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悪魔は蒼ざめた月のもとに  作者: 花街ナズナ
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プロローグ (2)

若くして天涯孤独の身となるのは、どれほどの苦痛だろうか。


生まれた時からであるならば、まだ覚悟の程度の差によって、少しはマシに感じられるかもしれない。


しかし、それも所詮は想像だ。

現実にそうした身の上になった人間にしか、真実は知れない。


その意味で、彼は真実を知っている。


名を車輪太知くるわ たいち


当年とって十四歳の中学二年生。

ここまでなら、ごく普通の少年である。


だが彼はそうではない。


彼の母は、彼を生んだ際に出血性ショックで死亡した。

これが始まり。


母の死に意気消沈した父は、まるで母の後でも追うようにして一年後、心筋梗塞に倒れ、そのまま帰らぬ人となった。


次いで、引き取られた父方の祖父母の家では、ふたりきりの兄弟だったふたつ違いの兄が祖父と一緒に車で買い物に出かけたところ、玉突き事故に巻き込まれてふたりとも死亡。


祖母は度重なる心労で床に伏し、半年も経たずに心臓衰弱でこれも死亡。


あまりにも立て続けに身辺で起こる不幸のために、残った身内たちは皆、揃って太知の引き取りを拒否し、現在は母方の伯父夫婦から金銭的援助のみを受け、ひとり暮らしをしながら学校へ通っている。


物心がついてからの鮮明な記憶といえば、1DKの生活感に欠けるマンションの室内風景。


人との接触を極力避ける学校での生活。


孤独は人の心を灰色に染める。


すでに何年も住んでいるはずのマンションの自室は、いまだに人の生活している空気が流れていない。


学校での生活も同じく。

習慣もしくは義務として学校に行き、勉強をし、帰ってくる。


体育やその他、合唱や運動会など、集団行動が求められれば、最低限の協調はおこなうが、それ以上の他人との接触は避け続けて。


友人など持たない。

顔見知りになることすら出来得る限り避けた。


本能の部分で自覚していたから。


自分は(呪われた存在)だと。


すでに犠牲は十分すぎるほど出してしまった。

これ以上、誰かを犠牲にしたくない。


その一心で、人との関わりを絶ち、孤独に甘んじた。

それで無駄に不幸な人間を出さずに済むなら、安いものだ。

そう自分に言い聞かせて。


とはいえ、

長い……長い孤独は、殺人的なほどに人の心を灰色に染め、すべてに対して失望を前提に向き合うことしか出来なくさせてゆく。


ゆえに求めてしまう。

求めてはいけないと分かっていても。


人のぬくもりを。


そんな、已むに已まれぬ気持ちを引きずっていたある日のこと。

太知に転機が訪れる。


その日、下校途中の太知は、少しばかりの気の迷いからか、自宅アパート近くにある駅周辺の繁華街へと足を運んだ。


別に誰かに関わろうと思ったわけではない。

ただ単純に、人恋しかった。

喧騒が心地良かった。


自分との間に、絶対超えることの出来ない壁が存在すると知っていても、ただ人がいるという事実だけで救われた。


日も落ち、薄暗くなった繁華街に街路灯が灯り、ひしめく店々や、その看板が光を放ち始めると、悲しい安らぎが心を満たしてくれる。


始めは週に一度程度。

それが週に二、三度となり、

いつしか、

繁華街をうろつき回るのが日課となっていた。


人によっては、これを救いと感じるのに抵抗を持つ人もいるかもしれない。

が、太知にとっては確かにこの行為が心の安定を保つために不可欠な事柄となっていったことは明らかである。


その証拠に、(あの日)が来るまでの約半年間。太知は繁華街へと向ける足を一度として止めなかった。


そして、その日々の中でのある日の出来事。


太知は自分という人間が何故、こうした境遇に生まれたのかを、おぼろげながらに理解することとなる。


事の起こりは突然としか言いようが無かった。

明るく瞬くいくつもの店を横目に、早い時間から出来上がっている会社帰りと思しきサラリーマンたちや、高校生同士だろう、見ているこちらが恥ずかしくなるようなイチャツキぶりのカップル。見るからにガラの悪そうなストリートファッションの一団。


いつもと何ら変わらぬ風景を見るでもなく眺めていたまさにその時、

まさしく突然だった。


背後からけたたましい悲鳴が上がったのは。


急なことに驚きつつも、太知が後ろを振り返ると、そこには恐ろしい光景が広がっていた。


何人もの人たちが皆、必死の形相でこちらに走ってきている。


いや……走ってきているのではない。

何かから、逃げてきていた。


よく見れば、逃げ惑う人々の後ろから、おかしな男の影が走り込んできている。


雑踏に隠れて最初ははっきりしなかったが、ひょろりとした黒ずくめの男が、右手を滅茶苦茶に振り回しながら、そこいらの人たちへ次々に襲い掛かっていた。


どういうことかと、落ち着いてその男の手元を見ると、人々の逃げ回る理由が分かった。

男の右手には、刃渡りが三十センチはあろうかという大きな包丁が握られていたのである。


そこで目を凝らすと、男の衣服や持っている包丁には、多少の血が付着していた。


ここまで見て、太知は状況を理解すると、自分の横をかすめて逃げてゆく人々へ目もくれず、急速に走り寄ってくる男を見据えた。


心を満たしていたのは……、

本来なら、恐怖。


ところが、

太知の心は、常人の抱くべき感情とは違う働きをしていた。


生まれてから、今の今まで続いてきた、理不尽な不幸や不運。

人災か天災かを問わず、身に降りかかり続けたそれら。


何故に自分の回りには不幸が起こる?

何故に自分の回りでばかり不幸が起こる?


巡り合わせだというのか?

運命だとでも?

宿命だとでも?


回避することも出来ず、いたずらにこの不幸を甘受し続けろとでも言うのか?


響き渡る悲鳴。

いくつもの足早な靴音。

時に肩へぶつかりつつ、すり抜けてゆく人々の起こす風。


それらの中を、真っ直ぐに包丁男は走ってくる。


だが、太知は逃げない。

心を満たす、どす黒い何かに足止めされて。


向かってくる男を見つめながら、呪詛のように心の中でつぶやく。


(……クソッたれ!)


途端、

心の中で何かが爆ぜたような感覚を感じた。


それと同時に、矢継ぎ早で展開されていた目の前の光景が……、

すっと、灰色に変わる。


色は失われ、白と黒だけの世界。


それから、何が起きたのかを理解した人間はいない。

太知すらも。


以後、という条件を含めるなら、正確には太知だけは事態を理解した。

その時、何が起きたのか。


否。

何を(起こした)のか。


ともかく、運命は回り出した。


太知がもっとも忌み嫌い、蔑み恨む、運命が。



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