絶望への来訪者 (1)
「……あんた……何でこんなところに……?」
太知にとって正体不明の少年にかけられた第一声は、亜生のものだった。
それを聞き、少なくともひとつだけはっきりする。
亜生はこの少年を知っている。
一言の中から知り得る情報としては少ないが、無いよりははるかにマシだ。
思い、今度は太知が口を開く。
「おい……お前、そいつのこと知ってるのか?」
先ほどまで必死になって亜生の詰めてくる距離を不快に感じ、離れようとしていたのも忘れ、太知は亜生の耳元に寄せた口でヒソヒソとささやいた。
「一年の無草明光だ。あんたと同じ、ゲームの参加者。いや……正確には(元)参加者だね。昨日おこなわれたゲームでこいつは宗政に負けてる。もう私たちには関わりないはずだけど……」
わざわざ聞こえないようにと小声で話した太知の気配りなど一切、気にもかけず、日常会話の音量で亜生は答える。
そこで少しく忌々しげに舌打ちでもしそうになりながら、太知はなんとか気持ちを切り替えて話を続けた。
無論、もう面倒なので太知自身も普通の声で。
「宗政って……確か、これから俺らが戦う相手のひとり?」
「そう、注意していた力……ガントレットを持つ男。明光もなかなか善戦したんだが、結局は歯が立たず、重症を負って敗退したよ」
この時、太知は亜生の言った(重症)という言葉に、ふと嫌な思考で頭の中を満たされた。
思い返せば、自分は昨日の時点でおこなわれたゲームの犠牲者を(死者)に限定して亜生へ問うていた。
とすると知恵の回らない亜生のこと。死なないまでも、ひどい怪我をした人間などは勘定にも入れず話していたのではないか。
だとしたら、これっぱかりも安心できない。
死んでさえいなければ、亜生は意識不明の重体でも問題無いというくらいの認識で話をしていた可能性が高い。
否。恐らくはそうだろう。
今までで読み取った亜生の性質からして。
が、そこの懸念に神経を割かれるより前に、新たな疑問が出る。
今、亜生の話した内容に間違いが無いとすれば、どうして昨日のゲームで重傷を負ったという少年がここにいるのか。
一見したところでは、どこにも怪我をしている様子はうかがえない。
姿勢良く立ち、小柄な体を真っ直ぐにこちらへ向けている。
「重症……って割には、えらく平気そうにして見えるぞ……?」
「そこだよ。私もおかしいと思ってるのは」
珍しく、亜生と意見が合致した。
とはいえ、それが今の状況を明確にしてくれるわけでもない。
などと、
慣れの恐ろしさか、太知まで亜生の調子と重なってしまい、急に目の前へ現れた明光なる少年を蚊帳の外へ置き、勝手に自分たちの推論を語っていると、始めにその存在を知るきっかけとなった意味不明の言葉に続き、明光はゆっくりと次の言葉を発した。
「左上腕骨開放骨折。頭蓋側頭骨、及び下顎骨亀裂骨折。その他、全身に渡って裂創、割創、挫創、挫傷、挫滅創が合計三十四箇所。一般の基準に照らし、貴様の言う通りこの人間は重症だった。その点は正しい」
思わず、
またもや一体、何を言われているのか分からず、太知は目を丸くして一瞬、唖然とした。
しかし亜生のほうは別段、苦慮するところも無かったようで、まるで能面のよう……というより、まだ能面のほうが表情豊かに見えるほど、その顔に変化を見せない明光へ向かい、問う。
「……だとするなら、なおのことどういうことだ? それほどの怪我、人間が一日程度で完治できるとは到底、思えないぞ」
「当たり前だな。人間の生理機能では、これだけの重傷を治すには最低でも三か月以上の時間が必要になる」
「なら、なんでそんな急速に回復が……」
そう、亜生が言った途端、
明光は、わずかに目を細めると、平坦な中にもどこか嘲るような口調で、
「……呆けたな……」
「は……?」
「貴様……まだ私の正体が分からないのか?」
思わず亜生の上げた小さな疑問の声も無視し、言う。
すると、
はっとしたように、亜生は目を見開く。
隣りでそれを見る太知にも伝わる、明確な驚愕の感情とともに。
そして露の間を置いて開かれた亜生の口から声が漏れた。
額から伝う冷や汗が、頬まで流れるさまへ合わせたように。
「……無い……」
「え?」
短すぎるその一言に、持つところの意味を読めずに発した太知の声。
ほとんど無意識に口をついたそれへ、だが幸いかな、亜生は言葉を継いで答えを補完した。
「……こいつ……意識体に欠損がどこにも無い……」
「な……え? それってどういう……」
「人間は……個々、それらすべてがアダム・カドモンの欠片だ。ゆえにどの意識体も大なり小なりの傷がある。なのに……こいつの意識体は傷ひとつ無い……」
「……お、おい……説明してくれてるつもりなんだろうけど、だから何なんだ? 俺でも分かるように話してくれよ」
醸し出される亜生の雰囲気からして、これが只事で無いのまでは太知にも理解出来た。
だが残念なことにそこが限界。
いつものように、情報の小出しで話の全体が掴めない。
そんな太知の感情を読み取ってか、亜生は一瞬、横へ立つ太知を一瞥し、すぐに視線を明光へと戻し、さらに口を開く。
「意識体に傷が無い。すなわち、アダム・カドモンから欠けて生まれた存在ではない。そこまで言っても分からないか……?」
「……」
「……人間とはアダム・カドモンの欠片。アダム・カドモンの欠片なら、意識体に傷がある。それが無い。つまりは……」
そこまで言い、一拍、呼吸を整え、
「こいつは人間じゃない」
一言。
断言した。
途端に、
太知は発作的な動きで素早く明光へと身を向ける。
もちろん、強い視線を伴って。
そうして、
凝視する。
明光を。
確かに、全体に漂う雰囲気の異様さや、無感情なその形相には、人間らしさを感じられない。
ではあるが、
ならば、彼は何者だ?
人間でないというなら何だ?
太知に分かることはこの時点では、ただひとつ。
夕暮近い、屋上で不気味な少年に視線を向け続けながら、
亜生は、
震えていた。
今までに見たことも無い様相で。
驚愕の表情を湛えていた顔に、
絶望の色を濃く刻み、憐憫さえ感じさせる蒼ざめた表情を浮かべて。




