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悪魔は蒼ざめた月のもとに  作者: 花街ナズナ
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目覚める魔性 (5)

一度はサヤの思いがけない動きに驚き、少しばかりの動揺を見せた宗政だが、以後は至って平静だった。


太く肥え、どっしりとしたその体躯に似て、彼は基本、冷静で思慮深い。

口数が多く、大味な思考しかすることがなかった東吾とはちょうど対極。


無口で、高い洞察、判断、思考力を持つ加虐嗜好者。

それが法野宗政という男。


だから今、近づいてくる太知に対しても沈着だった。


彼の思考としてはこう。

東吾の死により、太知はベイン・ペインの脅威からは解放されている。


となると、

完全な臨戦態勢。


フェイト・ヘイトによる脳梗塞ももう必要無くなったわけであり、いつでもそれをこちらに向け行使できるだろう。


だというのに、

宗政は乱れない。


ブラック・ラックやハインド・ハウンドと違い、目視だけで相手に影響を与えるフェイト・ヘイトは、本来なら宗政には天敵。


ところが、

彼はこれが自分にとってさほど脅威となり得ないと確信していた。


何故なら、

太知は東吾のベイン・ペインに対抗する際、わざわざ自分に対して力を使ったから。


もしフェイト・ヘイトが相手の肉体へ直接的な力の行使が出来ると仮定するなら、この行動は不自然。


東吾を直接攻撃できる力なら、それこそ東吾に脳梗塞なりを引き起こせば、容易に勝てた勝負である。


なのに、それをしなかった。


ということは、

出来なかったということ。


自身には可能でも、他人には直接的行使は不能。

間接的行使に限定される。


だとすれば恐れるほどではない。

ゆっくり相手の出方を見てから動けば済む。


それに、

下手に先手を打って、気づかれたくないこともあった。


それは、

亜生の粗忽。


少し頭を冷やして考えれば、すぐに分かる事実。


すなわち、

東吾がいなくなった今、自由になったのは太知だけではないということ。


亜生もまた自由の身なのだ。

その気になれば宗政を倒すことなど訳も無い。


何せ宗政は東吾と違い、ガントレット以外の力は持ち合わせていないのだから。

バグによってゲーム・キーパーの力を無効化するという芸当は無理。


よって、他の力を利用せずとも単純にゲーム・キーパーの力だけで亜生は宗政を倒し得る。


されど、

これは宗政にとっての幸運であるが、亜生は呆けてその事実に気がついていない。


しかも、

太知もまた、明らかに冷静さを欠いているためか、このことに気がついていない。


ふたりのうち、いずれかひとりでもまともに頭が回っていれば、宗政は瞬殺される運類にあったわけだ。


そこに幸運。

ふたり揃って、間抜けなことに自分たちの絶対的優位を忘れている。


となれば、宗政の取るべき作戦は簡潔。


亜生と太知、どちらにもそれを気づかれぬうち、太知を殺す。


如何に亜生がゲーム・キーパーだとはいえ、残りの対戦相手である太知が死亡したのでは勝敗を覆すことは出来るはずもない。


二対二で始まり、双方ともにひとりずつ死亡。


つまりは、


生き残ったほうが勝ち。

死んだほうが負け。


恐ろしく単純な図式の完成。


そのため、宗政はひたすらに耐え、待った。

太知が自分の攻撃範囲へ入るのを。


射程圏に入ってくれれば、そこで終わる。


こんな状況だけに、自分の趣味は横に置いておこう。


確実に殺す。

一瞬で全身をバラバラにする。


サヤの時のような力加減は一切しない。

数百の鞭で、五体を無数の肉片に変えてやろう。


そう思うと、宗政は普段なら長い時間を掛けて相手を苦しめる楽しみとはまた違った喜びを見出して口元を笑みで歪めた。


馬鹿な獲物の、死への前進を眺めながら。


自分たちの重大なミスにも気づかず、何を考えたのやら、とっくに息の絶えたサヤを両手で抱きかかえて無防備に接近してくる太知の、数秒後の姿を想像して。


ところが、

あと少しでガントレットでの攻撃が可能になるというところまで太知が近づいた時、


ほぼ確定した我が身の勝利に、余裕すら感じ始めていた宗政の心境は、ほどなく一変する。


ふと、

歩いてくる太知の口から、何やら聞こえてきたのをきっかけに。


始めはブツブツと何かをつぶやいているのだけは分かったが、内容までは聞き取れなかった。


それが、

徐々に聞き取れてくる。


「……いくつだ……」


最初、聞き取れたのはそれだけ。


続き、


「……の確率は、いくつだ……」


繰り返す。

言葉を。


そうしながら、なおも近づいていた太知が突然、目を向けた。


それまで、うつむき加減でどこを見ているかも分からなかった目を、

宗政に、向けた。


途端、

崩壊する。


完成間近だった宗政の、勝利への確信が。


その時、

太知の目を見たのは宗政ただひとり。


だからその目がどんなものであったかを語れるのは宗政しかいない。


が、

不可能。


語れない。


説明など到底無理。


何故なら、

宗政は太知のその目を表現するための言葉を持ち合わせていなかったから。


否、

より正確に言うなら、


宗政に限ったことではない。


まさに言語に絶するという形容の通り。

名状するなど誰にも出来ないだろう目。


それでも、

あえて言葉を尽くすとしたら、その目は、


もはや目ではなかった。


人の目でも、

獣の目でも、

ましてや作り物の目でもない。


目という分類に入らない何か。


そんな、得体の知れない何かが、眼球の代わりに太知の眼窩に収まっている。


底知れぬ闇のような色をし、絶対的な意思、

敵意。

悪意。

殺意。

害意。


ありとあらゆる破壊的な衝動を、闇の淵……深淵にも見えるそれから撒き散らして。


刹那、

太知の、すでに視線と呼ぶことすらできないそれを受けた宗政は、一瞬にして積み重ねていた理性のすべてを失い、本能に準じた。


すなわち、

生存本能。


理由は分からない。

分からない。が、


強固にして明解、かつ経験したことが無いほどの強烈な恐怖によって、半ば宗政は動転したように、自身のもっとも深い部分にある意思に従った。


殺される。


殺さなければ殺される。


ただそれだけの思考に頭を埋め尽くされ、動く。


頃合い良くというべきか、その時にはちょうど太知はガントレットの攻撃圏内に入っていた。


そこで転瞬、

展開されたままであったガントレットが、動く。


左右の壁に整然と並ぶ22体の鞭持つ鎧。

それらが一斉、振るった。


幾百の、残酷なる棘鞭の雨。

降り注がせる。


皮を裂き、肉を切り、骨を断つため。

加減無く、全力で。


太知と、太知の抱くサヤの体も含め、跡形も無く破壊する。

その一念。


拭いようも無い、強烈な恐怖を忘れようと、そこだけに集中した。


(殺してやる)という、強気の意志を、

(殺されたくない)という、胸中の本心に覆い被せて。


と、

起こる。


凄まじい風圧。

耳を裂く破砕音。


そして、

視界を根こそぎ奪う、広範な砂埃。


それは本来、副産物としてのもの。


棘鞭に砕かれた石造りの床が、微細な粉塵となり、まるで立ち込める煙のように室内の一角を覆い尽くす。


太知が、

太知が、いたであろう場所を完全に飲み込んで。


どうなったのか。

予測はひどく容易だ。


これほどの大規模な破壊。

事前に宗政がそうしようと思っていた通り。


原形などひとつも残さず、肉の微塵と化した。


そう予想するのが道理。

そう想像するのが道理。


ちょうど、この光景を宗政の反対側から見ていた亜生も、目を見開き、最悪の結末を思い描いていた。


ように、

思えただろう。


誰か第三者がもし、この時の亜生を目にすることが出来ていたなら。


そうとしか受け取れなかったろう。

彼女の様子からして。


深刻な表情をし、煙る粉塵も気にかけず、見開いた目を真っ直ぐに正面へ向け、

頬に冷や汗を流し、全身を微かに震わせいるその姿からは。


ところが、

これら亜生の身体的反応が示すものは、まったくもって違う意味合い。


太知の死を確信し、反対方向でゆっくりと失せてゆく砂煙を見つめる宗政の、嫌らしい笑みが表すものとは異なる。


しかし、

その事実を知るのは、亜生本人のみ。


事態はただ、進展してゆく。


今、本当には何が起きているのか。

その真実を知り、身を震わす亜生を置き去りにして。


静かに晴れゆく粉塵に次第、回復してきた視界へ、何が映るかを宗政は予想を通り越し、半ば幻視していた。


血染めの床。

指先ほどの大きさに刻まれ、撒き散らされた肉片や骨片。

衣服の残骸も確認できるかもしれない。


そんなものを、

絶対的な勝利の愉悦でのぼせた顔に、狂った笑みを張り付けて宗政は見ていた。


頭の中の想像図。

それをまだ晴れ切らぬ視界に重ね。


だが、

瞬時、

墜ちる。


正から負。


現実に、

ようやく見え始めた目の前の光景。

その、あまりに理解を超えた光景。


目にし、宗政は錯覚などでなく確かに、自分の神経が瓦解する音を聞くことになった。


見えたのは、

太知の姿。


サヤを抱き、立つ太知の姿。


先ほどと何らの変化も無く、直立する太知の姿。


さらに見れば、

状況の異常さがより浮き彫りとなる。


戦慄するような異様が。


太知の立っている石造りの床。

そこだけ、

そこだけが、

刳り抜かれたように太知のいる場所のみが例外。無傷。


粉々に砕かれた周囲から隔絶。

被害ゼロ。


これを見て、

宗政はほとんど混乱に近い疑問と恐怖で思考が迷走した。


何故?

何故だ?

何故あれだけの数の攻撃がかわせる?


それとも当たらなかった?

あれだけの数の攻撃が?


どちらにしても有り得ない。

一点に集中させた数百の鞭がひとつとして命中しないなどということは。


思い、改めて目を凝らし、目の前に広がる現実感の無い光景を確認していると、そんな宗政の耳にまた、声。


太知の声。


地獄の底から響いてくるような、低い、恐ろしいまでの威圧感を持つ声。


「……てめえの攻撃が、すべて外れる確率はいくつだ……」


ここで始めて気づく。

ずっと、太知がつぶやいていた言葉。


とはいえ、知れても訳が分からない。


ただし、

続けてつぶやかれていた太知の言葉の意味を考える時間は、


瞬間、

永遠に失われる。


「それと……」


一言。

太知がそう言ったのが聞こえた時、


急に、

宗政は両膝の下辺りに大きな衝撃を受けてその場に倒れた。


いきなり足を何かですくわれたように。


驚いたのは言うまでもない。

何が起きたのかさえ分からなかったのだから。


されど、

この時に感じた驚きなど、直後に受けたショックとは比べようも無い。


固い床に尻もちをつき、尾骨から腰の辺りが痺れる痛みを感じつつも、宗政は自分の足元で何が起きたのかを確かめるべく、床へ直に座った姿勢から上半身を起こし、足元を見た。


そこが分岐。


すべてが終わる。

もしくは始まりか。


ともかく。


急転、

部屋中に反響するような、凄まじい叫び声を宗政は上げる。


理由は、

見たから。


自分の足元を。


いや、

自分の、足を。


膝から下、

失われた自分の両足。


それはあるべきはずの場所を離れ、

切断されて宙に浮き、粗い切り口から鮮血を滴らせ、すぐ自分の目の前にある。


再び、

宗政は絶叫した。


声を限りの悲鳴。


理性は消し飛び、思考の余地など無い。

とうに精神は崩壊している。


その耳に、

もう、何を聞こうと判断など出来なくなったその耳に、


「てめえの両足が、犬に喰われる確率はいくつだ……」


知らぬ間、より接近していた太知の、骨をも凍りつかせるような、冷たい声が響いた。


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