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悪魔は蒼ざめた月のもとに  作者: 花街ナズナ
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悪魔は蒼ざめた月のもとに (5)

月夜の薄闇。

深夜の校舎。


その屋上に、

ケタケタと耳障りな笑い声が響き渡ったのは、ちょうど太知が天使を嘲笑しながら侮蔑の言葉を吐きかけたのとほぼ当時だったろうか。


続くように、声の主はパチパチと手を叩きつつ、さもうれしそうに身を左右に揺らし、堪えきれぬ笑いで妙な調子となった声で叫ぶように言い放つ。


「すごいぞ! 最高だ! ああ、掛け値無しに最高としか言いようが無い! 太知、お前は私の見込みを軽々と超えた極上の化け物だよ!」


そう夜空へ声を轟かし、またことさらに不愉快な笑いで喉を震わせた。


言うまでも無く、

声の主は亜生である。


仰向けに倒れた体勢へ太知に馬乗りされ、胸に左手を差し込まれた天使の顔を屈み込んで覗きつつ、なお鳥の鳴き声にも似た甲高く連続した笑いで太知と天使、双方の鼓膜を震わせ、そこを堪えるように天使へと話す。


斜に構え、小馬鹿にした姿勢で流し目に、天使の驚きに満たされた瞳を見つめて。


「どうだい? 人間風情と侮っていた相手に、ご自慢だったご立派な神様から直々に賜った力と作戦を破られた気分ってのは。私にゃ経験が無いから興味津々だ。是非ともその感想を聞かせてもらいたいねえ」

「……なん……で……」

「んーん?」


ようやくに、

無理やり押し出すように声を漏らした天使に対し、亜生はここぞとばかり、とびきり意地の悪い態度で聞き返す。


と、しばしして、

かなりの間を空けてから天使はさらに口から言葉を発した。


「なんで……無効に出来なかった……そんな……有り得ないことが……何故……」


ほとんど放心状態。

言いたい内容は理解できるが、すでにまともな会話が可能な意識の余裕はとても無く、思ったことをただ無造作に喉から漏らす。


「疑問だろうね。疑問だろうさ。私だって、お前と同じ立場なら意識が千々に乱れるだろうと思うよ。何たって、どう考えてもお前の有利は絶対的だった。こちらはどんな攻撃をしてもデサイデッド・デシジョンで無効にされれば終わり。そのくせ、そっちの攻撃は有効にされちまえば否応無しで喰らい放題。私らは負け、お前は勝つ。それ以外の結果なんてあり得るはずは無いと、私でさえほぼ諦めきってた。そう……太知っていうあまりに異質な要素が無けりゃ、間違い無く私は諦めてたさ」

「……異質の……要素?」

「ああ。お前にとってみれば、太知は他の人間たちと同じ、単なるアダム・カドモンの欠片でしか無かったろう。けどね……」


急に言い止し、亜生は視線を天使から逸らすと、並みの人間なら怖気を振るって逃げ出すほどの狂気に歪んだ太知の表情を見、ふと何故か穏やかな笑みを浮かべて言葉を継いだ。


「私は太知と会った時からピンと来てた。お前の言ってた通りさ。太知は他の人間と比べて異常に(穢れ)が強い。だけどそれは裏を返せば、太知が普通の人間よりも特異な部分があるって証拠でもある。良いほうにも悪いほうにも、どちらにも転ぶ可能性はあったが、私はその可能性に賭けた。結果は言わずもがな。太知は私の想像以上だった。まともな人間なら考えもつかないし、万一、考えついたとしても実行不可能なことをしてのけた。賭けは私の勝ち。そしてもちろん、勝負も私たちの勝ちってわけさね」

「だ……から……何故……?」

「無効に出来なかったのか……だろ?」


くぐもり、声もはっきりしない天使に変わり、その質問を代弁しながら、亜生は再び天使と目を合わせる。


初見の時、太知を大いに不快にさせた底意のあるいやらしい表情で。


「何故、無効にできなかったか……悩むところだろうね。何たって最初は私も太知も、そこで完全に心が折れてたからさ。私の持ってる力ではお前のデサイデッド・デシジョンには対抗できないって事実だけは確定してた。と……普通ならここで手詰まり。諦めるってのが正常だ。ところが太知は根本的に考え方を変えたんだよ。あっちの攻撃が有効にされるとか、こっちの攻撃が無効にされるとか、そこだけで考えていたものを、ひっくり返したのさ」

「……?」


なお、亜生の言う意味を理解出来ない天使が、無言の問いをその瞳で語った時、


亜生は天使の耳に触れる距離まで口を近づけると一言、


「……パラドクス(Paradox……逆説)だよ……」


そう言った途端、


天使は、

あまりの驚愕に飛び出してこぼれるばかりかと目を見開き、声無き吃驚の叫びを上げた。


その様子を見て、

よほどに亜生は満足したのだろう。


元々の饒舌に輪をかけ、すべてを語り始める。


「その感じからして、どうやら分かったみたいだね。そう、太知はあの時、確かにお前に向かって力を使った。天使のお前なら察知できたろう? フェイト・ヘイト。それを使ったことは事実さ。けど、問題なのはそこじゃない。太知がフェイト・ヘイトで何をおこそうとしたか。ここまで話したら、いくら知恵無しのお前でも理解出来たんじゃないのかい?」


これを聞き、天使は苦々しく、絞るような声で小さく答えた。


もはや、とても感情を持たない存在とは思えぬほど、怒りと慙愧を露わにして。


「……始めから……攻撃など……していなかったのか……」

「はい、ご名答。ただし賞品は特に無し。残念だねえ」

「……」

「太知の立てた作戦はこうさ。お前は太知が力を自分に対して使ってくると感じたら、ほぼ無条件にそれを何らかの攻撃と考えて無効にすると踏んだ。最初にハインド・ハウンドやジャイアント・ジャックなんかで攻撃したのも、それを確認するための布石。で、やっぱりお前は考え無しにそれらを無効にした。結果、刷り込まれた経験がより、お前の行動を限定させることになったんだよ」

「……どういう……意味だ?」

「ハインド・ハウンドやジャイアント・ジャックは具現化して攻撃をおこなう。つまり視認してこれが攻撃であるかそうでないかが即座に分かる力。ところがフェイト・ヘイトは視認できない。自然、お前は安全を考えてフェイト・ヘイトに関しては力が使われると感じた瞬間に無効にする。そこまでの想定もしていた。けど、それでもまだ完全じゃない。万が一にも勘付かれるわけにはいかなかったんだよ。チャンスは一度きりだったからね。だから太知は無理くりにお前を焚き付けた。お前の攻撃をそれなりに抵抗するふりをしつつも、やたらに受け続けたのも作戦のうち。ピアス・スピアを有効にすることを繰り返させ、デサイデッド・デシジョンの使い道を厳密に区別するよう誘ってたんだよ。こちらからの攻撃には無効。自分が攻撃する時には有効。反復する行動で知らぬ間に癖をつけさせたってわけさ。無意識に二択だと思い込んでいた行動は一択に縛られ、お前は太知の煽りにあっさり乗って、見事にフェイト・ヘイトを無効にした。自分の判断でそうしたと思ってたろう? 違うね。必ずお前がフェイト・ヘイトを使われた時、それを無効にするよう入念に誘導してたのさ」


幾重にも張り巡らされ、誘導された罠。


そう、

すべては始めから仕組まれていた。


通用しないと知ったうえでの連続攻撃も、

天使が望むまま、何本もの槍をその身に受けたのも、


ただの一度。

攻撃を通すため。

そのための布石。


一方的な戦いと思わせておいて、現実には天使のほうこそ、太知の手のひらの上で踊らされていたのである。


「実際には、太知はフェイト・ヘイトを使う際、こう願った。(自分の攻撃が無効になれ)。つまり、太知は最初から自分で自分の攻撃が無効となるようにフェイト・ヘイトを使ったわけさね。そしてフェイト・ヘイトをお前が無効にしたことで逆に太知の攻撃は有効になった。逆転の発想だよ。お前は無効に出来なかったんじゃない。それどころかその逆。お前が無効にしたからこそ、太知の攻撃はお前に届いたんだ。こういう時はどうしたものかね。お前には礼のひとつも言うべきなのかい? 自ら、こっちの攻撃を通してくれて、ありがとうってさ」


そこまで言い終えると同時、

堪えきれなくなったのか、亜生は天を仰いで高らかに笑う。


今の太知にも負けぬ、多分な狂気を含んだ笑いを。


が、


「……だが……」


亜生の笑い声を遮り、天使はつぶやいた。


「これは……どういうことだ……?」


問いの言葉を継ぎ、天使が見たのは、


自分の胸。


出血も無く、深々と太知の左手が突き刺さる胸。


それを見て、

ははぁ、と、亜生は何やら納得したように笑って頷くと、またも饒舌に説明を始めた。


「どういうことか……疑問に思うのは当然だろうね。これがもし物理的に腕がお前の胸へめり込んでいたなら、その無駄な疑問も浮かばずに済んだろうさ。しかしその太知の手はどう見ても物理的に突き刺さった状態じゃない。つまり……?」

「……透過による意識体への直接干渉……」

「はい、またもやご名答。でも残念、今回も賞品は無しだよ」


返ってきた天使の推測を肯定したうえで、亜生は馬鹿にしたように鼻で軽く笑うと、再び話を進めてゆく。


「さて、そうなると今度は新たな疑問が発生するんじゃないかい? 意識体への直接干渉は普通、天使……または私みたいな元天使の専売特許。お前が言うところの人間風情が出来るような芸当じゃない」

「だから……それが何故……」

「ここまでヒントが出てるってのに、そこだけまだ分からないのかい?」

「……?」

「太知のこの姿を見て、何も思わなかったのかって聞いてるんだよ」

「馬鹿馬鹿しい……理屈は分からないが、その姿からして恐らく力を過剰に使いすぎた副作用だろう。力のリミッターが外れたとて、それが何だと……」

「それは持ってる力がひとつなら、の話だろう?」

「?」

「もちろん、複数だとしても三つや四つなんて数の力程度じゃあ、お前の言う通り大したことでもない。だけど……」


言って、


亜生は何故だか夜空に浮かぶ不気味な蒼い月を見上げ、


「九つ。まとめて持ったとしたら、どうだい?」


そう言葉を継ぐや、


天使は、かっと目を見開くや、慌てたように首をひねると、月へと視線を送る亜生へ愕然とした表情で目を向けて呻くように叫ぶ。


「な、貴……様、まさか……!」

「……まさか?」

「自分の……持っている力……すべて、こんな人間に渡したというのか!」


この言葉を聞き、

亜生は見上げた顔を下げもせず、ただ目だけをじろりと天使と合わせると、口角を異常に吊り上げ、薄く開いた口元から白く鋭い犬歯を覗かせた。


瞬間、


「……今さら気づいたのかよこのクソ天使……」


ここまで、無言を通してきた太知の声が、頭上から降ってくる。


「少しは考えてみろ。俺たちは死んでもてめえに勝つと腹を決めて勝負に挑んだんだぜ? それが、たかだか因縁やら何やらなんて小さな理由だけでフィールドを決めると思うか? 勝つことだけを前提に動くとしたら、とにかく自分たちに有利なフィールドを用意するのが普通だろうがよ……」

「では……本当に貴様……あの悪魔からすべての力を……」


そう問われ、太知はこっくりと頷くと、視線を亜生へ向けて言葉を続けた。


「現実問題、陰淵が現時点で取り戻してる力を全部、俺が預かったとしても、この……透過だっけか? これが出来るようになる保証は無かった。陰淵の説明からすれば、複数の力は俺の意識体を鎧のように包み込み、疑似的に天使の持つ能力を再現できるかもって……あくまでも可能性だけの話だったからな。ほんと、ほっとしたぜ。てめえが俺のフェイト・ヘイトを無効にしてくれたのと、無事にてめえの胸へ左手が入り込んでくれた時はな……」

「……そんな……そんなことを、本当に……」

「てめえもしつけえな。あいつ自身がそう言ったろ? にしてもゲーム・キーパーまで任されたのは面倒にもほどがあったな……不慣れだったもんで、俺にはこの程度の分かりやすいフィールドしか用意できなかった。それがこのフィールドになった真の理由ってわけだよ」


説明を終え、太知はまた狂気に満ちた表情で笑う。


焦点すら明らかでない、漆黒の眼球に天使を捉えて。


話の筋は冷徹なまでに通っている。


すべては戦いに勝つため。

取ることの出来るありとあらゆる手段を総合した結果の戦略。


そう言う意味では納得の行動。


というより、

納得せざるを得ないというべきか。


デサイデッド・デシジョンへの対抗策が限られている以上、手持ちの駒はすべて使い、手立てを選ばず勝利を目指した思考の帰結。

追い詰められたがゆえの捨て身の奇策。


そこは理解出来る。

理解出来る。のだが……、


「……信じ……られん……」


天使の口から漏れたのは、ここに至ってもなお疑念のつぶやき。


真っ直ぐ亜生へ視線を送りつつ、理性とはかけ離れた部分で納得することを拒む意識を問いにしてぶつけた。


「たかが……たかが、人間だぞ……そんな、人間なぞに……その……持てる力のすべてを預けたというのか……?」

「お前が信じようが信じまいが、実際にそうなんだからそうなのさ。というより、こうでもしなけりゃこの作戦は実行できなかったわけだからね。別に不思議なことでもないだろう?」

「だ……だからと言って、力をすべてなど……もし……もし、この人間が裏切りでもしていたなら、どうするつもりだったんだ……」


こう言うや、

天使は亜生から返ってくるであろう答えに時間がかかると思い、ふと気を抜いたが、


「簡単さね。そんなもの」


瞬時、

亜生は一瞬の躊躇も無く一言そう添えてから、


すぐさま、


「信じればいい」


即答。


躊躇も逡巡も無く。

明瞭に即答。


すると、


「……やっぱり、てめえ本物のバカだな」


聞こえてきたのは、またしても太知の声。


「大体、てめえに勝たなきゃ殺されるって決まってるゲームへ参加してる俺が、どんなメリットがあって陰淵を裏切るってんだよこの知恵無し野郎……」


吐き捨てるように言い切り、

そうして、


「さてと……」

ひとつ、自分の中に区切りをつけるようにして声を発し、太知は、


「遊びの時間はいい加減で終いにしようか。てめえのツラを見るのも、もうウンザリだしな。さっさと……消えろ」


簡潔に言い放つ。


天使の胸に突き入れた左手に力を込めながら。


ところが、


「……調子に乗っていられるのも今のうちだけだ……この(穢れ)に満ちた人間め……この場は勝利したとしても、神を冒涜し、罪に溺れた貴様の罰は必ず……」


刹那、


まだ天使が言葉を言い切らぬうち、


太知は、

即座に天使の胸から左手を、


引き抜いた。


同時、


天使の声は止まる。

天使の体は止まる。


正確には、すでに天使の手で殺された無草明光の体が。


ようやく、物言わぬ屍と化す。


呼吸を止め、

動きを止め、

単なる遺骸へと戻る。


その様子を見てとり、

太知の口が再び動く。


「……消える時ぐらい静かに消えやがれってんだ……この、ゴミクズが……」


唾棄するようにそう言い、


開いたままの遺体の瞳を覗き込んで、太知は引き抜いた自らの左手を、ふと差し上げた。


その手の中に、


しっとりと湿った一本の肋骨らしきものを握りしめて。


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