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悪魔は蒼ざめた月のもとに  作者: 花街ナズナ
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目覚める魔性 (1)

太知には両親の記憶が無い。


母親は彼を生んですぐに他界した。

父親もその一年後に死んでいる。


一歳と数か月だった彼に、それらを覚えていろというほうが無理なことだ。


とはいえ、

育ての親として文字通り、自分を育ててくれた父方の祖父母と、ふたつ違いの兄については嫌でもよく記憶している。


祖父母は努めて明るく自分に接してくれた。

だから実の親ではないまでも、親の温かみは人並みに与えられて過ごしたと思っている。


ただ、

常に違和感は感じていた。


ひどく陰気な兄の性格。

内向的に過ぎ、兄弟でありながら、直接会話をした記憶はそれほど多くない。


決して仲が悪かったわけでもないのに。


そうした性格が原因だったかは断言できないが、少なくとも幼稚園でも小学校でも、一貫して周囲から浮いていたという話は後になって人づてに耳にした。


そんなこともあり、祖父母は自分以上に兄には気を遣って接していたように思える。


無論、これも今になって思えばだ。

子供心に察せる範囲は超えている。


しかし、

もうひとつの理由。


これによって漠然と感じていた違和感は、太知の中で徐々に鮮明になっていった。


時たま顔を出す親戚の祖父母と交わす会話の中。


「ふたりともまだ小さいのに、可哀そうなことで……」

だの。


「両親を続けざまに亡くすなんて、本当に運の悪い……」

だの。


会話の断片から、自分や兄の身の上をうっすらとだが、少しずつ知っていった。


歳を重ね、

太知が小学三年。兄が小学五年。


思い返せば、この歳になるまでの約六年間が太知にとり、形ばかりでも平凡ながら幸せな日常の期間。


以降は、

思い出したくも無い事柄しかない。


友人もおらず、学校以外にはほとんど外出しない兄を気遣い、祖父がいつものように近所のホームセンターへと車で買い物に出かけたのが破綻の始まり。


夕方を過ぎても帰らないふたりを祖母が心配していると、かかってきた一本の電話で世界のすべてが暗転した。


そこからはもう形容し難い混乱だけ。

記憶も断片的にしか残っていない。


電話口で倒れ込む祖母の姿。

何だかは分からないが、異常を察知して近所の家に助けを呼びに行った。


祖母と隣家の夫婦に自分を加えた4人で病院に向かう際中、取り乱す祖母に必死で隣家の夫婦が声をかけていたことが、窓の外に広がる夜の景色と合わさって脳裏に焼き付いている。


そして、

決定的な記憶の断片。


がらんとした無機質な室内。

中央に布のかけられたパイプベッドがふたつ。

特に臭覚の記憶は強く結びついて離れない。


強い薬品臭。そこに混ざり込んだ何やら、吐き気を催させる異臭。

これも随分と経ってから知ったが、今になって思えば部屋に染み付いた死臭だったのだろう。


周りには大人がたくさんいた。

医者。看護師。警察官。


そんな彼らが、がやがやと話をしていたのだけは覚えているが、内容はまるで覚えていない。

というより、分からなかったと言ったほうが正しいか。


はっきりしているのは、


パイプベッドにすがって泣き崩れる祖母。

そんな祖母に話しかけようとした警察官へ怒鳴り声を上げる隣家の旦那さん。


最後に、

「坊やはもう見ないほうがいい……」


そう言って手をかざし、自分の目を塞いできた隣家の奥さん。

途端に視界は真っ暗になり、そこでぷつりと記憶が途切れる。


以降、

太知の中には明確な記憶と呼べるものが無い。


後にも先にも。


それ以来、現実はフィルターがかかったように鮮明さを失い、何もかもが空虚になった。


事故から半年を経ての祖母の死。

親戚縁者の家をたらい回しにされた三年間。


喪失した現実感は、その年月を太知にとって空白のように捉えさせる。


それでも、

部分的な記憶は間違い無く、今の太知を形成する要因となった。


渡り歩く親戚の家で何か不幸なことがあるたび、太知は次の家、次の家へと厄介払いをされ続け、その事実と過去の経験が合わさり、生まれる。


最初は恐怖。

形容し難い恐怖。


運命やら不運といった、対処の方法が存在しない問題。

恐怖を感じるのがむしろ自然なこと。


だが、

しばらくして太知の中に生まれた恐怖は激しく変質する。


恐怖から怒りへ。

人のおこないによってはどうにも出来ないという不条理に対して。


運命憎悪。

まさしく皮肉。


くすぶり続ける怒りを胸に抱えつつも、仕方なくそれを甘んじて受け入れてきた太知に、たまさか宿った力。


それがフェイト・ヘイト。

運命憎悪。


彼自身が何より忌み嫌い、憎しみ続けた運命を操る力。


「……な、何で……お前、立てんだよ……」


太知が立ち上がり、動きを見せ始めてからしばし、強烈に過ぎる恐怖で発することも出来なかった声を東吾はようやくに絞り出した。


すると、

同調したように亜生も口を開く。


「そうだ……ベイン・ペインの攻撃をまだ喰らっているとしたら……」


ここで、

亜生はちらりと東吾の様子を見、すぐさま確信して言葉を継いだ。


「何故、平気でいられる? ベイン・ペインで与えられる肉体的苦痛は加減無しならまず耐えられるような痛みじゃないはず……」


東吾の恐れ、うろたえた表情、態度からして、ベイン・ペインは今も太知に対して行使されているのは明白。


しかもこの慌てよう。

恐らくは全力を出してると考えて疑い無い。


そうなると、なおさらに……何故?


「……年代別の、脳梗塞の発症率を知ってるか?」


亜生、東吾からの質問を完全に無視し、今度は太知が語り出す。

誰に言うでもなく、独り言のように。


「通常、脳梗塞は中高年層に多い。対して五十歳未満での発症は極めて少ない。特に、十五歳以下については小児脳梗塞と言われ、非常に珍しいケースとして扱われる。が、言ったように珍しいってだけだ。確率はゼロじゃない。限り無く低いが、それでもゼロじゃない」


ここまで聞き、

当然ながら亜生も東吾も揃って首を傾げた。


何を話してる?

何が言いたい?


下手をすれば、本当にこいつはどうかしてしまったのかとさえ思ったが、それだけではベイン・ペインの攻撃を受けて平気でいることの説明はつかない。


ところが、

さらに続けられた太知の言葉によって、そうした疑問は瞬く間に払拭される。


「ベータ・エンドルフィンは知ってるよな」


突然、

今度の質問は亜生に向けて発せられた。


東吾に歩み寄る途中、もう横まで近づいてきていたところで、ふと顔を向けて。


「あ……と、確か脳内の神経伝達物質のひとつだ。鎮痛効果はモルヒネの約7倍。主に長時間の苦痛に対して分泌される……けど、それと脳梗塞に何の関係が……?」

「関係あるとも言えるし、関係無いとも言える」

「……?」

「ベイン・ペインは単に苦痛を与える力だろ? なら痛みを感じ無くすればいい。そう考えてベータ・エンドルフィンを脳から分泌させてみたが、痛みはそれほど治まらなかった。これはベイン・ペインという、実際の肉体内で起こる化学反応を介さずに発痛させるメカニズムが原因だろうとすぐに察しはついたさ。だから……」


そこまで言うと、

太知は一拍置き、一言。


「脳の……痛覚を司る体性感覚野への血流を止めて痛覚自体を麻痺させた」


この言葉を聞いて、亜生は、

瞠目して、しばし愕然となった。


正気の沙汰ではない。

完全なる狂人の思考。


確かにフェイト・ヘイトならそのくらいの確率は操れる。

操れは、するが……。


それを自分に対して使うなど、誰が考えるだろうか。


相手の与えてくる苦痛を防ぐため、意図的に自ら望んだ部分だけに脳梗塞を引き起こすとは。


発想のタガが外れているとしか思えない。


などと、

太知の、もはや気がふれているとしか思えないような行動に当惑する亜生をよそに、太知自身は話すことは話したとばかり、亜生から視線を東吾に向け直すと、また足を動かし始めた。


「バ、バカかあんたは! いくら限定的な血流の遮断でも、酸素欠乏による脳細胞の壊死は確実に進む! 長時間にわたってそんな状態を続けてたら、間違い無く取り返しのつかない障害が残るぞっ!」


悲鳴とも取れる。怒声とも取れる。不思議な叫び。


亜生のそんな言葉にも、太知は揺るぐことなく、歩みも止めず、静かに答える。


「なら、短い時間で決着をつければ済むことだろ? 別に問題なんてねえよ」


言い捨て、太知は亜生の横を通り過ぎると、真っ直ぐ東吾に向かう。

組み合ったブラック・ラックとジャイアント・ジャックをも通り過ぎ、ただ前へと。


「は……ははっ……お、お前、やっぱりおかしいぜ。どうするつもりだ? 確かに俺のベイン・ペインは封じたかもしれねえけど、そのためにお前も自分の力……フェイト・ヘイトを使っちまってる。力はひとつにつき、対象もひとつ。分散して使えるほど扱いは簡単じゃあない。となれば、力も無しで一体、俺をどう倒そうって……」


心に深く侵食した恐れは拭い切れていないが、それでもどうにか強がって東吾は言う。


言っていること自体はその通りだ。

そこについては横で聞いていた亜生も同じことを思った。


逆に言えば、その考えがあるからこそ東吾はかろうじて平静を装えているのだと分かる。


別方向に力を使っている以上、太知は丸腰と同じ。


この事実を拠り所に、東吾は着実に迫ってくる太知の恐怖からぎりぎりで逃れていた。


が、瞬間。


またしても東吾は言葉を言い切らぬうち、口を閉ざすことになる。


ふと、歩みを止めた太知が、その場へ身を屈めたと思うや、先ほどの亜生が起こした爆発によって砕け、足元に散乱している石のうち、特に大きく、鋭利な角を持つものを拾い上げ、


「……どうやって」

重さを確かめるように、軽く手に持ったまま上下させると、


「倒すか……?」

氷のように冷酷な声で、


「……(こいつ)で殴り殺せば……済むだけのことだろうが……」


言ったのを聞いて、刹那、


東吾は自分の意識が恐怖のあまり、吹き飛ばされるような幻覚を味わった。


と、同時。

強い……残酷なまでに強い死の予感を漂わせつつ、再び自分へ向かい近づき始める。


視界すら歪む狂気と、明確な殺意を纏った太知が。


これも皮肉。

こと、ここに至って東吾は知った。


力の種類によらず、

力の強さによらず、

絶対、敵に回してはならない人間がこの世にはいる。


それを、

敵に回してしまった今になって気づいた。


かくなっては、東吾の出来る事は限られる。


(死にたくない)。


怯え震える自分の体を押さえつけ、一心にそう念じ続けることだけ。


例えそれが、


どう足掻いてももはや避けられぬことだと分かっていても。


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