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悪魔は蒼ざめた月のもとに  作者: 花街ナズナ
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終焉の夜更け (2)

窓から漏れ差す月明りだけに照らされた薄暗い室内。


そこが沈黙に支配されたのは、思ったより短い間のことだった。


無論、部屋の中に太知しかいなかったのなら、この静寂はさらに長引いたに違いない。


それほどに、

太知が受けたショックは大きかったのである。


あれだけ忌諱に思っていたフェイト・ヘイトが、

あれだけ亜生が取り戻すのに執心していた力が、

よりにもよって、死ぬ以外には手放せなくなったとは。


こうも続けざまに悪いことしか起きないのは、やはり自分の存在が呪われているせいか?


真剣にそう思い、頭を抱えそうになった。


が、

そうした空気は一瞬にして変わる。


「そういうわけだ太知。ま、私も未練が無いと言えばウソになるが、ここはきっぱりフェイト・ヘイトは諦めるとしよう。元々、ひとつは力を失う計算で始まったゲームだからね。初心に戻りさえすれば済む話だよ」

「え……?」


この、異様なほど軽い亜生の一言に、

太知は少なからず、気抜けしたのは言うまでもない。


自分でも間が抜けていると感じる声を上げ、緊張で強張った顔の筋肉が一気に弛緩する。


「となれば話は早い。さっさと最終戦の対策を考えて……」

「あ……いや、ちよっと待てよ!」

「ん?」

「何なんだ? あれだけ自分の力を取り戻すことに執着していたくせに、何でそんなに切り替えられる? わざわざ俺なんかと組んだのだって、そのためだったろうに」

「ふむ……確かに、あんたからすると不可解かもね。私の心変わりは。でも私からすればこの選択……というより、優先順位の変化はもっと以前に終わってたがね」

「……優先順位……?」


再び、太知が呆けたような疑問の声を漏らしたのをきっかけ、

亜生はまたもや妙に厳格な顔をすると、さも分かりきったことでも言うように答えを述べた。


「あの天使が現れた時点で、私の中での優先順位は力をすべて取り戻すこと以上に、天使への対抗措置をどう取るかってことに重要度がシフトしたんだよ」


この回答には、

太知もただ、はっとして自分の浅薄な考えに気付き、瞠目するのみ。


「力を全部取り返せようが、取り返せまいが、最終戦で天使に負ければ私の力はまた砕かれて散り散りになっちまうのに変わりは無い。仏教的な表現をするなら、あいつはまるで賽の河原の鬼さ。どんなに努力して石を積もうが、すぐに崩される。私の力も取り戻せたところで、あいつがいる限りはその繰り返し。私は徒労を。無関係な人間たちには死を。そう定まってる」

「……」

「何事にも通じる単純な真理さ。元凶を絶たなきゃ、何も解決しない。本当に何もかもを解決したければ、つまり……?」

「……俺が……あのクソ天使をぶちのめす必要がある……」

「はい、大正解。やっぱりおりこうさんだね太知は」


最後の言葉は、内容こそふざけたものだったが、変わらず亜生の口調が厳しかったところからして、事態の逼迫度合いは思った以上だと太知にも察せた。


実際、

亜生は天使に一度、完敗しているのだから当然か。


しかし、

その時と今とでは状況が違う。


それこそ圧倒的に。


だからだろう。

太知はそれほど事態を深刻に受け止めていなかった。


あくまでも亜生が勝てなかっただけのこと。


だが自分ならどうだ?

それも今の自分なら?


髪や目の色がとんでもなくなってしまった不便は直面している危機に比べれば些細だ。


代わりに得られた力については間違い無く、勿怪の幸い。


反則じみた力。

まさしく悪魔の力。


負ける想像が逆につかない。


それゆえの余裕。

抱いて当然と言ってもいい余裕。


ところが、


「おりこうさんではある。けど太知、あんたも例外じゃあ無かったらしい。人間ってのは過ぎた力を得ると、途端に自信過剰になる。根拠の無い万能感に酔って、さぞ気持ちは良かろうけれど、現実は必ず最悪の事実を突きつけてくるって、あんたは経験的に一番よく分かってるはずだろう?」


太知の油断を看破して、亜生は釘を刺しつつ、話を続ける。


「余裕を感じる気持ちは分からないでもないさ。普通に考えたなら、今のあんたに太刀打ちできるやつなんてそうはいない。だが、肝心なところを忘れてるよ」

「肝心なところ……?」

「何度も言ってるが、私ら悪魔や天使は、知恵ではあんたら人間に敵わない。その点はどうやっても覆らないところさ。けど、あいつは……あの天使には、とんでもない後ろ盾がいるってのを忘れてないかい?」

「あ……!」

「そう。人間よりも知恵が回り、あらゆる力を駆使する文字通り、全知全能の神だ。そんなのが作戦立案して派遣してきた天使が、ちょっとそっとの不測の事態で負けるような入れ知恵や力でこちらに向かってくるわけないだろう?」


言われて、

あまりに反論の余地も無いので、太知も素直に納得せざるを得なかった。


言われればその通り。


天使単体とすれば、亜生も今回は自分がついている分、知恵の面で数歩は先を行けるかもしれないだろう。


さりながら、

現実はそう都合良くない。


相手は実働部隊の天使と、高度な策謀を立てる神のタッグ。


一瞬でも楽勝かと考えた先ほどまでの自分の馬鹿さ加減が腹立たしい。


などと、

手前勝手に自分自身へ立腹している太知の耳に、亜生が大きく息を吐く音が聞こえる。


溜め息ではない。

深呼吸だろうか。


ふと見れば、亜生は何か覚悟でもしたように天井を見つめ、声も無く口を動かしていた。


何かをつぶやいているのか?


そうも思ったが、

不思議なことに、

太知はこの時、亜生がおまじないでも唱えているように感じていた。


だとしたら、何のおまじないだ?

神を裏切った悪魔が何にすがる?


ただし、その辺りは単なる印象の問題。

事実、おまじないをしていたかは分からない。


それよりも、


太知が気になったのは、そんな亜生が発していた雰囲気。

いや、表層へ滲み出てきた感情らしき何かというべきか。


それもまた、何と表現するのが適切だろう。


覚悟?

諦め?


詳しい感情を読むことは太知には出来なかったし、それ以前に亜生が感情を持っているという確証もいまだに無い。


無いが、

そういった類の感情を何と無しに感じ取ったのである。


そして、

この太知の勘は、良し悪しはともかく、的中することになった。


しばし天井を見上げていた亜生が顔を下ろし、再び太知を見た目には、いつもの通り、何の表情も見て取れなかったが、次にその口から語られ始めたことが、奇しくも太知の予感に自信を与える結果となる。


「さて……今まで散々あんたに言われてきた文句を、今回は聞かずに済ませるため……というより、ゲーム・キーパーの特権が使えない以上、あんたひとりで戦ってもらう形になる今度の勝負に関し、万策を立て、万全の態勢で挑んでもらうため、天使の持っている力に関して説明するとしよう。これまでの戦いでは私が最悪、横から手を出して逆転させる方法がいくらもあったんで舐めてかかってたが、今回ばかりはそうもいかない。あいつには……天使には私の力は一切、通用しないからね」

「……は?」

「知ってるだろ? 私の力はあいつに対してはまったく意味を成さない。その目でも見たのに忘れたのかい?」

「いや……見たというか、確かゲーム参加者の持っている力をふたつ以上持っていると、ゲーム・キーパーの力が通じなくなるってのは覚えちゃいるけど、確かあいつ、不破にブラック・ラックを渡してたから、自分自身で持っているのは残り一個だけのはず……」

「違う違う、バグを利用した小技なんてあいつには必要も無いよ。そうじゃなく、始めてあの天使と屋上で会った時のことさ。私があいつに殴り掛かったのを覚えてるだろ?」

「あ……」


ここまで話されて、ようやく思い出した。


そうだ。

あれは奇妙な光景だった。


力いっぱいに天使を殴りつけようとした亜生の拳が、宙空で見えない壁にでもぶつかったかのように停止した光景。


今になって思っても、あれが一体どういうわけで起きた現象なのか皆目見当もつかない。


すると、

下手な考え、休むに似たりとでも言いたげに、亜生は考え込む太知を無視して話を再開する。


「あの時に起きたことは、すべてあいつの力によるものだと説明がつく。あの天使が持つ力のうち、間違い無くもっとも厄介な力、デサイデッド・デシジョン(Decided Decision……明確なる決定)によるものさ」

「デサイデッド……デシジョン……?」

「簡単に言うと、この力は認識したあらゆる事象に対して有効か無効かを決める力。例えばあの時、私は全力であいつに殴り掛かった。ところがあいつは私に殴られる直前、殴られるという事象を無効にした。結果、私の拳はやつに届く事無く、宙空で停止させられたんだよ」

「事象を……無効?」

「そうさね。例えば……」


言いつつ、亜生は少しばかり考えるような素振りを見せると、先ほど太知への説明に使用したコップのうち、水の入ったほうをテーブルから取り上げると、さっと口をつけたかと思うや、ひと息に飲み干す。


それからふっと、息を吐き、空になったコップをテーブルに置いた。


「普通なら水の入ったコップから水を飲めば、喉は潤され、コップの水は無くなる。これは分かるね?」

「まあ……そりゃ当たり前のことだからな」

「けど、その当たり前が通用しないんだよ」

「?」

「試しに、そのコップの水、あんた飲んでごらん」


手で示されながらそう言われはしたが、太知は訝しげな顔をしながらテーブルのコップに目をやるより他は無い。


むしろ、この反応が当然である。


何しろコップの水を飲めと言われても、今まさに目の前でコップの水は亜生が飲み干してしまったのだから。


飲みたかったとしても、有りもしないものを飲むのは不可能だ。


ではあるが、

意味の無いことをさせることは今までのところ亜生はさせていない。


何かしら意味はあるのだろうと思い直し、太知はコップに向けた目を凝らす。


途端、

太知は目を丸くした。


今、確かに今、

あるはずが無かったコップの水が、


満たされている。


毎度のこととはいえ、こうした急の異常には慣れられない。


「何度やっても驚いてくれてうれしいね。私が手品師なら、あんたは最高の客だろうけど、今はそんな話をしてる時じゃない。とにかくまずはその水を全部、飲んじまっておくれ」


落ち着く間も無く亜生の指示。

とはいえ別段、難儀な命令でもない。


コップの水を飲むだけ。

思い、太知は知らぬ間に満たされたコップを手に取ると、ゆっくり口に運んだ。


手首をひねり、コップを徐々に傾ける。


自然、中の水は静かに口内に流れ込み、


流れ込み……?


この段階になり、太知に違和感。


口に水は流れ込んでいる。


流れ込んでいるはず。なのに、

コップの水が減っていない。


加えて言うなら、

口の中へ侵入してきているはずの水が、一向に喉まで届いてこない。


そのあまりの奇怪さに、太知がコップに口をつけたまま目を白黒させていると、


笑い声。


亜生の、笑い声。


どうやら、よほど戸惑っている太知の姿が面白く見えたらしく、いつものクックッといった抑えた笑いではなく、噴き出すような笑い声を上げていた。


「はっ……はーっ、ははっ……もういいよ太知……もう……ふっ、くくっ……十分だ……」


いまだ大いに笑いの余韻を残しつつ、そう言う亜生に従い、太知は少なからず笑われていることへの不快感を顔に滲ませ、コップをテーブルへと戻した。


「私の力で再現できる範囲、デサイデッド・デシジョンを何とか表現してみたが、どうだい、理解してもらえたかい?」

「いや……何から何まで、何が何やら……」

「まあ、混乱するのも分からなくはない。それだけふざけた力だからね。何せこの力、さっき話してた因果の話に戻るけど、原因と結果っていう絶対的な繋がりをも操っちまう。普通、原因があれば必ず何らかの結果も出る。なのに、この力で無効とされてしまえば、起こるはずの結果が何も起きなくなるんだよ」

「……結果が、起きない?」

「今、水を飲もうとしたあんたは、水が喉を通らなかっただろ? 本来はそこまでの行動が原因となって、水を飲むという結果に行きつくはずが、その結果をあいつの力は文字通り、無かったことにしちまうわけさね」


ここまで話しを聞き、


太知は、

ようやく、おぼろげながらも予測出来てきた天使の力に、ふと戦慄する。


結果が出ない?

結果が出せない?


その事実がどれほどとんでもないことか、まだぼんやりとした太知の頭でも十分に恐怖心を抱けるものがあった。


「これを、こちらも力を使用した場合を想定して考えてみよう。例えば、ハインド・ハウンドであいつを攻撃しても、無効にされればそれまで。私の拳と同様、あいつに触れることは絶対に出来ない。ハンギング・ツリーでも同じこと。首を締め上げることも、上に吊るすことも出来ない。同様に、私のゲーム・キーパーも意味を成さない。これが、あいつには私の力は通用しないと言った理由さ」

「な……いや、でも……」

「でも?」

「そうだよ……最初の戦いの時みたいに、俺が落雷で攻撃すれば……落雷の速度に反応して力を使うなんて、普通の反射神経じゃ……」

「天使が、あんたら人間並みの反応速度しか持ち合わせてないっていう甘い前提が通ればね」


一蹴。

却下。

冷たく、すげなく、不採用。


さりとて太知も、この亜生の言い分には文句を差し挟む余地も無い。


浅いのだ。

あまりに、

対処しなければいけない力に対して考えの底が。


「加えて、あいつはこっちの攻撃を無効にするだけじゃない。どんなに防ごうとしても、あいつからの攻撃は必ず喰らう。単純さ。あいつが有効だとさえ決めさえすれば、どんな攻撃も防御不能になる。あいつの決定は、何がどうあろうと覆らない。まさしく絶対の決定なんだよ」


断定的に亜生はそう言い切ると、

ことさら厳しい目つきで太知の目を覗く。


言わなくとも伝わる意思。

声にせずとも伝わる意思。


すなわち、

腹を決めろということだ。


このメチャクチャな力を持つ敵を相手に戦えと。


しかも、勝てと。


刹那、


強烈なめまいを感じ、ふらつきつつ、天井を見上げた太知は無意識、

ぼそりと、しかし苦々しくつぶやいた。


「……そんな、デタラメな話って……アリかよ……」


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