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第三章 兄妹と争いと(2)

 お嬢が蒼一郎サイドに拘束されたという前代未聞の事態に、屋敷の中は騒然としていた。

 帯刀さんは屋敷に戻るや否や、神野さんと黒スーツではない何人かの護衛を引き連れて会議室へと足を運んだ。

 現在その会議室では瑠璃姫奪還作戦のブリーフィングを行っているところで、私はそれを黒スーツ達とともに休憩室で待っている。怪我をしている者達は立っているのも辛いだろうに、しかし落ち着いていられない気持ちは理解できた。

 もしかしたらお嬢は、雪久のこともなにもかも気付いているのではないかと、そう思わせるような態度だった。お嬢が蒼一郎に捕まったと知れれば雪久は間違いなく動くだろうと予測しての行動なのか、そこは今お嬢のみが知るところだ。

 獲物に対して明らかに見合わないエサをブラ下げた釣りだろう。傍にいないのでは守りようがなく、帯刀さんとてこの状況は戦々恐々としたものではないのかと思うが、しかしそんな様子は見られなかった。

 むしろ覚悟を決めた、肝が据わった、そう捉える方が的を射ている。あの時お嬢と帯刀さんが交わした一言は、やはりなにか重要な意味を持つ言葉だったのかもしれない。


 そんな考えてもしょうがない推測を並べていると、休憩室の扉が開き帯刀さんと神野さんが戻ってきた。

「お待たせしました」

 これまで何度か聞いてきたその言葉だが、今は少しだけ待ち遠しいと思っていたことに驚きを覚える。

「私達はこれよりお嬢様を救出するべく別邸へと向かいます」

 帯刀さんの後ろには迷彩服姿の男達が数名控え、一目見ただけでも歴戦の兵だということがはっきりとわかる。黒スーツ達とは比較するのが失礼なほど濃厚な空気をまとっていた。

「私もついて行きます」

 私から言い出したことがよほど意外だったのか、帯刀さんは拍子抜けしたような顔をしていたが、嬉しそうでもあった。しっかりと目を見据え、意志が固いことを態度で示す。黒スーツ達も私のあとに続き、俺も、俺もだ、とやる気を見せていた。

 役に立たないことなど重々承知だろう。だが、ここで立ち上がらなければ男ではない。

 なかなかどうして、やはり人望は厚い。ここにいないお嬢に向けて、心配をかけさせるなと叱ってやりたい気持ちになった。

「ありがとうございます。むしろこちらからお願いしようと思っていました。本作戦にはあなたの協力が必要不可欠と言えますからね。危険を伴いますが、その覚悟はありますか?」

「ええ、心配はご無用です」

 ここまで関わってしまった以上、毒を喰らわば皿までという奴だ。

「では作戦の概要を説明します──」


                ▼


 少しばかり、いや、かなり後悔している。

 私は作戦を遂行するため、郊外の森林地帯に寂しく佇む別邸に向かって帯刀さんとともに歩いている。さっきまでの勢いは威を潜め、気乗りがしないせいか足取りが重い。

「どうしました? もうすぐそこですよ」

「……はい」

 確かに、もしも彼女・・の気持ちが本物であるのならば有効な作戦ではあるが、これが成功した暁には漏れなくトラブルのタネを抱えることになり、そして失敗は許されない。人の気持ちを弄ぶようなことはできればしたくはないが、彼女にそんな遠慮をすることが既に間違っているような気もする。

 確かこんな時は前門の虎、後門の狼、というのだったか。まあ間違っていようがどうでもいい。私としては成功した後にどうやってトラブルを回避するかという問題の方がよほど重要だった。

 私達の役割は先行しての撹乱。しかしながらその成否如何(いかん)では、後詰の安全度は格段に上がると言える。それはつまり今回の目的であるお嬢の奪還成功率を飛躍的に高めることに他ならないので、渋々ながら引き受けた。

 もうグダグダと考えていてもはじまらない。実際に行動に移しながらそのつど説明していくとしよう。

 ここまで敵の妨害はない。それも相手が絶対的優位に立っており、お嬢を確保しているというアドバンテージがあるがゆえだ。

 なぜこんなにも簡単にお嬢の居場所が判明したかと言えば、回復した衛星からの追跡映像もそうだが、お嬢の服やアクセサリーなどいたるところに発信機が取り付けられているおかげだった。通信さえ回復していれば居場所の把握は造作もないらしい。

 発信機に気付かなかったのか、それとも優位に立っているという余裕からなのか、とにかく情報は確かなもののようで、信頼できると帯刀さんは断言していた。

 辺りは既に闇に閉ざされていたが、静々と照る外灯が道を、まるで死出の(みち)のようにぼんやりと映し出している。途中まで一緒だった黒スーツ達は、私達の突入以降に別邸を包囲、その後彼らに与えられた任務を遂行する手筈だ。

 しかしこうして近くで見ると壮観である。帯刀さんは別邸を要塞と例えていたのだが、その話はまんざらでもなく、実際それ以外に例えようがなかった。邸宅を囲む壁の高さは十メートルにも及び、人力では確実に開門は無理だろう鉄扉(てっぴ)が来客を拒んでいた。

 しかし恐るべきはその堅牢な囲いではなく、尋常ではない数の対空火器が壁面上部や庭園に設置されているという異常なまでの防衛能力である。

ここに乗り込もうというのだから私達も大概だなと呆れる。そしてそんな作戦を余儀なくさせたお嬢にも説教したい。

 ところで。

 なぜ蒼一郎がこんないらぬ手間をかけた回りくどいことをしているのか、それは雪久の思惑が絡んでいるというのが帯刀さんの見解だ。私も同意見である。蒼一郎の目的はお嬢に負けを認めさせることだが、手段を選ばないならばもう一つ、道は存在する。当主までもが静観している以上、例えばこうして誘拐などせずともお嬢を亡き者としてしまえば簡単な話だ。

 しかし雪久は違う。どれもこれもが推測の域を出ないが、彼の目的は水那上家を支配し全掌握すること。その飽くなき野望を達成するためには現当主の存在が邪魔であり、切り札としてジョーカー──お嬢の身柄を欲している。

 それに蒼一郎としても、たった一人の兄妹を自らの手で失うようなことはしたくないだろうし、もっともらしい理由を聞けば簡単に信じてしまいそうだ。


 そうして。

 いつまでもそんな推測を浮かべて現実逃避したかったが、私に与えられた過酷な役目が、とうとう目の前に迫ってきていた。ポツポツと雨が降りはじめ、まるで私の心を映しているかのようだ。

 罠を張って万全の状態で待ち構えているだろう蒼一郎一派の優位性を一瞬で覆すような、そして私の未来に幾条もの亀裂を走らせる可能性を内包した危険な作戦。

 最早壁にしか見えないような鉄扉の脇に備えられたインターフォンを押す。

 既に突っ込みたいことがあるだろうが、そこはとりあえず我慢して欲しい。

 少々の間の後、上部に取り付けられた監視カメラがこちらに向けられた。

『お待ちしておりました』

 帯刀さんが作戦の説明中言っていた通り、来客の応対には櫛田さんが出迎えてくれる。

「櫛田さんですね」

『……梨緒、とお呼び下さい』

「呼んであげて下さい」

 帯刀さんがコソコソと耳打ちをしてくる。他人事だと思って……ッ。

「梨緒さん、お願いがあります」

『……どのようなご用件でしょうか?』

「開門、そしてセキュリティの解除をお願いします」

『申し訳ありませんが、いくらあなた様の頼みと言えどそれは……』

 帯刀さんがメモを懐から出して私に見せる。

「残念です。愛するあなたに、直接、どうしても伝えたい話が──って何ですかこれは!」

『──ですが合言葉をお答えすることが出来ればやむを得ません。お通し致します』

 フィッシュ! 思わず竿ごとリリースしたくなるような強い引きだ。ここまでは帯刀さんのシナリオ通り。しかしながら少しうまく行き過ぎじゃないかと不安になる。


『……!』『……』『……!』


 なにやらインターフォンの向こうで口論しているらしい。微かに蒼一郎の泣き声とも取れる喚き声がノイズ混じりに届けられた。

 しかし合言葉など予定にはなかったがいいだろう、受けてたとうではないか。いざとなれば帯刀さんが助け舟を出してくれると期待して。

 しかしなんだかお嬢の罵声が聞こえたような気がするが……、きっと空耳に違いない。海苔がどうとか。

『では参ります──ブルータス』

「お前もか」

『お通り下さい』


『……!』『……』『……!』


 ほんの少しだけ門が開き、一瞬監視カメラの動作が止まった。どうやら蒼一郎の妨害にあったようだな、忌々しい。しかし今の彼はまさにカエサルのような気分だろう。

『申し訳ありません、少々外野が……、殴りますよ。あ、いえ、こちらの話です。お気になさらず。もう一度愛言葉をお願い致します』

 微妙に言葉のニュアンスが違う気がするがいいだろう。

『──ロミオと』

「ジュリエット」

『お通り下さい愛しい人』


『……!』『……』『……ゲフッ!』


 門が止まることなく開き続ける。監視カメラは定点を見つめて動かない。

 ありがとう櫛田さん。最後の一言と蒼一郎のものらしい苦悶の声は聞こえなかったことにします。こっちの体罰はなかなか過激なようだ。

 しかし誰でもいいから彼女の記憶を操作して私に関するあらゆる部分を完全消去して欲しい。もしも私の記憶喪失が誰かの手による人為的なものならば、許してやってもいいのでぜひ彼女の分もお願いしたい。

 どうでもいいがこれは合言葉というのだろうか。私にはシェイクスピアがお題のちょっとしたクイズにしか思えなかったのだが。いや、深く考えるのは止めておこう。

「お見事です」

 満面の笑顔と控えめな拍手で隣人が賞賛する。残念ながらこの策の提案者からの、本件に対するフォローは期待できそうになかった。

 とにかく第一関門突破だ。悠々と人気もセキュリティも皆無の前庭を通過し、堂々と内門を開けて侵入する。

 いくら本邸よりは手狭だとはいえ、それでも相当に広い屋敷。普通ならばここで傭兵の待ち伏せに遭うところだろうが、いの一番にセキュリティが解除されるなどまさか思ってもみないだろう。

 広々とした空間はまるで御伽噺(おとぎばなし)に出てくる貴族のお屋敷のようで、見上げてみれば巨大なクリスタル細工のシャンデリアが輝いている。

 多少改築されているようだったが、それでも大体は図面通りの造り。帯刀さんに先導されるままに通路を抜け、目的の場所へ向けて走り出す。急ぎ、しかし警戒しながら確実に前へ。

 拍子抜けしそうなほどなんの妨害もない行程の先、一際大きな扉が迫る。中には大勢の人間の気配。帯刀さんと目線だけを交わし、扉を開け放った瞬間飛び込む。と──


 確かに扉の向こうには人がいた。

 重装備で固めた兵士達、中にはあの時の指揮官もいる。

 だが問題は──その全員が既にこれでもかというほどにブチのめされ、気絶しているということだった。

 窓の外、月は雲に隠れ部屋は仄暗く、オレンジの間接照明がささやかに照らす程度。

「……お待ちしておりました」

 兵士達がゴミのようにそこら中に倒れ伏す中、櫛田さんが三つ指添えて正座しながら待ち受けていた。

「……」

 なぜこの人は下着姿なのだろう。

 やはり黒で統一されたそれは匠の業と呼べる、縫製技術の粋を極めた艶やかな姿だった。

 間接照明の明かりに浮かぶ全身を覆い尽くしたゴシックスタイル。そして威容を誇る、音叉のように二又に分かれた、彼女の身長を悠に越える矛。

 なるほど、勝負下着という言葉はそういう意味だったのか。日本人め、侮れない。

「これは一体……」

逢瀬(おうせ)の邪魔でしたので、少々眠って頂くことにしました」

 彼女はさもなんでもないことのようにのたまった。

「それで、お話とは一体どのようなものでしょうか?」

 全くもって無表情を保ち崩さないが、心なしか彼女がワクワクしているということがわかる。背景にバラが咲いていて、少々心が痛んだ。

「ああ、それは……──!」

 帯刀さんの方を向き助けを求めると思いきり目を逸らされた。

 こんな状況は想定していなかった。それにメモをそのまま読んだだけだったのでどういう話をすればいいのかわからない。記憶を失う前も女性の心の機微については疎かったんだろう。

 仕方なしに当たり前の用件を述べる事にする。

「お嬢を返して頂きたい」

 櫛田さんはあからさまに落胆していた。やはり表情は変わっていないのだが、なぜかそう見えるのだからしょうがない。背後の空気が暗く沈んだように私の目には映っている。

 気を取り直したように姿勢を正した彼女は、真っ直ぐな視線を注ぎながら口を開いた。

「……最早無粋は申しません。こうなった以上私とあなたが争うのは必然。運命の出会い。ともに愛の障害を乗り越えましょう」

 そんな妄言を並べながら彼女が立ち上がり、矛をその手に構える。

「ただ一つ、お願いがございます」

「……なんでしょうか」

「約束して頂けますか?」

 凄く、嫌な予感がする。

「もし、私があなた様に勝利したその時は……」

「時は?」

「結婚して下さいまし」

「お断りしま──ッ!」

 言葉を返した刹那、迷わず後ろに飛ぶ。

 押し潰されそうな気配が矛とともに上から降り注いでいた。それまで私がいた場所は鈍い音を立てて、床材を突き破りコンクリートを周囲に撒き散らしていた。随分と砕かれたもので、とても女性の膂力(りょりょく)で行った所業とは思えない恐ろしいまでの破壊力。

「ご安心を、ちょっと眠っていただくだけの話です」

 さらりと怖い事を言ってくれる。

 彼女は矛を振り下ろしたまま首だけをこちらに向け、逃さないとでも言うように私を見つめ続ける。冷凍庫の中に押し込められた気分だ。彼女は雪女かなにかの末裔で、口からは冷気の塊が放出されていると言われても信じるだろう。

「残念ですがご期待には沿えそうもありませんッ!」

 言い切ったところでとんでもない重圧が襲い掛かってくる。おそらく帯刀さんと比べてもなんら遜色ない。それどころか私にとっては、執着だとか欲望だとか即物的な情動が向けられているせいかそれ以上にも思えてくる。と、彼女の姿が揺らいだように見えた瞬間。

「──!」

 余分な動作の一切を感じさせない神速の薙ぎ。ポーカーフェイスとはこういう局面でも厄介である。呼吸すら気取らせない無音の表情は、激しい破壊音を轟かせる戦いの真っ最中であることを忘れさせるほどに静かだ。

 一見力任せに振り回しているように見えるが、牽制を混ぜて巧みに連撃を繰り出してくる。思考している暇も与えてはくれない。

 なぜか帯刀さんは我関せずという感じで隅に移動し、オーディエンスと化している。

 目線で助力を嘆願するが、「いやあ、女性相手に二対一というのも気が引けますし」という幻聴が聞こえてきそうな表情だった。笑いを堪えているようにも見える。リングサイドに辿り着くことができてもタッチは期待できそうになかった。

「流石です」

 一呼吸。矛は相変わらず構えたままで、目はしっかりと私を見据えている。

「退いて貰えませんか、こんな戦いは不毛です」

 彼女とて現状に危機感を抱いているはずだ。こうして私達が潰し合うこと、それはつまり、既に雪久の思惑に乗ってしまっているということに他ならない。

「それでも私はお坊ちゃまをお守りする義務があります。あなたや帯刀主任がそうであるように、私もまた同じです」

 そうして言い放つ彼女から感じる重圧がさらに膨れ上がる。

「──(うな)れ」

 まるでこの部屋全体が震えているような、そんな気さえする。彼女の持つ矛からは耳鳴りのような鈴の音が鳴り響き、場を威圧感で埋め尽くしていく。

 彼女の胸の中心に浮かび上がっていた刻印。∞の文字を十字に重ねたそれが、スミレのような鮮やかな紫に輝き光を増していった。

 ここでようやく帯刀さんが口を開く。

「ああ、言い忘れていましたが彼女は識者(ロア)です。気を付けて下さい」

 矛を目にした時から察しはついていたが、そういうことは早く言って欲しい。

「彼女の持つ双祇(そうぎ)愛染(あいぜん)の能力は音波を操ります。マトモに喰らえば超音波破砕で骨が粉々に砕かれますよ」

 ならば助太刀を所望するのだが、やはりそれは叶わないらしく変わらず他人事のような口調で淡々と告げていた。

「本気で参ります」

 言葉と同時に彼女が消えた──ように見えるほどの鋭い踏み込み。

 刺突。これまで以上に鋭く速く、重い。

 思考をキャンセルする。残された選択肢は少ない。咄嗟に体を捻り、そのままの勢いで制空圏から離脱する。

「──!」

 間一髪だった。もう少し判断が遅ければ腕の一本も持っていかれただろう。

 その矛の持つベクトルが向かった先──背にしていた壁はまるでビスケットか何かのように粉々となり、破片が床に零れ落ちていた。これまでの破壊とは質の違う一撃。矛というよりトラックが追突したような痕跡が残っている。

「惜しい……」

 櫛田さんは感情の籠もらない顔と瞳と声を同調させて惜しんでいた。全くそう思えない口ぶりなのだが、何だか暗黒の思念が送られてきている気がして肌が粟立つ。

 冗談じゃない。あんな一撃を喰らったら気絶どころか痛みを感じる間もなく他界できそうだ。

 忘れていたが私も一応武器を持たされている。しかし警棒に毛が生えたような程度の代物、というかただの長めの警棒なので忘れたままでも良かった気がした。あれを受け止めようとするにしては頼りなさ過ぎるし、無謀もいいところである。受け止めるならば、だが。

 それにいくらこうして相対しているとはいえ、やはり女性相手というものはやり難いものだった。

「どうしても、退いて頂くわけにはいきませんか?」

 甘い、と言われるかもしれないが、彼女のような人物を傷付けるのは気が乗らない。できることなら争うことなく退いて貰いたかった。

「……はい」

 だが私も一応お嬢の安全がかかっている以上譲れない。どちらかといえば私をこんな状況に追い込んだ原因であるのでこのまま帰ってもいいのだが、そこはどんなお仕置きをしてやろうかと考えることでバランスを取ることにした。

 そして、所詮私は野蛮な人種だったのだろう、と痛感せざるをえなかった。


「では──全力には全力をもって応えます」

 鼓動が早まる。体が戦いを受け入れ、血液が沸騰する。

 まるでここが、戦場こそが私の居場所であるかのような奇妙な居心地の良さ。それと同時に強烈な、取り残されたような寂しさが襲う。

 

 私の気配が変わったことを察したのか、彼女の気配もまた変化していた。私を計りきれていない、そんな戸惑いと警戒を感じさせる。そしてそれはおそらく正しい。

 彼女は強く、加えて矛も厄介極まりない。それは正直な感想だ。しかし、

「──ハァッ!」

 予想通りの軌道。無駄な動作を感じさせない最短の距離を走り、矛が迫る。

 きっとそれは彼女の美点なのだろう。とても素直で、しかし真っ直ぐすぎた。

 体を半身に捻り、踏み込む。まるで死を具現化したような鋭い刺突がすぐ傍を通り抜けていく。軌道を逸らすためだけに添えた警棒は鉄クズと化していたが、それだけで十分だ。

 申し訳ない。言葉には出さず、そう心で謝罪する。

 踏み込んだ勢いのまま彼女をも通り過ぎる。矛を挟んで背中合わせとなった時にはもう遅い。

 背を向けたまま矛の石突を掴み、円を描くように矛ごと彼女の体を投げ飛ばす。

「──ッ!?」

 反転した視界に混乱した彼女は放り出されたまま床に背中を叩き付けていた。。

 すぐに立ち上がり構えを取ったところは流石だが、既に私は後ろを取っている。

 これで終わりだ。

 彼女の基本的な身体能力は帯刀さんや私と比べると見劣りするものだった。それがまず一つ。そして絶対的に足りない経験。私がどれだけ功夫(クンフー)を積んだのかは知らないが、反撃するつもりで相手をするならば、彼女は脅威たりえない存在であった。

「まだ続けますか?」

 これで退いてくれれば、と願いを籠める。櫛田さんは片膝をつき、顔だけをこちらに向けて私を見上げていたが、すっくと立ち上がり一言。


「……いえ、そろそろ時間のようです」


 頬を染めながらケロッ、としていた。呆然とする。

「はい。そこまでです」

 帯刀さんと櫛田さんの二人は申し合わせたように戦いの終わりを告げていた。

「あなたもまだまだですね。しかし今回は相手が悪すぎました」

「いえ、精進が足りなかったようです」

 なんていう暢気な会話まではじめる始末だ。

「そろそろ雪久様が動きはじめた頃です」

 矛が光の粒となって消え去り、櫛田さんの態度は一転していた。

「どういうことです?」

 何度同じ質問をしたことか。とにかくさっぱりわけがわからない。

「あなたにも黙っていましたが、彼女は元々こちらの協力者です」

 頭を抱える。

 そういうことは早く言って欲しい。大体私にそれを黙っている必要性も感じないし、今の戦いは一体なんのためだったのかすらわからなくなってくる。

「不思議に思いませんでしたか? この光景を見て」

 確かにそうだ。彼女なら先ほど述べたような理由でもやってしまいそうで判断が付かなかったが、これは明らかな反逆行為だ。おいそれとやっていいことじゃない。

 いや、違う。彼女はさっきこう言った。雪久が動いたと。

「……なるほど」

「はい、雪久様が直接動かれた以上、これはお嬢様と蒼一郎様の当主争奪戦ではなく、雪久様による水那上家に対するクーデターです。そして彼らは雪久様子飼いの私兵。反逆者であるのはむしろ彼らの方です」

 予想は的中していた。だがそうなると一つ、頭がさらに痛くなる疑問が残る。

「だったら最初からあのやり取りも、戦う必要もなかったのでは?」

「いいえ、それについては私からの希望です」

「ええ実は……、彼女からどうしてもと頼まれまして。結婚を賭けて勝負がしたいと」

 久し振りだな、眩暈がする。頭痛とのコンボは中々効くな。

 なんだってそんな条件を飲んだのか。彼女の恋愛感はどうやら私の常識とは光年単位でかけ離れているようだ。

 それはともかく知らされていれば確実に断ったが、せめて帯刀さんも私に一言くらい相談して欲しい。

「確かにあまり意味があると思えない要求を飲んだことは事実ですが、しかし私なりの考えもあったのです。黙っていたことは申し訳ありません」

 帯刀さんが深々と頭を下げる。そしてそのまま巻き戻しのような動作で頭を上げ、言葉を続けた。

「これは雪久様によるクーデターです。ただそれでも彼女は蒼一郎様の付き人であり、その意向に逆らうという無理をさせるためには、それなりの条件を付けるという建前(・・)が必要だったのですよ。職務を全うするためにあなたと戦い、そして負けたという事実を作る。正当化するための方便という奴です」

 素直に納得できる話ではないが、櫛田さんに無理をさせたことは事実だった。

「しかし……、いや、そうとは知らず申し訳ない。怪我はないですか?」

「はい。ご心配には及びま……、ああ……」

 物凄く不自然な間の後にやはり不自然な動作で勢いよく倒れた。相変わらず無表情だが彼女の周囲がピンク色に染まっている。

「櫛田さん?」

「私はもうダメかもしれません……あ、あと梨緒とお呼びください」

 ワザとらしく震えた手で手招きをしている。本能が警鐘を鳴らしはじめた。

「キスしてくれたら治るかも……」

「先を急ぎましょう」

 これ以上マトモに相手をしていると気勢が殺がれる。とりあえず無視して話を元に戻そうと隣人に話題を振ったが、どうやら心配いらなかったようだ。

「ところでお嬢様はご無事なのでしょうか?」

 帯刀さんもふざけている状況ではないことを理解していた。櫛田さんも諦めて立ち上がり、従者としての顔を見せる。

「はい、現状その点は心配いりません。雪久様はお嬢様を旦那様との交渉のカードとして使うつもりのようです。ですがもしもそんな事態になってしまえば、その時は旦那様もお嬢様も無事では済まないでしょう」

 卑劣で姑息な手を使う。遠慮をする必要は微塵も感じられなかった。

「そろそろ兵がいないことに気付いて脱出の手筈を整えているでしょう。しかし──」

 私達が入ってきた扉の向かい側、屋敷の奥へと続く扉が勢いよく開き、櫛田さんが後ろへと振り返る。そして続く言葉を発したのは帯刀さんだった。



「ええ、既に包囲は完了していますよ。雪久様」


 扉の向こう側、愕然とした表情を携えた男に、帯刀さんはそう告げていた。

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