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悪魔は蒼ざめた月のもとに  作者: 花街ナズナ
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エピローグ (2)

「な……に言ってるんだい、太知……?」


そう話すだけでも、亜生には大変な精神的負担だった。


奇異な太知の雰囲気。それに加えて何やら妙な口振り。

それらが亜生に自身の経験則を思い出させていたから。


過去にも、何人かはこういった反応や所作をする人間がいた。

長く過ごしてきた時間の中、少なからず関わった人間の中に。


だから、亜生は声を出すことすら必死の思いだった。


何故ならば、

昔、亜生が見てきたこうした人間たちの辿ろうとする末路が、知れていたがため。


それを思うと、亜生は今や太知の一挙手一投足、わずかな言動ひとつまでに恐怖した。


そして、

その恐怖を引きつれて導かれてきた亜生の最悪の予測は、


無情にも的中する。


「……聞こえなかったのか? フェイト・ヘイトも……諦める必要なんて無い。そう俺は言ったんだよ」

「いや……けど、フェイト・ヘイトはもうあんたの意識体と完全に一体化して……」


ここまで言い、

亜生は願わくば太知から自分が考えている答えが返ってこないことを心から願った。


だが、

そこから継いだ太知の言葉は、


「だからさ……そうなっちまってるんなら……」


最悪の想定通り。


「俺の意識体ごと、取っちまえよ……」


こう聞いて、

ある確信から、亜生の思考はこれ以上無いほど混乱する。


この言動。

この反応。


今まで見てきた人間たちの例に照らして間違い無く、


生への執着を失った者のそれ。

生きる興味を失った者のそれ。


「……ま……待て、待て待て待て待て、待ちなって!」


珍しくも、声を荒げて太知を制したのは、すなわち亜生の動揺から来るものだったろうか。


「太知、あんた何か勘違いしてるみたいだけど、意識体を抜き出すってのは人間にとって即、死を意味するんだ。フェイト・ヘイトとあんたの意識体はとうに同一の存在になってる。分離はもう、どうやったって無理だってことはちゃんと話したはず……」

「だな、確かに……そう言ってた。覚えてるさ」

「分かってんなら、何でそんなバカげたこと言ってんだい!」


肩を貸し、真横にある太知の耳へ、亜生はなお怒鳴りつけるように問う。


すると、太知はけだるそうに首をわずかに傾げると、


「……そう、むやみに大声を張り上げるなよ……こんな近くでそんなに叫ばれちゃあ、耳がどうにかなっちまう……」


そう言って、また微笑んだ。

が、


その後も太知の口からは希望的な言葉が発せられることは無かった。


「戦いは終わった……お前が言ったように。全部が終わった。みんな……死んでな。あのクソ天使ですら例外でなく、だ。なら……俺も同じく、綺麗に退場するっていうのが正しい終わり方ってもんじゃ……ないのか?」

「……違う……違う、違う違う違うっ! 今、あんたはすべてのゲームが終わり、ひとり生き残ったことへの虚無感に支配されてるだけだ! 戦いの熱が冷めて、その落差に精神が引きずられてるだけなんだよ! そんな一時的な感情で自ら命を絶つなんて馬鹿げてる!」

「ははっ……そんな生半可な思いで言ってるんじゃないよ。もっと……ずっと真剣に考え抜いての答えさ。俺自身が言っても、信じないかもしれないが……今の俺は至極、冷静にものを言ってる……」

「……だったら、納得させてみなよ。ちゃんと筋道を立てて、理由を明確にして、私をきちんと説得してごらんな!」


ほとんど一方的な口論のようになった会話の中、がなり立てた亜生の言葉を受け、

太知は、すいと首を回すと、真っ直ぐに亜生を見据えると、静かに、しかし切れ間無く胸の内を語り出す。


「……以前、お前は言ったよな……私は人の命を平等とは考えないってさ……」

「その話とこの話が一体、何の関係があるんだい!」

「大有りだよ……とにかく聞けって……」


言いながら、ぐいと亜生を引き寄せるようにしてさらに顔と顔を近づけ、目を見て話す太知の意思の強さを感じ、さしもの亜生もしばし、黙って話を聞き始めた。


「あの……クソ天使の言ってたことで……ひとつだけ納得できる話があった。俺が……普通の人間に比べて(穢れ)とやらが強いって話……」

「……」

「お前なりの気遣いだったんだろう? その……(穢れ)ってのが強いと、関わる連中を片っ端から死なせちまうんだってことを言わなかったのは……」


ここまで言われ、


亜生は内心で太知のこれから話すことを即座、想像する。

話しの流れ上、容易にそれは想像できたし理解も出来た。


それだけに、

亜生の意識は絶望に染まり始める。


自分の想像している内容と同じことを太知が話した場合、もはや太知の決断を覆すのは無理だと考えたから。


かくして言わずもがな、

この予想もまた的中してしまう。


「嫌でも痛感させられたよ……この三日間で何人死んだ? 俺と関わったってだけで、一体何人が死んだ? しかも……これは過去形じゃあ済まない。これからも殺し続けるんだよ。俺に関わったってだけで誰も彼もが死んでいく……となると、お前の理論でいけば一番、死ななきゃいけないのはこの俺だろう。存在してるだけで人を殺す……殺し続ける。俺ひとりの命と、俺が今まで殺した命。加えてこの先、殺すであろう命を計算に入れたら、どう考えたって俺は誰よりも先に死ぬべきなんじゃないのか……?」


聞きたくなかった。

正しいだけに。


聞きたくなかった。

理屈でなく、感情として。


だが、

語られてしまったものはどうしようもない。


否定も出来ない。

自分で言ってしまったことだけに。


とはいえ、

素直にそれを受け止められるほど、亜生は無感情な存在とは程遠かった。


無理やりに思考を巡らす。

どこかに落としどころは無いか。

こんな、無慈悲な現実以外の着地点は無いか。


そうやって、

しばらく口をぱくつかせていた亜生がようやく声を発せたのはどれだけの時間が経ってからであろうか。


何にせよ、亜生は口を開く。

どうにか太知の望む結末を変えるため。

必死に、まとまらぬ考えを総動員して言葉を繋ぐ。


「そん……なもの……いいじゃないか、何も……そうさ、人間社会で生きていかなくたって、悪魔としてなら……人との接触を避けてやっていくことだってできる。そりゃあ……あんたひとりじゃ無理だろうけど、私がいるんだ。私が一緒にいる。問題無くやっていけるよ。どうやって世の中を渡っていくかは教えてやれるし、きっと一緒に上手くやって……」


亜生なりに最上の案だと思った。

人と関わることで、その人を死なせてしまう運命なら極端、人と接しなければいい。


今の太知ならそれが可能だろうし、加えて異形と化したこの姿で人間として生きてゆくのは相当な困難があるのも分かる。


それなら、いっそ人の道から外れ、闇に生きるのも悪いことではないと思った。

どう考えても現状、最良の策はこれしかないと。


ところが、


「……悪いが」


太知から返ってきたのは、


「俺は……人間だ」


柔和な笑顔はそのまま。しかしその裏に断固とした拒絶の意思を滲ませた言葉。


「俺は人間なんだよ。どう姿が変わっても、どんな力を得ようとも、そう簡単に……思ったものへホイホイ変われるほど……器用には……なれないんだ……」


この返答で、


ついに亜生は絶句する。


重ねる言葉がもう見つからない。


止めるための言葉どころか、かけるべき言葉すら、もう見つからない。


そんな、

絶望に顔を曇らせた亜生をよそにして、


「それに……」

まだ太知は語るのを止めない。


「俺ひとり、のうのうと生き延びられると思うか? みんな死んじまった。誰もかれも。針子も……死んじまったのに……俺だけ、どうやって、どんな顔して生きられる?」


もはや終わった。


すべてが。


そう亜生は思う。


太知の決意は揺るがない。


言っていた通り、昨日や今日、考え至った思考でないのが分かるだけに、その決断がどれほど強固なものであるかぐらいは亜生にも分かった。


人の死を見続ける苦しみ。

それによってもたらされる孤独の苦しみ。


とうの昔、太知の心という器は止めどなく流し込まれた苦痛で溢れ返っている。


助かる見込み無く、安楽死を願う傷病者と同じだ。


救いなど無い。

だから誰にも救えない。


それでも、

求めるとするなら、最後に残るのはひとつだけ。


救いに、似たもの。


ゆえに、

太知は動いた。


急に血塗れの右手で亜生の左手を掴み、強引に自分の胸へ押し付け、


「……取れよ……」

言いつつ、穴の空いた右手に力を込める。


そうされて亜生は、精神的苦悶に強張った顔を伏せ、太知の手を振り払おうとしたが、何故だかその手を振りほどけない。


太知の右手は穴が空いているというのに。

腱がズタズタになった太知の右手は、大した力を発揮することなど出来ないはずなのに。


振りほどけない。

どうしても、

振りほどけない。


そうするうち、太知はまた言葉を繰り返した。


「……取れよ。引き抜け。俺の命ごと。念願だったお前の力、これで全部が揃うんだ。うれしくないのか?」


痛かった。

心が。


悪魔には無いはずの心が。


すべての力を取り戻せるのだということへのうれしさが、ほんのわずかでも自分の中にあることが苦しかった。


伏せた顔をさらに深く伏せる。

太知の右手に握られ、胸へ押し付けられた左手が震える。


だのに、

太知はそんな亜生の様子を無視するかのように、話すのを止めない。


「何を遠慮する必要がある? これはお前の力だ。俺と一緒になっちまったのは単なる偶然。お前のせいじゃない。結果として俺か死のうと、それは俺の都合だよ。お前が気に病む理由にはならないだろ?」

「……」

「さあ……早くしろよ。それとも何か? あの人首ってやつからは無理に力を奪い返したってのに、俺には出来ないなんて理屈があるのか……?」

「……」

「……陰淵……」

「……」

「亜生!」


突然、

太知は叫んだ。


始めて、亜生のことを名前で呼び、

一喝。


瞬間、


手が埋まる。

亜生の左手。


太知の声へ反射したように、その手を彼の胸深く、気づけば埋めいてた。


と、


しばしして、


「……サタナチア……」


自らの胸へと沈み込んだ亜生の左手を見て満足げな表情を浮かべる太知に、亜生は静かに語りかけた。


その言葉の意味するところが分からず、微かに不思議そうな色を顔に出す太知へ。


「プート……サタナチア……」

「……?」

「私の……本当の名だ」


言い終えて、


刹那、


引き抜く。


勢い、飛び散る太知の鮮血に混じり、一気に抜き取られたその左手へ、血染めの肋骨にしか見えぬそれを握りしめて。


するとほぼ当時、


ざっと、突風が吹いたと思うや、床に散乱する数多の若草を再び空へと舞い上げた。


途端、


それへ、反比例するように、

太知の体は、ゆっくりと倒れ込んでゆく。


その様を、亜生はまるでスローモーションのように知覚していた。


自身の血を振り撒き、宙空の若草を纏い、やがて、

鈍い音を立て、堅い床へと落ちた体を、

舞い散る若草が包む。


わずかに開いた目。

わずかに笑みを残した顔。


ただ、


もう一切の生気を失った事実だけを残し、

太知の躯は横たわる。


死した目で、頭上を月を眺めながら。


そうして、しばらくの後。


床に仰向けとなった太知の亡骸を、無表情にぼんやりと見つめていた亜生は、


ふと、頬に触れる違和感に、右手を伸ばして己が顔を撫ぜる。


撫ぜて、

触れて、

無意識、


再び降り注ぐ若草の雨に隠れる空を見上げ、ひとり、


「……不思議だな……雨と言っても、草の雨……水が降ってるわけで無し……なのに……」


ささやきに近い独り言を、


「何で……」


月にでも問うているのか、


「……雨に……濡れてるんだ……?」


そう言って、しばしまた、


蒼ざめた月を、滲んだ視界で見つめ続けた。


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