孤立という名の“正しさ”
翌日の朝、
教室の空気は妙にざわついていた。
美桜たちが、
黒板消しを指差しながら話している。
「ちょっと見てよこれ! 今日の黒板、消し跡ひどくない?」
「誰がやったのー?」
「雑すぎでしょ。マジで読めない」
男子のひとりが言った。
「今日の黒板係って誰?」
その言葉が空気を切り裂いた。
次の瞬間──
数人の視線が、自然すぎる流れで澪のほうへ向いた。
(え……?)
昨日の掃除も、
おとといのプリント紛失も、
その前の物品の消滅も。
“澪のせい”という空気が
すでにクラスに積もっていた。
美桜がとどめを刺すように、
「白川さん……今日、黒板係だったよね?」
と、優しく問いかけた。
優しい声。
だけどその裏には
“あなたでしょ?”
という責めがあった。
澪は胸がきゅっと縮む。
「え……違うよ……?
私……今日は……係じゃ──」
書記係の男子が言った。
「あれ? 白川さんっていつも黒板残ってるよな」
(違う……
残らされてるだけ……)
そう言いたいのに、声が出ない。
美桜の笑みが深まる。
「じゃあ……誰がこんな雑に消したの?」
沈黙。
静寂。
だれも何も言わない。
澪は、
“ここで自分以外を疑えば、誰かが傷つく”
と思ってしまった。
だから──
反射的に言ってしまう。
「……ご、ごめんなさい……
たぶん……私が……やったのかも……
気づかなくて……」
教室の空気が “やっぱりね” という色になる。
「ほら〜、白川さんじゃん」
「なんで毎回こうなるの?」
「ドジなんだから仕方ないかも」
澪の指先が震えた。
胸が痛いのに、
謝るしかできない。
(私が……
もっと完璧なら……
誰も困らないのに……)
そんな思考に、
自分でも気づかない。
授業が始まる前。
澪がうつむいてノートを準備していると、
隣にそっと影が落ちる。
佐久間遥斗だった。
「……白川さん」
澪は無理に笑顔を作る。
「あ……うん……? なに……?」
「さっきの、違うよね?」
言葉が刺さった。
まるで、
胸の奥の痛みに触れられたようだった。
澪は視線を逸らした。
「い、いや……
私がちゃんと見てなかったから──」
「違うよ」
遥斗の声は、静かで強かった。
「君は黒板係じゃない。
誰より丁寧に掃除するし、
雑にやる人じゃない」
澪の心臓が跳ねた。
(どうして……
どうしてこんなに……
私を信じてくれるの……?)
遥斗はさらに言う。
「白川さん……
“罪をかぶる癖”……ほんとやめたほうがいい」
澪はびくっと肩を揺らす。
「……かぶってなんかないよ……
ほんとに……私のせいだよ……」
遥斗の目が揺れた。
“違うよ”と言いたくて、
でも言えば澪がもっと苦しむとわかっている。
彼は拳を握りしめ、
苦い表情を浮かべた。
「……このままだと……
白川さんが壊れる」
その声は震えていた。
澪は微笑んだ。
笑うしかなかった。
「壊れないよ……
私……強いから……」
本当は、
もう限界に近いのに。
放課後。
空は薄暗い廊下の端で澪を待っていた。
まるで、
彼女がここを通ることを知っていたかのように。
「澪」
その声だけで澪の肩が震えた。
「今日も……大変だったね」
澪はすぐに笑顔を作った。
「だ、大丈夫だよ……!
私のせいだったし……」
空はゆっくり近づく。
教室の喧騒が遠ざかり、
世界が二人だけになったみたいだった。
「澪。
自分のせいにするのは、優しさじゃないよ?」
澪の胸が揺れる。
(どうして……
みんな“私が悪い”で許してくれるのに……
この人たちは……否定するんだろう)
空は澪の髪の横に手を伸ばし、
触れる寸前で止める。
「澪を傷つける奴らは……
俺が全部、守るから」
その声は甘く、
優しく、
しかし──
逃げ道がないほど深かった。
澪は一歩後ずさる。
「……守らなくていいよ……
私……ひとりで、平気だから……」
空の表情が、
かすかに歪む。
その歪みは一瞬で微笑みに戻ったが──
澪は、その影に気づけなかった。
“孤立の論理”は、
こうしてクラス全体の正しさになっていく。




