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第二章 主と従と(5)

 はてさて。

 私のご機嫌取りは失敗に終わったのではないだろうか。

 バックミラーに映る帯刀さんは、元から細い目をもはや線にしか見えないほどに細めて微笑んでいる。全く意図が読めない。

 世辞を抜きにして似合っているとは思う。女物の服は良くわからないのだが(男物もだが)、黒いキャミソールドレスとお嬢の瑠璃色の髪の色合いがとても綺麗だった。

 思わず髪を一房すくい「綺麗だ」と言っただけなのだが、瞬間沸騰し赤くなっていったお嬢は私の鼻面に足をめり込ませ、それきり外を眺めたまま私の方を見ようともしない。

「機嫌を直せお嬢」

「ししし知らないっ!」

 よくドモる奴だ。まあこうなっては後の祭、私を恨まないで下さい帯刀さん。

 それにしても意外だった。何が意外かと言えば黒スーツ軍団のことなのだが。

 てっきり彼らも同道するものと思っていた。物々しいことこの上ないが、周囲に目を光らせる黒スーツに囲まれたお嬢が、肩で風を切り街を闊歩(かっぽ)する姿を想像していた。護衛としては役立たずもいいところだということがわかった以上、こういう時にいてくれないのは少し困る。

 だが実際はこっそりと気付かれぬように周囲を警戒し、陰ながら守るというのが常なのだそうだ。確かに前者の方法では要人だと触れ回っているようなものだし、何より目立つ。注目を浴びるのは私も本意ではないため納得できた。帯刀さんだけはこうして運転手をしてくれているが。

 それでも前回の襲撃により狙撃という新たな警戒対象が現実のものとなったことで、これまでも対策はしていたそうだが、より一層厳重なものにシフトしたらしい。

 当然この車もあらゆる防弾仕様が施されている。あの時の剣を自在に引き出せるのであればある程度心配はいらないだろうが、何度試してみてもやはりダメなものはダメだった。ちょっとだけ防弾チョッキの存在を恋しく思った。


 ところで私達は今、日本有数の電気街に向かっているらしい。

 今日は新学期に向けた買い物をするらしく、それでなぜ電気街なのか疑問だったのだが、それには帯刀さんが答えてくれた。

「五稜館学園は紙媒体を使わないのですよ。そのため生徒一人一人にパソコンが与えられているのですが、持ち込むことも可能なのです。そしてお嬢様は一学期終了を迎えた日に蒼一郎様の放ったウイルスプログラムにデータを全て破壊され、激怒したお嬢様は窓の外へ放り投げてしまわれたのです。ちなみに三階でした」

 その兄も兄だが妹も妹だ。下に人がいたらどうする気だ。

「帯刀! 思い出させないで、今でもムカムカするわ!」

「申し訳ありません」

 憤懣(ふんまん)やる方ないといったお嬢とは対照に、帯刀さんは眉をハの字にして苦笑を浮かべていた。

 とまあそういう理由だ。そして今は既に駐車場に車を停め、満面の笑顔の帯刀さんに見送られている。実際はすぐ傍にいるそうだが、帯刀さん自身も護衛のフォーメーションに加わるとのことで同行はしない。

「私は勝手がわからないぞ」

「黙ってついてくればいいの!」

 やはり機嫌を損ねてしまっていた。剣山を思わせるツンケンした態度のお嬢はなかなか足を踏み出そうとしない。

「どうしたお嬢、早く行け」

「はははぐれちゃったらいいいけないでしょ」

 お嬢の小さな唇がプルプルと震えていた。もう少しでいいから落ち着いて喋ることを覚えて欲しい。

「こ、こここういう時のマナーぐらい知っておきなさい!」

 ああ、なるほど。理解した私は肘を差し出し、お嬢が腕を添えるのを待っていた。

 がしかしだ、身長差がありすぎた。お嬢が全力で伸ばしてやっと腕が絡むので、私の肘にブラ下がっているような面白い構図になってしまう。

「フンッ……ヌヌヌヌヌヌ」

 仕方ない、お嬢は嫌がるだろうが趣向を変えてみよう。

「お嬢、無理するな」

 そっと手を握り歩き出す。これではまるで保護者だが、はぐれるよりはマシだ。目の前に広がる人の山は、この小さなご主人を視界から簡単に消し去ってしまうだろう。少しは従者らしいところを見せるとしようか。

 振りほどこうとするかとも思ったが、意外にも何も言わずにされるがままだった。見てみれば赤くなったまま俯き、体調が悪いのかと余計な心配をさせるほどに大人しくなっていた。

「腹でも下したか?」

「そんなわけあるかぁっ!」

 一転して噛み付かんばかりに私を睨み始める。余計なことは言うべきではないと勉強になったが、まあいつものお嬢に戻っただけでも()しとしよう。大人しいお嬢など気味が悪い。のだが──

 何か嫌な暖かさを伴った視線が帯刀さんから送られて来ている。恐る恐る振り返ると薄っすらと涙ぐんでおり、娘の巣立ちを祝う父親のようだった。何か誤解していませんか?


                ▼


 そんなこんなで。

 誤解を解く間もなく主要な買い物はあっさりと終わった。

 とにかく最高の性能の物を頼めればそれで良かったようで、支払いはカード、送付先は五稜館学園、それだけ伝えてやたらと大きなタワー型とモニターを購入し終了だ。

 ならば最初からインターネットなりで注文すれば良かったのではと思ったが、お嬢にとってはゲームセンターの方が重要だったようだ。

 先ほどから私は両替機とガンアクションと呼ばれるゲームマシンを往復していた。

 拳銃にしては不自然なほど大きく、エアガンでもこれよりはマシに思える安っぽい玩具の銃にコードが繋がっており、トリガーを引けば画面に向けて仮想の銃弾が発射されるらしい。

 私もやらされるのかと思ったが、お嬢はゾンビの軍団に一人で立ち向かっていった。

 イメージとしてはお嬢にピッタリなのだが、それが上手さに比例するとは限らない。何度も何度も、素人の私ですらそこまで酷くないだろうと思うほどゲームオーバーを迎えていた。その度に往復するのは面倒になってきたのでまとめて両替をすることにして、その結果筐体の上には一万円分の百円玉が盛られている。

 一人でやる意味がようやくわかってきた。お嬢が下手すぎて二人でやると全く自分が活躍できないから面白くないのだろう。

「くのっ! くのっ!」

 声を出してゲームをやらないで欲しい。恥ずかしい思いをするのは付き添いをしている私なのだ。ついでに言えばお嬢が敵の攻撃を避けてもダメージは喰らっているのだから、避ける動作も必要ないだろう。

 飽きもせずよく続けられるものだと思う。驚くべきはファーストステージをクリアするのに五千円ほどかかったという点だろう。隣の小学生がワンコインでクリアしているところを見て、私の認識は正しいのだと確信した。そろそろ止めておけと注意したが目をギラつかせ、こちらの話など聞く余裕もつもりもなさそうだ。

「そんなに好きならマシンごと買ってしまえば良いだろう」

「そんなのっ! 面白くっ! ないわよっ!」

 下らないこだわりがあるのか。

 私はそんなことよりもだ、すぐ傍から漂うタコ焼きの香ばしい良い香りのせいで、腹が減ってしょうがない。

 今はもう十三時を回っている。朝食を食べ損ねたことも相まって、美味しそうに球体を頬張る青年から強奪してしまいたいと思うほどに飢えていた。よほど目つきが悪くなっていたのか、視線に気付いた青年はそそくさと行ってしまった。臭いだけでも楽しみたかったのに……。

 まだまだ終わる様子のないお嬢を見て、仕方なく缶コーヒーを片手にベンチに座ることにした。するとだ、この場所にあって一際目立つ女に気付く。お嬢も十分目立っているが、それとは別の意味でだ。

 背は私や帯刀さんほどではないが、女性にしてはかなり高い方だろう。肩に掛かる程度に揃えられた黒髪と引き締まった体、射竦められてしまいそうな黒の眼差しがその魅力をさらに際立たせている。

 タイトな黒のパンツスーツ、下側だけが黒く縁取られた眼鏡がそれらを損なうことなく装飾し、どこかのブランドモデルかと思わせる。美女と評して不足はない。黒に魅入られたその女は妖しく誘う魔女のようにも見え、まるでこの場にマッチしていなかった。

 と、お嬢がゲームオーバーにも関わらずその女の方を凝視している。いや、その女の脇でレーシングゲームに興じている少年か。そいつはカーブに合わせて体を捻っていた。

 既視感というより疑似体験というのか。まるで私の先ほどまでの状況を見ているような気にさせる光景だった。まさかとは思う。

 女が騒音の中でもはっきりと聞こえる、水を切るような通った声で少年に語りかけた。

「お坊ちゃま」

 お嬢が銃を手放す。

「なんだよ! 今良いトコなんだ! 喋りかけないでくれ!」

 小銭が地面に散らばる。

「ですがお坊ちゃま」

 お嬢が走る。

「なんだようるさいな!」

 お嬢が振りかぶる。

「いえ、もう手遅れのようです」

 お嬢の渾身の右ストレート。

「なんだブフゥッ!」

 いまさらだが止めに行くとしよう。

 決して黙って見ていたわけではない。呆気に取られていただけだ。

 お嬢の腰の入った一撃を顔面に受けた少年は鼻血を噴き出し吹き飛び、ゲーム機の間に尻がハマっていた。何が起きたかわからない様子で周囲を見渡すが、お嬢の姿を確認しその目を恐怖に歪ませ一言。

「るるる瑠璃姫えっ! なななんでこんなトコにいるんだ!」

「こぉの大バカ兄貴っ! よくもあたしのパソコンブッ壊してくれたわね!」

 ドモるのは兄妹共通か。どうでもいいが殺されかけたことよりパソコンが重要らしい。それに完全に大破した原因はお嬢にある。

 怯えきった声と目でお嬢を見つめる少年が立ち上がる。背はそれほど低くないのだが、例の女の影に隠れているせいかかなり低く見える。実際女の方が背は高い。

 特徴はと言えば、お嬢とは違いその蒼の髪はボサボサで、とてもじゃないが比べられるものではなかった。淀みきった蒼だ。

 顔は頼りなさを象徴するような幼さを残しており、ともすれば兄ではなく弟ではないかと思わせる。お嬢のあの態度のデカさがそう思わせているのもあるだろう。しかし卑屈そうではあるが、良い顔立ちをしていた。流石に兄妹なだけあって面影は似ている。

 なぜ夏休みに制服姿なのかはわからないが、そういうことに頓着の(とんちゃく)ない少年なのだろう。ヨレヨレのシャツにくたびれた紺色のベスト、裾の破けたねずみ色のパンツ。どこをどう贔屓目に見てもお嬢の兄には見えなかった。

梨緒(りお)! あんな奴ブッ飛ばせ!」

「申し訳ありませんお坊ちゃま。私は水那上家に仕えておりますのでその指示には従いかねます」

 なるほど、どうやらこの女、兄の護衛か付き人のようだな。

「今ここで息の根止めてやるわ……」

「やめておけお嬢」

 首の裏を掴み持ち上げる。暴れているため至るところに巻き添えの打撃を受けているのだがとても痛い。

「梨緒っ! そいつこっちに寄越しなさい!」

「申し訳ありませんお嬢様。これでも不肖ながら私の主でして……ハッ!」

 なんだ? 梨緒と呼ばれた女が私の事を穴が開きそうなほど凝視している。

「あ……、あなた様はもしかしてお嬢様の付き人の方でいらっしゃいますか?」

「ええ、不本意ながら」

「不本意ってなによ!」

「言葉のあやだ」

 耳聡い奴め。

「申し遅れました。私、蒼一郎様の付き人を仰せつかっております、櫛田(くしだ)梨緒(りお)と申します」

 そう言い礼をするこの女からも、帯刀さん同様に只者ではない雰囲気が漂う。色んな意味で。全身を毛穴の隅々まで舐め尽くすような視線に背筋が凍る。

 しかし名乗られたからには私も名乗り返さねばなるまい。あの名を。

「私はお嬢の新しい付き人で……、ネコと申します。以後よろしく」

 ニヤニヤとイヤらしい笑みを浮かべるお嬢の顔が苛立たしい。

「……ネコ」

 やはりな、呆れもするだろう。よりにもよってネコだ。正常な神経をしていればまず私の頭の中を疑う。

「はあ……、素敵なお名前です……」

 訂正だ。この人もどうやらおかしいらしい。熱い吐息を吐いて頬を染め始めた。水那上家に仕えているのはこんなのばっかりか。

 ところで自分で言うのもなんだが、付き人という職業はデフォルトで無愛想な上に感情の籠もっていないような喋り方をするものなのだろうか。この女も潤んだ瞳と朱に染まった頬以外は氷ったように無表情を保っていて、ある意味器用とも言える。私はその点を買われてスカウトされたんじゃなかろうか。

 しかしこの女、その性格はともかく美しい。お嬢を初めて見た時とは違う感想だが、完璧とはこういうことを言うのだろう。決定的な差を一言で言い表すならばこうだ。

「──巨乳」

 お嬢の攻撃が激しくなった気がする。むしろ私を攻撃し始めた。

「そのプロポーズ……、(よろこ)んでお受けいたします……」

 神に誓って言うがそんな意味は含めていないしそんな比喩を籠めたつもりもなければ暗号の類でもない。しかしどうやら一人で勝手に盛り上がってしまっているようで、私よりもこの人の方が医師の世話になる必要があるんじゃないかと思わせる。そして天はやっぱり二物を与えないのだな、と空を眺めるつもりで汚い天井を眺めていた。

「お坊ちゃま、長い間お世話になりました。私あの方の下へ(とつ)ぎます」

 この人の捻じ曲がった人生設計に他人の都合というものは存在しないらしい。

「な! なに言ってんだよ梨緒! ちょっと!」

 その通りだ、もっと頑張って引き止めてくれ蒼一郎。何をどう好意的に都合良く解釈しても、私が彼女に求婚したことになるとはとても思えない。

「変態、助平、色情狂、痴漢、結婚詐欺師」

 お嬢の下からの粘着質な視線がアゴの辺りでネバついていた。

 後半部分は(いわ)れのない罪人になっているが、大体私はそういうつもりなど一切ない。素直な感想を私の持つ語彙で表現したに過ぎないのだ。だがもう少し日本語を勉強する必要があるかもしれない。主に水那上家対策として。

 果たして私の放った言葉が求婚と同義になるのかはともかく、この場を何とか切り抜ける方法はないものかと帯刀さんにヘルプをお願いしたいが、なんとなく彼はこの状況を見てそれでも黙っている気がする。なぜなら微笑みのオーラが後方から寄せられているからだ。


 私に一体どうしろと。


 もう数えるのも疲れた眩暈に悩まされながら、まずは標的を再度兄へと向けた自分のご主人を落ち着かせることにした。

「お嬢、冷静になれ。とりあえずここを出るぞ」

 もう目立つ目立たないの話ではなくなっていた。この場にそぐわない四人、いや三人の姿は注目を煌々と浴びている。

「放せ放せっ!」

「いいから行くぞ」

「ではお坊ちゃま、御機嫌よう」

「ちょちょちょっと! 置いてくなってば!」

 この家の人間はどれだけ私を苦しめれば気が済むのだろうか。右手にお嬢をブラ下げ、左腕にはなぜか櫛田さんが寄り添っている。ナイフを突き付けられた人質の気分だ。

 現在の状況は四角関係と表現するのが適切に思える。私がお嬢を、お嬢が蒼一郎を、蒼一郎が櫛田さんを、櫛田さんが私を、それぞれ続く言葉は違うが図に示すとそういう形になる。

 人ごみを掻き分けなんとか外へ脱出はしたが、隣のこの人は一体どこまで本気なんだろうか。希望を述べるなら冗談と言って欲しい。

「櫛田さん、腕を放して頂けますか」

「……はい」

 聞く耳持たないようだ。返事だけはしてくれたが放してくれる気配がない。

 蒼一郎が櫛田さんの腰にしがみ付き引き剥がそうと努力しているのだが、生憎と彼には選定の剣を抜く資格はないらしく微動だにしない。なんという役立たずだ。見ようによっては親子四人の夏休みに見られてもおかしくない状況に頭を抱える。

 私がお嬢や蒼一郎の父親に見えるか否かはともかく、今の内にこの女をなんとかしなければ、私の今後の生活に著しく影響を与える気がしてならない。

「ネコ様、『一目惚れ』という言葉をご存知ですか?」

「……言葉だけなら」

 言いたいことはわかった。だが様付けするのも、その奈落のように果てがあるのかわからない暗黒の瞳で決して逸らすことなく見つめ続けるのもやめて欲しい。せめて瞬きはしてくれ。他人(ひと)のことは言えないが私はここまで無表情ではないはずで、彼女は人としてのK点を悠々飛び越して余りある。

「申し訳ないが馴れ合うつもりはありません」

 その言葉からこちらの言いたいことを察してか、一瞬その黒の瞳が更に(かげ)ったような気がする。

 しかしこのままでは本当に記載捺印済み婚姻届を持ち込まれそうなので気にしている余裕はない。やっと解放された左腕がその意見に同意するように鳥肌を立てていた。

「それとお嬢、お前もだ。いい加減にしろ」

「フン!」

 もう放しても良さそうだ。流石にこんな場所で公開撲殺をされたら私の人生までもが終わってしまう。どうせなら雇用前に全て済ませておいて欲しい。いっそ解雇してくれ。それならば色々と諦めも付く。

「覚えてなさいよこのバカッ!」

「うううるさい! お前なんか死んじまえ!」

「いい度胸ね……」

「ヒイィッ! 梨緒ぉ」

「そういう刺激する言動は聞こえないところで言ってくれ」

 お嬢が拳を鳴らしながら声にも行動にも殺意を乗せている。どうやらまだこの猛獣を放すことはできないらしい。そしてだ、兄は兄で女の背に隠れるとは情けない。お嬢でなくともこんな兄は持ちたくないだろう。

 それにしても、以前帯刀さんが私に向けて言った言葉をまさか自分で言うハメになるとは思わなかった。彼の苦労が肌身に染みる。

「お引取り願います。これ以上目立つのは避けたい」

「……お坊ちゃま、仕方ありません。撤退しましょう」

「クソォ……」

「失礼致しました。それではネコ様、またいずれ……、お逢いしましょう」

 渋々引き下がった彼らを見送るとしよう。それに彼女に背中を見せるのは主に私にとって良い結果をもたらさないと野生が警鐘を鳴らしている。できることなら二度とお逢いしないことを祈ります。

 そうして姿が見えなくなるまで私を視姦していた櫛田さんを蒼一郎が引き摺りながら連れ去り、ようやくの平穏が訪れた。まだお嬢は威嚇の唸りを上げているが、もう鎖は必要ないだろう。手を放す。

「イタッ! いきなり放すなバカッ!」

「……メシでも食いに行こう。信じられない疲労感だ」

 尻餅をついたお嬢がメシと聞いて目の色を変えて立ち上がる。素直でよろしい。

「肉っ! 焼肉っ!」

「わかったから飛び跳ねるな、鬱陶しい」

 食欲の前では私の悪態も気にならないらしい。周囲をスキップで旋回し始め、どうやら行きつけの焼肉店の物らしいスタンプカードを私に手渡す。なんと庶民的なお嬢様だろうか。

 しかし焼肉という点には賛成意見を投じよう。私の磨り減ったか細い神経がたんぱく質による修復を望んでいる。


 特上ハラミは私のものだ。



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