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悪魔は蒼ざめた月のもとに  作者: 花街ナズナ
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終焉の夜更け (3)

実際のところ、


亜生から天使の持つ力に関する説明を受けた太知は、

あまりに反則的なその力の内容に、半ば呆然自失としていた。


無理も無い。

事実上、対抗策など立案不可能。


それほどに凶悪。

それほどに悪質。

もはやルールどころの話ではない。


相手が有効と言えば有効。

相手が無効と言えば無効。


そんなものに、どうやって対処しろと?


何をするのも自由自在という、あまりに一方的な力を前にして。


自然、太知は溜め息を吐くくらいしか出来る事が思いつかず、視線もそぞろに黙り込む。


そこへ、


「どうした? さっきまでそれなりに自信のありそうな顔してたはずが、えらく不景気な顔になっちまったじゃないのさ」


空気を読まずに亜生が言う。


言われて、

少々、この物言いに腹の立った太知だったが、八つ当たりをして事態が好転するわけでもないと思い直し、己が心理状態を話すに止めた。


「……上には上がいるとかって、まさにこのことなんだろうな……なんか、拳銃を手に入れて喜んでたら、相手が戦車に乗ってやってきたみたいな気分だ……」

「その点は今さら思っても仕方の無いことさね。大体、元々から力の優劣では向こうが上って前提だ。そこをあんたの知恵働きでどうにかしようってのが始めからの姿勢だったろ?」

「……こんなもん、戦略だの何だので、ひっくり返せる実力差じゃねえだろうが……」


過度の期待も甚だしい。


確かに勝負は単純な力の差だけで必ずしも決するわけではない。


が、

ことこの件に関しては事情が違う。


単純な実力差の幅が、知略で補える範囲を完璧に超えているのだ。


基本的な流れとして、策謀とは相手の弱点を探り出すか、もしくは弱点を作り出す作業。


どんなに多勢の敵も、どんなに強力な敵も、弱点さえつかめれば攻めようによって勝利の可能性は普通、見えてくるもの。


だからこそ歴史上でもいくつか、通常では勝てるはずの無い戦いに勝利したものの記録が存在している。


しかし、

ここまで謀略という行為そのものを否定する存在が相手では、気力すら萎えてしまう。


そもそも弱点が無い。


だと言って、弱点を作り出すことも出来ない。


どんな攻撃手段も、相手が無効と言えばそれだけでもう通用しない。

そのくせ、相手の攻撃はどう防御しようと、回避しようとしても、相手が有効と言えば確実に喰らう。


前提として弱点は存在しないし、また作り出すことも不可能。


守ることも攻めることも理論上、完全に無理。

いや、理論上なとどいう限定的表現も空しい。


机上の論理だろうが実戦だろうが、


勝てる方法は皆無。

どう考えても皆無。


これでは太知も頭を抱えて当然だろう。


実際、抱えていた。

抱えて、頭を掻き毟る。


頭皮を爪で裂いてしまいそうなほどに。


そうこうしていると、

焦燥感を通り越して、


泣けてきた。


焦りよりも、怒りと悔しさが先走り、涙が滲み出す。


負ければ死ぬ。

それは分かっている。


死ぬのが怖くないと言えばウソだ。

覚悟はしていても怖いものは怖い。


だが、それ以上に、


負ければ無為に死ぬ。


意味も無く。

何も出来ず。


そこだけがどうしても耐え難かった。


亜生と天使のいざこざに巻き込まれたのは、それだけで必ずしも死ぬことが決められたわけではないから、まだ受け止めようもある。


だとしても、

故意に何人もの人間を殺したやつを許せるほど、自分は出来た人間ではない。


落とし前はつけさせなければ……。


そうでなければ、自分の非力さゆえに死なせてしまったサヤに、何と言って詫びればいいか。


まさしく必死の思いで自分を救ってくれたのに、結局、最後は手も足も出ずに殺されてしまいましたでは、サヤの犠牲が文字通りの犬死になってしまう。


その結末だけは何があろうと受け入れられない。


思い、なおも頭を抱え、悔しさと情けなさから、歯噛みする口の端から呻き声を漏らす太知を見て、亜生も思うところがあったのだろうか。


または、単に太知の心理を覗き見たか。


どちらであるかはともかく、しばしの沈黙を破り、亜生は床で苦鳴にも似た悲痛な声を上げている太知へ、静かに語り出す。


「……太知。悩むな、なんて乱暴なことは言わないよ。頭を抱える気持ちも分かる。私からしても、この勝負は完全な手詰まりだ。相手の勝ちは最初から決まってるようなもの。足掻くだけ無駄かもしれない。けどね……」


そこまで言ったのを聞いたところであったか。


太知は、いきなり顎を掴まれたかと思うや、ぐいと強引に上を向かされた。


そこには、


いつの間にか椅子を離れ、真剣な眼差しで、直立したまま太知を見下ろす亜生の姿があった。


「絶望するなら死んでからにしな。手が動くうちは、足が動くうちは、頭が動くうちは、絶望はするんじゃないよ。あんた、自分で言ってたろ? 確率はゼロじゃないんだ。生きてるうちは、失望しちまうのまでは仕方ないさ。だけど、絶望していいのは死んだ人間だけだ!」


言い放ち、


視線をより強める。


まるで咎めるように。


太知の弱気を。


そして、

突然、亜生に浴びせられた気迫でしばらく、頭が真っ白になった太知は、その後すぐに自分から離れて窓際に立ち、外を眺める亜生を見た。


月明りに照らされ、

いつもは艶も無く、老人を思わせる白髪が銀色に輝く。


瞬間、

窓の外を見つつ、横顔だけを晒しながら、亜生は静かに話し始めた。


「道はひとつ。戦うだけ。結果はあんた次第。それなら、やるだけのことをやって戦ったほうが、どういう結果にせよ納得して受け入れられると私は思うんだけどね……」

「……」

「まあ、人間の感情ってやつはそれほど単純じゃないことくらいは私も分かってるつもりだけど……ひとまずそこは置いといて、前向きな話をしようじゃないか。さて、これがあんたの立てる戦略の一助になるかどうか未知数だけど、あの天使の持つ、デサイデッド・デシジョンも決して完璧な力じゃないんだよ。考えても御覧な。大体からして神ともあろうものが、万が一にも自分へ対抗出来るほどの力を、まず裏切ることは無いと思っていても、自分以外に与えたりするわけないだろう?」


その言葉に、


現時点の太知はまだ大した反応を示さなかった。


言われてみればその通りと思う程度。

一度、白紙に戻った頭を染め直すほどの話ではない。


「正確に言うと、デサイデッド・デシジョンは事象もしくは他の力に対し、本当の意味で有効や無効を決めてるわけじゃないんだ。あくまでもそれは上書きでしかない。だから実際には有効、無効に関わらず、起きた事象が変化してるわけじゃないし、消えてもいない。分かりやすく例えればこういうことだよ」


そう言うと、亜生は机からノートとシャープペン、それに黒のサインペンを取る。


そしてまず、開いたノートへシャープペンで何やら書き、太知に見えるよう筆記したページを向けて示した。


書いてあったのは二文字。


(殴る)。


「私がやつを殴ろうとした時の、私の行動によって生じた事象がこれ」


言って、すぐさままたノートを手元に引き戻し、今度はサインペンで何かを書く。


と、同じようにノートを太知に向け、見せた。


書いてあったのはこれも二文字。


(無効)。


ちょうどシャープペンで書いた(殴る)の文字に重なるよう書かれている。


「これがどういうことか分かるかい?」


無論、思考力の鈍った今の太知に、ピンと来るものがあるはずもなく、首を横に振った。


されど、

亜生の説明は止まらない。


「やつの力はこのサインペンで書かれた文字と同じさ。事象を書き換えているんじゃない。上書き。下に書かれたシャープペンの文字より濃いサインペンの文字が結果として強く前に出るだけのこと。書き換えるとしたらこうする必要がある」


話しつつ、亜生はまた机へ向かうと、使い終えたシャープペンとサインペンを置き、代わりに消しゴムを取ってノートに滑らせる。


数秒後、

またしてもノートを太知に見せた。


シャープペンで書かれた(殴る)の文字が消え、サインペンで書かれた(無効)の文字だけが残ったノートを。


「こうだとしたら、さすがに打つ手は無い。優先順位もクソも無いからね。けど言った通り、やつの力は違う。上書きなんだよ。だから結果を歪曲させることは出来ても、完全に変えることは出来ないんだ」


この時になり、

太知はようやく小さくだが、首を縦に振った。


理由は自分でもよくは分からない。


ただ、

ここまでの話で、


何かが、


何かが、頭に引っかかったである。


「言うまでも無く、私の持っている力であいつの力より優先順位が高いものは無い。以前に戦って負けてるって事実からもこれは分かるだろう? となると、もう本当にあんたの知恵働き次第さ。とはいえ、いくら人間のあんたでもここまでの難題を解けるとは到底、思えないけどね。優先順位で負け、確実に上書きされると分かっていても勝てる作戦なんてあるはずないのは私でも察しはつく。だけど、それでも私はあんたに……」

「……なあ……」


突如、


ぼんやりと、話を聞いていた太知の頭の中。


それは閃きというには鈍すぎる光だったが、

何か薄くぼやけたイメージが浮かび上がり、


反射的、


太知は亜生の言葉を遮り、割って入った。


急な割り込みに多少、驚いた様子の亜生が、窓から顔を太知に向けるきっかけを生みながら。


「変な話をしてると自分でも思うけど、あいつら……天使もそうだが、それに肩入れしてる神の野郎も、普通に考えて、俺たちに勝つことを念頭に戦う作戦でくるはずだよな……」

「おいおい、ストレスで頭がおかしくなったか? どこの世界に勝とうと思わないで戦うやつがいるのさ。そりゃあ特殊な条件下なら、試合に負けて勝負に勝つなんて筋書きも有り得るだろうけど、こと、このゲームについては負けて得する要素は一切無い。勝つこと以外に道なんてものは……」

「分かってる……分かってるさそんなことは。ただ……違うんだ。勝つのを目的として動くのが当然っていう思考が、やたら盲目的というか……」


考えつつ、話していたその、


刹那、


太知の頭に、

閃く。


有り得ない対策。

有り得ない方途。


不可能の中の可能。


否、


不可能だからこその可能。

矛盾した発想によってのみ得られる勝機。


瞬時、


太知は声を上げて笑い出した。


腹を押さえ、

声を漏らし、


涙を、

流して。


すでに感情の配列は崩壊していたが、太知はそんなことを気にも留めない。


己が両手で抱え込んだ体を前のめりに倒し、床を見つめる目で、その床へと次々に落ちてゆく自分の涙を見る。


その間、どれだけの時間であったか。


そんな太知の急変に、驚きを隠さない……というより、最終ゲームへの重圧でついに壊れてしまったのかと心配する亜生の、不安そうな目を気にかけること無く、


なお流れ続ける涙を拭きもせず、太知は屈めた姿勢のまま、嗚咽しながら、


「……針子……」


不思議なくらいに、


太知は穏やかな顔で屈めた体を起こし、寝室で眠るサヤに目を遣ると、


うれしげに、

震える声で、


「……お前への、落とし前……あのクソ天使に、必ずつけさせてやるよ……」


言い終えるや、また薄暗い部屋へ、慟哭のような笑い声を響かせた。


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