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悪魔は蒼ざめた月のもとに  作者: 花街ナズナ
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目覚める魔性 (4)

抱いている感情を読み取る能力。

天使なら、すべてが基本的に備えている能力。


だから亜生も持っている。


悪魔と呼ばれる以前は天使であったわけだから当然だろう。

そのことについては以前、太知にも話した。


だが今、それを気にかけているのは太知ではない。


亜生、本人。


日常的な感情の機微なら、読み取るものも別段、大したものではないから気楽なものだ。


実際、楽しんですらいた。


太知が最初にゲームに関する説明をした際、心底から自分の力の一部……フェイト・ヘイトを手放したいと思っているのを感じた時。


学校へ姿を変えて入り込んだ際、絡まった糸のように複雑な怒りを太知から感じた時。


無理やりに手を取り、太知と連れ立って学校へ向かっている際、背後からサヤの、嫉妬に薄く濡れた悲しみを感じた時。


どれだけ長く人間と関わってきたか自分でも忘れかけているが、この楽しみは色褪せない。


些末な、しかしそれだけに人間らしい感情の動きを観察する行為。


読まれる当人たちからすれば悪趣味極まりないと不快感も露わにするだろうが、知恵を源泉とする感情をほとんど持たない亜生にとって、これらは単なる娯楽に過ぎない。


好奇心を満たし、喜びを与えてくれる。

気に入りのオモチャに対する子供の感情と同じだ。


しかし、


あくまでそれは日常レベルの感情に限られる。

度を越せば、薬も毒に変ずると例えるべきか。


少なくとも今、

亜生はこの場にあって、人の感情を楽しんではいなかった。


中でも、ひときわ厳しいと感じられたのは、

太知の感情。


前置きするが、こぢんまりと、かつ単純なそれではない。

ありとあらゆる負の感情が入り混じる黒い混沌そのもの。


怒り。悲しみ。恨み。恐れ。


それらがどれひとつ混ざり合う事無く、まさしく混沌として太知の心を占めている。


その不快さたるや、まさしく筆舌に尽くし難かった。


強烈な負の感情は一種類でも十分、心へ重い負荷を掛けてくるというのに、それが手を替え品を替え、幾種もが意識に爪を立てて苛んでくるのだから、並みの精神的苦痛ではない。


堪らず、さしもの亜生もこの状況でばかりは感情を読み取る力を弱めた。


人間ほどでないにせよ、感情を持つ亜生からすれば、これは賢明な判断だったと言えよう。


感情を揺さぶられることによる思考力の低下は、この緊迫した状況下では命取りにもなりかねないと判断した結果の行動である。


そして、

これも結果としてだが、亜生のこの決断は後に彼女自身を救うことになる。


繰り返すが結果として。


もし、偶然にも亜生がこう決断を下していなかったなら、


恐らくは、


いや、まず間違い無く、


亜生も正気を失っていただろう。


確認しておく。


亜生ではない。

亜生である。


さておき、

見るに堪えない太知の感情を覗くのを抑えたからといって、太知の動きまでもが止まるわけでなかったのは言うまでもない。


背中から視認できるのではと思うほど濃密に漂う殺意を撒き散らしながら、今しがた足元から拾い上げた大きな石くれを持ち、どこか不自然な足取りで東吾へと向かっている。


この様子を見つつ、亜生は亜生で思索を巡らしていた。


感情を読み取るまでも無く、太知の東吾に対する殺意は疑いようも無い。

加えて太知の性格からするに、サヤの救命を第一に考えているだろう。


となると、

不利な戦況を打破し、一気に短時間でゲームを終了させるため、確実に東吾を殺す。


そう太知は行動するのが、亜生には確信できていた。


無論、亜生はそれを止めようだなどとは微塵も考えていない。

先のことは別として、今はまず太知が勝利してくれなければ困る。


自分の利益のため。


出来得れば、亜生も助太刀したいところだったが、もうこれ以上、力を重複して使うのは難しいという現実がそれを阻んだ。


今、使っている力はゲーム・キーパーとジャイアント・ジャックのふたつ。


他にも実戦向きな力はいくつか持っている。


が、使えない。


ネックとなっているのはまたしてもゲーム・キーパー。

他の力に比べ、意識を集中させる部分がやたらと多い。


力は意識でコントロールする。

逆を言えば、意識が散漫になっては力を使うことが出来ない。


思い返してもらいたい。

東吾はベイン・ペインを使った状態から、さらにブラック・ラックを出現させた時のこと。


太知はそれまで感じていた苦痛が、わずかに和らいだのを感じた。

これが真実。


力は複数、持っていたとしても、それを扱うための意識が伴わなければ使用できない。


そのため、ふたつの力を同時に使うことで集中力を欠いた東吾の意識が、ベイン・ペインの威力を弱めてしまったのである。


ここで話を亜生に戻す。


悪魔の意識は人間などよりもはるかに強力だ。

複数の力を自在に操るくらいはそう難しくは無い。


はずなのだが、

そこで問題となるのがゲーム・キーパー。


この力は、参加者すべてに対して意識を分散させる必要があるため、他の力と比し、異常に集中力を酷使する。


現在、残っているゲーム参加者は全部で五人。

これだけでも同時に五つの力を使っているのと同じ負担。


そのうえジャイアント・ジャック。

亜生もまた、この時点で限界。


限定された条件下でのみながら、絶対的な威力を持つゆえにリスクも大きい。

それがゲーム・キーパー。


こんな大事な局面でその不都合が想像以上に足を引っ張る形となった事態に、亜生が内心で歯噛みしていたのも無理からぬ。


そんな、

天使との戦い以来の強い無力感を感じつつ、ただ亜生は東吾に向かって前進を続ける太知を見守るより他無かった。


実際の時間としては急速に展開している事態にもかかわらず、どこか呆けたように。


と、


半ば流れに身を任せ、亜生は太知がこれからするだろうことを先に思い描き、そのように目の前の光景が進行するものと信じ切っていた。


まさにその時、


想定もしていなかったことが起きる。


ふと背後に風圧を感じたのが始まり。


次の瞬間には、もうすべてが終わっていた。


横をすり抜けた黒い影。


その速さに吃驚する間も無く、

影の存在を感じた時にはもう、


眼前の光景は一変していた。


正面に立つ太知に隠れ、はっきりとは見えなかったものの、東吾のいた場所辺りから、大量の血飛沫が舞い上がるのは確かに見えた。


黒い、巨大な影の隙間から。


そして、

これらによって亜生は即座、何が起きたのかを知る。


サヤの、献身を。


およそ最初の段階で、亜生はサヤと宗政とでは、サヤが若干、力の性質からして不利だと読んではいた。


いたが、あえてそれでも亜生は宗政の相手をサヤに任せた。


理由は戦略的問題。


当初、東吾にゲーム・キーパーの力が通用しないのを確認した時。

この時点で亜生が知り得たのは、東吾があの天使からもうひとつの力を得ているだろうという推測のみ。

力の種類までは特定できていなかった。


ここが重要。


特定以前の時点では、少なくとも亜生の中で三通りの可能性があったのである。


天使が現在、持っている力は全部で三つ。

ひとつは、殺したうえ体まで奪った無草明光の力、ブラック・ラック。

ひとつは、同じく殺して奪った和己新平の力、シャムロック・シャワー。

最後に、天使自身が元々から持っている力。


これが懸念だった。


前者ふたつの力については、サヤでも問題無く対抗出来る。


さりながら、

最後のひとつ。


天使自身の力については戦うどころか勝負にすらならない。


勝負にすらならず、確実に殺される。


この可能性……現実的には天使が自分の持っている力の中でも、もっとも強力な力を人間風情に貸し与えるなど、まず有り得ないとは思っていたが、だとしても有り得ないとまでは言い切れない可能性を考慮し、まだ勝負が成立するだけマシな宗政のガントレットとぶつからせた。


だが、いざ戦ってみれば東吾に与えられていた力はブラック・ラック。

結果論でしかないが、これならサヤは東吾とぶつけるべきだった。


ブラック・ラックとハインド・ハウンドの相性なら、サヤの勝利は動かない。

対してガントレット相手では、勝率三割がせいぜい。


そして見事、残り七割に当たってサヤは現在、瀕死の重傷を負わされている。


戦術上、致し方なかったといえ、自分の読み違えによって半死半生となったサヤを思うと、亜生は自分を責めずにいられなかったが、そんな亜生の思いよりも、

サヤは、より先。


自分の為し得る役割をなお、果たそうとしていたことに気づき、亜生は愕然とした。


とうに満身創痍。


意識があるかすら怪しい。そんな状態で、

サヤは放ったのだ。


文字通り、すべての力を出し尽くして。


始め、その行動に一番驚いたのは宗政だったろう。


もう力を使おうにも、途切れかけの意識ではそれも出来まいと高を括っていたところに突然、ハインド・ハウンドが素早く動いた時、宗政は大袈裟でなく、狼狽した。


あれだけの攻撃を受けて、

これだけの重傷を負って、

まだ向かってくるのかと。


しかし、

影の犬は、何故か対峙している宗政を無視し、反転して倒れ込む太知の脇を走り抜けると、まさかこの状況から襲い掛かるものなどあろうとは思っていなかった東吾へと飛びかかった。


瞬間、

突然の襲撃で驚きの声を上げる暇も無かった東吾に影の犬が重なるや、ごく短い悲鳴を上げるのが限界だったようで、その場へ倒れ込むと同時、東吾は何ら抵抗らしきことも出来ず、獣の力を前に恐ろしい勢いで引き裂かれる。


多量の血飛沫を巻き上げて。


影の犬は倒れた東吾へのしかかり、獰猛に牙と爪を振るって蹂躙した。


と、次第に、

わずかにも動いていたその体は動きを完全に止め、


また違う音が響く。


決して大きくは無い音。

だが、決して聞き逃さない音。


鈍く、耳障りな摩擦音に混じり、何か湿気ったように固いものが砕ける音。


その場でその音を聞いたのは3人。

亜生。太知。宗政。


その誰もが、すぐさま今まさに聞いた音の正体を知った。


倒れた東吾から身を離し、身を起こした影の犬を目にして。

喰いちぎられ、その口へと咥えられた東吾の首を目にして。


ここに至り、

戦況の難解さに焦燥していた太知が、事態の急変に合わせるかの如く、急速にその感情を変質させつつあった。


驚きや恐怖が綯い交ぜになった表情を、憤怒の仮面で隠していた顔に映して。


その間、

切断された首元からなお、鮮血を滴らせるその首を鋭い牙で刺し貫き、どこか誇らしげにそれを天へ向けて差し上げ、止まる影の犬を太知は見ていた。


しばしの間を置き、その影の犬が、

霧が晴れてゆくようにその姿を薄れさせていったと思うや、完全に消え去るまで。


それから、


宙に浮く形で床へと落下した東吾の首が、湿った音を立てて床に転がったのを合図にしてか、


途端、

太知はゆっくりと動き出した。


向き合っていた東吾の方向から首を回転させ、体を回転させ、視線を移す。


背後へ。


そこには、

まず亜生がいた。


さらに巨躯の男。ジャイアント・ジャック。


相変わらず黒い長方形の物体を押さえ込んでいるかと思ったが、どうやら知らぬ間にその物体は姿を消していた。


東吾の死を証明するように。

影の犬が、消滅した意味を教えるように。


そこまで。

そこまでで終わる。


真の限界は訪れた。


ここまでが、太知の正気が保たれた最後の時となる。


宗政へ向けた視線の端。

見えたもの。


うつ伏せに倒れ、微動だにしないサヤの姿。

全身を引き裂かれ、床一面に血溜まりを作ったその姿。


それを見て、

改め、太知はサヤのところへ向かい、歩き始めた。


亜生の横を通り、真っ直ぐに。


その時、

はたと気がついた亜生が、無防備な体勢でサヤに近づいてゆく太知に声をかけた。


「……お、おい太知、何するつもりだ?」


が、太知には聞こえていない。

いや、聞いていなかったのか。


亜生の言葉に一切、答えることなく、ただサヤの倒れている場所に歩を進めてゆく。


ところが、

太知は反応しなかったが、宗政は亜生の声で皮肉にも冷静さが戻りつつあった。


自分に襲いかかってくるものと一度は思ったが、サヤはハインド・ハウンドでガントレットに対抗するのは困難と判断し、息を引き取る寸前、あと一度が限度と感じた力の行使を東吾への攻撃に使った。


宗政の価値観には無い、利己の対極、利他によって。


結果、東吾は死に、太知は行動の自由を取り戻した。


しかも早速こちらへ向かってきている。


とはいえ、太知の力は大した脅威ではない。


聞いた話によれば、初戦の相手を落雷で倒したという話だが、それもこの密室内では役には立たない。


自然現象はもっとも偶然に左右される事柄。


その強みを利用できない状況下では、太知の力などたかが知れている。


そう、

少なくとも宗政の認識はそうだった。


太知自身ですらそう思っていたのだから、この認識も間違いとは言えない。


だからあえて、様子を見た。

太知がどう出てくるのかを。


されど、

結論から言うと、それは後に大変な間違いであると判明することになるが、物事というのは大抵がそんなものだ。


想像や推測が現実と符合しないことは珍しいことではない。


いずれにせよ、

静観を決め込んだ宗政であったが、彼が即、太知への攻撃に出ていたとしても起こるべき事象は何も変わらなかったということだけを付け加え、述べた上で話を戻すことにしよう。


この時、亜生はふらつくようにサヤのもとへと近づく太知の背中を見ながら、その感情変化を一種の好奇心を持って観察していた。


サヤのハインド・ハウンドが東吾を噛み殺した時、太知の抱いていた感情は嫌悪と驚きでほとんどが満たされていた。


それが今、


太知は何の感情も抱いていない。


虚無のような心で、静かにサヤに近づいてゆく。


のだと、

思えたその、瞬時。


異変は突如として始まる。


倒れたサヤとの距離が縮まるにつれ、太知の心に感情が浮かぶ。


浮かぶ?

違う。


それはそんな生易しいものではなかった。


例えるなら、

色の変化に似ている。


まったく色の無い状態から、徐々に灰色へ。

それがどんどんと濃度を増してゆく。


白から黒。


その変化に、亜生は恐怖すら覚えた。


あまりにも凄惨なサヤの姿を見、その生存が絶望的だと感じた時、

彼の心は、


闇のように黒く、染まった。


悲しみでも怒りでもない。


もっと純粋で恐ろしい何かに染まり、太知はようやくサヤのもとへと辿り着く。


靴底を濡らす血溜まりに躊躇無く屈み込み、膝に血を染み込ませながらサヤの顔を覗き込む。


微かに開いたままの目。

一切の血の気を失い、透き通るほど白く、色を無くした肌。

わずかに微笑んでいるように見える口元。


刹那、

太知は倒れたサヤの体を抱き起すと、両手で抱え上げた。


ベチャリ、と気色の悪い音を立てて、床から離れたサヤの体が太知の両腕に支えられ、その胸へもたれる。


そこからまたゆっくりした動作で、太知は立ち上がった。

床へ血を滴らせ、全身に冷えた血の染み込む感触を味わいながら。


顔は一切の表情を失っている。


ただし、


その目は、

その目だけは、


彼が凍てついた黒い感情に支配されていることだけを明確に示していた。


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