プロローグ (1)
手拍子が聞こえる。
陽気な手拍子。
そこかしこから。
ともすれば耳障りにすら感じる手拍子が。
規則的な、パンパンという音に乗せ、伝わってくる。
(リズムに合わせろ)と。
すると、
次第に今度はメロディが聞こえてくる。
不思議な電子音。
それがさらに声無き意思を強く流し込む。
(リズムに合わせろ)と。
抗う気も無く、外からの意思に身を任せていると、少しずつ気分が高揚するのが分かった。
小刻みに首を振り、
小刻みに指を振り、
リズムを取る。
聞こえているのは何の音楽だ?
ポップ?
ロック?
テクノ?
でも今はどうでもいい。
リズムに身を任せるのも悪くは無い。
奇妙な音楽と手拍子。
それを聞きながら、自分自身もビートを刻み始める。
調子は上がってゆく。
合わせるように、
聞こえていた手拍子と電子音のテンポも上がってゆく。
(気分はどうだい?)
そう言われたように感じた。
気のせいなのか。
実際に言われたのか。
それもどうでもいい。
声無き意思には声無き意思で答えよう。
機嫌良く全身でリズムを刻みつつ、心で思う。
(ああ、いい気分だ)
空でも浮遊しているような感覚。
興奮に近いほど高まってゆく感情。
子供の頃、遠足前日に温かな布団の中で身じろぎしながら味わっていた気分によく似ている。
数少ない、幸せな思い出のひとつ。
そうしている間に、今度は、
(そいつは良かった。なら、あんたも参加で構わないね?)
またも声無き意思が伝わってくる。
そこでふと気づいた。
何のことは無い。
声が聞こえないのは当然だ。
どうやらこれは直接、自分の頭の中へ響いてきているらしい。
誰の声かは知らない。
興味も無い。
だが……、
(参加ってのは……どういう意味だ?)
この疑問だけは無視しきれなかった。
(参加は参加さ。ゲームにね。楽しいゲームだよ。どうだい?)
頭の中へ、ぼんやりと響いてくる男とも女ともよく分からない声がそう答える。
回答は返ってきた。
が、疑問が消えるほどの答えでもない。
というより、別の疑問すら浮かんできてしまう。
ゲームとはなんだ?
改めて問いを出そうとしたその途端、
(何を躊躇してる? 答えはカンタンだろ? イエスかノーだ。単純明快な話さ)
せっつくように声が頭の中に木霊する。
当たり前のことだが、判断力が欠落している時、その当事者はそのことを容易には気づくことができない。
何せ文字通り、
判断力が落ちているのだから。
それゆえに、多少の疑問については面倒さも手伝い、ざっと目を閉じてしまう。
後々になって、それがどんな問題を引き起こすかなどは、露ほども考えずに。
(ゲームに……参加するかどうか……って?)
ふやけたような思考力で吐きだせたのは、そんな思いだけ。
それに対し、再びの回答。
(そうさ。なんてことは無い。ただのゲームだよ。楽しいぞ? 今、感じているような世界で遊ぶんだ。仲間もたくさんいる。断る理由なんざ無いだろう?)
確かに。
今の気分は決して悪くない。
いや、気持ち良くさえ感じる。
こんな気分を味わえるゲーム?
一体どんなゲーム?
そもそも、今のこの状況はどうなっている?
……と、
こうしたまっとうな疑問が浮かぶほど、思考がはっきりしていれば幸いだったろう。
だが、実際はそうではなかった。
現実の思考は今の状況を気持ち良く感じていることを理解したところで途切れていた。
結果、
答えは決まる。
(参加したら……どうなる?)
(もちろん、たっぷり楽しむのさ。あんたも私も、他の連中も。仲間外れは無しだ)
(楽しむ……)
(さあさあ、はっきりしなよ。何を迷うんだい。聞いているのはイエスかノー。たったのこれだけじゃないか。早いとこ言っちまいな)
気のせいか、まるで答えを急かしつけるように周囲から聞こえる手拍子とメロディがさらにテンポを上げてきたように思える。
高揚した気分。
興奮状態の感情。
回らない思考。
そして、
(……分かったよ。イエスだ。参加する……)
最後は少しばかり投げ遣りにそう、心の中で答えた。
瞬間、
(参加了承、感謝!)
今までとは比べ物にならないほどの音量で、誰とも知らぬ声が頭の中に轟いた。
(これでようやく役者が揃った! 改めて参加してくれたことに礼を言うよ。なあに、心配いらないさ。後悔はさせない。たっぷり楽しませてやるさ。みんなで飽きるまで、とことん楽しむとしようや!)
聞いているだけで息切れしてきそうなほどに早い手拍子とメロディに混じり、大音量の声がそう言ったのとほぼ同時、
安定感さえ無かったが、少なくともそれなりにしっかりしていると思っていた意識が遠のいてゆく。
手拍子が間延びし、
電子音は霞がかかり、
誰かの声は……、
もう、聞こえない。
代わりに、
消え入り始めた意識の中で、それと反比例するように正常化してきた思考が、一瞬だけ疑問を抱く。
今となっては意味の無い疑問。
そう、
落ち込んでゆく意識の中でわずかに一言、
(……お前……一体、誰だ……?)
掻き消える自我の発した最後の問いは空しく響き、露の間を空け、
すぐに。
跡形無く、意識は暗黒の中に埋没した。