そして思いは交錯を始める (6)
「私は昨日が始めてのゲームだったの。車輪くんもそう?」
「ああ、うん……」
昨日のゲーム。
太知は話が礼次のことに及びやしないかと内心、穏やかでなかったが、結局それは単なる杞憂に終わった。
このように異常な境遇にいる者同士という安心感からか、サヤは一方的に自分の話を続けたからである。
もちろん、太知はサヤが悪気でそうしたわけでなく、ようやく心情を共有できる相手を見つけた安堵から、自然にしてしまった行為だと分かっていた。
無理も無い。
自分には、有り難くも無いが亜生が付きっきり。
それに比べてサヤの不安は相当だったろう。
孤独のなんたるかを痛いほど知っている太知としては、思い出すのも楽しくない礼次の件を話さずに済む流れを歓迎こそすれ、悪く思うはずも無く、ただサヤの話を聞いていた。
「最初はただの変な夢かと思ったの。でも、気がついたら今度はまた変な場所にいて……後になって分かったけど、その時そこにいたのが陰淵さんだったんだよね……」
「……白髪頭に、妙なコスプレした?」
「あ、そうそう!」
やはり体験を共有していることがサヤにはよほどうれしいらしい。
先ほどまでの遠慮がちなトーンはどこへやら、饒舌に話し続ける。
「それで、急にもうゲームは始まってるから、さっさと戦えって。私……何を言われてるのか全然意味が分からなかったけど……考えてる間に相手の人が……」
そこまで言うと、サヤの声が調子を変えた。
つい昨日の、初戦の恐怖を含む声音に。
「相手の人の力……陰淵さんは確かジャイアント・ジャック(Giant Jack……巨躯の男)とかって言ってたけど……ほんとに名前の通りで、ものすごく大きな男の人がこっちに向かってきて……ほんとに怖かった……」
太知はそう話しながら微かに体を震わせるサヤにも気がいったが、それ以上にその対戦した相手の力……ジャイアント・ジャックとやらに興味を惹かれつつ、結果だけを冷静に考えて言葉を返す。
「……だけど、まだゲームに参加してるってことは、その相手には勝ったわけだろ?」
「え……うん。なんか……よく分からないうちに、どうにか勝っちゃったみたいで……」
「確かハインド・ハウンドだっけ? 針子の力は」
「知ってるの、車輪くん!」
またもやサヤの声が変わる。
思っていた以上に自分のことを太知が知っていてくれたことへの素直な喜びを滲ませて。
「なんかね……自分の影が、犬みたいになるの。始めはなんか気持ち悪かったんだけど、見慣れてきたら……なんか……」
「なんか?」
「私……半年前に、小学生の頃から飼ってた犬が死んじゃってね。ボルゾイっていう大型犬のくせに、名前はコロって……子犬の時に飼い始めたから、まさかあんなに大きくなるなんて思わなくって、可愛い名前してるのに身長なんて私より全然、高くってね……」
何やら懐かしげにそうサヤが話し始めた。
その時、
そこまで話したサヤの背後で変化が起きる。
目敏く見ていたわけではなかったが、その異変があまりに大きなものだったため、嫌でも気づいてしまった太知は思わず息を呑んだ。
影が……、
サヤの、背後に伸びる影が、ざわざわとうごめき出したように見えた次の瞬間、
それはもう、巨大な獣の姿に変わっていた。
床に張り付くでなく、宙に浮くように存在する影の獣。
半透明の闇が獣の形をし、その双眸があるべきであろう場所から青く燃えるような光をふたつ発し、こちらを睨み据えているように見える。
堪らず、太知は声を漏らした。
「は……針子、それ……」
「そう、これが陰淵さんが言ってた私の力。ハインド・ハウンド。見た目は怖いけど、コロとおんなじ。大人しくて、静かで、いつも一緒にいてくれて……」
「い、いや、そう……じゃなくって。確か、あいつ……陰淵の話だと、俺たちの力はゲームの時以外は使えないんじゃ……?」
「うん。でも姿を見せるだけなら大丈夫。誰かに襲いかからせたりはできないだけ」
言った途端、
サヤは慌てた様子で二の句を継ぐ。
「あ、や、もし動かせたとしても、車輪くんに向かわせたりなんてしないから安心して!」
「うん……まあ、それは無いことくらいは分かってるつもりだから……」
誤解を生むことを恐れてのことだったのだろうが、サヤの狼狽の仕方が尋常で無かったため、太知は少し苦笑しながらサヤの心配を払拭するよう言葉を返した。
すると、
それに安心したのか、サヤは見るからに表情を和らげると、すいと右手を伸ばし、今や獣と化した我が影の頭を撫でる。
気のせいだろうか。
影の獣は青く光る眼を細めるようにして、サヤに身を任せているように見えた。
「ほんとにね……死んじゃったコロが戻ってきたみたいで……今はうれしいんだ。昨日のゲームでも、私を守ってくれたし……」
「……名前の通り、犬と同じで主人を守る習性でもあるのかな……?」
「かもしれないね。すごく懐いてて……って、自分の影なんだから当然かもだけど、でも……やっぱりこうしてるとうれしいの。コロが急に死んじゃってから半年、ずっと……寂しかったから……」
その様子を見て話を聞きつつ、太知の中で当初に予測していたことについての危機感が増す。
意味合いや感情は違えど、サヤも今、自分が手にしている力を手放すのに逡巡する心情にあるだろう。
そうなると現実味が出てきてしまう。
彼女と戦うという展開が。
最悪、それはいい。
問題は彼女が素直に力を放棄してくれるかどうかである。
サヤに殺されるのも困る。
サヤを殺すのもまっぴらごめんだ。
となれば、
あとはそれこそ祈るばかりになる。
次のゲームで共闘し、勝利した後。
その次のゲームでも共闘することになるだろうが、肝心はその次。
最終戦。
想像しうる最悪の流れが来ないことをただ願う。
が、
結果としては太知のこの懸念は甚だ早計だったと言わざるを得ない。
というより、
逆に現実を甘く見すぎていたとも言えるだろうか。
と、そうこうするうち、
時間は訪れる。
昼休みの終わりを告げるチャイム。
いつもながら、心臓に響く嫌な音。
まあ、注意喚起のためにわざとこうした耳障りな音にしているのだろうが。
それを聞いて、にわかにサヤが慌てだす。
当たり前と言えば当たり前だ。
ここからでは急いでも自分たちの教室まで数分はかかる。
どういった形にせよ、授業へ遅れてきたことを教師に叱責されるのは楽しくない。
無条件に急ぐ格好となる。
気付けば、サヤの影はすでに通常のそれへと戻っていた。
「く、車輪くんも早く! 急がないと授業に遅れちゃうよ!」
慌てた様子でドアに向かいつつ、サヤが言う。
しかし、
「俺はいい」
身動きする素振りも見せず、太知は答えた。
当然なことに、この言動へサヤから疑問の視線が投げかけられる。
だがすぐ、太知はその反応を予想していたように言葉を返した。
「授業に遅れるのはまずい。けど、俺と針子が揃って教室に戻るのもまずい。俺と針子の関係を変に勘ぐられたりしたらこの先、何かと面倒になるかもしれないからな。俺は遅れていくから、針子はひとりで先に教室に戻れ」
この提案は、普通に考えるならば道理に適ったものである。
ゲームに参加している以上、無駄に目立つ行為は避けるべきだ。
特に次のゲームが近い今は。
「……そ、そう……だね。目立つことは控えたほうが……でも、それだと車輪くん……」
「俺は問題無いよ。授業のひとつふたつ、バックレたところで今さら傷つくような成績も内申もありゃしない。だから俺のことは気にせず、針子は早く教室に戻って授業を受けろ」
「あ……うん……」
複雑なことではあるが、太知としては気を遣っての選択。
間違ってなどいない。
間違ってなどいない。が、
ドアノブを掴んだまま、太知を見つめるサヤの目が、どう表現してよいのか分からないほど、悲しげなものだったこともまた事実だった。
そしてその悲しさをさらに助長するのは皮肉にも、そうした彼女の複雑な感情面の動きを理解出来ない太知の鈍感さである。
元より、女子に限らず人との関わりを避けて生きてきた太知にそうした感情の機微を察しろというのが土台、無理なことなのだが、そうだとしてもこの場合、サヤの立場は不憫だ。
「……それじゃあ……私、先に戻ってるね……」
「うん……」
太知からするに何故、サヤがこれほど悲しげな、寂しげな態度で対応してくるのかが分からなかったため、自分も少々、戸惑いを含む返事でサヤを送る。
不思議そうな顔をしてサヤを見送り、ゆっくり閉じてゆくドアを見つめる太知は知らない。
階段を早足に駆け降りるサヤ。
その目へ、わずかに涙が光っていた。




