〔2〕 巫女さんはエルフ娘(褐色)
〔2〕
その長耳のお嬢さんは、おそるおそると歩を進めていた。
すなわち、地下大広間の暗奥へ対してである。手に持つランタンめいた灯明ではあまり広い範囲を照らし出せず、暗闇のとばりを少しずつ押し広げていくような歩みであった。
そうしてようよう、数分かけて広間の中ほどまでたどり着き、灯明を掲げてみれば、照らし出されたそこにはなんと…………
巨大な龍の頭部がその金色の眼を見開いており、視線はまっすぐ娘のことを見据えていたッ!!
「――ひっ、ぁ、う……」
長耳お嬢さんは目が合ったことに驚いたのか一旦は声をあげかけたものの、すぐに自身の両手で口元を押さえて飲み込んでみせた。どうやら、バルダンディアのことを見て悲鳴をあげるだなんて無礼にあたる行為はとてもできないと、そう真剣に考えているようであった。
(べつにホラーテイストを演出したかったわけでもないんだがなぁ)
と、内心で独りごちるバルダンディア(の中の人)であった。しかし状況からしてそのような運びにならざるを得なかった。なにせ下手に身動きをとるわけにもいかないのだ。
(対話を試みたいが……。さて、どう喋ったらいいものかな)
相手の言葉は問題なく分かる。どうやらこの龍王の身体が翻訳してくれているらしい。そのことに意識を向けると、なんでもこの地で眠りにつく前から収集していた言語データと、眠っている間にも蓄積し続けていた受動データを合わせて、さらに相手の発言をリアルタイム解析しつつ翻訳しているようであった。やはりとんでもない。
だがこちらから喋るとなると、どうすればよいか。そもそもの体格規模が違いすぎる。ただこの龍王の喉口を用いてそのまま発音したところで、その音波の周波数は人間の可聴域のそれとは大きく異なってしまうだろう。つまりは魔法的な調整を要するわけだが、さてはてどの程度に力を行使すればよいものか……
そんなことを考えていると、長耳のお嬢さんの方から話しかけようとしてきた。
お嬢さんは背筋を一旦伸ばして姿勢をぴしっと整えた後、改めてその場に両膝をついて上体を伏せつつ諸手を掲げるような仕草を示す。そして緊張のこもった堅い声音で言葉を述べてくるのだった。
「お、おはようございます、龍王バルダンディア様! 約一万年ぶりの御目覚め、伏してお慶び申し上げます。大いなる御身が目覚めの折り、幸運にも卑小な我が身なれど拝謁の機を賜れましたこと、恐悦至極に存じ奉ります」
なんかすごい勢いで崇め奉られてしまいましたン。お嬢さんは顔を伏せた姿勢のままで、緊張に震えるように縮こまっている。
間が生じたので、ついでにとお嬢さんのことをよく観察してみる。見た目の年齢は、人間であれば十四歳から十五歳程度に該当する少女のように見える。身長は低めで、センチメートル換算だと百五十強といったところか。髪は濃いめの金色、肌は浅い褐色。瞳は深い水色であるようだった。(顔は伏せられており見えないわけだが龍王には分かるっ!)
また格好については、白を基調とした大きな一枚布を身体に巻きつけるような衣装をまとっており、その雰囲気は祭司めいていて古代ローマにおけるトーガもしくは古代ギリシアのキトンやヒマティオンといったものに似ていた(女性用なわけだから、この場合は後者か)。白布の縁部分には青と赤を組み合わせた模様の線条染めが施されており、箇所によっては銀糸金糸による刺繍も見受けられた。そして頭部にはやはり白布のヘアネット(ヴェール)を被っている。
総じて、清楚かつ荘厳にして豪奢という、高位の司祭にふさわしきといった威風の衣装であった。が……この少女には大きさが合っていないらしく、一回り以上もぶかぶかなものを半ば無理やり丈を上げ締めて誤魔化しながら着用しているようであった。そのため、なんとも間の抜けた風というか、それが小柄な少女であるから微笑ましい印象の方が勝ってしまっていた。思わず視線も温かくなろうというものだ。
(褐色系エルフ少女司祭、か。これは…………アリか)
そんな愚にもつかぬことを考えていると、沈黙に耐えかねたのか長耳お嬢さんが言葉を足してくるのだった。
「えっと、その……お初にお目にかかります。わたくしの名はポリエル。バルダンディア様が座所の門と封城を奉る、門守りの一族が末裔にございます。この一万年、我ら森妖精族が“水影”の氏族は、バルダンディア様の大いなる庇護の下、ここ内海聖央島において生をつないで参りました。その間、余すところなく守護と祭司の役に勤めて参りました由……。今ひとたびの御目覚めを迎えられましたこの時、御慈悲にすがり再びの庇護を願い賜りたく。何とぞご容赦、ご寛恕のほどを。何とぞ……」
と、かしこみかしこみといった体で、ますます伏し尽くすように祝詞のごとく言葉を奏上してくるお嬢さん――ポリエル嬢であった。その痛々しいまでの畏れ敬いと勇気を振り絞って言葉を連ねる様は、見ていてかわいそうになってくる程であったが。
(“龍王”がその力のままに暴れ出すことを恐れている、といったところか。だから怒りを買わずに気を静められないかと畏まっている。やはり、そうした怪物や荒神のような存在として見なされているのだな……)
せめて面を上げさせてやりたかった。また、沈黙に辛そうな様子も見るに耐えかねた。
そうして初めての一言を発してしまった。考えの浅い、それが大失敗だった。
「君は……」
たった一言、静かにそれを発声しただけで。だがその場に現れた効果は凄まじいものがあった。
まるで巨神が天から鉄槌を打ちつけるかのように。龍王バルダンディアの下した言霊の威はその場を一瞬で埋め尽くし、そして卑小の者どもを圧倒した。すなわち、眼前のポリエル嬢を。
「かっ、は――」
と一息うめくように漏らしたのみで昏倒し、仰向けにそっくり返って頭から無防備に倒れ落ちるポリエル嬢。後頭部と石の地面が容赦なく衝突した。ごっ、と重く湿った生々しい音が鳴り響く。
完全に失神している。まずい。呼吸は浅く、心拍も薄弱。だというのに四肢と全身はかすかな痙攣を繰り返している。まずいまずいまずいまずい。
どうやら精神への衝撃が強すぎ、それが神経組織の活動にまで著しい衰弱をもたらしているようだった。また、魔法的な現象として精神存在面、つまりは人格意思の在り方を吹き飛ばしかけてもいる。そして後頭部の挫傷は内出血と頭蓋のひび割れを……
(このままでは死なせてしまう……ッ!!)
冗談ではなかった。このような間抜けな顛末で罪もなき少女を――たとえ見知るところのない初対面の人物だとしても――殺してしまうなど、断固として受け入れるわけにはいかない。
ならば対処を。対処を行動しなければならなかったが、しかしこれが困難であった。治癒の力自体はいくらでも揮える。だが加減の調整を少しでも誤れば、かえって少女のことを殺し尽くしてしまうだろう。龍王の身体に宿りたての未熟に過ぎるこの己では、そんな繊細な制御調整はとても完遂できそうにはなかった。
(くそっ……!! これだから強すぎる力なんてもんは! 何か抑える方法、抑制する手段はないのか)
己の内へ問いかける。大いに焦りながらの拙い探り方だったが、先だっての一刻ほどの間に色々と確かめていた中で見出した術法の内に、条件に該当するものが一つあった。
「人化の術」だ。またの名を化身術。その名の通りに人間大の人型へと肉体の在り方を変容させる術だ。これにより視点や知覚の規模が人間大に近づいて納まることになる。それは今の己にとって最たる足かせとなっている「一度に扱う情報量が多すぎる」という問題点をずいぶんと軽減してくれるはずであった。ただしこれに伴い、発揮できる力の規模もあわせて何回りと小さくなるだろうが……それは大した問題ではなかった。元より、星をも砕くほどの力なぞ必要としていない。目の前の少女一人を癒せるだけの力が揮えれば十分なのだから。
少女の呼吸は刻々と弱まってきている。もう時間がない。
(急げっ……!! 術法を行使する!)
術の制御式に細かな調整を施しているような余裕はなかった。そのため、デフォルトのままで行使を命じる。己の身体へ、龍王の力へ。
途端、巨大にして長大なバルダンディアの身体を上から下まで余すところなく包むように、魔法円だか術法陣だか知らないが複雑な力の式が展開描画されていく。膨大な力の行使ではあったが、あらゆる式と制御は内側を向いており、その力の余波が外へ漏れ出すといったことはなかった。
全ての知覚が光輝に満たされていく……。そして、変化が始まる。
全身の骨肉が凝縮されていく。地底湖の中心にしてその中空、ちょうど全体の中間点となる座標を中核として、そこへ向ってなだれ込むように。天つくほどの巨大であった容積が、わずか人間サイズの五体の内へと納まっていく。大部分の正味は高次元時空連結的な折り畳み現象であって本当の文字通りに身肉が圧縮されていたわけではなかったのだが、そのおびただしいまでの変化量を体性感覚として味わわなければならない意識の方は、尋常では済まなかった。
(おおおおおおおおおおおおおッ!!! つぶれ、るぅぅ~~~ぉぉぉぉおおおお……ッ!!!)
変化の現象それ自体は迅速であったものの、いかんせん総量が大きいため完了までに数分を要した。その間、感覚の奔流を味わい続けた意識にとっては、永劫にも等しい悶絶の責め苦であった。
ほんのいま少しでも意志の立て様が弱ければ、あるいは押し流されてそのまま人格を喪失していたかもしれない。あまりの苦しみに諦めたくすらなった。しかし、あの少女への責任を思えば自ら手放すなど許されることではない。意地でかじり付いてこらえ抜いた。
そしてようやく、変化が完了を遂げ…………息も絶え絶えの意識のありさまにふらつく頭を抱えながらも、見事バルダンディアは人間とほぼ変わらぬ容姿へと化身を果たしていた。
地底湖の上方、中空に浮かんでいる。光輝の残滓が自身を中心として辺りを照らしていたが、その光量はだんだんと収まっていく。またそれに合わせるように、身の浮かぶ高度も下がっていき、ゆっくりと地底湖の水面へと降り立つ。波紋が静かに広がってゆく……
そう、水面には問題なく立っていられた。特に力の行使を意識するような余裕はなかったのだが、この程度の働きであれば意識するまでもないらしい。
視界に映る湖面はきらめいていて、まるでこぼれ出すようにどこからともなく湧き輝く光景はとても美しかったものの、今はそれを観賞しているような時間はない。
先ほどまで頭部が収まっていたはずの広間、そこへ続く入り口たる岩棚めいた上方の穴口を見上げる。行動は慎重を期したかったが、時間をかけてもいられない。意を決し、跳躍を試みる。
(――軽く。あくまで軽くだ。いいか、絶対だぞ……)
そう己へおそるおそると任じながら、水面を足首の動きだけで軽く蹴りつけ、どこまで飛び上がれるものか具合を試そうとしてみた。が――これも案の定と言うべきか、結果はやはり極端だった。
一発で天井へ衝突した。どごんっ! と、岩盤に穴を穿ちかねないほどの大音を立てて。とはいえ、さすがに地上まで貫通してしまうようなことはなかった。これでも大幅に加減が利いているのだ。
天井の岩肌に少々のひび割れを刻み、わずか食い込んだ身を引き剥がしつつ体勢を整えるバルダンディア(人型)。そうして天井を這うようにしながらも蹴りつけて、目的地へ向けた再跳躍を行う。
そして、今度こそ岩棚口の崖面そばへとへばり付くことに成功する。そのままよじ登る。
「ふぃ~。ようやくここまで戻ってきたぞ、と」
その声を念のため一度口に出しておく。力は細心の抑えつけを注意しながら。今度は普通に人間が喋るような単なる音波としての言葉であった。このことに大いに人心地がつく。
ただ、自身の声が妙に音域高く鈴の転がるようであったのが気がかりでもあったが。今はそんな些事に手間を割いている余裕はない。
あの少女の方へ向けて慎重に歩を進める。まかり間違っても高速で突進するようなことにはなりたくないので、急ぎながらも慎重に、だ。また、こちらの広間は暗闇ではあったがこの眼には問題なく見通せている。よって少女との距離感や足元のつまずきなどは大丈夫。
じりじりと意識が焦げるような数十秒をかけて少女の下まで到達する。よかった、まだ息がある。しかしとても弱々しい。このままでは持ってあと一分か二分か。かなりギリギリではあったが……間に合ったのだ。
その場に片膝をついて、手をかざす。触れはしない。それはまだ危険だった。
意気を締め、知覚計算力を開放する。状況の把握、状態の診断を行うためだ。情報の奔流が自我意識に対する負荷として襲いくることになるだろうが、このためならば耐えてみせる。
少女の生命活動に関する詳細情報が脳裏へと流れ込んでくる。弱々しい神経の電位励起と傷ついた細胞組織のうごめき、それらが本来どうあるべきかの遺伝子情報も。千々切れかけた精神構成の情報と、その欠損復元に要する逆算も。全て解析され、答えが導かれる。施すべき処置が、力の誘導式が。
そしてバルダンディアは言葉を告げる。それは力ある者の宣言だった。
「治癒の術法を行使する……蘇生しろ!」
己が身と力を通して命じる。魔法の力、魔力が、世界の自然なる運行を歪めてまで個我の望みを顕現するものだというのなら……それは断固とした命令であった。世界に対して、宇宙に対して、他の何よりもこの意志の都合を優先しろと、傲然たる高みより下す命だ。
そして下命を受けて現象は起こる。少女の肢体が柔らかくも力強い光輝に包まれていく。
まるで温もりの染み入るように。少女の呼吸と心拍、神経の伝達が再賦活され。精神構成を繋ぎ直し欠損は復元され。後頭部の挫傷は時間が逆巻くように再生される。すべて、元通りへ。
そうして正しく行使されさえすれば、治癒の完了までにほんの数秒とかかっていない。さすがは龍王の力か。えらく遠回りもさせられたが……。魔力の輝きが収まる頃、少女の呼吸は穏やかに落ち着いていた。傷跡一つ残ってはいない。それどころかむしろ、全身のあらゆる病気や歪み、古傷や栄養状態まで癒されて、以前よりも健康体と化しているほどだった。
「よかった…………。本当に。本当によかった……」
今はただその言葉を口からこぼれさすだけのバルダンディアであった。
それから数分と経たずに少女――ポリエル嬢は目を覚ました。
寝ぼけたような眼で少々呆然としているようであったが。状況が認識できていないのであろう。その戸惑いの整理を手助けするためにも、バルダンディアは傍らに片膝をついて屈んだ姿勢のまま、柔らかく声をかけた。
「落ち着いて……少しずつ、ゆっくりでいい。息を深く吐いて、吸って。気分はどうだい? どこか痛かったり気持ち悪かったりするところはないかな?」
そのバルダンディアからかけられた声を受けて。ポリエル嬢の視線が動く。バルダンディアのことを見て、数瞬ほど目が合う。その水色の瞳は、一旦は焦点を結んだようであったが……なぜか再び、ひどく呆然と化してしまう。
バルダンディアは内心少し焦りを覚えながらも、慎重に落ち着いた声音を保ったまま、ポリエル嬢へ再度声をかける。
「えっと……。どうしたのかな? なにか分からないことがあるかい?」
まぁこちらの人相は激変している(というか別物と化している)のだから分からないことだらけではあるだろうが。とはいえ、説明を始めるにしろ謝るにしろ、まずは理知的な思考状態を取り戻してもらわなくては。無理に押し込んだところで負担になるばかりであって意味がない。
と、そこでポリエル嬢が言葉をつぶやく。頬に片手を軽く添えて小首をかしげながら、思わずといった体で。自分が誰と向って話しているかなどはいまだ分かってもいないだろう様子のままに。
「ふわぁぁ~~……。とってもお綺麗ですぅ~~?」
その反応はちょっと予想外だった。
2013年07月15日、いくつか描写の抜けていた点などの文章を修正させて頂きました。(勢いで書き上げていたもので、推敲不足ですみませんです。)