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悪魔は蒼ざめた月のもとに  作者: 花街ナズナ
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薄闇を血に染めて (4)


人というのは手前勝手だ。


都合が悪くなると……それも、とびきりに都合が悪くなると、もう対処の方法が見つからず、その場で足踏みを始める。


進退窮まるという言葉があるように、人間は行くも退くも出来ない状況へ陥ると、必ずそうした反応を示す。


(どうか、何事も無くこの場が収まりますように)などと、何の行動もせぬまま願うといった具合に。


とはいえ、

それもやむを得ない場合はある。


例えるまでも無く、今現在のサヤが置かれた立場がそれだ。


望んで展開したことなどひとつも無い。

すべてが自分の意思とは別のところで動いた結果。


正直、何故だろうとサヤは疑問すら感じていた。


突然、見知らぬ場所に連れてこられたと思ったら、悪魔を自称する奇妙な少女……亜生にそそのかされ、おかしげなゲームに参加させられた。


それがつい二日前。

最初にやらされたゲームに至っては、まだそれから一日しか経過していない。


内容については思い出したくも無い。


急に目の前に広がる光景が歪曲したかと思うや、奇怪なフィールドとやらに連れ出され、そこで見も知らぬ男子と戦わされた。


もちろん、殴り合いのケンカなどではない。

覚えているのは、いきなり目の前に立っていた男子が雄叫びのような声を発したと同時、突然どこからともなく現れた赤銅色の巨人が、自分を目掛けて突進してきたこと。


あまりの恐怖で声も出せなかったが、その恐怖心……危機感は本物だった。


本物だったからこそ、発現したのかもしれない。

持っている自覚すら無かったハインド・ハウンドという力が。


目にして知った事実は多い。


特にまず、恐ろしい勢いで突っ込んでくる謎の巨人に目を奪われていたはずが、ふと視界の端でモヤモヤとうごめく黒い影には瞬時に気付いた。


気付いて、

ほとんど反射的にその影へと目をやった時、飛び込んできたのが、自分の影が変質して出来上がった黒い、大きな犬の形をした影だった。


そこからは急展開。


自分の隣にこれも突如として現れた影の犬は、それこそ比喩でもなんでもなく、矢のように前方へ駆けてゆくと、無謀にも明らかな体格差のある巨人へ向かっていったのである。


この時の、サヤの心理はほとんど本能的なものばかりで、理性や理屈は見事に掻き消えていたが、思い自体はそれだけに純粋であった。


冷静に考えれば馬鹿げているが、この時、サヤはその影の犬を本気で心配した。


巨人に蹴倒されやしないか。

巨人に殴り飛ばされやしないか。


得体も知れない、犬の姿をした影に、不思議な感情移入をしていた。


ところが、

そうした心配は杞憂に終わる。


互いに全力で走り寄り、巨人と犬とがまさに正面衝突するかと思えたその瞬間、

いきなり、巨人のすぐ足元に迫っていた犬が、


消えた。


ように見えた。


が、

実際は極めて単純なこと。


大きなストロークで走り込んできた巨人に対し、影の犬は速度を落とすことなく突き進み、そのまま巨人の股の間をくぐり抜けていったのだ。


その事実を知ると、またすぐに変化。

事態が変わる。


先ほど、巨人の出現前に上がった雄叫びとは違う大音声が響いてくる。


途端、

接近を続けていた巨人が、ゆっくりと霞むように消えていった。


と、

そのおかげで開けた前方の視界に、サヤは見る。


大声の正体。

それは、


地面を転がりながら、影の犬にのしかかられるようにして責め苛まれている男子が、必死に抵抗を試みながら悲鳴を上げている姿。


これを見て、

サヤはここまでに感じていたものとは別の恐怖を感じた。


犬をよく知らない人間なら下手をすると見過ごしてしまうが、中型、大型犬の潜在的戦闘力は非常に高い。


じゃれる程度でも、加減について教えていない犬の場合には、人間に大怪我を負わせることが決して珍しくない。


それを本気となれば、掛け値無く命に関わる。

そこを幸か不幸か、サヤはしっかりと心得ていた。


だから止めた。

叫ぶような大声で。


「止めて、コロ!」


咄嗟だったせいだろう。


何も考えずに発した制止に、亡くした愛犬の名を当てはめたのは。


そのせいもあるだろうか。

サヤはこの影の犬が自分の制止を聞くとは期待していなかった。


ただ反射的に出た声というだけ。

それ以上については考えていなかったし、考える余裕も無かったから。


のだが、意外。


影の犬は反応した。

しかも、行動をともなって。


声を上げたのと同時、

倒れた男子に喰いついていた姿勢から素早く、影の犬は身をひるがえして顔をサヤに向けた。


そこでサヤは、ようやく見る。

影の犬の顔を。


揺らめく靄のような闇が犬の形を成し、その顔らしき部分の、さらに普通なら目のあるであろう位置に、青い炎のようなものがふたつ。双眸のように輝いていた。


そう、思った瞬間、


犬は駆け出す。

今度はサヤに向かって。


巨人に対した時と同じく、一直線に放たれた矢のように。


刹那、

サヤが身の危険を感じたのは無理も無い。


しかしそれはただ一瞬の感情。

というべきか、一瞬しか感情を固定する時間が無かった。


想像よりも、影の犬が自分のところへ到達するのが早かったのが最大の理由。


だが、理由はひとつではない。


もうひとつ。

瞬く間に足元まで駆け戻ってきた影の犬は、ぐるりと自分の周りを回ると、まるで定位置にでも収まるようにして隣へ寄り添い、そのまま止まった。


それはまさに、

訓練された犬。


訓練された犬のように。


これを見るに至り、サヤは、

憑き物でも落ちたように気抜けした。


理屈は分からない。

分かろうはずもない。


こんな非現実的なことを理屈で理解しようとしても無駄だということくらいは分かる。


ただし、

確信は持てた。


この影の犬は、

自分の犬だと。


そう思った時、


「おめでとう。初戦、見事に勝ち抜けだ」


いつの間にやら、どこぞに姿をくらましていたはずの亜生が横へふいに現れ、そう言った。


見れば、何やら底意のあるようないやらしい笑みを浮かべ、サヤを見つめながら。


そして、

「にしても、すぐさま止めたのは賢明だったね。ハインド・ハウンドの特性からして、もしあそこであんたが止めてなかったら、間違い無く相手は怪我どこじゃ済まなかったろうよ」


言いつつ、目配せをする亜生に誘われて視線を向けると、


そこには苦鳴を上げ、もぞもぞとのた打ち回る男子の、血に濡れた姿が目に映った。


その体験から一日。


今、目の前には前日に対戦した男子とは比べ物にならぬほど危険な雰囲気を醸し出す相手が、爛々と光る目を見開き、自分を凝視している。


なおサヤを左右から挟み込むように立つ、鞭持つ甲冑の群を従えて。


(出来るなら、戦いたくない)。

(戦う前から、勝てる気がしない)。


そんな思いを折れた心に浮かべ、サヤはただ無為に時間が過ぎてくれるのを祈った。


勝敗はどうでもいい。

何事も無く、無事に終わって欲しい。

そう願って。


さりながら、

皮肉だが、この世は叶わぬ願いのほうが圧倒的に多い。


サヤの願いも多分に洩れず。


双方の目が合い、サヤと宗政が対峙した時にはすでに、

早々にサヤの願いは破れる。


躊躇など無い。

逡巡など無い。


出会いがしらの時点で宗政の行動は素晴らしく明確だった。


すなわち、


恐怖に立ちすくむサヤ目掛け、左右を固めた甲冑の群れに、無言の攻撃を命じたのである。


刹那、

風を切り、無数の棘鞭が振り上げられると、


一斉、


体勢も整わないサヤに、まさしく破滅的な挟撃が襲い掛かった。


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