早すぎる朝と、選ばれない男
今日もまた、一日が始まる。
パソコンの前。
口からよだれを垂らし、机に顔を押し付けて眠る少女――イザベラ。
その背後で、宮野康生は静かに目を覚ました。
「……最近、ずっとここで寝てるな」
小さく息を吐く。
掛け布団を一枚、無造作にイザベラの背にかけた。
それだけやって、日常へ戻る。
――気づけば、一か月。
イザベラと出会ってから、もうそれだけの時間が経っていた。
窓の外から入り込む風は、生ぬるさを通り越して熱を帯びている。
木々に止まる蝉は、騒音と紙一重の合唱を響かせていた。
数か月前まで、康生はどこにでもいる高校生だった。
だが今は違う。
どこにもいない側の人間になってしまった。
時を止める魔女。
別世界から来た“主人公”。
そんな存在に挟まれて、普通でいられるはずがない。
(……まあ、信じるしかないよな)
目の前で時を止められ、
目に見える形で“異質”を見せつけられた。
信じない理由の方が、もう残っていない。
「……で、その異質をどうにかするのが、俺ってわけか」
イザベラの目的は一つ。
ナロウを元の世界へ戻すこと。
そのために必要なのが、康生の“力”。
――だが、その力はまだ使えない。
だから。
「……待ち、か」
ひたすらに、待つ。
理由も、終わりも、見えないまま。
最初は苛立った。
だが人間は慣れる生き物だ。
今では、この歪んだ日常すら、受け入れてしまっている。
「……いつになったら、元に戻るんだろうな」
ぽつりと漏らす。
だが、その“元の日常”がどんなものだったのか、
もう輪郭すら曖昧になり始めていた。
(……いや)
ふと、考える。
(あいつのせいで、平和が続いてるんじゃないか?)
視線を後ろへ。
だらしなく眠る、時の魔女。
この生活を壊した張本人。
そして同時に――
「……維持してるのも、あいつかもしれないな」
危機感が薄い理由。
それはイザベラの“緩さ”に引きずられているからかもしれない。
「疑いたくないけど……」
苦笑する。
「疑うよな、あいつだと」
信頼とは無縁の存在。
それがイザベラだ。
「あ、宮野~!」
――来た。
タイミングを見計らったように背後から響く声。
振り返らなくても分かる。
「……おはよう」
「よっ!」
本堂ナロウ。
朝から無駄に輝いている男。
気安く肩を叩かれ、康生は内心で舌打ちする。
(……作戦失敗)
今日から始めた対策。
登校時間を十五分早める。
それでも、こうして出会ってしまう。
家が隣。目的地も同じ。
そして何より――
(“引き寄せる”ってやつか)
イザベラが言っていた。
主人公には、人を引き寄せる力があると。
それは例外なく、康生にも作用しているらしい。
「なんでこんな早いんだ?」
「それはこっちのセリフだ。宿題でもやろうと思ってな」
「お、一緒だ! 俺も!」
「……はあ」
理由まで一致。
ここまで来ると、もはや偶然では片付かない。
「やっぱ俺たち、気が合うな!」
「絶対合わない」
「冷たいな~」
軽くあしらっても、ナロウは気にしない。
むしろ距離を詰めてくる。
鋼のメンタル。あるいは鈍感。
(……面倒くさい)
考えるのをやめた。
隣で喋り続ける声を、壊れたラジオだと思えばいい。
そうしているうちに、学校へと到着する。
――そして。
(……出たよ)
視界に広がる光景。
ナロウを中心にした人だかり。
女子は目を輝かせ、男子もどこか期待の目を向ける。
まるで、物語の主人公。
いや、実際にそうなのだろう。
(……すげえな)
一周回って、笑えてくる。
誰もが羨む状況。
だが。
「ちょ、助けてくれ、宮野!」
当の本人は、明らかに困っていた。
(……まあ、そうだろうな)
ナロウは元々、こういうタイプじゃない。
どちらかと言えば――
(俺側、か)
教室の隅で、静かに過ごす人間。
そんな奴が、突然“中心”に立たされたらどうなるか。
答えは簡単だ。
――疲れる。
「……少しだけ同情するか」
ぽつりと呟く。
「あと、ちょっとだけ羨ましい」
正直な本音だった。
だが。
「宮野ー! マジで助けてくれって!」
「無理」
即答した。
ナロウが自分にだけ懐いている理由。
それが、どうにも気に食わない。
(なんで俺なんだよ……)
他の連中とは違って落ち着く。
素でいられる。
――そんな理由、知ったことじゃない。
そもそもナロウは、この世界の人間ではない。
本来、関わるべき存在ではない。
だから。
康生はそっと視線を逸らし、
騒ぎに紛れるようにその場を離れた。
教室へ向かう。
“選ばれない側”の人間として。
※
遥か上空。
人の目には映らない場所で。
二人のやり取りを見下ろす存在があった。
「……面白くなってきたな」
それは、ナロウのいた世界の“神”。
口元に浮かぶのは、不敵な笑み。
「さあ――仕掛けるか」
静かに、物語は動き出す。




