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3. 回り出す歯車


 鼻をくすぐる、鼻腔をすっと通り抜けるような薬草の匂い。魔術で精製した軟膏か、あるいは治癒を促進する香草を焚いているのか。独特の香りが、重かった意識を覚醒させる。


 「……う、ん……」


 目に飛び込んできたのは見慣れない白い天井だった。体がふわふわと浮いているような感覚が残っている。いや、実際にさっきまで空中に打ち上げられていたんだったけ。


 「……あ、目が覚めた?」


 すぐ傍らから聞こえてきた、おっとりとした声に僕は跳ねるように上体を起こした。


 「ミ、ミリアーヌさん!?」


 木の椅子に腰かけ、僕の顔を覗き込んでいたのは、やはり彼女だった。保健室の窓から差し込む午後の光を背に受けて、黄金の髪が眩い輪郭を描いている。けれど、その頬はまだほんのりと朱に染まっており、視線はどこか気まずそうに僕の胸元あたりを彷徨っていた。


 「おおー、よく寝たかぁ」


 気怠そうな表情でこちらに目を向けるのは、この学園の保健女医であるレオネード・アルヴェスタ先生だ。


 肩に届くか届かない程度の、寝癖が混じった夕焼け色の髪を揺らす。その顔には、いつも眠たげな雰囲気を宿した細縁の眼鏡が乗せられ、伏し目がちな瞳の奥で、わずかに光を反射していた。


 白衣は羽織っているものの、その下に着ているのは、どこかくすんだ白色の、裾や袖がふわりと広がるような服装だ。豊かな胸元のボタンはいくつか外されていて、二つの存在が強調されている。頭には、本来ならきちんと被るべきであろう白いヴェールが、飾り程度に無造作に引っ掛けられているだけで、修道女の格好を着崩したような感じだった。


 「放課後までお寝んねなんて初めてだなぁ。しかも、いつもと違って朝っぱらからここに来るとは......。まさかスカートの中見て吹っ飛ばされるなんて......傑作だな」


 レオネード先生は肩を揺らしながらクツクツと笑った。実技の授業でよく痛い目に遭っている僕はレオネード先生と割と仲がいい。それが原因でさらに痛い目にも遭うのだが。なぜなら、こんな態度にも関わらず面倒見も良く色っぽいため男女問わず人気だからだ。


 「ミリアーヌさん話したんですか!?」


 「......その、成り行きで......。それに、ごめんなさい。わたし、つい気が動転して。加減するのを忘れて、あんなに高く飛ばすなんて」


 「あ、いや……僕の方こそ、ごめん。デリカシーがなかったというか……見ようと思って見たわけじゃ……」


 「……っ!」


 僕が言葉を濁すと、彼女は弾かれたように顔を上げ、耳の付け根まで真っ赤に染め上げた。膝の上で揃えた拳をぎゅっと握りしめ、大人びたその身体を少しだけ震わせながら、ツンとした様子で口を尖らせる。


 「その......見たものは忘れてくれると。ありがたいな、なんて」


 「......うん、分かった」


 絶対忘れられんと思いながらも神妙に頷くアルトスだった。


 「それにしても、いつもと違ってとはどういうことなんですか?......えと、レオネード先生?」


 転校してきたばかりにも関わらず何とか名前を思い出して尋ねる。それにミリアーヌは転校してからアルトスのことを噂程度には聞いていたのもあり、余計に気になった。


 レオネードはアルトスを一瞥してから話し始める。視線を感じた僕は気まずそうに(うつむ)いた。

 

 「まあ、どうせすぐ分かるしなぁ。転校生のミリアーヌだっけぇ?こいつが魔術使えないのは知ってるだろ?」


 「......はい」


 「この世の中、魔術はあって当然のもの。じゃあ、魔術が碌に使えないこいつは周りからすれば異分子だ。そんでもって、その異分子が勇者になると言って夢を見てるときた。大抵の人間には滑稽に映るだろうな」


 レオネードは眼鏡の奥の瞳を冷たく細め、言葉を継いだ。


 「……そう思ったやつがアルトスに何をするかなんて単純だ。実技の授業にかこつけて、正当に痛めつけてるんだよ」


 「そんなの......そんなの許せません!」


 レオネードの淡々とした言葉に、ミリアーヌが弾かれたように叫んだ。 完全に弱い者いじめではないか。そう憤る彼女の周囲で、大気が震え始める。黄金の髪が逆立つように揺れ、彼女の体の内側で、先ほどまでの穏やかさとは正反対の凶暴なまでに濃密な魔力が練り上げられていく。


 「……っ」


 魔力があまり感じられない僕ですら、その威圧感に肌がピリつくのを感じた。


 「落ち着け転校娘。ったくとんでもねえ魔力量だなぁ......。言いたいことは分かるがアルトスもアルトスなんだよ。そんな授業なんて、ばっくれちまえばいいのに聞きやしねぇ。そのせいであたしの仕事が増えてんのにな」


 レオネードはアルトスのこめかみを指でピンっと弾く。


 「あたっ。......すいません、でもどんな困難でも屈さないのが勇者だと思うんで」


 アルトスは頭を掻きながらも、強い意志を込めて呟く。レオネードは時々、こいつの勇者像どこかズレてるんじゃないかと思うことがあるが、口にするのは野暮なので言わない。


 やり取りを見守っていたミリアーヌが、ゆっくりと僕の方を向いて口を開いた。


 「アルトス君......もしも魔術が使えるようになったらその人達に仕返しをしたいと思う?」


 彼女の空色の双眸が、僕の心の奥底を覗き込むように真っ直ぐに見つめてくる。


 「そんなわけない!僕はただ勇者になるために、そして誰かを守るために魔術を使いたいよ。でも現実はうまくいかないんだ......」


 苦笑いする僕の言葉を聞き届けると、彼女は満足そうに、けれどどこか決意を秘めた表情で頷いた。その佇まいは、ほんわかとした少女から、運命を司る聖女のような神秘的なものへと雰囲気を変貌する。


 「そう、それなら.......一つだけ、魔術を使えるようになるかもしれない方法を私知ってる」


 ミリアーヌがそう言うなりレオネードの纏う空気が一変した。気怠げな雰囲気は霧散し、眼鏡の奥の鋭い眼光がミリアーヌを射抜く。椅子の背もたれに預けていた体を起こし、彼女は忠告するように声を低めた。


 「転校娘テキトー言ってんじゃないだろうな?こいつに下手な希望持たせるような真似はやめろよ。後が辛いだけだ。魔力総量は一生変わらねえんだ」


 「レオネード先生、ミリアーヌさんは嘘をつくような人じゃありません」


 「根拠は?」


 「ありません。でも僕はミリアーヌさんを信じます」


 言い切った僕の言葉に、レオネード先生は呆れたように大きな溜息をついた。眼鏡を指先で押し上げ、天井を仰ぎ見る。


 「はぁ……論理もへったくれもありゃしないな。けどまぁ、伝説の勇者目指して頑張りな。それに、そもそも保健医のあたしが首突っ込む話でもないしな」


 レオネード先生はそう言い残すと、用は済んだとばかりにヒラヒラと手を振りながら保健室を出て行った。


 パタン、とドアが閉まる乾いた音が響く。


 「......それでミリアーヌさん。......魔術が使えるようになる方法とはなんですか?」


 「アルトスさん......まずは私のお家に来てくれる?」


 ミリアーヌは少しモジモジとしながら上目遣いでアルトスに聞き返す。


 「......?」


 一体、彼女の家で何をされるっていうんだ。そういえば、昔本で読んだことがある。互いに密着することで魔力を共鳴させる方法があるとかないとか。......もしかしてそれが関係しているのか!?


 高鳴る鼓動を必死に抑え込みながらも、抗いようのない期待感に飲み込まれそうになっていた。

 

 「是非、行かせてください」


 あえて背筋を伸ばし、勇者さながらのキリッとした顔で彼女に返事をした。 だが、それを受けたミリアーヌは、安堵したように微笑むと、付け加えるようにさらりと言った。


 「よかった。……あ、それと、絶対に死なないでね?」


 「……えっ?」


 期待から一変、底知れない未知への恐怖が、アルトス少年の全身を凍りつかせていった。

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