第二章 主と従と(6)
「おいお嬢、それは私が丹精籠めて育てたハラミだ」
「とっとと食わない奴が悪いのよハグ」
小憎たらしい。
「まだありますから、ほら、そこの焼けてますよ」
せっせと帯刀さんが網の上に肉を載せているのだが、お嬢が良い頃合のものを次々に自分の皿に持って行ってしまうため、ほとんど口にできていなかった。
がしかし食事の時ばかりは水那上家に就職して良かったと思わざるをえない。
お嬢の注文を繰り返させて頂こう。
「カルビタン塩ロースハラミ、冠は超特上で、あ、カルビは骨付き中落ち普通の全部ね、んでもって今のをそれぞれ十人前! ご飯大盛り!」
少しだけ褒めてやりたい。ただ『超』の付く品はないらしく至極残念だ。
もちろんご飯は大盛り二人前に訂正しておいた。そうして今は通された奥の個室でおいしく頂いているという流れとなる。
ハラミ以外の内臓関連は焼いているのを見るのも嫌だというので砂肝は我慢してやろう。これだけ豪勢な肉、肉、肉が並んでいるのだから贅沢を言っては罰が当たるというものだろう。
「しかしあれがお嬢の兄だとはな」
「なっさけない男よ、いーっつも梨緒の後ろに隠れてばっか」
「まあそう言わないであげて下さい」
確かにお嬢の言うとおりだ。長男がアレじゃあ家督を長女に譲りたくなった親父殿の気持ちもわかる。だからといってコイツが当主に向いているかと言われれば首を横に振るが。なぜかって? 私は未だお嬢の半分も肉を口にできていないからだ。
「……」
「? どーしたのよ? 肉なら追加していーわよ?」
お嬢にしては珍しく心配気な表情と声を出す。しかし失礼な奴だ、私が食い物のことでしか悩まないとでも思っているのか。
「いや、なんでもない」
断っておくが決して肉が残り少ないから不貞腐れたのではない。この兄妹の対立についてどうも腑に落ちない点が多いと感じたからである。
まず勝ち負けの定義についてがそうだった。そもそもが曖昧すぎる。
お嬢の性格やプライドの高さから察するに、仮に負けたと心から感じればそれを認めないということは考えられないし、むしろ自分から次期当主の座を退くだろう。
大体本人からその座に対する執着が感じられない。単に負けず嫌いというだけでこの勝負を受けている気がしてならなかった。
そして蒼一郎のあの性格と根性から予測できるが、あちらは何でもいいから負けを認めさせれば勝負は付くと考えているに違いない。
ならばなおのこと、もっと安全な方法があると思うのだが、金持ちの考えることはわからん。強いて言うならば、そんな程度の勝負に当主の座を賭けるには不足というところか。
しかしこの対立騒動の過激化については蒼一郎の意見ではないだろう。あの少年ならばチョコザイな勝負で勝ったとしても両手をあげて小躍りして喜びそうだ。むしろそれを望むだろう。
それがもう一点の気になるところだ。この争いの裏には別の誰かの思惑が隠れているような、落ち着かない感じがする。お嬢のパソコンにウイルスを仕込んで満足するような小物が、血生臭い争いを自ら考え付いたとは思えない。
櫛田さんが入れ知恵したという可能性も限りなくゼロに近いだろう。どこかしら帯刀さんと似た、武人気質とでも言うべき性質が見られる。蒼一郎に対してはともかく、本来の主である水那上家に対する彼女の忠誠は確かなもののように思えた。加えて真っ向勝負、正々堂々とケリを付けることを善しとするタイプの人間だろう。
この辺の事情については帯刀さんに確認した方が良さそうだ。大方蒼一郎の方が操り易そうとかそういう狙いで近づいた輩でもいるのだろう。
彼らを一見しただけの私ですらそう思えてくるのだ。良く知るだろう帯刀さんからしてみれば、既に目星は付いている、ないしは確定していると見て間違いない。
そんな私の目線に気付いたのか、苦笑を浮かべた帯刀さんは、やはり全てを知っていて、その上で隠しているように見えた。
とりあえず感想を述べておくと、正直言って面倒臭い、だ。利権絡みの内部の事情など知ったことではないが、無視していられる状況でもない。本当に面倒だ。
「ゲフー」
何度も言うがコイツは本当にお嬢様と呼べるのだろうか。むしろ性別として女なのだろうか。満足気な顔で目を細め、満腹感に浸っている。甘ったるそうな練乳でデコレイトされたアイスを幸せそうな顔で頬張り、デザートも完食。あれだけあった肉は全て綺麗サッパリ私達の腹に収納され、来世に想いを馳せている。次回は神戸ビーフあたりへ転生して頂きたい。
それはいいとして。
コイツには聞くだけ無駄だと思い、何も聞かないことにした。それが帯刀さんの望みでもあるようにも思える。なんとなくだが、私もコイツはこのままで良いような気がした。
遅かれ早かれ、望むと望まざるとに関わらず知ることになる。そういう渦の中心に嫌でも居続けなければならないのだ。それまでは気楽に日常を過ごさせてやりたい、そういう想いを踏みにじるほど、私は非情ではなかった。
しかし推測ばかりなのも気持ちが悪い。どういうことなのか、なるべく早い段階で私も知るべきだろう。これがだんだんと深みにハマってきた証拠なのか、それとも従者としての心構えができたのか。どうでもいいと思っていた自分の心情がよくわからなくなってきていた。。
「お嬢、そろそろ行くか」
「んー、次は服ね」
「了解しました、車を表に回してきます」
どうやらまだまだ遊び足りないらしい。覚悟を決めて、せいぜい夕食までの腹ごなしをさせて貰うとしよう。
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私が万能のネコ型ロボットだったらどれだけ良かっただろうか。しかし私のポケットは叩いてもビスケットが粉々に砕け散る程度の至って普通の代物で、収容可能数は三次元に準拠している。つまりこの大量の荷物は私が抱える他ないということだ。
「お嬢」
「んー?」
素知らぬ顔でまだまだ品を選んでいる。衣服ばかりなので重量は大したことないのだが、その体積は私の抱えられる限度を越えようとしていた。
「もう持てん、一度駐車場まで引き上げるぞ」
「何よ、だらしないわね」
ところ変わって現在はブランドショップが立ち並ぶ街に来ている。ショップ巡りをして早一時間、総額数十万に及ぶ衣類、小物が私の手に握られ、また抱えられていた。
この脳髄の隅々まで夏休み真っ盛りなお嬢様はだらしないとふざけたことを言っているが、顔を横にずらさなければ前が見えないほどの量だ。
まさかここまで大量に買い込むなどとは思わず、子供の買い物だとタカを括っていたのが間違いだった。コイツの財力の桁の数など知りたくもないが、店ごと買い取れる程度は楽勝で用意できるのを忘れていた。
こんなに大量であるなら配送させれば良いものを、その日の内に色々着まわしておきたいらしく私としてはいい迷惑だった。仕方なしに帯刀さんに連絡をして回収をお願いする。
「少しそこで待っていろ」
「んー、早く戻って来なさいよ」
まだまだ持たせるつもりだったらしい。とりあえず代わりに置いてきた黒スーツもいることだし、ついでに帯刀さんには色々と聞きたいことがある。丁度いいので少しばかり休憩させてもらうとしよう。
そうして外に出ると、既にトランクを開けて帯刀さんが待っていた。
「お待たせしました」
一秒たりとも待っていないのだが、そこは突っ込まないでおいた。どんな状況であれ即座に要求に応えてくれる彼の精神には心底恐れ入る。
「いつもこんなに買い込むんですか?」
「そうですね、買い物の頻度自体は少ないですから。こうやってまとめて購入される場合が多いですね」
確かにしょっちゅうこれではあの広々としたドレスルームでさえ流石に埋まってしまうだろう。改めて見てもここにあるだけで一年は着回せるほどの量だ。
「驚かれているようですね」
「一般常識という言葉が霞みます」
「まあお嬢様が着なくなったものはお土産として持って帰れますから。お嬢様くらいの子供を持つ侍女からは結構喜ばれていますよ」
リサイクル態勢もばっちりだった。しかし今はそんな水那上家裏事情よりも気になることがある。
「丁度良いタイミングなのでお聞きしますが」
「なんなりと」
もう私がなにを言いたいのかわかっているのだろう。今にして思えば、あの二人との邂逅の際にも口出しをしなかったのは、二人の人となりを把握させるためでもあった気がする。深読みかも知れないし、ただ面白がっていた可能性も高い。
「お嬢と蒼一郎の次期当主争奪戦のことです」
「ええ、おそらくご想像の通りです」
察しがいい。やはり黒幕の存在、お嬢ではなく、蒼一郎が跡目を継ぐことで得をする人間がいるというのだろう。
「水那上雪久様。お嬢様、蒼一郎様の叔父にあたり、また奥様の弟君である方が、蒼一郎様の後ろ盾として控えています」
雪久とやらは当主の血筋ではないということだろうか。家族構成については未だ知らされていないため、深い事情はわからない。
「色々と疑問はあるでしょうが要点を簡単に説明させて頂きますと、現当主、蒐現様は入り婿です。本来は奥様、雪子様の家系が水那上代々の当主を務めてきました」
その一言で十分過ぎるほど理解できた。
「奥様と旦那様の馴れ初めは語ると長くなるので省きますが、本来女子が長子であった場合、継承権はその婿に与えられます。これは積極的に外部の血を取り入れようという水那上の性質ゆえですね。しかし奥様は元々お体が弱い方でしたので、持っていた当主の継承権は未婚のまま二十歳を迎えた時に失効し、雪久様が継承権を引き継ぐというものでした」
次期当主が病弱ではなにかと不都合もありそうだ。政治的な要因も含めてそれは当然なのかもしれない。
「当主の座に対して、雪久様にお譲りすることに幾何かの憂慮もあったそうですが、奥様は地位そのものにはなんら未練を持っておりませんでした。しかし療養の旅先で出会った旦那様に一目惚れ。護衛として迎え入れた旦那様と二十歳を迎える二日前に電撃入籍し、その時点で旦那様が御当主となられた、という事です」
もしその土壇場の結婚劇がなければ当主となるのはその雪久とやら。確かに禍根を残しそうな話である。逆恨みでしかないが、希望をチラつかされたぶん絶望もひとしおだったろう。
つまるところ前代の跡目争いが、現在違う形で発現したと言ってもいいようだ。
「その後雪久様は事あるごとに旦那様と対立してきました。奥様もそれについてはお心を痛めておりましたが、周囲の者が現状に安堵していたのも事実です。それは雪久様が歪んだ性格と思想の持ち主であったことに由来します」
帯刀さんの顔は珍しく笑みを浮かべておらず、真剣な表情だった。
「雪久様は立場というものを重視するお方で、当時水那上家に仕えていた者達はそれは酷い扱いを受けていたようです。蒐現様が御当主となられてからはそういったことの一切を禁じ、色々と環境は改善されたようですが」
人として尊敬に値しない人物らしい。確かに虐げられるよりは、そうでない方が圧倒的に人気もあるだろう。しかしそれにしたって、当主直系の血族がそこまで権力を抑え付けられるものなのだろうか。
「一言で申し上げると、雪久様はとても臆病な方です。立場の弱い者に対しては高圧的ですが、立場が上の者に対する態度は卑屈としかいいようがありません」
何だかつい最近そういう人物を見た気がしてならないのだが。ボサボサ頭の少年が頭に思い浮かんでいた。
「蒼一郎に似ていますね」
「そうですね。そういうシンパシーもあるのかもしれません。立場的にも似たような境遇と言っていいでしょう。どちらが悲劇的かは置いておくとして」
ガラスの向こう側にいるお嬢は、何の悩みもなさそうな恍けた顔で買い物を楽しんでいる。少しは帯刀さん達の苦労を察してやって欲しい。すると私の視線に気付いたのか、眉をしかめて手招きを始める。
「フフ、お嬢様がお待ちかねですよ」
「人の気も知らずに……」
「最後に一つだけ。蒼一郎様は臆病ですが、それでもお優しい方です。お二方の違いは目的のためなら手段を選ばないその残虐性にあります。雪久様は決して油断ならない相手だということを覚えておいて下さい」
「……わかりました」
確かに見た限りではそんなに悪い奴には見えなかった。踊らされているという自覚もないだろう。
そして櫛田さんの瞳が寂しそうに翳った理由が今、わかった気がした。
第二章 終




