透明になっていく声
翌日の昼休み。
白川澪は、教室の後ろの棚でお弁当を開いた。
いつものように、ひっそりと。
だが今日は──
周囲の“空気”が、昨日よりもさらに冷たかった。
美桜、梓、莉奈の三人は、澪の近くをわざと通らない。
その代わり、遠くからこちらを見るたび、ひそひそと笑っている。
「ねぇ、見た? また一人で食べてるよ」
「そりゃそうでしょ、“そういう子”だし」
「男子とばっか話してるからじゃない?」
澪は気づかないふりをした。
(……聞こえなかったことにしなきゃ)
反応したら、もっと迷惑をかけてしまう。
自分が笑われるのはいい。
でも、他の誰かがそれに巻き込まれるのが嫌だった。
だから、黙って箸を動かした。
しかし──
その沈黙すら、彼女の存在を薄くしていく。
午後の授業が始まる直前。
澪がプリントを取りに立ったとき、
誰かの手がわざと彼女の肩を掠めた。
ちょっとした接触。
けれど、澪はびくっと体を揺らす。
「わ、ごめん」
「気をつけてよ、白川さん」
間違いなく“わざと”だった。
声のトーンに違和感があった。
澪は瞬時に笑顔を作る。
「ご……ごめんなさい。私が避けるの遅かったから……」
謝る必要なんて、ないのに。
美桜たちは、
その“過剰な謝罪”を楽しむように見ていた。
「ねぇ聞いた? また謝ってるよ」
「なんか……あれされると逆にこっちが悪者みたい」
「だから気に入らないんだよね」
澪は聞こえないふりをした。
でも胸に、じわじわと痛みが広がる。
(……私が迷惑かけてるから……
もっと気をつけなきゃ……)
違う。
澪が悪いんじゃない。
でも、彼女はそれを認められなかった。
放課後。
教科書を閉じて帰り支度をしていると、
遥斗が声をかけてきた。
「白川さん、今日静かだったね」
「うん……最近、ちょっと疲れてるだけ……」
「ほんとに? なんか……話しかけても反応薄かったし」
澪は慌てて首を振る。
「ご、ごめん! そんなつもりじゃなくて……
ただ、みんなに迷惑かけないように……」
「迷惑って……誰のことを言ってるの?」
遥斗の目が、鋭く細まる。
澪の喉がつまった。
(言えない……
言ったら遥斗くんが……巻き込まれる……)
澪は笑顔を作る。
「本当に大丈夫だから。
ちょっと寝不足なだけ……気にしないで」
遥斗はしばらく黙った。
そして、小さく呟いた。
「……気にするよ。
白川さんのこと、見てればわかる」
心臓が跳ねた。
どうして。
どうして、この人は私の声が聞こえるんだろう。
誰も気づかなかった小さな痛みに、
遥斗だけは気づいてしまう。
恐ろしくて、
そしてほんの少し……嬉しかった。
その瞬間だった。
教室の入口に、誰かの影が差した。
「澪。帰ろうか?」
神谷空だった。
優しい声。
しかし、その優しさが
教室の空気を一瞬で硬くさせる。
遥斗が目を伏せた。
澪の表情が強ばったからだ。
「そら……どうしてここに……?」
「迎えにきただけ。
ひとりで帰らせると心配だからね」
クラスの視線が一斉に澪へ向かう。
ざわ……と微細な噂が広がる。
「なにあれ、彼氏?」
「違うでしょ……でも仲いいの?」
「白川さんって意外と……」
澪の喉が詰まった。
(ちがう……そんな関係じゃ……)
否定したかったのに、
声が出ない。
空は澪の横に立ち、柔らかく微笑む。
「行こう、澪」
その一言が、教室全体を
さらにざわつかせた。
澪は、逃げるように鞄を掴み、
俯いたまま教室を出た。
背中には、
美桜たちの冷たい視線が突き刺さっていた。
“透明な壁”は、
もう完全に澪を囲み始めていた。




