぱり。私、病気にかかったのかしら?」

「いえ、病気ではありません」

「それじゃ、事故にあったのね。でも、へんだわ。どこも痛くない」

 全身をチェックしながら、私はそう言った。

「当然のことです。お嬢様は、事故になどあっていないのですから」

「じゃあ、なに? 私は健康なのに病院で寝ているわけ?」

 そう言って半身を起こそうとした私を、彼はなだめるように寝かせ、ゆっくりと口を開いた。

「病気でも、事故でもありません。お嬢様は、死んだのです」

 しばらく、言葉の意味が理解できなかった。――お嬢様は死んだのです。私が死んだ。死んだ。だんだんと頭が混乱してきて、いつのまにか早口で喋っていた。

「私が死んだって、いったいどういうこと? 意味が分からないわ。だって、私、いま生きているじゃない。それとも、ここはあの世なのかしら」

「いいえ。ここは現世です。そして間違いなく、お嬢様は生きてらっしゃる」

「でも、さっき……」

「私の言い方が悪かったようです。言い直しましょう。――お嬢様は生き返ったのです」

「生き返った……?」

 私は生き返った。なるほど、これでさっきの言葉の意味が分かった。私は死んだ。でも生き返った。だから、いまこうして生きている。当然、病院で寝ているわけだ。だいたいは理解できたけれども、まだいくつか分からないことがある。まず、そのひとつを口にした。

「どうして私は死んだの?」

 私の問いに、初老の男は顔を曇らせた。その表情から察するに、私の死因はあまり望ましいものではなかったらしい。もっとも、死因に望ましいも望ましくないもあるわけないと思うが。

 初老の男は言いにくそうにしていたが、私と一度目を合わせると、きっぱりと話してくれた。その答えは、おおよそ私の想像していたとおりだった。

「お嬢様は何者かに殺されたのです。腹部と胸部を包丁のような刃物で何度も刺されて……。直接の死因は出血性のショック死だったようですが」

「腹部と胸部――」

 はっとして、白のパジャマをめくってみた。下着もブラジャーもつけていない。すぐに素肌が現われ、私はそこに無残な創痕を想像した。

「……ない。傷痕がない」

 あらわになった腹部と胸部には傷痕ひとつなかった。まだ張りの失われていない、私の記憶どおりの、私の肌だ。

 どうして?――そう問い掛けるような眼で初老の男を見ると、彼は隣に立っていた男に目配せして、白いイスを持ってこさせた。白衣の男はそれに腰掛け、目線を私のと同じ高さにして、それから話を始めた。あたりを漂う空気から、話は単純ではなく、かなり長いものなんだろうと感じた。

「ご存じなかったかもしれませんが、お嬢様は蘇生保険を受けていました。お父上が一人娘であるお嬢様に万一のことがあっては、と心配なされたのでしょう。多額の掛金を出されていました」

「ちょっとまって。蘇生保険っていうのは?」

「生命保険と似たようなものです。ただ、生命保険が被保険者の死亡を条件として一定の金額を支払うのに対し、蘇生保険はその名のとおり、被保険者が死亡した場合、被保険者を蘇生させるというものです」

「蘇生させるなんて言うけど、いったいどうやって……」

「現代の生命科学をもってすれば、技術的にも理論的にも容易いことです。死亡者の脳データを、高速培養した死亡者のクローンの脳に移し替えるだけのことですから。ただ、死亡者の脳が損傷していないことが前提条件ですけれども。しかしまぁ、その前提条件のため、蘇生させるのに様々な制約が加わりますね。例えば、心臓停止後、二十四時間以内に遺体を回収しなければならない、などがそうです。もちろん、我々はその条件をクリアできるように日々尽力しています」

 そう言って、初老の男はにっこり笑った。

 とりあえず、さっきの話で私の身体に傷痕がないわけが解った。信じられないが、私のこの身体は――いや身体だけじゃない。私の存在自体が、私のクローンなのだ。オリジナルの身体は、おそらく焼かれて灰になっていることだろう。私はまじまじと自分の手のひらを眺めた。

「これは……」

 私の視線の先には「4」という数字。黒のインクだろうか、右手首のあたりに印字されている。身に覚えがないものだ。

「識別番号のようなものです」

 私の視線に気づいたのだろうか、若い男が抑揚のない声で言った。

「しばらく経てば消えてしまいます。気になさらずとも大丈夫です」

 釈然としないが、彼らはそれ以上答えるつもりはないようだった。

 それにしても、不思議な気分だ。いまの私の肉体はクローンのはずなのだが、それでも私は私だ。私自身はクローンじゃない。でも、それってどういうことなんだろう。「私」というものは姿や形じゃないんだろうか。目に見えない何か、なんだろうか。

「――お嬢様、どうかなされましたか?」

「あ、いえ。なんでもありません」

「よかった。そう聞いて安心しました。脳データの移植に何か問題があったのではないかと心配しました」

「とくに異常はないんですが、ちょっと気になることがあるんです」

 そう言って、私は男の顔に目をやった。

「なんでしょう?」

「私、殺されたときの記憶がないみたい。思い出そうとしても……何も思い出せない」

 初老の男は深く頷いて見せた。

「それは別に珍しいことではありませんよ。いや、むしろ当然のことです。逆に、死んだときの記憶を持っている方が珍しいくらいですから」

「そうなんですか……」

「不都合はないと思いますが。というより、好都合でしょう。殺された瞬間を記憶に残して生きていくのは、つらいことだと思いますよ」

「そうかもしれませんが、でも……私、どうしても知りたいんです」

 男から目を外し、真っ直ぐ上にある天井に向けた。相変わらず、真っ白で無地の天井がスクリーンのように見え、次の瞬間、私が包丁でメッタ刺しにされているビジョンがそこに見えた。

「――私が誰に殺されたのか」


 すがすがしい朝だった。カーテンから洩れる春の日差し。ベッドから飛び起きると、私は思い切りカーテンをひいた。シャッ――と音を立てて、目の前に晴れ晴れしい景色が広がる。窓を開いて、大きく息を吸い込む。空気ってこんなにおいしかったっけ?

 なんだか、すべてのことが新鮮に感じた。まるで生まれ変わったよう。

 ――そう、ある意味、あのときから私は生まれ変わったのかもしれない。

 今日は一月ぶりに、府内の大学に通学する予定になっている。私は先月から約一ヶ月間、海外にホームステイしていたことになっているのだ。この一ヶ月間と言うのは、私のいまの身体、つまりクローンを培養するための期間だ。クローン技術が進み、培養が高速化されたといえども、私の年齢――死亡したときは二十歳――まで生長させるためには、最低一月くらいはかかってしまうらしいのだ。

 そのため、死亡してから約一月、忽然と私はこの世界から姿を消していたことになる。蘇生保険をかけていた両親はともかく、私の知人はそのことを不審に思うかもしれない。

 しかし、そのあたりの保険会社の事後対処は完璧だった。つまり、それが私のホームステイというわけだ。

「――彩?」

 ふいに背後から名前を呼ばれた。

「やっぱり、彩だ! 後ろ姿を見て、もしかして、と思ったんだけど!」

 振り返ってみると、知っている顔――友人の春奈が、最高の笑顔で立っていた。本当に嬉しそうな顔だ。私は昨日に会ったばかりなのだけど、彼女にしてみれば、一ヶ月間離れ離れになっていたのだ。

「ひさしぶりね! 一月ぶりくらいかしら。元気にしてた? ほんと、彩ったら突然いなくなっちゃうんだもん。いくらホームステイ好きだからって、そんなにしょっちゅういなくなってたら、彩の顔、みんな忘れちゃうよ?」

 相変わらずマシンガンのように喋りまくる友人に、ちょっと気おされながら私は答えた。

「ちょ、ちょっと、久しぶりに会った早々、捲し立てないでよ。それに立ち話もアレだし、どうせなら、もう少しゆっくりできるとこで話さない?」

「そうね。これから講義があるんだけど、彩と久々のご対面だもん、サボっちゃいます」

 そう微笑む友人と浦島太郎のような私は、大学付近の行きつけのカフェレストランに向かった。昼にはまだ程遠い時間帯だから、店内は淋しいくらいに空いていた。

 私達は窓際の二人用のテーブルを選んだ。通側のテーブルで、大きな窓ガラスからたくさんの車が行き交っているのが見える。

「ね、それで。どうだったのよ、海外生活は?」

「え、なに?」

「もお、聞いてなかったの? 海外生活はどうだった、って訊いたのよ」

「まあまあ、ってとこかな」

 私はそれらしく答えた。もちろん、そんなのは嘘っぱちだ。

 しかし、友人は私の嘘に気づくはずもなく、

「でしょ? やっぱり日本が一番よ。平和だしね」

「そうね」

 と、適当に相づちを打っておく。

 もちろん、一番の友人である彼女にくらい、事実を話したい気持ちはあった。

 しかし、「蘇生保険」は当たり前だが非合法であり、その存在を知っているのは、政界の権力者や大富豪など、ほんの一握りの人だけだと私は聞かされている。当然、「蘇生保険」の存在は極意事項となっていて、保険締結の際にも機密保持契約が必須となっているくらいだ。万一、機密を漏らした場合、その本人もそれを知ってしまった相手も命の保証はできないとまで、あの初老の男は話していた。

「そう言えばさ。彼とはどうなったの?」

 春奈のこの言葉で、急に話の流れが変わった。

「え? だれ?」

 とぼけたのではなく、本当に心当たりがなかった。しかし彼女はそう捉えなかったようで、アップルティをソーサーに置くと、軽く首を振った。

「はぐらかしたってダメよ。背が高くてスラリとしたロン毛の。涼くんって言ったっけ。たしか、どこぞの御曹司だそうね。ルックスもいいし、金持ちだし、言うことないって言ってたでしょう。その彼とはどうなったのよ」

「……リョウ……」

 やはり思い当たる人物はなかった。

 しかし、その名前を口に出すと、頭がうずくような、何か胸に突っかかるような、なんとも言い難い感覚に陥った。

 リョウ……。もう一度、その名前を繰り返してみた。リョウ。さらにもう一度。リョウ――!

「涼……アイツだったんだ!」

「なに、もしかしてホントに忘れてたの?」

 如月涼。私がつきあっていた男。忌々しい男。私を騙した男。殺したいくらい憎い男。そして、おそらく……。

「わ、悪いこと聞いちゃったのかな。とっくに別れていたりして……ごめん、悪気はなかったのよ」

 私の表情を読んだのか、彼女は両手を合わせて謝った。

 堰を切ったように沸き上がってくる憎悪に耐えられなくなって、私は思わず立ち上がった。

「ゴメン。私、用事を思い出した」


 タクシーに乗り込んでから十数分後、如月涼の高級マンションに到着した。一年前と変わっていなければ、アイツはここの七階に住んでいるはずだ。エントランスの自動ドアにナンバー式のロックがあるが、一年前の暗証番号で開いた。結構いい加減な防犯管理だ。

 701号室。

 見るのも憎々しいドアの前まできた。インターホンを押す。アイツはまだここに住んでいるのだろうか。いや、きっと住んでいる。前にこのマンションは買ったのだと話していた。一度、買ったものをそう簡単に手放すような男じゃない。

『――誰かな?』

 インターホンから声が聞こえた。間違いない、アイツの声だ。インターホンにカメラがついているのだが、向こうは私だと気づいていないようだ。

「あたしよ。ちょっと話があってきたの」

 とりあえず、こう言っておけば間違いない。つきあっている女が何人もいるのだ。

『話? ――まあ、とりあえず中に入ってよ。話はそれからだ』

 そう言い終わると、カチャリとロックが外れる音がした。私はしたり顔でドアを開け、中に入った。

 直進してリビングに入ると、如月涼が背中向きでソファに坐っていた。テレビを見ているようだ。

 如月は私の気配に気づくと、

「どうしたんだ、今日は?」

 そう言いながら、こちらを振り返った。そして私を見た瞬間、如月の表情は凍りついた。

「ど、どうして……おまえが……」

「やっぱりアンタだったのね……私を殺したのは!」

 私はすぐ横にあるキッチンの収納から、使われた試しがない包丁を取り出した。使われてないだけに切れ味はよさそうだ。

「や、やめろ……落ち着け、冷静に話し合おう、な?」

 包丁をかまえて迫ると、如月は後ずさりしながら情けない声を出す。何が話し合おうだ。人を殺しておいて、よくそんな台詞が吐けるものだと感心する。

「べ、べつに俺はおまえを騙すつもりじゃなかったんだ。な、わかるだろ。本当さ。ただ俺はおまえを……」

 下らない戯言を聞くのは、もうたくさんだ。はやくこの男を黙らせてやりたかった。私は如月に身体ごと思い切りぶつかっていった。想像していた以上に包丁の切れ味はよかったらしい。包丁は刃の部分が見えないくらいに、如月の腹に突き刺さっていた。

 如月は驚いたような顔をして、数歩後退するとしりもちをついた。私はこれで終わらせるつもりはなかった。突き刺さった包丁を抜くと、今度は如月の胸をめがけて振り下ろした。

 殺されたとき、私は何度くらい刺されたのだろう?

 刺された数の倍は、刺し返さないと気が治まらない。私は力と憎悪をいっぱいに込めて、両腕を振り下ろした。それから何度も――。




 ――一ヶ月後。

 その夜、突然チャイムが鳴って誰かが訪問してきた。そして私はうかつにも、それが誰なのか確認せずにドアを開けてしまった。

「――よう」

 ドアの縁に手が現われ、ぐいと一気にドアが開いた。その男は中に入ると素早くドアを閉め、不気味な笑みを浮べながら言った。

「よくも、俺を殺してくれたな」



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