第2章 そして運命は始まった
「何だ……って。アンタ、自分がどんなに失礼な事言ってるか解ってるの?」
まさか、モノ扱いされるとは……。
この男、常識だとか、良心だとか、そういった社会生活に必要なものが悉く欠如しているのでないか。
でなければ、こんなに失礼な事は言えない筈だ。
「アンタ、話聞いてるの?」
口調を、気取らない自分本来のものに戻して、私は遠く、私の後方を睨む男に詰め寄った。
「――聞いてるのかって言ってるのよ! このクソ野郎!」
あぁ……クロリス、父様、ごめんなさい。
私、はしたない言葉を、教会で使ってしまいました。
でも、私にも言い訳させてください。
確かに、こんな言葉を使った私に非はあります。
しかし……この男に非がないと言えるでしょうか?
この男、勢い余って胸倉を掴んだ私に、何をしたか知っています?
まさか、投げ飛ばされるとは思いませんでしたよ。
胸倉を掴んでいた私の手を握って、こう、クイッと。
まさか、あんな軽い動きであそこまでの高さに至るとは思いもしませんでした。
空中で二回転半もしてしまいました。
もし受け身を習っていなかったらと思うと……ゾッとします。
でも、それはもうどうでも良いんです。
背中を強かに打ちつけて、その痛みで男に対する怒りを更に燃やす私の目に飛び込んできたもの。
それは怒りを疑問に変えるのに容易な、不可解なものでした。
腰に差された刀を引き抜き、外に向かう男の姿……。
それは、私に痛みを忘れさせ、男の後を追う活力を生ませたのです。
―――――――――――――――――
女の唖然とした表情が視界に入る。
しかし、俺にとってはそれはどうでも良い事だった。
女の後ろ、何の前触れもなく現れた、動物を象った仮面を被った者。
男女の判別の出来ない中背に、曲がった腰。全身を覆う黒い革服。
そして、何より特徴的だったものは、その雰囲気だった。
この都市の、この教会の、あの女の、美しく清らかな空気とは隔絶された、故郷帝都のものと似た淀んだ空気。
そうか……あの女を見た時感じた嫌な感じは、これだったのか。
あの綺麗な空気に僅かに付いて回った、汚らしい空気。
その異様なコントラストが、余りに見るに耐えなくて、俺はあの女に対してあのような感情を抱いたのだろう。
「何だ……って。アンタ、自分がどんなに失礼な事言ってるか解ってるの?」
女が苛立ちを隠そうともせず言う。
しかし、その言葉は女にではなく、その後ろに付いた鳥の仮面を被った淀んだ空気の者に言ったのだ。
だというのに、この女は……。
俺は女を視界から外し、後ろで佇む鳥面に睨みを利かせる。
ここに入ってくるなと。
ここはお前が入って良い場所ではないと。
なんなら、俺も共に出ていくからと。
男に視線を送る。
「アンタ、話聞いてるの?」
女が詰め寄ってくる。
それに合わせて、鳥面も近付いてくる。
鳥面が教会に立ち入るまで、あと一歩。
「――聞いてるのかって言ってるのよ! このクソ野郎!」
女が胸倉を掴んで苛立ちを爆発させる。
その大声に触発されたように、鳥面が、動いた。
何処からかナイフを取り出し、教会へと踏み行ってくる。
――その行動に、怒りか、それとも帝都時代の本能か、体が動いた。
進行方向に居る、邪魔な女を後方へ投げ飛ばす。
金の砂を思わせる長髪が宙を舞い、そのまま後方へ。
その勢いのまま、俺は男を教会の外へ蹴り飛ばした。
小さな呻きを後に残し、綺麗に整備された教会の庭園を転がっていく。
しかし、鳥面は何事もなかったかのように起き上がる。
どうも、ある程度の受け身など、そういったものは習得しているようだ。
ナイフを構え、こちらに向かってくる。
俺はそれを迎撃する為、カグラを抜いて鳥面と激突した。
―――――――――――――――――
「それで? どこに行く予定なんだい?」
僕の手を引いて先行するニーナに行先を尋ねた。
「そうですねー。先輩は何処に行きたいですかー?」
間延びした声を返し、ニーナはワクワクを抑えきれないといった表情をこちらに向け、ニッコリと笑った。
「僕は……別にどこでも良いけど」
その可愛らしい笑顔に心がポカポカと温かになっていくのを感じ、僕はニーナに笑顔を返す。
「あぅ……。その笑顔は反則ですよ、先輩」
何故か顔を真っ赤にして俯くと、ニーナは聞きとれない声量で何か呟いた。
「ん? 何か言った?」
「……なーんにも。先輩、どこでも良いなんて優柔不断な事を言ってると、デートの時に女の子を困らせますよ?」
何故か不貞腐れた様な表情をして、ニーナは僕の返答に文句を付ける。
「そうかなぁ?」
「そうですよ。さ、行きましょう。一応決めてはいるんですよ」
ニーナは握ったままの手を更に強く握り込んで、僕の手を引いていく。
僕は、何か悪い事でも言ったかな? なんて考えながら、その勢いに従った。
―――――――――――――――――
「――先輩。今日って、中央教会で何かイベントなんてやってましたっけ?」
走ったり、疲れたら歩いたりして、数分。
何時の間にやら中央教会前までやってきたようだった。
「イベント?」
「ほら、アレですよ。見えませんか?」
指差された方向を見ると、確かに、黒服の人々が何かやっていた。
一人は長身で、もう片方の中背の方を蹴飛ばしたりしている。
もう片方も銀色に光るナイフを振り回すが、長身の人が持つ刀に阻まれる。
どうやら、長身の男は手を抜いている様だ。あの腕前なら、中背の人なんて直ぐに倒せてしまうだろう。
「確かに、イベントみたいだね」
こんな街中……しかも、教会前で刃物を振り回しあう筈がない。
どうせ、旅行者用の演武だったりするのだろう。
……まぁ、それにしたって、何故教会の前で、しかも誰も見物人が居ないのに、という疑問は残るのだが。
「……あれ? 先輩のお姉さんも居ますよ?」
「え? 姉さん?」
「そうです。あんな美人、遠くからだって見間違う筈有りません」
探すと……確かに居た。
教会の扉前で、演武を行う二人を眺めている。
「お姉さんもイベントに参加しているんですか?」
「いや、聞いてないけど」
「そうなんですか? でも……お姉さんの後ろに、あの黒い人がもう一人いますよ?」
「うん。でもあの人って、出番待ちの人じゃないの? 何か、参加してないみたいだし」
「でも……お姉さんに近付いて行ってますよ?」
目を凝らして見ると、黒い人は徐々にだが姉さんに近付いて行ってる。
――――その手に、ナイフを持って。
……いや、大丈夫だろう。
こんな所で、そんな。
しかも、姉さんが。
そんな事、有り得る事じゃない。
有って良い話じゃない。
姉さん、気付いてくれ。
いや、そういう演技なんだろう?
それか、誰かが助けに入るとか。
そういう脚本なんだろう?
だったら、早く、早く。
――黒い人が、ナイフを振りかぶった。
……あぁ、もう。
もしイベントだったら、責任者に頭を下げよう。
費用を弁償しても良い。
だから、ここは僕の思うままに、動かさせてくれ。
「――――姉さん!!」
叫んで、僕は姉さんの元へ駆けて行った。
―――――――――――――――――
その剣技は、ひたすら流麗。体捌きはただただ美麗。
男の動きは、今まで見たどんな士よりも素晴らしいものだった。
鳥面の男のナイフを刀で受け止め、その腹を蹴り飛ばす。
懲りずに向かってきたナイフを持った腕をひねる。
とにかく、圧倒的だった。
「……やるじゃん。アイツ」
ちょっと見直した。
相手を殺さない様に手加減しているのか、少し動きはぎこちなかったが、それでも素晴らしいものがある。
……ま、それでも、アイツのした事を許すわけではないんだけどね。
「――――姉さん!!」
男の動きを見つめていると、聞き覚えのある声が聞き覚えのある呼び方で私を呼んだ。
「……クロリス?」
その声のした方向を見て、私は、背後に迫る人影に気が付いた。
そいつは、青空に映えるナイフを振りかぶっている。
「な――――!?」
一直線に振り下ろされたナイフを止め術は、私にはない。
ただ死を待つだけだ。
「――姉さん!」
遠くで、弟が私を呼ぶ声がする。
でも……多分、クロリスは間に合わない。
私にも、どうする事は出来ない。
ごめんね。クロリス、聖剣祭での貴方の雄姿、見れなくなっちゃた。
楽しみにしてたんだけど……ごめんね。
あぁ、父様。
今だから言います。
私、結婚なんてしたくありませんでした。
まだ、家族の皆と過ごしていたかったです。
走馬灯のように、今まで会ってきた人々の顔が思い返される。
その中に、あのムカつく男が出てきた時、私は思った。
――呪ってやるかぁ。アイツの事。
そう思うと、少し笑えた。
……瞼の上に、死の影が、近付いてきた。