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悪魔は蒼ざめた月のもとに  作者: 花街ナズナ
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あらかじめ失われた日常 (1)

次に目を覚ました時、


太知は自分が今まで見ていたものは夢だったのだと、妙に拍子抜けした。


暗い……ナツメ球の光すらない真っ暗な自室。

そこに、きちんとベッドへ入り、太知は寝ていた。


背中を中心に、全身をねっとりとした不快な寝汗に濡らされて。


(……あれだけ色々と考えさせられて結局は、やっぱり夢かよ……)

布団をめくり、半身を起こしながらそう思う。


それから、自分の姿を確認し、さらに夢への確信が強まる。


制服の上着だけを脱ぎ、タイを外してそのままベッドに潜り込んだらしき恰好。

途中の記憶が完全に飛んではいるが、状況的に見て、帰宅後にすぐさま制服のまま寝てしまったと見るのが一番自然だ。


恐らく、繁華街で通り魔を見たのまでは本当の記憶だろう。


そこからどうやって家まで帰ったかは覚えていないが、目撃した事件のインパクトゆえ、あんなにも奇妙な悪夢を見たとすれば、すべてのつじつまが合う。


気付けば、呼吸が荒い。

心臓の拍動も、まるで体の中で太鼓でも叩かれているように激しい。


(疲れを取るために寝たってのに、なおさら疲れて起きるなんて……慣れてはいても、とんだ災難だな……)


悪夢は定期的に見る。

太知の、これまでの人生がそうさせるのだ。


父や母の記憶は無いが、祖父母と兄の記憶は、彼に義務でも課したように、悪夢を見せる。


ただ、

今回の悪夢は普段のものとはかなり毛色が違った。


訳の分からない悪夢。

まあ、夢が理路整然としているほうが逆におかしいともいえるかもしれないが。

思えば、そう言う意味では久しぶりだった。


意味不明な夢。

いつも見る悪夢は、記憶に基づいているせいで不必要にリアルこの上なく、そのたびに太知を心底から疲弊させたが、今回の夢はある意味で、いかにも夢らしい夢だったとも思える。


結局は悪夢だったという点で、疲弊させられた事実は変わらないが、その疲労の質は明らかに違う。


祖父母や兄の悪夢と違い、精神を病むような手合いの夢では無かったのは、せめても救いだったのだろう。


そう言う意味では、可愛げのある悪夢だ。


などと、

色々に思考を巡らせた後、太知はベッドを出た。


掛け布団の被害はそれほどではない。

敷布団も、思ったよりは濡れていないようだ。


問題は制服。


ここで後悔が頭を満たす。

制服のまま寝てしまったことを。


とはいえ、制服を着て寝た記憶は太知に無いので、後悔といっても、どこか腑に落ちない後悔なのだが……。


さておき、

ベッドを這い出して部屋の床に足をつくと、じぃん、と沁みるような冷たさが足裏から駆け昇るように脳天を刺す刺激に耐えつつ、太知はベッドから少し離れた机の上に置いてある時計に目をやった。


時刻は午前五時少し過ぎ。

登校時間までは不必要なまでに間がある。

かといって、二度寝をするには危険な時間。


ただし今の精神状態で太知が二度寝を選択するとは思えないので、選択肢としては不適格か。


それもあり、太知は登校時間までをどう潰したものかと少々悩んだが、とりあえず最初の行動はすぐに決まった。


着替えである。


この濡れっぷりで大人しくしていたのでは、早晩に風邪をひいてしまう。


まずは着替え一択。

部屋の電気をつけ、窓のカーテンを開けると、やはりまだ真っ暗な外の様子がうかがえた。


それから、身震いしながら手早く全裸になると、洋服ダンスから取り出したボクサーパンツとTシャツ、Yシャツへと着替える。


脱ぎ捨てたパンツやシャツ、ズボンは洗面所脇の洗濯かごに入れつつ、洗面台上の棚に置いているドライヤーを持って部屋へと戻った。


部屋の壁に掛けてある替えのズボンを履きながら、生あくびが出る。

風呂に入ろうかとも思ったが、それをするとさすがに眠気が出てしまうかもしれない。


あとで頭だけ洗うことにしよう。

そう考え、部屋に持ってきたドライヤーのコンセントを繋いだ。


自然乾燥でもいいだろうかとも思いはしたが、それでもしも乾き切らなかったら、今晩寝る時が面倒になる。

第一、布団を濡らしたままにしておくのは衛生上よろしくない。


1DKのひとり住まい。

布団を干す場所などあろうはずもない太知の選択肢はこれに尽きる。

ドライヤーで地味に乾燥作業。


良いほうに考えれば、登校時間までの時間稼ぎにちょうどいいかとも思う。

時間帯を考えて、ドライヤーのスイッチは弱。

効率よりも静かさを優先させる。


こんなくだらないことで隣近所に怒られたくはないからだ。


暖房ひとつ無い部屋に、小さな熱風が起きると、なんとも愛おしく感じる。

特に、寝汗で冷え切った体には。


熱風を布団に当てつつ、本体のぬくもりを手で感じ取り、いくばくかの暖をとる。


なんとも空しい。

いや、悲しいと表現すべきか。


無論のこと、世の中には自分よりも恵まれない人間は多い。

最低限の衣食住が出来ている以上、それ以上のものを望むのは贅沢かもしれない。


が、そこも考え方の問題だ。


上を見ればきりが無い。

しかし、下を見てもきりは無い。


分相応を思うのは大切かもしれないが、それで向上心を失っては本末転倒である。


残念ながら、太知についてはすでにどこか厭世的な人生観のせいで、そういった欲求らしきものは欠落しているという実情が悲しいところか。


望みを抱かなければ絶望はしないが、望みを抱かなければ希望も持てない。


最終的には、どちらの考え方のほうが生きやすいかにかかってくるのだろうが、彼の若さを思えば、今のところの選択はどうにも老成しすぎているように感じる。


と、言っても、彼にはそんな心配や身の上を案じる人物などいないのも事実。


まさしく天涯孤独。

ひとりきりで生き、ひとりきりで死ぬことを、この歳でもう心のどこかで覚悟している。


そんな、無欲なのではなく、すべてにあきらめを抱いて生きる太知は、ドライヤーの風を黙々と布団へと当て続ける。


掛け布団の乾燥は終わり、今度は敷布団。


すると、

その時だった。


太知は奇妙な臭気を感じとった。


敷布団が熱風を受け、温められた布団の一部から。


微かに、

だが確かに、


土と草の香りが漂ったのを。


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