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卒業まで、あと1単位

作者: 佐乃海テル

『高等学校 必須科目の履修不足が発覚』

 普段新聞などを見ない本城アイは、起きてばかりの眠い目をこすりながら一面にそう書かれている新聞を手に取った。

「何でこんなこと起こるんだか。学校がきちんとしてないのかしら」

 アイはうろ覚えの時間割にのっとって教科書を適当に詰め込む。

「まあうちの学校もバカみたいだけど」

 カバンのチャックを閉めると、母親の呼び声がした。

「朝ごはんはどうするの! パン? ご飯? 早くしないと遅れるじゃない!」

 『朝ごはんはどうするの』は最近の母親の口癖だった。普通に鬱陶しい。

「遅れるから、行く」

「ご飯はどうするの!」

 母親の呼び声は次第に金切り声に変わっていく。

「いいって言ってんじゃん」

「何言ってるの! そんなんで授業受けられると思ってるの!」

「うっさいな!」

 とうとうアイも怒り出す。

「もう来週で終わりなんだから! 卒業に必要な単位は取ってあるし、この時期の授業なんて意味無いんだから。受験もしないんだし」

「受験もしないんだったら、授業くらい真面目に受けなさい!」

 あー、面倒くさい。アイはその言葉は口に出さずに家を出た。扉が閉まった時の音がヤケに大きい。



 終業のベルが鳴り、ほとんど意味の無い一日の授業が終わった。

「あー、やってらんない」

 アイは大きく伸びをした。アイは今週の掃除当番ではない。なので家へさっさと帰ろうと昇降口へ向かった。

『3年D組の本城、至急職員室の高橋の所へ来るように』

 放送で呼ばれた。名指しは最初で最後かもしれない。

 高橋は社会科の教員で、アイの担任である。担当科目は政治経済と倫理。

「高橋め……」

 ささいなことで不機嫌になるこの1年、高橋のこの呼び出しでさえもアイの不機嫌の要素になるのには十分だった。

 振り返って職員室へ歩き出した。



「失礼します」

 とりあえず世の中でメジャーになっている挨拶をして、アイは久々の職員室に入った。

 高3の席の方を覗くと、高橋が既に待っていた。

「本城か。ここに座ってくれ」

「……はい」

 不機嫌をなるべく態度に表さないように、用意された席にアイは座った。

「えーっと、緊急で呼び出したのはこれだ」

 そう言って高橋が差し出したのは、生徒個人カード。家族構成、個人情報、成績などの情報が3枚1セットに収まっている。高橋は成績の部分を開く。

「言いにくいんだが、お前の場合卒業単位数が足りん」

「え」

 アイは自分の行動を振り返る。ほとんどの授業は出ているし、単位数は卒業に必要な分の1.5倍程度は持っているはずだ。するとアイの中で今朝の新聞の一面がフラッシュバックする……。

「まさか!」

「ん?」

 いきなり立ち上がったアイに、今度は高橋が驚く番だった。

「うちの学校も履修不足なんですか!」

 職員室のあちこちからざわめきが聞こえ始める。

「あ、いや」

 高橋も声をかけにくそうにしている。

「とりあえず、落ち着いて席に着きなさい」

 言いたいことはたくさんあるが、アイは命令に従った。

「確かに私は受験しませんけど、卒業できないと……」

「まだ落ち着けてない」

 高橋に話を完全に止められた。

「うちの学校の教育カリキュラムには問題は無い。だいたいなんだその話は」

「今日朝刊で、高校の必須科目の単位数が無いところがたくさん発覚したって……」

「そうなのか。俺は知らないが、うちの学校はそんなこと無いはずだぞ。少なくともお前を呼び出したのはそれじゃない」

「じゃあどうしてですか? 単位数なら余裕のはず……」

「合計はな」

 高橋は別の引き出しから、卒業規定のプリントを取り出した。

「合計単位とは別に科目別の最低習得単位が必要だ。科目別最低習得単位を全部取っても合計単位には達しない。だから普通の人の場合はこの科目別最低習得単位は関係無い話だ」

「で、私は?」

 率直な疑問をアイはぶつける。

「お前は科目が偏りすぎてる。いやむしろ逆か。倫理だけを受けないという偏り方をしているな、本城」

 アイはどきっとする。確かに3年になってからアイはあらゆる方法を駆使して、倫理の授業を避け続けてきた。

「あの、倫理の最低習得単位は……?」

「1だ」

「え、なんだ」

「なんだとはなんだ」

「え、だって」

 アイは高橋の机の上にある卓上カレンダーを指差した。

「今日は金曜日。で残ってる授業は1週間後の金曜日まで。来週の月曜の倫理の授業受ければいいじゃないですか」

「……」

 高橋は答えない。アイは嫌な予感がする。

「まさか、提出物があって、それが単位だったり……」

「その、まさかだ」

 高橋の厳かな言葉に、アイは悲鳴を上げる。

「そんな!」

「サボったお前が悪いんだろう! しかも1年間!」

「で、でも! その課題はいつ出したんですか」

「先週の倫理だ」

「じゃあ月曜までに出せば……」

「授業も聞いてないのに課題を出せるか!」

 高橋は咳払いをして、少し顔を緩ませて言った。

「まあそこは卒業がかかっている、少し私も手加減しよう。テーマ『命の大切さ』でレポート用紙3枚以上のレポートを書け。形式は自由。資料などを元に自分の意見を補強するのもよい」

「命? そんな書きにくいテーマ……」

「締め切りも大負けして再来週の月曜にしてやる。来週の月曜の授業も同じテーマだからきちんと聞いて参考にして書け」

 アイは溜息まじりに了承した。

「……わかりました。失礼します」



「ただいま」

 アイは暗い気分のまま帰宅した。もっともこの1年、明るい気持ちで帰宅してきたことは遊んできた時のみで、学校からは無い。革靴を乱暴に脱ぎ捨てて上がる。目の前には母親が待っていた。

「おかえり。靴くらい揃えたらどうなの、小学生じゃあるまいし。だいたい今日も授業聞けたの? 単位いくら取って卒業したって、あなたは大学受けないんでしょ? それでも何かを目指してるならお母さんも応援するけど、今のあなたに対して応援することなんて何も無いじゃない。それに……」

 聞きたくない聞きたくない聞きたくない! アイは耳をふさいで上に上がろうとした。

「どうせ上行っても勉強しないんでしょ。あんた生きていく気あるの? 親に依存してたってしょうがないのよ! 親だってね、いつまでも……」

 うるさい母親の声は遠ざかっていく。



 週末が過ぎ、月曜。アイは言われたとおりに倫理の授業に一応出席をしていた。

「3学期は命に対する考え方を時代に沿って追ってきた。それをもう一度さらう」

 聞いていても全く面白くなく、どの情報がレポートに役立つのか、そしてレポートにそもそも何を書くのかも思いつかなかった。

 おそらく高橋なりの配慮をしたのだろう、新しいことをやらずに3学期の復習を1時間の間にできるだけ分かりやすく盛り込もうとしているようには見えた。だがそれはやる気の無いアイの前では徒労に終わるだけだった。

「卒業出来ないかもなぁ。ま、別に……」

 アイは授業終了のベルを待ち遠しく思った。



「どうだ、レポートは書けそうか」

 授業後に高橋に尋ねられた。しかしアイの不機嫌は絶頂だった。

「死んで欲しい人間はいくらでもいますけど、大切さなんか聞かれても」

 高橋の表情が明らかに変わった。



 そしてアイの時間が止まった。頬に走る痛み。高橋はばつの悪そうな顔をして、けれども叫びはしなかった。

「課題をやって単位を取るかどうかだとか、俺が倫理の教師だとかは別としても言っていいことと悪いことがあるだろ」

 アイは何も言えない。

「レポートを出すなら出せ。きちんとした内容だった場合のみ単位をやる。今回ばかりは特例は認められないぞ」

「……はい」



 母親との喧嘩からいつも通り逃げてきたアイは部屋の扉を閉め、鍵を閉めるとベッドに飛び込んだ。

「うざったいな」

 母親もまたこの1年おかしい。夢を持て、などと小学生みたいなことを言っているのはそっちではないか。アイはそのような思いを持っていても、昔のようにいちいち言い返さなくなっていた。

 母親も諦めたのか、下から包丁で野菜を切るトントンという音が聞こえてくる。

「単位、どうしよう……」

 携帯を開いた。また友達とメールする。その友達は大学に推薦で入れそうだという噂を聞いた。



 はっとすると、辺りは真っ暗だった。疲れて寝てしまったらしい。開かれた携帯を握ったまま、外がもう日が暮れている。電気を付けていないので暗い。とりあえず下に……。

「あれ?」

 今日の夕飯はサラダとハンバーグ。今頃フライパンを使っている音が聞こえるはずなのだが……何の音もしない。何かあったのだろうか。それとも買い忘れたものを、言わずに買い物に言ったのだろうか。下の階に下ると、母親はいた、地面に顔を伏せて。

「お母さん!」



「既に運ばれてきた時にはもう……」

 医師の説明によると、搬送されてきた時からもう呼吸が無かったという。

 アイはあんなに鬱陶しかった母の死が、それでも理解できない。ある意味自分の理想は叶ったというのに。

 父親も静かに賭け付けて来た。

「学校には電話しておいた。しばらく学校には行けなくなるだろうから」

 アイは父親の胸にぶつかり、泣いた。

「急な脳梗塞とはな」

 父親は泣きじゃくっているアイを見て、自分の分の涙をこらえていた。



 葬儀に出た記憶はあるが、葬儀で泣いた記憶は無い。今アイは初めて葬儀で泣いている。焼香を自分でしたのも初めてだ。

「お母さん……」

 母親が死ぬ日も懸命に訴えていた、目標を持てという言葉。それを思い出したアイは学校のことを思い出した。今思い出すのは良くない事かもしれない。でも母親の遺志を尊重するにはまずきちんと卒業をすることを真面目に考えなければいけない。そしてそれこそが母親に報い、命を大切にすることでもあるのではないか、と。



 ところが、思っていることは書けなかった。うまく書き言葉にならず、書いては捨て書いては捨てを繰り返すのみ。ひたすらやりづらい倫理のレポートから逃げてきた罰はこのような状況でも、しっかりアイにダメージを与える。

 仕方が無いので書きかけでも持っていくか、きちんと誠意を持って説明するか……重い足取りで久しぶりに高校へ向かう。この日は朝ごはんをしっかり食べた。朝の時間、アイに話しかけてきた人がいつもより少なかったのは、気のせいではない。

「おはようございます、先生」

 アイは職員室の入り口で朝来たばかりの高橋を待ち伏せ、話しかけた。

「あ、本城……」

 高橋も電話で災難は聞いたようだ。そしてこの間のビンタのこともあいまって、情けない顔になってきた。

「災難だったな。疲れているだろう。レポートだが……」

「やってきました。さすがに1年サボったせいで、途中までしか書けませんでしたし、下手っぴですけど」

 アイは悲しい笑顔を浮かばせながら、高橋にレポート用紙2枚を手渡す。

 そして読んでいる高橋に、アイは補足する。

「私は母が鬱陶しくてたまりませんでした。自分がどういう年頃なのかも理解せずに、目標を持って生きろってうるさかったんです。でも大学に行かないことを非難しているわけじゃないこととか、今頃になって優しさや大切さを痛感しています。私はこのレポートでは上手く書けませんでしたが、母の命を大切にするというか、尊重するにはきちんとこの高校をまずは卒業して自分の進路をもう一度真剣に見直す必要があると痛感しました。なので……」

 アイの声は段々震えてくる。ここ何日か止めていた涙が、堰を切って出る。

「卒業させ……」

「もういい」

 高橋は優しい笑みを浮かべた。

「わかった。君は不満でもこれは立派なレポートだよ。きちんと考えたことが十分伝わってくる。他のレポートより形式はともかく、倫理の学習としては誰よりもきちんと考えたのがわかる」

 高橋はアイの頭を撫でる。

「1単位、習得とみなそう。卒業おめでとう」



 卒業式でアイは卒業生代表を仰せつかった。誰よりも強く、多く卒業にあたって言いたいことがあるので立候補したのだ。

 卒業式の後も、アイはまた高橋に呼ばれた。

「本城、卒業おめでとう。おめでとうなんだが……お前はまだ進路をきちんと決めていないだろう。決めていても先行き不安なはずだ。そんなときは相談に乗るから、学校に来いよ。いろいろと手助けをしてやる。これは約束だ」

「ありがとうございます」

 アイは深々と、頭を下げた。

「ところで本城はもう目標は決まったか?」

 高橋の質問に対して、アイは笑顔で答える。

「はい、看護師に。短い間でしたが母が死んだ時もいろいろと支えてくださったので。私も人の悲しみを、非力ながらも片棒に担げればなと。なので一年浪人して専門学校に入ろうと思っています」

 高校最後の1単位は、アイにとって一生忘れられないものとなった。

久々の短編です。

履修不足の新聞記事より着想を得ました。



佐乃海はまだ未熟です。この作品を読んで思うところがございましたら、是非ご批評お願いいたします。


それではまた。

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