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悪魔は蒼ざめた月のもとに  作者: 花街ナズナ
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目覚める魔性 (3)

早足に、怯えた様子の東吾へ近づく太知がこの時、心中で大いに焦っていたことを知っていたのは恐らく、当人のみだったろう。


絶対的な不利から一転し、形勢を完全に逆転させた太知が、何を焦る必要があるのか。


誰しもそう考えるのが正常な状況。


ところが、

太知の視点は異なる。


何としても急ぐ必要があった。


まず、ベイン・ペインを無力化するため、限定的にも脳梗塞を引き起こしているということ。


脳の機能は、こうすればこうなると確実に言えるほど単純な構造ではない。


特に痛覚……痛みだけを感じなくするなどというのは脳の構造上、ほぼ不可能だ。

痛覚を司る体性感覚野が麻痺すれば、全身の触覚がすべて奪われてしまう。


触れたり、触れられたりする感覚も、暑さや寒さも、自分の体がどのように動いているかすら分からなくなるのである。


自分の足がどこにあるかも分からない状態で、歩いているだけでもすでに奇跡。


それを知られるわけにはいかず、太知は焦っていた。


これが相手に知れれば、再び形勢は逆転。

もう再逆転の目も残らない。


これだけでも甚大。

ゲームの勝敗を決定的にする。


そして、もうひとつ。

結論としてはそこに繋がる理由。


言わずもがな、ゲームに負ければ待っているのは死。

戦いが終わった途端、あのクソ忌々しい天使が命を奪いに来るのは明白だ。


が、極端な話、

太知は自分自身の命に関してはそれほどに頓着をしていなかった。


問題はサヤ。


現時点でも死にかけているというのに、もしこの後、運良く命を取り留めてもゲームに負ければ天使が改めて殺しに来るだけのこと。

結果は変わらない。


自分が死ぬのは自分の勝手。

そこは寿命だったと諦めもつけられる。


だが、

サヤについてはそう物分かりよく飲み込むわけにいかない。


今までも散々、自分に関わった人間を不幸にしてきた。

それをまたぞろ繰り返すのは耐えられない。


最悪、どんな手を使ってでもサヤだけは助ける。

自分自身を犠牲にしてでも。


不愉快な生より、納得ずくで死ぬほうがはるかに良い。

十四年の、短くはあるが密度だけは悪い意味で濃かった人生に学んだ経験による解答である。


だから太知は急いだ。

気付かれる前に殺す。

そう決意を固くして。


無論、問題はこれだけに留まらない。


東吾はふたつ持っている力を亜生と太知に振り分けて使っている。

一方、太知は自分で自分に力を使っている。


ここまでの条件は平等。

どちらも残る頼りは自分の体のみ。


不思議な力による攻防は一旦、膠着し、原始的な戦いに逆戻り。


といっても、別にそうした不自由が問題なのではない。


いや、

間接的にはそこが問題点とも言えるか。


状況は限り無く逼迫している。


今は太知が捨て身で打った(故意の脳梗塞)という奇手と、流れ上、偶然に感情を剥き出した太知の様相に、東吾が気後れしているからパワーバランスは太知たちの側へと傾いているが、これとてひどく微妙なバランス。


少しでも、こちらの弱みが見えれば一瞬で天秤は相手側に傾いてしまう。


ゆえに気を緩めるわけにはいかない。

ゆえに急いで事を為さねばならない。


察しの良い方ならもうお分かりだろうが、ここが最終問題。

太知は成り行き上、直接に東吾を殺す必要があるという点。


フェイト・ヘイトが自分自身に使用中で使えない以上、相手を無力化するにはそれ以外の方法は無い。


つまり、

法的に立証可能な殺人。

罪として裁かれる殺人。


どう転んだとしても警察沙汰は間違い無いだろう。


何せ、太知は手に取った石で東吾を殴り殺すつもりでいる。

普通の状況ならば殺すまではしなくても済むかもしれない。


しかし、

事態の緊急性がそれを許さない。


サヤは半死半生。

今すぐにでも医者に見せる必要がある。


ゲームに勝つのは絶対条件。

加えて、一秒でも早い決着が必須。


となれば手段を選ぶ余裕など無い。


万が一にも相手に勝ちの目を残さないため、東吾は確実に殺す必要がある。


とはいえ、

腹はとっくに決めていた太知も、東吾を殺すのにはいささか躊躇はあった。


言動、態度ともに虫が好かないやつだとは思っていたが、いざ殺すとなると殺すほどの動機としては弱い。


比べて、宗政には明確な殺意を抱いていた。


平気で女子ひとりを生殺しにするその神経。

太知でなくとも虫唾が走るだろうが、太知は虫唾どころではなかった。


全身を五分刻みに切り刻んでも飽き足らない。


それほどの、どす黒い激昂が太知の胸中には渦巻いている。


思えばそれも原因のひとつだったのだろう。

東吾に死を実感させるほどの殺気を、太知から感じ取らせたのは。


殺意の方向は宗政に向かっていても、殺気を帯びた視線を向けられたのは東吾。

怯えるのがむしろ正常の反応だ。


しかも、

太知は心理的に望んでいるかはともかく、実際に東吾を殺害する気でいる。


どういう形にせよ、自分を殺そうという意志も明らかに近づいてくる人間へ、恐怖しないほうが逆に異常だ。


おかげで太知の仕事は手早く済むように思えた。

恐怖で身がすくんだ状態の相手なら特に抵抗も受けず、容易に殴り殺せるだろうと。


そのせいであろう。


そうでなくとも、太知の精神は東吾に集中していた。

気付かなくて当然。


しかもそれは微細な変化。

重ねて、ごく俊敏な変化。

見落とすのがまず当たり前。


よしんば気付くことが出来ていたとして、それによって何かをどうにか出来たわけでもない。


太知が確固たる決断をしたのと同じく、彼女の決意も頑強であったのだから。


現象はまさに瞬く間だった。


気配を感じただろうか。

風でも感じただろうか。

何か音を聞いたろうか。


否。

そのどれも感じることなく、事は太知の眼前で起きた。


唯一、

瞬間的に視界の端へ黒い影が差したような、錯覚めいたものを見たのが最初にして最後。


刹那、

自分の目の前で起こったことを、太知は露の間とはいえ、理解出来ずに立ち止まる。


ただし、

その刹那の時が、すべてを終える。


ふと、

目の前が暗闇に包まれたかのように見えたと思った次の一瞬にはもう、


広がっていたのは、


大量の鮮血を撒き散らす東吾の体。

切り離された首。


かくして、

その首を咥える巨大な影。


獰猛な耀きに満つる青の双眸をこちらに向け、太知を見遣るその姿は、どんな野獣よりも人に原始的な危機感を覚えさせた。


何が起きたのか。


今、一瞬のうちに何が?


この単純にして難解な疑問に思考と体を縛られ、その場で目を見開いたまま立ち尽くす太知の眼前にあって、


しばしの時を置き、


巨大な影は霧のように薄れ、消えた。


消失してゆく、その顎から咥えた東吾の首を落として。


グチャッ、と、

生理的嫌悪を感じさせる音を立て、血塗れの首が床を叩く。


それを見つつ、

太知は、


激しく胸に込み上げてくる吐き気より強い、破滅的な自身の予測に、全身の血が逆流する錯覚を感じていた。


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