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悪魔は蒼ざめた月のもとに  作者: 花街ナズナ
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目覚める魔性 (6)

宗政の悲鳴が長大な部屋中を満たしたのは二度。


限って二度。

以降、宗政が大きく声を上げることは無かった。


ちょうど二度目の悲鳴から少し。

太知の意味不明な質問……いや、これを質問と考えるかは難しいところか。


とにかく、

ふたつ目の問いらしきものを太知が、床を這って暴れる宗政にかけてからしばし、


言葉としての返答が無かったのが原因か。

それとも、どう反応しようと彼の行動は変わらなかったか。


そこも太知にしか分からない。


だが、

結果だけなら見ることは出来た。


突然に両足を奪われた恐怖と、その両足が何故か宙に浮かんで血を垂らしているという異様極まる光景に、精神が壊れた宗政は他に成す術も無く、ただ悲痛に喚くばかりだったが、


転瞬、

ぷつりと声が止む。


代わりに、

衝撃音。


太知から見て左。

左側の壁から。

鈍く、重いものがぶつかる音。


正体は、

壁に激突した宗政。


わずかとはいえ、部屋を振動させるほどの勢いで左側の壁に叩きつけられた音。


しかし何故?


見えた様子だけなら、まるで宗政の体が勝手に左の壁へと飛んで行ったようだった。


そして衝突。

石の壁と。


激突の衝撃によるものか、顔を見ると無残なことこのうえない。


頭部に傷でも受けたのか、顔中に頭から血が吹き零れ、目も開けられない状態。

よく見れば左の頬は腫れ上がり、だらしなく開いた口からダラダラと血を流している。


すると、


「……てめえがバカでかい男に、横っ面をぶん殴られる確率は……いくつだ……」


またしても太知の声。

またしても不可解な問い。


では、あるが、


唯一、

その場でその意味を理解しているものがいた。


亜生。

人の皮を被った悪魔。


彼女だけが、すべてを理解していた。


理解し、震えていた。

起きるはずの無いことが起きている現実に。


最初は少なくとも、予感。


太知がガントレットによる無数の攻撃を受けなかったこと。

この時点では、まだ確立の範囲。


フェイト・ヘイトを全力で使えば有り得なくはない。


相当に、

相当に有り得ないが、それでも、有り得なくはない。


確率の問題である以上は。


ところが、


宗政の両足が引きちぎられた時、

亜生の予感は確信に変わる。


ハインド・ハウンド。


太知が使ったのは、紛れも無くハインド・ハウンドの力。

実体化こそしていなかったが、行使した力は間違い無く。


さらに、

今度はジャイアント・ジャック。


これも実体化はしていないが、使われた力の性質からして疑い無い。


疑い無い、だけに、

亜生は目を見開き、それを見ていた。

もはや全身から吹き出る冷や汗に濡れて。


確率ではない。

確率でどうにか出来る事ではない。


断じて。


持ってもいない力を行使するなど、

いくら確率を自在に操れようと、不可能な領域。


それなのに、

太知は実行している。


あるはずの無い力を使い、宗政への攻撃を続けている。


と、


ふいに、

目にした。


太知の髪。


黒々としたその髪。


それが、

グラデーションの変化。


色を失ってゆく。


黒から消炭色。

消炭色から灰色。


灰色から……、

ついには、


白。


自分と同じく、


年老い、生気も抜けたような白。

燃え尽き、朽ちた骨のような白。


そんな、

口を挟む余地などハナから無い、殺意と恐怖で緊迫しきった場に、さらなる変化。


血みどろで壁にもたれかかるように倒れ、もはや声を出す力も無くした宗政が、浮く。


ゆっくりと。

壁伝いに。


始めは立ち上がったのかとも錯覚した。


したが、

すぐに気付くこと。


宗政はもう立ち上がれない。

立ち上がる、足が無い。


その宗政が、本来の身の丈ほどまで体を伸ばしたとするなら、これはもう、

浮いているとしか言えない。


事実、浮きあがった宗政の体は、元々あった足の高さより高く位置し、両足の膝下……削り取られたように雑な切断面から、なおもおびただしい血を吹き出し、ボタボタと床に血溜まりを作っている。


そこで、

はたと見れば、宗政は宙空で何やらもがいていた。


膝から下の無い足をばたつかせ、体をよじり、両手で首元を掻き毟りながら。


これも、

即座に何が起きているかを亜生は理解する。


ハンギング・ツリー。

首括りの樹。


使えるはずが無い。

使えるはずが無い、が、


それを太知が使っているのは明白だった。


宙に浮く宗政の様子からして。


目に見えぬロープで首を吊るされているかのように、しきりに首元を指でまさぐっている。

解けるはずの無い、ハンギング・ツリーの力から逃れようと。


顔は鬱血し、全体が呼吸困難で青紫色に変色。

こめかみの血管は浮き上がり、頭部の傷や、鼻からの出血もおびただしい。


苦しさからだろうが、沖に上げられた魚のように口をやたらパクパクさせているが、その口からも、泡状の血をゴホゴボと耳障りな音を立てて吐いている。


この状態が続けば持って、数分。

宗政の命。


それでもまだ楽観的な数字か。

下手をすれば数秒と持たないかもしれない。


だというのに、

太知に力を止める様子は見えない。


とはいえ、

亜生はそんな太知を止めなかった。


いや、

止められなかったというべきか。


背中からだけでも強烈に伝わってくる太知の気迫に負け、声をかけることすら出来ないというのが実情。


だから見ていた。

黙って。


見ているしかなかった。

太知の凶行を。


「……便利だな……」


ふと、

太知は言葉を漏らす。


「こんな時……多分、てめえみたいなやつは自分のやったことも平気で棚に上げ、恥知らずな命乞いをするもんなんだろ……?」


そう言い、太知はひどく疲れたような溜め息をひとつ吐くと、少しばかりの間を置き、


「聞きたくねえんだよ。そんなもん」


言葉を続ける。


「もちろん、命乞いなんて聞いても助けやしない。しない……が、そうだとしても聞きたくねえんだ。不愉快なんだよ。言い訳だの、命乞いだの、そんなものされたら、命が……」


途端。


そこまで言うや、

太知は声を詰まらせた。


しばし。

次に話し始めるまでには露の間しか空けなかったが、


変化は歴然。


抑揚の無い、無感情だった太知の声が、明らかに感情で満ちる。


一声、


「……それじゃあ、針子の命が……値引きでも、される……みたいだろ……」


ここに至り、


聞き取れる。

感じ取れる。


それまで、怒りや憎しみ、恨みといった破壊的な負の感情が先行していた太知の心に、


悲しみ。

狂おしいほどの悲しみ。


そうしたものを抱いたのだろう。


そして漏れ出した。

声に乗って。


抑えきれなくなった悲しみが、堪えきれずに口を出る。


瞬間、

亜生は変わり果てた太知の背中に、うずくまって泣いている子供の姿を見た。


太知の感情が伝播し、見せた幻影だったか。

実際のところはもう分からない。


何故なら、

ほんの一瞬であったから。


太知の抱いているであろう感情の変化。


刹那、


「……だから……てめえは……」


続けた言葉を最後、


再度、戻る。

混沌とした破壊感情。


声音は抑揚を失い、代わりに、

骨の髄まで凍りつかせるような響きを取り戻し、


「この世に生まれてきたことを……心の底から後悔しながら……苦しみ抜いて、死ね!」


言った。


刹那、

宗政の首は左へ90度の角度で即座に曲がると、


ぴたり。


動きを止める。


今まで必死に自分の首へ当てていた両の腕を力無く、ぶらりと垂れ下げて。


首の可動域を完全に超えて折り曲がったその様は、それだけでも十分に気味の悪いものだったが、加えてしばらく、呼吸が完璧に止まった後も、脳はしばらく生きていたらしく、微かに見開いた目がキョロキョロと動いていたのは、まともな神経の人間が見たら卒倒するおぞましさだったろう。


が、

その時間もたかだか数秒。


長くても数十秒。

結局は絶命する。

放っておいても。


両足からの失血か、頚椎損傷による呼吸不能で、間違い無く。


なのに、

太知は力を止めない。


宗政の体を見えざる縄で宙に浮かせ、静かに揺れるその様子を見つめている。


一方、亜生もまた、

かける言葉も無く、

すべき動きも無く、


ただ、太知の後ろ姿に、黙ってその目を向け続けていた。


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