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第二章 主と従と(3)

 全くバカバカしい。

「バカバカしい話だとお思いでしょう。ですが私は、そうして救われたんですよ。お嬢様の胸を借りて、情けないほど長い間泣いていました。しかしそんなみっともない私をお嬢様はいつまでも優しく撫で、泣き止むまで続けていました。本当はお優しい方なんです。ああ、ちなみに私はロリコンではありません」

 最後の一言で何か色々台無しになった気がする。

「……話の腰を折るようで申し訳ないですが、結局その女は何者だったんですか?」

 帯刀さんはとっくに(ぬる)くなったコーヒーを一口含み、物語の続きを語る。

「傭兵達の間ではこういう噂がありました。戦場で灰眼の女に出会ったら迷うことなく逃げろと。伝えられた特徴はただそれのみ。噂だけが一人歩きし、半ば都市伝説のように語られたそれは畏怖を籠めてこう呼ばれていました。『盲目の悪魔』(サードアイブラインド)と」

「……その女がそうだったと?」

「彼女自身はそのように呼ばれているなどとは思いもしなかったでしょう。ですがその事件のしばらくの後、彼女が語った旅の行程はそうだと思わざるをえないものでした」

 まだ続きはあるというわけか。黙って最後まで聞き届けるとしよう。

「我々の所属していた傭兵隊は即座に解体され、幹部から末端まで、そのほとんどが余罪を追及され逮捕されました。水那上家を敵に回したのですから当然と言えるでしょう。そして依頼主も破滅を迎えることとなります。お嬢様の誘拐を機に資金を得て、裏社会でのし上がろうとした小さなマフィアでしたが、彼らは逮捕されることなく全員が行方知れずとなりました」

 ここは笑うところなのだろうか。笑顔の帯刀さんがとても怖い。

「私は傭兵隊に戻る前に、盲目の女、ソフィアのレストランの屋根裏部屋でそれを知らされることとなります。事件後、関係者は皆連行されたのですが、お嬢様が庇って下さったおかげで難を逃れました。今ではあの時の分隊全員が水那上家子飼いの私兵となって、各地で護衛任務にあたっています」

 お嬢らしい気まぐれだ。それを可能にする水那上家にも呆れてしまう。

「お嬢様の家出の原因は旦那様と喧嘩されたとのことでした。護衛は現地で雇った者達。マフィアに目を付けられたのは偶然。そしてソフィアの店で食事をしていたことも、ただの偶然。私達に運がなかったわけでも、お嬢様が強運だったというわけでもありません。そういう運命だったんだろうとソフィアは言っていました」

「それがマルセイユでの出来事ということですか」

「御名答です。職を失った私はその後ソフィアの下で世話になっていました。家出を継続したお嬢様とともに。そこで私は護衛として雇われたわけです」

 帯刀さんの料理の腕はそこで磨かれたのか。家出一つでマフィアと傭兵隊を壊滅させたお嬢のことは忘れよう。その方が私の精神衛生上良い。

「その家出はソフィアの旅立ちという形で終わりを迎えました。世界の海を廻り続け、料理という暇潰しを極める旅、その行程の中には路銀を稼ぐため傭兵として働くことも稀にあるそうです。主に虐げられている貧しい人々のために、少ない報酬で」

「……なるほど」

「そして彼女は旅立つ前にこう言いました。お嬢様は王の器を持っていると。それが彼女とお嬢様を引き合わせたのだと」

「王……ね」

「もちろんお嬢様のご身分を揶揄したつもりではないでしょう。しかしお嬢様の御心の広さは当時の私にそれを信じさせるに足るものでした。喩話(たとえばなし)に過ぎないとしてもです。そして長くなりましたが、これが最後の理由です。あなたは彼女にとても良く似ているのですよ。姿形ではなく、存在感が」

「……」

 過大評価も良いところだろう。しかもそんなことを基準にお嬢の付き人を選ぶなど酔狂にもほどがある。

「ああ、申し訳ありません。決してソフィアとあなたを比較しているわけではないですよ」

 表情を曇らせながら帯刀さんは付け加えた。

「いや、それは構いません。それにしても」

 百歩譲ってお嬢が器の大きい人間だと仮定しよう。あくまで仮定だ。

「事件の顛末を知るのは当事者達だけなのですか?」

 流石に元誘拐未遂犯だとバレればマズイことになるんではないだろうか。こんな所で話す話題にしては物騒極まりない。

「いいえ、旦那様も、当時から屋敷に勤めていた者達も皆存じております」

「ほう」

 現当主としてなかなかに心が広いようだ。それを知ってなおこうして傍に置いておくことにも、帯刀さんに寄せているだろう信頼の高さにも驚くべきだ。

「ケジメを付けるためにも清算しておかねばならない過去でしたから、自分から名乗り出ました。分隊の皆も揃って」

「ご当主はどういう反応だったんですか?」

「はい。ただ静かに『そうか』と肯いて……」

 どうやら尊敬に値する人物らしい。巨大な財閥を率いているのは伊達ではなさそうだ。

「問答無用で襲い掛かってきました」

 撤回しよう。

「いやあ、それはもう地獄絵図のようでした。分隊総員とも抵抗する気はありませんでしたが、仮に抵抗したとして手も足も出なかったでしょうね。その結果全員が全治二ヶ月の重症を負いました。生きた心地がしませんでしたよ、あれは……」

 この一族の特徴は怒りっぽい、で片付けられそうだな。あと心が狭いのか広いのかはっきりしない。

「まあ結局はお許し頂けたわけですが。実際問題としてお嬢様のバイタリティについていける人材を探していた、ということから需要と供給が一致しまして」

 まあ家出の規模からして普通とは桁が違う。確かに並大抵の者ではついていくことすら難しいだろう。

「しかしながら当時の私ではいささか力不足でした。それなりに修羅場をくぐり抜け、裏社会にも明るいつもりでしたが」

 だんだんと話が読めてきた。

「虎徹、でしたね」

「その通りです。あの時の剣を見て予測はしていましたが、やはりあなたもご存知だったようですね」

「きっと知っている、という程度ですが」

「既知なのか未知なのかは大きな差ですよ。前に進んだと思いましょう」

 あの時、銃弾を両断した剣もおそらくは帯刀さんのそれと似たようなものなのだろう。しかしそれ以上のことは思い出せず、あれが一体なんなのかまではわからなかった。再度呼び出そうと試してみたことはあるが、それはなんら生み出すことのない空しい行為となる。

「あれは私が旦那様からお預かりした物です。名は不動、銘は虎徹。古くから水那上に伝わる秘宝の一つであり、代々の御当主を守護する者が受け継いできました。私もそれを扱う術を旦那様の下で学び、そして現在こうしている」

 私に眠る知識や記憶どうこうを抜きにしても興味深い話だった。

「ああいった武装を身体に宿す者達を総称して『識者(ロア)』と呼んでいます。まあ一般に知れ渡るような情報ではありませんし、そうそう出会うものでもありませんが。確信をもってそうであると断言できるロアは片手で足りるほどしか知りません」

 ロア。確かにそんな人間がそこかしこに溢れていては大問題だろう。だが重要なのは、なぜ私がそんな武装の所有者であるのか、だ。

「まあ、ここで推論に花を咲かせてもいいのですが、あまり建設的とは言えませんね。いずれ、なるようになるでしょう」

 軽い物言いに少し気が楽になる。

「……そうですね」

「焦りは禁物です。こうしてここにいられることになったのですし、ゆっくりと思い出していきましょう。私としても興味がありますし」

「ありがとうございます」

「お礼を言うのはこちらですよ。改めて、お嬢様をよろしくお願い致します」

「まあ、頑張ってみます」

 私はカップに残ったコーヒーを一息に飲み干し、嬉しそうにお嬢について語った帯刀さんを残してこの場を後にした。


 さて、厄介なことになりそうだと、溜息を吐きながら。


                ▼


 と格好良く去ったのはいいが。

 認めたくない。まさか、迷子になったなどとは、断じて認めたくない。

 しかし認めざるをえない。なんなんだこの屋敷は。

 地図は手元にある。しかしだ、途中から現在位置がわからなくなった。それがケチの付き始めである。

 そもそもが広大すぎるのか、滅多に人に出会わない。時間も時間だ、その辺の部屋をノックするのも(はばか)られる。私とて遠慮を知る人間だ。お嬢のような非常識人間とは違う。

 困ったものだと、今後の課題はまずこの屋敷の構造を把握するべきだと考えていたその時、聞き慣れた声が付近の部屋から僅かに漏れてきた。

 懐かしき黒スーツ達の声。今彼らに愛を語られたら断る自信がない。本当に語ろうものなら全力で抵抗するが。

 どうやらそれは閉め損ねたドアの隙間から聞こえてくるようだった。恥を忍んで道を尋ねようとドアノブに手を掛けた時、彼らの会話が聞こえてきた。

「なあ、これ何て読むんだ?」

「知るかよ。自分で調べろ。こっちだって手一杯なんだ」

「冷てえなあ……、えー……、コメント……アレ……ブー?」

 お嬢の夏休みの宿題とやらか。となるとここは黒スーツ達の控え室。ならば地図の把握が出来るなとテーマパークのパンフレットのような地図を広げる。

 思わず恥をかかずに済んだ私はさらなる喜びを見出す。流石に護衛の控え室だけあってお嬢の私室に近く、私に用意された部屋はお嬢の隣だったからだ。その点は喜べない。

 無言の感謝を彼らに述べ、今日の疲れを癒そうと部屋に向かおうとした。が、

「和訳なんかニュアンスで適当に書いちまえよ」

「それもそうだな、間に合わなくなっちまう。えー、コマンタレブーか……、文句でもあんのか、と。どーよ?」

「お前……もしかして天才じゃないか? 絶対合ってるよそれ!」

 適当にもほどがあるだろう。黒スーツの雇用条件には語学の知識は必要ないらしい。しかしながらコレを持っていくだろうお嬢の新学期が楽しみで仕方がなくなってきた。奴が中身を確かめることのないようにフォローに徹しよう。その自由な発想に賞賛を送る。

 と、そのお嬢が通路から顔を出していた。何やらコソコソしているので思わず隠れてしまった。キョロキョロと周囲を見回したお嬢は人がいないことを確認して安心したのか、両手いっぱいの食料を抱えて自室へと駆け出していた。

「コラ、お嬢」

 ビクリと肩を震わせ、抱えていたソーセージやらを落としそうになったお嬢が振り返る。驚かせやがってとでも言いたそうな視線を私に向け、そして一言。

「なななによ……、文句でもあんの?」

「……」

 こいつら本当は打ち合わせでもしているんじゃないだろうか。黒スーツとの意思疎通については全く心配いらないようだ。

「……私にも少し寄越せ。それならば神野さんには黙っていてやる」

「はっ! 放せぇっ!」

 お嬢の首根っこを掴み、主従が逆になったネコと主人で密かな夜食といこう。


 おそらく仏日辞書すら広げていない黒スーツに、更なる活躍を期待しながら。



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