全裸転移者、暴走族に敗北する
「マズイ、マズイ、マズイ。やばい、やばい、やばい。ちょ、ちょ、ちょ!!!?!」
消えゆく諭吉は数知れず。
既に財布という名のお家には、福沢諭吉も樋口一葉も野口英世の姿は無い。そして三人の転生先である銀玉も、驚くべき速度でマシーンに食われていく。
店に入った時は夢を掴んだような顔をしていたイザベラの表情は、今やまるで死神に呪われたかのようだ。
まるで地上七十四メートルの鉄骨を渡らされている気分である。
つまり必死である。
元々は美しい顔だったそれも、周囲がざわつくほど目も当てられない表情へと変貌していた。
「ちょ、え、嘘――」
そしてついに、最後の銀玉が飲み込まれた。
三人の英雄すら、もうイザベラの前には現れない。
絶望に染まり、表情に影を落としたイザベラは思考を停止させた。
理由など言うまでもない。
この有様を、イザベラが転がり込んでいる家の家主――康生が知ったらどうなるか。
どんな罵声を浴びせられるのか。
せめてもの償いとしてネット代は払っていた。
しかしこれでは払えない。
そして払えなければ、勝手にネット回線をいじったことも発覚する。
間違いなく追い出される。
一度考え始めると恐怖と絶望が押し寄せ、家へ帰る歩幅はどんどん小さくなっていく。
時間もすっかり遅くなっていた。
視線が無表情の地面から上がらないのは、イザベラの心境をそのまま表していると言っていい。
「あ」
「?」
誰かとぶつかった。
それでもイザベラはしばらく、途方に暮れた意識のまま視線も上げずに歩き出そうとした。
「!?」
その時だった。
一枚の――いや、一人の諭吉さんがイザベラの視界を横切ったのだ。
「諭吉さん、どうして!?」
「え!?」
そこでようやく理解した。
ぶつかった拍子に、相手が財布を落としたこと。
そしてイザベラの手にある諭吉は、自分のものではなく彼のものだということを。
「あ、いや。すまぬ」
「いえこちらこそ。あまりこの世界の事が分からなくて……今、俺が悪かったですか? なら謝りますが」
「うむ。そうじゃな」
本当は彼は何も悪くない。
むしろ道の真ん中をふらふら歩き、前を見ていなかったイザベラが百二十パーセント悪い。
しかし今のイザベラの思考は、腐りかけたゾンビのようだった。
浮かんでしまうのだ。
『慰謝料』
という言葉と、諭吉の姿が。
ダメだと分かっている。
時の魔女という最高役職に就く身で、そんなゲス行為が許されるはずがない。
頭では分かっている。
だが――
「ふ、ふ、ふ、福沢――」
「あ、待ってください! お、お金は勘弁してくれませんか!?」
少年は慌てて諭吉を財布へしまい込み、必死の瞳でイザベラを見る。
「今お金がなくて……これもようやく“バイト”っていうので手に入れたものなんです! お金を稼ぐのがあんなに大変だなんて思わなかった……だから、お金だけは勘弁してください!」
その瞳は真っ直ぐだった。
お金を何より大事にする仕草。
この世界に来たばかりの頃、イザベラもそんな感覚だった気がする。
※過去はだいたい美化されるので真相は不明。
彼を見ていると、失いかけた善意がチクチクと心を刺してくる。
「冗談じゃ」
「あ、ありがとうございます! えっと、一つ質問してもいいですか?」
「なんじゃ。私は今忙しいのじゃ。絶望に対してな」
「お金を効率よく稼ぐ方法ってありますか?」
少年は言った。
「俺を助けてくれた人に、お礼をしたくて。でも元の世界では、お金の価値観が他の人と全然違う身分で……何も分からないんです」
純粋な瞳だった。
天然水のように透き通っている。
効率のいい稼ぎ方。
その言葉に、イザベラの口元がわずかに歪む。
この眩しい瞳を、汚したくなる。
違う。違う。違う。
これは善意だ。
善意として教えるだけだ。
葛藤の末、イザベラは結論を出した。
「いい稼ぎ方がある」
「本当ですか!?」
「うむ。名は何という」
「クヨムです」
「クヨムか。いい名じゃ」
イザベラは胸を張る。
「私のことは師匠と呼びなさい、小童」
「はい!」
こうしてイザベラは、絶望の淵で出会ったクヨムという人物に――
『お金の稼ぎ方』を教えるため。
つい先ほど敗北したばかりのパチンコ店へ、二人で再戦を挑みに向かったのだった。
※
この世界は、何もかもが新鮮だ。
景色も。文化も。娯楽も。
人間関係ですら。
それはこの世界が未知だからなのか。
それともクヨムが、元の世界を知ろうとしてこなかったからなのか。
「不思議だ。この世界が少し好きになっている自分がいるなんて」
最初は絶望しかなかった。
何しろこの世界に来た瞬間、暴力という洗礼を受けたのだから。
第一印象は最悪だった。
だがクヨムは運が良かった。
ナロウという、同じ世界から来た強気な男と出会えたからだ。
「ナロウさんも元は普通の人だったんだよね」
以前、二人は得体の知れない存在に襲われた。
恐怖。
非日常。
クヨムは足を震わせ、何も出来なかった。
だがナロウは違った。
転生時に授かった力とはいえ、恐怖を乗り越え戦ったのだ。
クヨムを守るために。
その姿は勇ましく、美しかった。
クヨムの心を魅了するほどに。
そしてその時、胸の奥に何かが灯った。
もしかしたら自分にも、知らない力があるのではないか。
ナロウに共鳴するように、心の奥で何かが呼びかけている気がした。
「俺もいつか、ナロウさんみたいに戦えるかな」
小さく笑った瞬間。
フィーバータイムの音が鼓膜をくすぐり、クヨムは我に返る。
目の前では七色の光が踊っている。
夢の国への入り口のように。
クヨムが今やっているのは、最近できた趣味だ。
お金を銀玉に変え、増やす。
ギャンブルという名の娯楽である。
「これも師匠と出会ったおかげなんだよな」
最近ナロウ以外にもできた“師匠”のことを思い出す。
「この世界に来て、色々変わってきた気がするな」
それから数時間。
騒音の渦の中でクヨムは打ち続けた。
そして――
夜。
店を出たクヨムの財布は。
数日分の餌を溜め込んだハムスターのように――
パンパンに膨らんでいたのであった。




