奇異なるゲーム、再び (4)
場が凍り付いていた。
ゲーム開始からそれほど時間は経過していないのに。
普段ならば、亜生の十八番であるはずの薄気味悪い笑みを、東吾が浮かべていることを除き、亜生もサヤもふたりして硬直している。
理由はそれぞれに違う。
亜生は愕然として。
サヤは状況が飲み込めずに。
普通ならば、サヤは亜生に対して何故そんなに驚愕しているのかを問うのが筋だろう。
だが、今はその普通という状況ではない。
ゆえに声も出ない。
というより、発すべき言葉が浮かばないのだ。
異常な事態であるのは空気で理解出来るが、逆にそのせいで問うべきことが無数に思いついてしまい、どれから質問すればいいのか分からない。
そんな、
混乱したサヤと驚愕した亜生によって一旦、時間経過の感覚が鈍化したその場に、改めて動きが起こるきっかけを作ったのは、
「……チクショウが……」
絞り出したような声。
それが、太知のものであるということは確認せずともふたりには即座に知れた。
身に降りかかる激痛を無理やり噛み殺し、力ずくで押し出された声。
はっとして、亜生とサヤが声がしたほうへ向いてみれば、やはりといった光景。
先ほどまで苦痛に倒れ伏し、屈み込んでいた太知が、それでも何とか頭だけは上げ、痛みに耐えているせいで充血し、ぎらついた目を憤怒の形相とともに東吾へ向けている。
「いい加減にしやがれ……何なんだこのゲームは……不意打ちが通常作業かよ……」
もっともな憤懣。
当然だろう。
何せ太知からすれば、二度のゲームで二度とも不意打ちを喰らっている。
このゲームでは必ずそうするものなのかと、腹立ちから文句のひとつも出てくるのが普通だ。
すると、
事情を知ってか、太知の怒りに満ちた凝視を受けつつ、相変わらずの余裕ある態度に、少しばかりおどけた身振りを混ぜて東吾は答えた。
「そいつは気の毒したな。そうかい、その口ぶりだと不意打ちは二度目か。よっぽど星の巡りが悪いんじゃねえの?」
「……他人事だと思って、好きに言ってんじゃねえよクソが……」
「へえ、ちょっとばかし手心加えたら途端に威勢が良くなったじゃん。それだけ元気があるんだったら、もう少し力を強めてよ平気だな?」
言ったかと思うや、
東吾の言葉が終わるとほぼ同時に、太知はわずかに体を痙攣させ、腹部を押さえるてをそのまま、伏していた顔ごと頭を床に叩きつける。
額をしたたかに打ちつけて。
東吾によってさせられたわけではない。
無論、原因は東吾のベイン・ペインによる苦痛ではあるが、あくまで行為は太知の意思。
自分の意思で頭を床に落とした。
あまりにも激しい苦痛に耐えかね、痛みで痛みを相殺しようと頭を床にぶつけるより動きようが無かったのである。
追い詰められた時の人間は後先の損得でなく、目先の感覚でしか動けない。
太知の行動はその事実を顕著に表していた。
おまけに、
額を床に押し付けるような姿勢で、なお太知は苦痛に抗う。
しかし、悲しいかな。
加減をされていた痛みの時点で、もう十分に忍耐の限度いっぱいな激痛だった。
そこからさらにプラス。
耐えられるレベルは完全に超えている。
その証拠というわけでもないだろうが、
太知は次の瞬間、
噛み締めていた口を開くと、吐く。
血を。
黒く、変色した血を。
わずかに咳き込みながら。
ぱっ、と飛沫のように黒ずんだ血で石造りの床を染める。
「車輪くん!」
堪らず、サヤが声を上げた。
無理も無い。
ちょうど横へ寄り添うように屈み込んで手を貸している太知がこの様になっては、悲鳴に近い声も喉を突いて出る。
そうした様子を見つつ、東吾はまた口を開いた。
「自分だけが不運だとか、そういうマイナス思考は嫌いなんだよ。それを言うなら、俺だってうまくいかないことばっかさ。本来ならお前じゃなく、主戦力であるそっちの女子を行動不能にしたかったんだが、いかんせんこの暗がりからランダムに狙ったもんで、目当てが外れちまった。別に俺だって好きでお前なんかと遊んでるわけじゃあねえんだっつうの」
この言葉に、
亜生は床に伏す太知を一瞥こそしたが、すぐにその視線を東吾に戻した。
ベイン・ペインでは致命傷を負わないと踏んでいるからか。
今、神経を割くべきは東吾に対してだと算段したらしい。
改めて真っ直ぐに東吾へ視線を向けると、まさにほんの少し。ほんの少し前。抱かされた疑問を解消するため、質問を発しようと口を開けた。
が、刹那、
「……それを言うなら……俺だって、お前みたいな野郎とじゃれ合いたかない……」
予想外の声。
聞こえるはずの無い声。
そう、
太知の、声。
「く、車輪くん、無理しないで!」
それを聞いて、サヤも声を上げる。
ただし、叫びに近くも、悲痛さの強い声。
ここまで来て、亜生もさすがに振り返った。
そして見た。
再び見舞われた耐え難い激痛を受けながらも、
強引に持ち上げた顔……その額と、口の端から血を流しながらも、
自分の腹を握り潰すように手の指を喰い込ませ、東吾を睨みつける太知の姿を。
これには、さしもの亜生も声を漏らす。
「太知、お前……平気なのか?」
「……平気なわけ、無いだろバカが……」
「え……?」
「平気じゃないが……無理してでも動かないわけにいかないだろ……この状況じゃ……」
言われ、一瞬は何のことかと怪訝そうな顔をした亜生だったが、次いですぐさま太知が東吾から目を離し、逆方向へ首を回したのを見、気付いた。
つい、忘れていた事実。
当たり前の事実。
東吾とは反対方向。
深い部屋の奥から、こちらに向かってくる人影。
そこでようやく思い出す。
今回のゲームは二対二。
相手は東吾だけではない。
ただ、
予想もしていなかった展開に亜生も狼狽してしまったため、目の前にある現実を一時的に忘却していたのが原因。
起こった事象を思えば、仕方の無いことだとも言える。
「こんなザマにはなってるが……話は大体、聞こえてた……から、お前に聞きたいことがふたつある……」
「……ふたつ?」
「ひとつは……言わなくても分かるだろうが……その、東吾とかいう野郎にお前の力が何故、通じないのかってこと……」
「あと……ひとつは?」
「……この、フィールドだ……」
「は?」
亜生が漏らした疑問の声から露の間を空け、
太知は、
向けていた逆方向からの人影への視線を移し、亜生を見た。
何故か、東吾に対してのものと変わらぬほどの厳しい目つきで。
「どうした? そんな怖い顔をして」
「……俺の、顔なんざどうでもいいから……質問に答えろ……」
「質問って……つまり、このフィールドを選んだ理由か?」
こう答えると、太知は苦しげにうなずく。
これを受け、亜生はさらに言葉を継いだ。
「何故って、そりゃあ相手ははバラバラのほうがこっちが有利になるだろうと思って……」
「……どこが有利だこの間抜け……」
「?」
「こんな造りのフィールドで……やつらを前後の端に配置したりしたら……単に挟み撃ち喰うだけだろうが……」
「……あ……」
さすがにここまで話されて、亜生も自分の行為が完璧に裏目であったことへ気付き、明らかに(しくじった)といった感で声を漏らす。
「……しかも、こんな遮蔽物の無いフィールドで……視認した相手へダイレクトに効く力を持っているやつとどう戦わせるつもりだったんだよ……」
矢継ぎ早に放たれる太知の疑問へ、亜生はもはや答えられない。
完全な失策。
その事実がここまで明らかになってしまったからには、もう反論も言い訳も無い。
心を満たすのはただ、(やってしまった)という思いのみ。
そうした心情が顔にも出ていたのか、太知は亜生に向けていた視線を厳しいそれから、呆れた目へと切り替え、小さな唸りのように悪態をついた。
「クソッたれめ……味方だと思って油断してたら、とんだ獅子身中の虫じゃねえか……」




