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悪魔は蒼ざめた月のもとに  作者: 花街ナズナ
32/55

奇異なるゲーム、再び (5)


「……で、最初に……した質問の答えは……?」


変わることなく……というより、確実に状態は悪化しているのが見て取れる様子で、太知は苦しげに、冷や汗の伝う頬を震わせ、最後の問いを口にする。


が、


「はーい、そこまで」


ここまで大人しく太知らの話を聞いていた東吾の、急な一声をきっかけ。


かろうじて痛みにも耐え、口をきく程度ならどうにか出来ていた太知が再び床へ突っ伏した。


石の床と、頭蓋のぶつかる鈍く、響く音を立てて。


「無駄口きくのはそこまでにしとけよ。お前はそこで大人しく寝てりゃあそれでいいんだ」


そんな太知の様子を見つつ、東吾は付け加えるように言葉を吐いた。


すると、


「車輪くんっ!」

太知へ寄り添っていたサヤが声を出す。


今回、発したのはもう完全に悲鳴。

いや、そこも通り越して慟哭にさえ似た叫び。


第三者としてはごく自然な反応。

この時の太知が見せた苦しみようを目にしたら、サヤでなくともまず動揺はするだろう。


半端な苦しみ方でなかっただけでも大きかったが、それよりなにより、


吐血。

再度の吐血。


これが何よりショックを強めた。


もちろん、ショックを受けたのはサヤに限ったことではない。

亜生も然り。


そして当然、太知本人。


しかも、当人のみにしか知り得ないことであったが、この時、太知がベイン・ペインによって与えられていた激痛は、尋常の域ではなかった。


いや、激痛などという生半可な表現では足りない。

死にそうなほどどころではなく、死ぬほどの痛み。


しかしそれでも言い切れている感は無い。


ならば、塗炭の苦しみ?

または、水火の苦しみ?


頭の中で意味も無く適切な言葉を探して並べて見るが、どれも今、感じている苦痛を表すにはどうしても不足が出る。


強引にでもひとつ、言い表すなら少なくとも、

現実に味わうとしたら、間違い無く致死性の傷病にでも見舞われなければ有り得ない苦痛。


それを今、太知は味わっている。


と、

三度目の吐血。


これまでとは比べるべくもないほどの、

大量の吐血。


伏した眼前に、視界いっぱい広がる。


石造りの床が吸い切れず、三人の足元を染めた。


亜生の足を濡らし、

サヤの足を濡らし、

太知の膝下を濡らす。


これには再びサヤが悲鳴を上げた。


ただし、言葉はおろか声すらろくに出はしなかったが。


許容量を超えた叫びは、音にはならないらしい。

単に、半狂乱になったサヤの様子だけが、無音の絶叫を耳ではなく視覚で知らせる。


一方、

吐いた当人の太知もまた、自分の口から流れ出たその血液量に恐怖していた。


一瞬とはいえ、痛みも忘れて。


まさか、死ぬのか?

そう思い、無意識に体が震えた。


ところが、


「しっかりしろ太知! それはあくまでもベイン・ペインによる痛みで生じた非常なストレスによる急性胃潰瘍が原因の吐血だ! 量こそ多く見えるだろうが、大量に分泌された胃液で嵩が増してるだけで、実質の出血量は思っているほどじゃない!」


こんな状況にあってなお、亜生はまだ冷静さを残していた。


大声を張り上げ、ふたりを諭すようにして言葉を紡ぐ。


無論、完璧に冷静というわけではない。


さしもの亜生も、ここまでの事態になってはいつもの無感情にも見える態度は影を潜める。


とはいえ、

それでも太知やサヤとは比較する必要も感じられないほどに落ち着いていた。


原因は様々あるが、何にしても胃潰瘍による吐血の場合、胃からの出血が喉を上って口から吐き出されることに違いは無い。


この際、胃の出血は胃酸で反応し、赤い血ではなく、どす黒い吐血となる。


本当に危険な吐血は往々にして鮮血。

正味の出血量が多いことを示すうえ、動脈からの出血も示唆する。


長期的に見た場合には動脈、静脈どちらの出血でも危険性に変わりは無いが、短期的には動脈からの失血がより危険性は高い。


酸素欠乏が顕著に起こるため、出血性ショックのリスクが若干だが静脈より大きいのだ。


以上の理由を踏まえ、亜生は一定水準の落ち着きを維持していた。

つまりは知識による土台。


知恵では人間の太知たちに劣る亜生も、単純な知識に関しては数段上。

この場面においては、それが良いほうに転がったと見るべきなのだろう。


実際、太知もサヤも、亜生の言葉に救われていた。


惜しむらくは精神的救済のみで事足りるサヤと違い、太知は多少、安心できたからといっても最大の難問たるベイン・ペインによる激痛からは逃れられないことか。


結局のところ、背を丸めて屈み込んだ姿勢のまま、太知はただ激痛に耐えるより他無い。


にもかかわらず、

亜生はそんな太知のことなどお構いなしに話を続ける。


「いいかサヤ、これは太知にも事前に言ったことだが、ベイン・ペインは基本、命に関わるような力じゃない。だから変に心配するな。今はとにかく目の前の戦いに集中しろ」

「……でも……」

「(でも)や(だけど)は無しだ。読めてるんだよ。理屈じゃ無いとこで引っかかってるんだってことぐらいさ。けど、今に限っては理屈を優先しな。気持ちの問題は戦いが済んだらいくらでも聞いてやる」

「……」

「加えて言うなら、ベイン・ペインで死ぬことは無いってのも、あまりのんびりしてると通用しなくなる恐れもあるんだよ」

「え……?」

「見たろう? 過度のストレスによる潰瘍性の吐血。これが重度になれば、さすがに絶対死なないとは言い切れない。下手をすると……なんてことも否定出来ないんだ」

「……そんな……」

「それが嫌なら早いとこ勝負をつけることさ。気掛かりなのは時間なんだよ。時間単位の出血量は少なくても長時間、出血が続けば失われる血液の総量は危険域に達してしまう。つまり、太知を本当に心配するなら、出来るだけ短時間でこいつらを倒すしかない」


ここまで言われ、


サヤは、

覚悟を決めた。


泣き言を言っても始まらない。


というより、泣き言を言う時間が致命的な結果を生む危険さえある。


そう知った以上、腹は決まった。

どのみち、太知を救うには勝つ以外に手段は無い。


ならば今は亜生に言われた通り、勝つことに集中しよう。


思い、太知の横へ屈み込んでいた姿勢からサヤは立ち上がると、ふと倒れ伏したままの太知の背中を不安げに見、すぐさま顔を上げて視線を前方に向ける。


気がつけば、すでに近づいてきていた人影はほぼその姿を露わにし始めていた。


途端、

ふっと短い深呼吸をすると、サヤはつぶやく。


「……いくよ、コロ……」


刹那、


サヤの足元で影がうごめいた。


と見えるや、

次の瞬間、


広い石室内に唸り声が響く。


紛れも無い、獣の声。


そして、現れる。

巨大な漆黒の獣。


サヤの影が、変形と凝固の果てに姿を見せた影の犬。


ハインド・ハウンド。


それはまさしく忠実な犬の如くサヤの足元へと寄り添い、姿形を成せたことを喜ぶように身を大きく震わせたかと思うや一声、


耳を裂くような咆哮を上げ、青く燃え盛る双眸で、前方に広がる仄暗い部屋の奥から訪れる人影を、刺し貫くように見据えた。


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