絶望への来訪者 (3)
立場が変わり、
今度は太知が沈黙の場を作り出す。
乱雑に思考の散らかる自分の頭を整理しきれず、口などとてもきけなかった。
偶然に悪魔の持つ力の一部を得、不可解なゲームに参加させられ、同じ立場の人間が死ぬのを見た。
しかもゲームはまだ続いていて、さらにその主催者たる悪魔は自分に寄りついて離れない。
これだけでも十分すぎるほどに受け入れ難かったのに……。
さらに天使の登場。
これで神様が姿を見せればパーフェクトだが、さすがにそこまでは無さそうだ。
といって、それが少しでも混乱した太知の救いになるかといったら、なるはずもない。
もうすでに許容量を超えている。
常識や現実といった価値観を維持するには、あまりにも非常識と非現実が重なりすぎた。
何か話す余裕などあるほうが不思議。
大体、話そうにも頭の中が滅茶苦茶で、発する言葉を思い浮かべる思考の余地など無いのだ。
沈黙が当然。
沈黙が必然。
しかし、
太知の状態が変化したのと同様、他のものにも変化は起きる。
今回の静寂もまた、打ち破られた。
亜生の声で。
「……これで、分かったろう……」
苦しげな、そして怒りに満ちた声。
はたとして、太知はとても整理しきれそうにない思考を中断し、自分の隣へ首を回す。
あったのは、亜生の顔。
表情は先ほどまでと同じく、怒りや悲しみや恐怖といった複数の感情が綯い交ぜになったそれのままだったが、明らかに前よりも怒りの割合が高くなっているのは見て取れた。
「神も……その手先の天使も、あんたら人間のことなんて、そこらに転がってる石ころくらいにしか思っちゃいない。勝手な都合でどうにでもする。殺すことだって何ら、ためらい無くやってのけるんだよこいつらは……」
「実に悪魔らしい、不敬な物言いだな。今の神への冒涜ともとれる言葉、本来ならこの場で罰を与えるべきものだが、貴様への罰はまだ先だ。ひとまず聞き逃しておいてやろう」
「何を偉そうに……」
「貴様こそ自分のことを棚に上げて好き放題じゃないか。まだ貴様が天使だったころ、一体どれだけの人間を殺したか忘れたのか?」
「……」
「数えきれまいよ。だが、そのことで貴様を責める気は無い。当然のことだからな。人間などこの世に存在する価値も無いガラクタだ。どのように扱おうが誰も気にしはしない」
聞き、瞬時、
思考力が落ちていたのが原因で、半ば呆けたように亜生と天使の会話を流れで聞いていた太知だったが、天使の放ったこの一言には、さしもの反射的に視線を天使へと移す。
亜生が顔へ映す怒りに勝る、激昂にも近い、ぎらついた目を。
ところが、
即座に怒鳴り声のひとつも上げそうになった太知に気付かなかったのか、それとも気にもしていなかったのか。
姿だけは少年の形をした天使は、ほぼ間を置かずに次の言葉を発した。
ふと、亜生のほうへ右手を伸ばしながら。
「だが、これについては貴様を許すわけにはいかない。行為そのものについてではなく、人間の(穢れ)によって生まれた自己の利害に対する打算という点において」
「……なっ!」
かざされた天使の右手を見た途端だった。
またしても亜生が声を上げる。
ただし、
今回は吃驚の声。
一瞬、何にそれほど驚いているのかと思った太知だったが、亜生が上げた声へつられるようにして見た天使の右手を見て、その疑問はすぐに解消された。
手にしていたからだ。
以前、亜生が持っていたのと同じもの。
いや……、
持っていたのではない。
取り出したもの。
礼次の体から。
あの時に見たものとまったく同じ。
生きた骨片。
何故そう感じるかは今も分からない。
ただそう感じるだけなのだが、
少なくとも、太知のこうした感想は対峙するふたりには関係が無いらしい。
手のひらの上へ乗せ、亜生に示したその骨片らしきものを見て受けた驚きから、口を開く程度までは回復した亜生が、今度は叫び声に似た問いを天使にぶつけた。
「何で、お前がそれを持ってる!」
「説明されなければ分からないか? 人間たちから掠め取った知恵とやらも、どうやら大したことは無いようだな」
「いいから答えろ!」
「そう、確か名は和己新平とかいったな。お前の計算なら最後のゲームでそこの人間と戦うことになっていた。にしても、ひどく幼稚な不正だ。最後に戦う相手の力が、よりにもよってシャムロック・シャワー(Shamrock Shower……三つ葉の雨)だとは。こんな力では、誰が相手でも勝てるわけが……」
「答えろと言ってるんだ! お前、新平に何をしたっ!」
「殺してこの力を奪った。と、答えれば満足か?」
言い終えたのとほぼ同時。
亜生の左手が天使の顔へと突き込まれる。
固く握られ、拳にされた左手が。
気がついた時にはすでにその状態だったのを見た太知からすれば、もはや時間と距離を考えても、この感情が欠落した人もどきの顔面に強烈な一撃が入ると確信していた。
だが、
すぐに思い知る。
今、自分は常識とはかけ離れた状況にいること。
そして、
今、自分の眼前に立つのが天使という名の化け物だということを。
それはまさに瞬く間の出来事。
今しも亜生の拳が天使の鼻っ柱をへし折る勢いで叩きつけられようとした。
まさにその時、
「(無効)……」
天使がつぶやく。
と、刹那、
太知は我が目を疑った。
真っ直ぐに天使を捉えていた視界。
そこに飛び込んできた亜生の拳が、
急に停止する。
天使の鼻先に触れた状態で。
普通の思考なら思う。
寸止めだったのかと。
が、違う。
断じて。
その証拠に、太知は亜生の左手をよく観察していた。
突き出したその拳。
動きを止めてなお、まだ力を込めて進もうとしているのが筋肉の隆起ではっきり分かる。
それに加え、
手首が、
自らの力に押し負けて曲がっている。
まるで天使との間に薄く、透明な壁でもあるのか、明らかにその体勢が維持されているのはおかしいほどの前傾姿勢で拳を突き出していた亜生だったが、その行為が無意味だと悟ったのだろうか。
しばらくして、そこから崩れるように床へ膝をつく。
口惜しさに身を震わせながら。
「私には攻撃が通じないことくらい、分かっていると思っていたがな……」
「……そんなことは……百も承知だ!」
「なら、何故そんな無意味なことをする?」
「腹が立った以外に理由がいるかっ!」
「……やはり、愚かだな……」
天使がそう言い終えると、亜生は倒れたままで頭だけを上げ、拳の届かなかったその顔に向けて燃え盛るような視線を飛ばす。
そんな中、
ふたりの会話の意味を太知は理解出来なかった。
どういうことかなど分かろうはずもない。
何が起きたのかさえ分からないのだから。
そうして限りなくパニックに近い心理状態で、脂汗を垂らし、憤怒の形相で天使を睨み据える亜生と、当の天使を交互にを見つめるしかない太知の耳へ、天使の声が冷たく響く。
「よく見ておくがいい、アダム・カドモンの欠片よ。神の御心に従わず、(穢れ)に犯された愚か者の、この惨めな姿をな。そして、そんな悪魔と関わった己の末路に怯えろ。貴様らは単なる壊れた玩具の破片に過ぎない。その存在には、価値も理由も有りはしないのだと知れ」




