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7. 規格外


 「死ぬぅ、ゲンブさん死んじゃいますぅ」


 悲鳴を上げるアルトスの背後にはスミレの魔術で作られた透き通るような氷の馬車。その上には、涼しい顔で腰を下ろすゲンブの姿がある。滴る汗が地面を濡らすが、止まることは許されない。


 「大丈夫だ、弱音を吐けるうちはまだまだ余裕だからね」


 文字通り馬車馬のように走っていた。


 「これで魔術使えるようにならなかったら恨みますからぁ」


 「はっはっは、口よりも足を動かしたまえ。スミレ特製の馬車は見た目に合わず軽い構造なのだ。君は私の体重と背中のおもり程度の重さしかないのだから頑張りたまえ」


 「十分重いんですよ!」


 アルトスが抗議の声を上げた瞬間、風の鞭がアルトスの背中をピシャリと叩く。


 「ほらほら、早くしないとミリアーヌが帰ってきてしまうよ」


 「そ、そうは言っても......。ってゲンブさん!この先に何かでかいのいますよ!」


 行く手を阻む巨大な影に気づき、アルトスは無理やり足を止めた。前方、屋敷の塀の近くに巨大な獣が居座っている。


 「ほう確かにいるね、あれは春を告(オルソー・)げる熊(プリマヴェーラ)だ。屋敷付近には魔獣が来ないように結果を張っているのだが、時々近づいてきてしまうことがあるのだよ」


 「どうするんですか!?」


 「んん?前進あるのみに決まっているだろう。あの魔獣は私に任せたまえ」


 ゲンブは指先で風を操る。早く走れと言わんばかりに再び風の鞭がしなり、アルトスを促した。


 走ってくるアルトスに気づいた春を告(オルソー・)げる熊(プリマヴェーラ)が唸り声をあげ唸り声を上げ、その額にある桜の紋様が不気味な光を放ち始める。


 「あれは!......本で読んだことがあります、紋様が光り始めるのは臨戦体制になった時だって。ゲンブさんこのままでは僕死んじゃいます!」


 息をゼエゼエと吐きながら、ピンチであることを必死に訴えかける。だが、ゲンブの瞳には微塵の動揺もなかった。


 「ちょうどいい機会だ、私の得意とする魔術を見せてあげよう。無詠唱でもいいのだがお手本にするといい」


 ゲンブが静かに、しかし凛とした声で紡ぐ。


 「『一筋の風よ(アン・ヴェント)』」


 放たれたのは、本来なら微風を起こす程度の初級魔術。しかし、ゲンブの手から放たれたそれは、瞬時に暴風へと変貌した。突進してきた巨体の足元から巨大な竜巻が巻き起こり、その巨体を木の葉のように高く舞い上げると、山の彼方へと吹き飛ばしてしまった。


 アルトスはあまりの風圧に、腕で顔を覆いながら立ち尽くす。


 「なんですか今のは!?こんなの初級魔術の域を超えてますよ」


 「基礎が大事なことがよく分かっただろう。今君が引いている氷の馬車もスミレの初級魔術さ」


 「そんな馬鹿な......てっきり上級か特級だと思ってました。みなさん、ほんとに規格外ですね」


 アルトスは猫耳の少女が、これほど精緻な魔術を呼吸のように扱っている事実に愕然とする。

 

 「水魔術ならスミレの右に出る者はいないからね。私ではここまで精緻かつ軽量化された馬車はできない。だが、私の『一筋の風よ(アン・ヴェント)』なら君でも呼吸をするようにできるようになる」


 「ほ、ほんとですか?魔術使えるようになってもその領域までいけるものなんですかね......」

 

 あまりの次元の違いに希望と絶望が入り混じるなか、再び背中に風の衝撃が走った。


 「ほら、突っ立ってないで早く走りたまえ馬車馬くん」


 「人のことを馬呼ばわりするなんて、人でなしっ!」


 「これは失敬、馬に失礼だったかな?」


 軽やかな笑い声を背に、アルトスは再び地面を蹴った。筋肉の悲鳴を風が笑い飛ばしていく。




 屋敷の周りを数周して門の前に戻ってきた時、酸欠になり意識がぼやけたアルトスの瞳が一人の姿を捉えた。


 「あ、あ......ミリアーヌさん」


 もつれる足でどうにか踏み止まり、アルトスは消え入りそうな声でその名を呼んだ。


 「おや、十周する前にミリアーヌが帰ってきてしまったか......」


 「アルトス君!私のお家まで来てくれてありがとう」


 アルトスのボロボロな姿に気づいたミリアーヌが、屈託のない笑顔で大きく手を振りました。立ち止まり、膝に手をついて荒い呼吸を整えたアルトスは、彼女の姿を確認して心底ホッとしたような表情を浮かべた。


 「ほんとにここがミリアーヌさんのお家なんですね......。ここに来てから信じられないことの連続で、ミリアーヌさんの姿を見るまでは正直信じられなくなってました」


 「ふふ、アルトス君は冗談がうまいのね」


 「いや、冗談では......」


 そこでアルトスはミリアーヌの横にいる二メートル近い大柄な人影に気づいた。


 「お、おおっ.......」


 アルトスは眼前に聳え立つ二つの大いなる巨峰に言葉を失った。何がと言うまでもなく、圧倒的にでかいのだ。


 「あ、紹介するのが遅れちゃったね。こちらの方はグスタフ・トロイちゃんだよ」


 ミリアーヌに声を掛けられ我に帰った。


 「.......。えっ、この人がグスタフさんなんですか!?ゼノンさんが君付けしてたから男性の方なのかと......」


 「お祖父(じい)様の呼び方は色々適当なんだよね」


 「あの......は、は、ひゃじめまして..........。ううっ、かんじゃったぁ〜」


 顔を真っ赤にして涙目になっているのが()()と規格外な女性、グスタフ・トロイである。


 黒髪をサイドで緩く束ね、潤んだ琥珀色の大きな瞳はどこか自信なさげで庇護欲を掻き立てる。鼻筋は細く、唇は小さく結ばれており幼さを湛えている。健康的に肉付いた圧倒的長身には、人類の宝とも呼ぶべき全てを包み込む柔らかな存在がたわわに実っている。


 自然に馴染むような落ち着いた茶系のノースリーブワンピースからは胸が(こぼ)れそうになり、右胸の正面と左胸の横にはホクロが白い肌に黒一点ずつ。使い込まれた麦わら帽子を深く被り赤いリボンが、農作業を思わせる素朴な服装の中でも唯一の彩りである。


 「僕の名前はアルトスといいます。よろしくお願いします」


 グスタフは腰を(かが)めて視線をアルトスに合わせてじっと見つめた。屈んだ瞬間に大きく上下したものの破壊力に、アルトスの目は釘付けになった。


 至近距離で潤んだ大粒の瞳に見つめられ、アルトスがドギマギしていると、グスタフは何かを言おうとして口をパクパクとさせていた。

 

 やがて耐えきれなくなったのか、グスタフはすごすごと後ろに下がり、麦わら帽子で顔を覆い隠すようにしてその場にしゃがみ込んだ。


 「グスタフちゃんは恥ずかしがり屋なの」


 「......そうなんですね」


 「それよりもアルトス君、もうちょっとデリカシーを身につけた方がいいと思うなー」


 「いや、見ようとしていた訳ではないんです......不可抗力というか、存在感がすごすぎて......」


 「そういえば、今はゲンブさんと修行中なんだよね?邪魔しちゃってごめんね。お夕飯ご馳走したいから早く終わらせてきてね」


 ミリアーヌはやや早口に捲し立てると、グスタフと連れ立って屋敷の中に入って行った。


 「ミリアーヌさん、僕も連れて行って......」


 ミリアーヌに会った流れで修行を切り上げようと目論んでいたアルトスの考えを無慈悲に打ち砕いていった。


 「さてと......修行再開だ!」


 鋭い風の音と少年の叫び声が再び屋敷に響き始めた......。

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