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悪魔は蒼ざめた月のもとに  作者: 花街ナズナ
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あらかじめ失われた日常 (2)


太知の通う学校は、数年前に周辺の三町五校を併合した、近在でもっとも大きな中学で、校名も吸収した学校の名は冠さず、昔からの名を通している。


市立黒葉矢中学校(しりつ くろばやちゅうがっこう)。


黒葉矢市でもっとも大きい町である黒葉矢町の東側に位置する、地方の学校としては割と大きな学校である。


ただ、地方とはいっても数年前、学校の併合とほぼ同時期に町へ新幹線が開通したのを皮切りに、地方都市としての開発が急ピッチで進んでいる。


正直を言って、今では下手なそこいらの地方都市よりも、よほどに活気が良い。


しかし、人の賑わいは必ずしも良いことばかりを運んでくるわけではない。

先日の通り魔事件。


こうしたことも、人口が増えて繁華してゆくごとに増えていくのが実情だ。


太知が登校中に通り過ぎた同じ学校の生徒たちも、自分のクラス……二年A組の教室へ入ってきた時も、誰もがその話題で持ちきりだった。


やれ、朝のニュースで流れていただの、

やれ、何人がけがをして病院に運ばれただの、

やれ、偶然に自分は現場の近くにいたから騒動を聞いていただの、

野次馬根性丸出しの下らない噂話で大騒ぎである。


無論のこと、まさに現場の間近にいた太知だったが、その話の輪に加わろうとはしなかった。


やんややんやと話すようなことではないと思ったし、わざわざ話に加わる気も無かったからというのもある。

こういう事件は、当事者以外にとっては単に話を盛り上げるための話題にしか過ぎない。


が、当事者たちの不幸を他人事と思うか、思わないかは個人差が出る。


大抵は十中八九の人間にとって、他人の不幸など、あくまでも他人の不幸。

自分とは関わりないと考えるからこそ、好き放題の物言いも出来る。


だが、人の不幸を他人事と割り切れない人間も確実にいる。

太知はその数少ない手合いの人間だった。


不幸続きにうんざりしている彼にとっては、他人の不幸も決して他人事ではない。


明日は我が身。

その感覚があるがゆえに、人の不幸にも敏感になってしまう。


それを差し引いても、太知は人付き合いを意図的に避けている。

だから話は外野から聞こえてくる雑音としてしか考えていなかった。


今日もひとり、

ひとりきりで自分の机に座り、退屈そうに授業を待つ。


(早く始業しないかな……)

頭に浮かぶのはそればかり。


犯罪がらみのニュースで嬉々として騒ぐ下衆の声を聞くのも不愉快だし、昨晩に見た奇妙な悪夢のせいで寝不足気味の自分としては、静かな授業中の空気が恋しく感じられる。


(今日は先生に怒られるまでは寝ていよう……)

などと、授業の前からすでに寝る気満々でいた。


どうせ、一時限目は毒にも薬にもならない歴史の授業だ。

歴史、地理などの社会科は記憶力さえよければ、いちいち授業など受ける意味も無い。


知識は必要でも、知恵は必要無い科目。

そんなものを(学ぶ)などとは、随分と大仰なことだ。


今はまだうるさくて眠れないが、この眠さなら授業開始三分以内で熟睡する自信がある。

ところが、

ほどなく太知は自然と気づくことになるが、重要なことをすっかりと忘れていた。


ふいに、

教室のドアがスライドして開く。


国語が受け持ちであるこのクラスの女性担任であった。

それからほとんど間を置かず、

始業のベルが鳴る。


「起立!」

学級委員の大きな声とともに、クラス全員が立ち上がる。


後の流れはお分かりの通り。


「礼!」

そして、


「着席!」

一時的とはいえ、先ほどまでとは違った形の騒々しさに教室内が揺れた。


その段階になって、

気付く。


一時限目は歴史。

なのに、


国語教師の担任がいる。

つまりは……、


「みなさん、おはようございます。それでは、ホームルームを始めますよ」

女性教師のこの言葉。


これである。


油断していた。

そうだ、授業より前にまずはホームルーム。


大した連絡事項も無いのに、だらだらと時間を浪費する退屈な場。

時にはクラスの揉め事など、厄介事が議題に上がり、さらに面倒くささを助長する。


苛立ち紛れに、太知は顔を伏せて溜め息をひとつ。


ただし、そのすぐ後、

「はい、では早速ですがお知らせです。大切なお話ですので、静かに聞いてください」


まさか担任の女性教師が放ったこの一言から、急激に事態が一変することになるとは、この時の太知には知る由も無かった。


「実は今日、このクラスに転校生が来ることになりました」

そう言った途端、


一度は止まったはずのざわめきが再び始まり、教室全体を包んだ。


本当に、これだから何でもかんでもイベントに飢えた連中というのはうるさくて嫌だと、太知はまた隠れ、今度は軽い歯ぎしりをした。


その間も、女性教師はクラスの連中をなだめるのに必死である。

おかげで話が遅々として進まない。


太知としては、たかだか転校生のひとりやふたり、ちゃっちゃと紹介させて席に着かせれば済むだろうにと思っていたが、逆を返せば、ここが太知が周囲と溶け込めない、もっとも大きな要因のひとつでもあった。


人は話題を共有することで連帯するのではない。

人は感情を共有することで連帯するのである。


今の状況なら、それは興奮や期待。

もちろん、太知自身がまず迎合することを望んでいない以上、そうした理屈も空しい話でしかないが。


さて、

騒ぎのほうはといえば、基本的には単なる煽りのようなもの。


お祭りでいう掛け声。

ワッショイなどと同じだ。


イベントの主が登場する前に、ステージを温める行為だとでも言えばいいのだろうか。

人は集団になると、無意識にこうした行動を取る。


そうした流れを望まない……太知のような人間にとっては、単純な苦痛以外の何物でもないのだが、そこは人の性か、集団行動の特性か。

何にせよ、致し方ないとしか言わざるを得ない。


そんなこんなで、

「はいはい、皆さん静かに、静かに!」


パンパンと手を叩いて、生徒たちを制する担任の行為が意味を成したのか、それとも生徒たちが騒ぐのに飽きたのか。

どちらによるものかは知らないが、とにかく教室はそれなりの静寂を取り戻した。


その、いつまで続くかも怪しい静寂を無にすまいと、女性教師もかなりの早口でことを進行しようと動く。


「では、紹介します。陰淵かげふちさん、入ってちょうだい」

急くようにし、廊下側に身を向けると、少し大きめの声でそう呼びかけた。


すると、

ドアがゆっくりとスライドする。


それから、

人影がそこを抜け、教室へと入ってきた。


人影の発する声と同時に。


「どうも、みなさん始めまして」

声でまず分かったこと。


明らかに女子。


この時点でまず男子たちが一気に沸点に近づく。


そこへ畳み掛けるようにして、

入ってきたのは、


平均的な美的感覚を持ち合わせた人間ならば、まず間違い無く安心して(可愛い)と判を押す少女だった。


それが確認されるや、

教室に怒号のような男子生徒たちの歓声が響き渡る。


女子のほうはといえば、静かなざわめきが上がった程度。


まあ無理は無い。

女子の転校生という時点で、女子にとっては基本的に興味の外。


対し、男子にとっては真逆。


それも、贔屓目に見ずとも相当にレベルの高い容姿……俗な言葉だが、美少女という表現をしても、決して表現に実物が負けないクオリティである。


艶やかな、ウェーブのかかった髪をポニーテールにし、すっきりと小さな顔には大きなふたつの瞳。小ぶりで形の良い鼻。うっすらと濡れたようなピンクの唇。


まっとうな美意識の男なら、少なからず喜びを込めて反応するのが正常な転校生。


それが、教壇手前でクラス全員に深く一礼すると、黒板へと向かい、おもむろに白いチョークを取ると、これまた見た目に遜色無い綺麗な筆致で自分の名前を書き記してゆく。


その間、数秒。


それから、少女は優雅に振り返ると、満面の笑顔を浮かべて言った。


「今日からお世話になります、陰淵亜生かげふち あきです。どうぞよろしく」

これも容姿に違わぬ可愛らしい声。


決して媚びている声ではない。

地の声が、すでに可愛らしい。


作った声でないという分が加味されると、余計にこうした印象は良い方向に転ぶものである。


おかげで男子生徒たちが上げる歓喜の声は一向に止む気配が無い。


そうして、そんな治まることの無い男子たちの歓声の中、

太知はというと、


完全に、

絶句していた。


分かるはずもない。

他の生徒たちには。


ただし、太知には分かった。


あの少女だと。


夢の中の少女。


いや、こうなるとこの表現にも自信は無くなる。


あれは夢だったのか、現実だったのか。


とにかく、あの不思議な場所であった少女だ。


髪の色は違う。

声も違う。


でも、

見忘れる顔ではない。


そうでなくとも、あの時の自分は意識も感覚も明確だった。


おかげで記憶も鮮明だ。

だからこそに、頭がぐらつく。

意識が揺らぐ。


あれが現実だと?

夢ではなかったと?


いや、この際、そこはもういい。


あの少女が何故に自分のクラスにいる?

しかも転校生?


どういうことだ?

何がどうなってる?


昨日などは甘いものだったと感じられるほどのクエスチョンマークの嵐。

埋もれるほどのハテナ。

気を抜くと、過呼吸を起こして窒息してしまいそうになる。


だというのに、

事態はそんな太知には関係無く進行してゆく。


「それじゃあ、陰淵さんは……車輪くんの隣に……」

酸欠で朦朧とした頭に、耳を通してさらなる急展開が告げられた。


ここまでくるともう訳が分からない。


何故だ?

何故に俺の隣?


他に席はいくらもあるだろうに!


油断するとブラックアウトしてしまいそうな目を凝らし、状況をよく確認すると、陰淵亜生と名乗った件の少女は、するすると机の間を抜け、太知の隣に来ると、そっと椅子をひいて席に着き、


「よろしく車輪さん。お隣同士、仲良くしてくださいね」

そう言って、太知に手を差し伸べてきた。


握手を求めているというのは簡単に分かる。


しかし何故?


普通、転校してきた挨拶に握手までするだろうか?

欧米人ならばそれも分からないではないが、ここは日本の学校だぞ?


疑問はもう溺れるほどに溢れている。


だとしても、ここで握手を断るのも不自然だ。

周りの目がある以上、変に勘ぐられるような動きは避けたほうがいい。


思い、太知はしぶしぶと差し出された手を握る。


瞬間、


不思議な感触に違和感。


手の中の感覚。

握った手に、何かを渡された。


わずかに数秒の握手。

それからすぐに手を離すと、お互いに教壇へと向き直る。

少女は自然な様子で、教卓の前に立つ担任のほうを見つめた。


ただ、太知は握らされた何かを、まさにそれが何なのかを知るため、机の下でそっと確認しようと顔を伏せる。


握った右手を開けると……紙片。紙切れ。

何重にも折り畳まれたそれが何なのか、その時点では分からなかったが、唯一、確信できることはあった。


それは、


ふと、何気無く隣の席になった少女……陰淵亜生と名乗る彼女へ目を向けた時、

彼女が、


あの時と同じ目だったこと。


人をからかうような、どこか底意のある目で、笑いかけていたこと。


これを見て、

太知の疑問は確信に変わった。


あれは夢ではない。


この少女と、あの少女は同じだ。


どういうことかまではまだ分からないが、少なくとも現実。


気付くと、背中を冷や汗が流れているのを感じた。



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