殺人者とのゲーム (4)
「それにしてもよく考えついたな。ハンギング・ツリーへの対抗策はただひとつ、姿を見せないこと。しかしそれだとこちらも相手が確認できないから攻撃のしようが無い。で、私に礼次の位置を教えさせた。まあそこまでは単に私があんたへ助力したってだけのことだが、まさか雷を使って攻撃するとは思いもしなかったよ」
ニヤニヤと笑いながら、地面に伏せ、倒れている礼次の脈をとっている太知へ、なんとも機嫌良さげに亜生は話す。
一方、話しかけられている太知はといえば、
それどころではない。
彼は相手の位置を知った時点でこう思考した。
(人間が気絶する程度の雷が落ちろ)と。
だから死んではいないはずである。
であるが、
自覚して自分の力を使ったのはこれが始めてである太知としては、どの程度の力加減が出来たかの自信が無かった。
そのため落雷後、すぐに大理石の裏から飛び出すと、こちらの攻撃で倒れたであろう礼次のところまで一目散に駆けていった。
そして今、案の定その場に倒れていた礼次の首元と手首に指を這わせ、脈を確認している。
実際に見て始めて分かったことだが、この礼次という男は太知と同じ学校の生徒らしい。
自分と同じ制服を着込んでいるところからして、まず確かだろう。
どうということのない、どこにでもいる男子学生。
あえて特徴を言うなら、少しばかりやつれた印象がある程度だろうか。
精神的なものか、それとも先天的な肉体的問題か。
そこは推測しか出来ないが、とにかく、ごく普通といっていい少年が倒れている。
少なくとも太知にはそう見えた。
とても自分の両親を殺した、冷酷な殺人者には見えない。
そうこうして、
脈があるのを確認し、太知はほっと胸を撫で下ろす。
いくら相手が人殺しといっても、やはり殺しには抵抗がある。
無論、自分の親を殺した相手だとなれば仇討として殺すのもやぶさかでない。
が、彼が殺したのは彼の両親。
人様の親とはいえ同情はするが、いくらなんでも知らない赤の他人が殺された程度のことでは自分の手を汚す気になれない。
倫理や道徳観とは別の話。
純粋に気分の問題である。
と、
ひとまず相手の生存を確認できたことで余裕が出来た太知は、さっきから横でペラペラと話しかけている亜生に対し、ちょっと苛立った様子を見せつつも返答をした。
「他にも何パターンかは考えてた。土埃を起こして、やつにこちらが見えなくなったところを殴りかかるとかな。けど、これは相手が俺よりもよほど弱くないと最悪、返り討ちにあう可能性があるし、第一、相手の力を封じなきゃ俺の窒息死っていう顛末は変わらない。殺すか気絶させるかしかないんだな、力を持ってるやつを相手に戦う場合。それでどうしたものかと考えていて、ふと空を見たらピンときたんだ。この曇天だろ? 雷のひとつくらい落ちたっておかしくない。こちらは相手に近づくことなく、しかも気絶させることで動きも封じられる。最良の策だと思ったのさ」
「ふむ。やっぱり私の見立てに狂いは無かったね。よく知恵が回る。しかも殺したがりの多い人間たちの中にあって、そうまで頑なに殺しを避ける性質も私的には好印象だよ。死ってやつは基本、何の死に関しても見ていて楽しいもんじゃないからね」
相も変わらず、上機嫌で亜生は話しかけてくる。
対して、
太知はそうした軽い態度に苛立ちを増したらしい。
片膝をついて礼次の脈をとっていた体勢から、急に身を横に立っている亜生へ向けると、見下ろしている亜生の瞳を睨みつつ、断言するように言う。
「……言っとくが、俺だって聖人君子じゃない。相手が本物のゲス野郎なら、迷わず殺すことだってあるかもしれないぞ」
「ってことは、こいつはあんたの基準に照らして、まだゲス野郎としては中途半端だったってことかい?」
「……知るかよ。まだこいつについて俺はほとんど知らない。最初に俺の首を絞めた行動と、お前としていた話の内容だけで判断するなら、殺されても文句は言えないようなやつだろうと推測は出来る。でも、あくまでそれは推測だ。もっとよく事情を知ってからでないと確定判断は出来ない」
一言、悪態じみた言葉を吐いて早々に話を終わらせようと考えていた太知にとって、亜生の質問は想定外だった。
そのため、彼女との会話は想像以上に長く続くことになる。
「じゃあ詳しい説明は私がしてやるよ。こいつはハンギング・ツリーの力を得てすぐ、無意識に母親を絞め殺した。毎度の小言を繰り返されたのがきっかけさ。恐らく、こいつは力を得る以前から、よく心の中で両親を殺してたんだろうね。欲求していたことが偶然、力を手に入れたタイミングと噛み合った。それで母親は窒息死。ここまでは力を偶然に得たやつならよくあることさ。けど、こいつはそこからが違ったんだ。殺した母親のことについて慌ても戸惑いもせず、すんなり受け入れた。そして、しばらくしてから帰宅した父親に関しちゃあ、入念に絞め殺した。わざわざ何度か絞める力を緩めたりして。生かさず殺さずでさんざん苦しめた挙句に、最後は力いっぱい締め上げて殺したよ。首の骨が完全に砕けるほどね。よほど恨みが強かったんだろう」
「……」
「もしかして、やっぱり殺しておけばよかったとか思ってるかい?」
「思っちゃいない……と言ったらウソになるだろう……な。そんな話を聞かされちゃ……」
「ま、そう思い詰めなさんな。まだゲームは終わってないんだ。こっからが本番さ。こいつの生き死にはこれからの対応ひとつで決まる」
言いながら、亜生は太知と向かい合うようにして倒れた礼次の脇へと屈む。
太知のほうは、
疑問で眉をひそめていた。
ゲームが終わっていない?
こいつの生死はこれから決まる?
どういうことなのかと、向かいの亜生に問おうとした。
瞬間、
信じ難い光景を目にすることになる。
向かい側で礼次の脇に屈んだ亜生は、左手をすっと、仰向けになった礼次の胸へと伸ばしたと思うと、それを、
差し込んだ。
胸の中に。
これには一瞬どころか、かなりの間、太知は硬直してしまった。
透き通るように、吸い込まれるように、亜生の左手は礼次の胸の中に入り込んでいる。
もう異常な状況には何度となく遭遇しているのに、こうして肉体に関わってくるような事柄というのは、やはりショッキングだ。
傷もついていなければ、血の一滴も出ていないが、それでも人の体に人の手(正確には悪魔の手だと思えば、それほど不思議でもないのかもしれないが)が埋まっているというのは、気色のいいものではない。
などと、
視覚的な衝撃に絶句する太知だったが、慣れというものの恐ろしさで、ひとつ大きくかぶりを振ると、まだショックを引きずってうまく動かない口を動かし、亜生に問いかけた。
「お……い、お前、それって……何してんだ……?」
自分では努めて冷静に話そうとしたのだが、実際は声がうわずって妙なしゃべり口調になる。
すると亜生は太知へは目も向けず、胸に差し込んだ手元の辺りを集中するように見つめながら回答した。
「外側から見るのは始めてだからビックリしたかい? あんたにも一度やってることさ。精神への直接干渉。と言っても、あんたを始め、ゲーム参加を促す程度の干渉時にはここまではしないよ。ゲームの勝敗がついた時点でだけおこなう行為。力の放棄か、死か。その二択を迫る時にだけこれをやるのさ」
「放棄か……死?」
「以前、私のパートナーにあんたを選んだ際、話したはずだぞ太知。このゲームは簡単に言ってしまえば、私の失った力を回収する作業なんだ。ゲーム・キーパーの力でおこなうゲームのルールは単純明快。敗者は力か、命と力の両方を失うのさ」
「……勝者に何のメリットも無いのがどうも気に喰わないが……それよりその、敗者は命か命と力の両方を失うってのは、どういうことだ?」
礼次の胸へ突っ込んだ手を、どこか乱暴に動かしている亜生の姿に、薄気味の悪さを覚えつつも、太知は顔をしかめながらさらに問う。
「ゲーム・キーパーの力は使い勝手こそ悪いが、それなりに強力だ。無理やりに力を取り返すことだって可能さ。けど、そこは単純にいかない」
「というと……?」
「力があんたら人間に入り込んじまった場合、その力は意識体……俗な言い方をするなら魂とかいうものかな? それと結合しちまう。そして一度でも意識体に結合した力は無理に引き剥がそうとすると、無事じゃあ済まないんだよ。はっきり言えば、力と意識体とを同時に引きずり出すことになる。結果、その人間は間違い無く死ぬ。そういうことさ」
またしても物騒なことを亜生はさらりと話した。
表情も変えず、当たり前のこととでもいうように。
礼次の胸の中を探る手を止めもせず。
「そこが私としても一番、気がかりだった部分だよ。強力な意識体ならいざ知らず、人間のような脆弱な意識体と一体化しちまった力は、無理には引き剥がせない。力を取り戻そうとすると、意識体ごと奪い取ることになっちまう。そうなると、最悪の事態だよ。まず、あの世行きは避けられない」
「……あの世行き……って、つまり死ぬってことか……?」
「そう何度も言ってきただろ?」
ここに来て亜生はようやく顔を上げ、太知の目を覗き込みながらうなずく。
「思うに、それが昔から語られてる悪魔に関したおかしな伝え語りの原因だろうね。人間から力を取り戻そうとすると意識体ごと奪わなきゃならない。そこを曲解されて、悪魔は魂を奪うという共通認識が出来上がったんだろう。こっちとしちゃあ迷惑な話だが、あながち間違いとも言い切れないところがつらいとこさ。事情があってのこととはいえ、結果的に意識体を奪うような場面は多かったろうからね」
甘い展開など想像すらしていなかった。
今までの人生での経験則から、最悪の流れを常に考えていた。
ではあるが、
やはりきつい。
最悪に限りなく近い展開を示されてしまうと。
下手をすると命に関わると話された時点で、太知はすでに自分が死ぬかもしれないという覚悟はしていた。
身についた習性と言っていい。
あらゆる不幸、不運を味わってきた太知ならではの諦観。
だが、自分以外の命についてはそう素直に飲み込めない。
軽々しく……本当に文字通り、軽々しく自分の身の回りにいた人間が死んでいくのを目の当たりにしてきただけに、そこだけは太知も覚悟する気になれなかった。
それが、
この流れからすると、ゲームを進めていけば戦うたびに誰かひとりが死ぬ危険性を負うことになる。
それゆえに、
太知は亜生へ問わずにいられなかった。
「……他に……手は無かったのか?」
「他の、というと?」
「何も、ゲームに参加させるだけが道じゃないだろうがっ! なんとかうまく交渉して、力を放棄させようって考えは浮かばなかったのかよっ!」
堪えきれずに太知は怒声を上げる。
「ゲームへの参加を拒めば死ぬって言ってたよな。ならなおのこと、ゲームに参加させる以前の話し合いでどうにかしようとするのが筋だろ!」
意識があった時の礼次よろしく、冷静さを欠いた太知の怒鳴り声が響く。
ところが、
睨み据えた亜生の瞳は冷静そのものだった。
ともすれば冷たく感じるほどの落ち着いた調子で、太知に返答してゆく。
「そこもまたそう簡単にはいかない。分かってるだろうが、私の主目的は自分の力を取り戻すことだ。けど、もしも私の力で悪さをするやつが出てきたらどうする? 可能性の問題じゃない。現に礼次はふたり殺した。放っておけば恐らくもっと殺していただろうさ。それを未然に防ぐ意味でのゲーム参加。参加さえさせちまえば、ゲーム・キーパーの力でゲーム以外では力の行使をできなくさせることができる。無関係な人間から犠牲者を出さないための必要不可欠な対策だったんだよ」
「でも……だからって……」
「分かるよ。理屈じゃない部分で納得できないんだろ? けど、どうしようもない。ゲームの参加を拒絶すれば、すなわち死ぬって前に言ったね。力の放棄を断られ、ゲームへの参加も拒まれたら、もう私のとれる手段はひとつきりだ。自分の力を強制的に取り返すしかないさ。礼次のことを思えば分かるはずだ。力を持たせたまま、人間を自由にさせておくのがどれほど危険か。そういうわけで言ったんだよ。参加拒否したら死ぬって」
確かに……、
人間に過ぎた力を与えるとどういう悲劇を生むかは理解しているつもりだ。
太知も頭では理解している。
が、亜生の言う通り、理屈ではないところで納得が出来ないのも事実。
亜生の言い分の正当性も分かる。
誰もが自分のように力など自主的に返上する気持ちでさえいてくれれば、こんな問題は起きなかったろう。
前に亜生の言った通りだ。
人間は欲深い。
自分の命と力を天秤にかけて、結局は力も命も失う。
愚かしいほど強欲。
悪魔の亜生は、人間の持つ知恵について聞かされたが、果たして人間というのはそれほど利口なのだろうかと疑問に思う。
どんな力も、命を失えばどうしようもないというのに……。
思わず、太知は無意識に頭を抱えてしまった。
すると、
事態がいきなり一変する。
地面に寝ていた礼次の体が、のけ反るようにして跳ねた。
途端、変化に気付いた太知は顔を上げる。
見えたのは、
激しく痙攣する礼次の姿。
亜生はといえば……依然として腕を礼次の胸に突き入れている。
ただし、
表情は険しかった。
明らかに何事か問題が起きたという表情。
それらを見て、太知はすぐさま最悪の事態を予想しつつ、その上で亜生に問うた。
「ど、どうしたんだ?」
「……予想通り……というのも嫌な感じだが……こいつ、やっぱり力を放棄しようとしない。こうなると……クソッ……!」
説明を聞くまでも無く、亜生が最後に漏らした悪態だけですべてが知れた。
思っていた通りの流れ。
最悪の展開。
そこからどのくらいの時間だろうか。
忌々しげに礼次の胸へ突き入れている手をそのまま、小刻みに動く礼次の体をしばらく亜生は見つめていたと思うと、
一瞬の躊躇を顔に浮かべたように見えた。
刹那、
亜生は礼次の体から一気に手を引き抜く。
その途端だった。
礼次の体が動きを止める。
ピクリともしない。
今はもう露わに見える胸元を観察する。
呼吸に伴う胸の上下も無い。
横向きになった顔は力を失い、だらしなく開いた口の端から、涎を地面に伸ばしている。
うっすらと開いた両目に生気は感じられず、瞬きもしない。
ここまで確認し、
太知はみぞおちを襲うキリキリとした痛みと一緒に、次の間で亜生から聞かされるはずだった事実を一足早く知った。
「……すまん太知……」
引き抜いた手を握りしめたまま、亜生は絞り出すように言うと、言葉を続ける。
「どうしても……力を放棄しなかった。できれば、どうにかしたかったが……もう、説得してどうこうできるとは思えなかった……だから……」
そこまで聞いただけで太知はすべてを察した。
無理に奪うしかなかったというのだろう。
つまりは殺したと。
そういうことだ。
唯一、救いに近いものがあったとすれば、
礼次が自分の認識に間違い無ければ、死んでも当然のろくでなしだったということ。
そして、
力を奪い返して結果、礼次を殺した亜生が、うなだれて力無く落ち込んだ様子だったこと。
分かってはいる。
相手は悪魔。
そういう芝居かもしれない。
それでも、
そう見える事実だけで救いになる。
よくよく自分は単純だと、太知は思う。
ついさっきまで生きていた。
今はただの屍。
命など本当にあっけない。
そんな礼次の遺体を、ぼうっと見つめていると、亜生はつい今しがた礼次の胸から引き抜いた左手を太知に差し出す。
露の間を空け、
強く握られたその手が開かれると、
そこには、小さな骨片のようなものが握られていた。
焼かれた骨とは違う。
生きた骨。
何故だかは分からないが、太知にはそう感じられた。
「これが……ハンギング・ツリーを具現化した物質だよ。今回、一連の問題を引き起こした力のひとつ。出来れば……無事に取り戻したかったが……」
苦しそうに話す亜生の声を聞きながら、太知は差し出された手の中にある骨片のようなものを見つめる。
ふいに、風が頬を撫でた。
湿った土の匂いが香る。
それから、
太知はゆっくりと立ち上がると、ふと空を見上げ、
「……力を得て地獄……失う時はなお地獄……かよ……」
つぶやき、しばらくその場へ立ち尽くした。




