4. いざ家へ
「……じゃあ、私は少し用事があるから先にアルトス君は家に行っててね」
ミリアーヌはそう言うと、手近なノートの切れ端にさらさらと何かを書き込み、僕に手渡した。
「これが私の家までの地図だよ。少し入り組んだ場所にあるけど、たぶん分かると思う。...また後でね!」
彼女は軽やかな足取りで保健室を後にした。一人残された僕は、手渡された地図に視線を落とす。 そこには、整った字の横に、可愛らしい猫のマークや、お花のような記号が散りばめられた道のりが描かれていた。
ぱっと見は可愛らしいが、よく見ると「大きな木を右」や「広場の噴水から猫の歩幅で百歩まっすぐ」など、目印が主観的すぎて心許ない。
「......本当に辿り着けるか心配な地図だなー」
加えて、目的地はアルトスの住むクレデリア王国で最も大きい霊峰、ペリコロー山の中にあるようだ。時折、魔獣の叫び声が聞こえると噂の山に、ミリアーヌの家があるのか甚だ疑問ではある。
だが、彼女を信じると決めた以上アルトスは不安を押し殺した。
地図を大事にポケットへしまい、身支度を整えて学校を出た。 夕暮れに染まり始めた学園の門をくぐりながら、彼はまだ知らない。 その地図の先に待ち構えているのが、ただの「家」ではないことを。
地図に従い歩みを進めると、アルトスの住むクレデリア王国で最も大きい霊峰、ペリコロー山の麓へと辿り着いた。さらに指示に従い、およそ山の入り口とは思えない場所にひっそりと佇む、苔むした女神像の前に立つ。
「……ええと、まずは姿勢を正して、深くお辞儀を二回……」
地図の余白に書かれた作法をなぞる。彼は像に向かって二度深く頭を下げ、それから胸の高さで両手を二回、パン、パンと打ち鳴らした。
山に入り鬱蒼とした森を進んでいく。一つ目の巨木を右に曲がり、二つ目の巨木を左に曲がり......最後には息を切らしながら急斜面を登り切った。気づくと周囲には霧が漂い、二本の古木が鳥居のように聳える「門」に辿り着いた。
「……はぁ、はぁ……疲れたぁ。この山に、こんな場所があったなんて……。しかもいつの間に霧が......」
アルトスは不安になりながらも、門の前で教えられた通りの作法をした後、一歩足を踏み入れる。
「うわ......っ」
急に視界が開けた。そこに広がっていたのは、以前本で読んだ『ヒノモト』という遠い異国の、古めかしい屋敷と酷似した光景だった。学園の石造りの校舎とは全く異なる、静謐な威容を誇っていた。漆黒の瓦屋根と屋敷の木目に染み込んだ数百年もの時間が、無言の圧力を放ってそこに立ち塞がっているよう感じた。
「......ここがミリアーヌさんの家?」
ふと後ろを振り返ると門は消えており、代わりに古びた、けれど堅牢で大きな木製の扉へと様変わりしていた。その扉は、深い色に焼けた厚い板を、黒ずんだ鉄の鋲で幾重にも打ち付けた重厚な造りだった。
「門が、消えて......扉に?。なんだ、何かの魔術なのか?」
アルトスがキョロキョロと周りを見渡すと、屋敷は真っ白な漆喰の塀で囲われていることに気づいた。庭には大きな池があり、奇妙な形をした巨岩や、丁寧に手入れされた低木が配置されている。池の反対側には巨木が厳かにその存在を示し、周囲には見たこともない色鮮やかな果実を実らせた木々も生い茂っていた。
「......す、すごい。こんな場所がペリコロー山の中にあったなんて......」
屋敷の様子に感心していると、雷一閃、目の前を何かが一瞬で通り過ぎた。その後を、地を舐めるようにして炎の蛇が追いかけていった。
「っくそ、また逃げられたか......次は燃やすぞエロジジイ」
声のする方を見るとド派手で扇情的な女性が塀の上で遠くを睨みつけていた。
燃えるような真紅の長髪が腰まで流れ落ち、髪の先端がふわりと広がって危険な雰囲気を醸し出している。金色の瞳は鷹のように獰猛で、人を威圧する意志の強さが感じられる。それにも関わらず、その顔は魅入られてしまいそうなほど気高く美しい。
肩から胸の谷間まで開いた鴉色の布地は白い肌を惜しげもなく曝け出し、細いくびれは豊満な双丘を鮮烈に印象づける。十字のような黄金の首飾りは彼女の派手さに少しの荘厳さを加える。
服の役割を果たしてるのか怪しいほど裾は裂け、白く健康的な下肢を大胆に晒している。太もも上部には金色のガーターベルト食い込み、漆黒のハイヒールが彼女を際立たせていた。
「こぉらぁー!セラフィナ、庭で炎は使うなと何度も言っておるじゃろー!儂の大切な木が燃えたらどうしてくれるんじゃ!!」
「おわぁっ......」
いつの間にか後ろに立っていた人物の大音声にアルトスは尻餅をついた。
まさしく仙人というのが相応しい雰囲気を漂わせながらも、筋骨隆々で2メートルは裕にありそうな巨漢の翁がそこにいた。
白銀の長髪を高い位置で束ねてはいるものの、纏めきれなかった髪の毛がこめかみを流れている。顔は長い時を生きた者の深い皺が刻まれ、ミリアーヌと同じ瞳の色をした双眸は塀の上の女性を睨んでいた。
怒りのせいで翁の身を包む『ヒノモト』の衣装が怒張した筋肉と魔力で浮き上がっていた。
「っやっべ......悪かったな爺さん!次はバレないように気をつける」
そう言い残すと、真紅の女性は塀の後ろへと消えた。
「バレるバレないの問題ではなかろうて......。おっとこれは見苦しいとこを見せてしまったの」
先ほどまで大気を震わせていた怒号が嘘のように好々爺の表情を浮かべた。
「......い、いえ。......えと、あなたは?......というか、ここはミリアーヌさんのお家ですか?」
アルトスは震える声で尋ねた。
「ほう、ミリアーヌの......なるほどな」
何かを考えながら長いひげを手で弄りながら返答した。
「あ、あのぉう......」
アルトスは地面に尻をついたまま翁の様子を伺った。
「お、これはすまんの。通常では立ち入ることのできない場所ゆえ、誰かの客人だとは思っていたが......。まさかミリアーヌのご友人とはな。いかにも、ここは我が孫ミリアーヌが住んでいる屋敷じゃよ」
翁は丸太のような腕を差し伸べ、アルトスの手を取った。ぐいっと引き上げられる力はあまりに強くて肩が外れそうになる。
「儂はゼノン・グライスじゃ。少年、名はなんという?」
「アルトス・クレイです。ミリアーヌさんに魔術が使えるようになると聞いて来ました」
「......ほう。まぁ、立ち話もなんじゃから、とりあえず屋敷の中で話を聞くとしようかの」
ミリアーヌの祖父の後ろをついていきながら、アルトスの心臓はドキドキしていた。こんな山の中に人が住んでいるという事実に、目の前を歩く翁から漂うただならぬ気配に......。




