第ニ章 刀狩りの男
第ニ章 刀狩りの男
中天に上った太陽が、じりじりと乾いた大地を焼いている。陽炎が揺らめき、地面の彼方が溶けるように滲んで見えた。ここが地獄の一部だと言われても、誰も疑わないだろう。
その中を、一人の男が歩いていた。
纏った灰色のローブは日差しを吸い込んで熱を帯びていた。男は流れる汗を気にした様子はない。
ローブの下から覗くカーキ色のシャツとジーンズはどれも使い古されているが、男の鍛え上げられた体に不思議と馴染んで見える。肩幅は広く、腕は丸太のように逞しい。
その肉体は、まるで岩石を削り出して作られた彫像のようだった。
茶色の髪が肩まで伸びていた。武骨な顎のラインは見る者に畏怖を抱かせるが、翡翠色の瞳が宿す少年のような輝きが、その印象を和らげていた。顔つきはハンサムと言っていいだろう。
ふと男の口角がわずかに上がる。無邪気な笑みだ。どこか飄々として、暑さすらも軽々と笑い飛ばしているかのようだった。年は二十台半ばであるが、顔つきだけ見れば十代にも見える。
若いというよりは子供のような男だった。
腰から下に剣を携えている。剥き出しの刀身は半透明。まるで玩具のようである。
だがその剣も体を包むローブに隠れて、一見すると見えなかった。
男の名はロウガ・ロード。寝坊したために二時間遅れの出発であったが、一切焦る様子がない。
「辺境騎士団がそう上手くやるとは思えん……。まあこれくらいでプラマイゼロだろう」
ロウガは勝手なことを言った。
砂丘の上から、一人の男が降りてきた。荒れた息を吐き、足取りには焦り。何かに追われているかのようだ。鋭く削げた頬、剃られた眉、その顔つきには暴力的な雰囲気が漂っている。
男もまた腰から下に半透明の剣を携えていた。
「ほらな、丁度いい」ロウガは、誰に勝ち誇っているかは分からない。
ロウガと男は、互いに近づいていった。
男もこちらに気づいている。互いに数メートルと言った距離で立ち止まった。
ロウガが男の名前とその経歴を知っていた。
ガラン・ガルン。貴族誘拐を企てるも失敗におわりそのまま逃亡。追撃部隊をかわし、辺境の集落で籠城を取ることになる。プライドと面子を重んじる貴族を襲うなど愚かなことだ。
しかしガランが真実愚鈍だったのは、村人を人質に取ったことである。
辺境を生きる民など貴族からすればゴミと同義。そんなことで、追撃の手が緩むことはないし、結果的に集落に住んでいた三十人余りの人々は全滅することになった。
ガランがやったのか、追撃部隊がやったのかそれは分らない。
ガランを認めるならば、その逃走能力であろう。追っても振り切り、なおも逃げ延びたのである。
しかしさすがに満身創痍か、ガランは唇を噛み、時折目を泳がせながらこちらを伺っていた。
そして声をかけてきた。
「お前も俺を追っているのか? 辺境騎士団の一員か?」
息を切らしながら、ガランは詰問口調だ。苛立ちを隠すつもりがないらしい。
「いいや違うね」ロウガは、無邪気な笑みを崩さず、どこか飄然としていた。
「では貴族の追跡部隊か?」
「俺を貴族の同類とするな、ああいう奴らは嫌いでね」ロウガはムッとした顔をした。
不意に、ガランを後ろ見た。追手を警戒しているらしかった。
「大丈夫だよ」ロウガはにたりとしながら言った。
「何がだ?」ガランは我慢の限界だ。不用意な一言で爆発しそうなほど、ささくれたっている。
「そんなに気にしなくても誰も追ってこないっていっているんだ」
「俺は追われているんだ。お前が知っているか知らんが、命を狙われているんだ。アイツらは仕事が終わるまで俺を追うのを止めることはない。絶対にな!」
「だからそいつらは仕事を終えたんだよ。お前をここまでおびき寄せるのが任務だったんだ。後は高みの見物で、ここからは俺の仕事さ」
「なんだと……!」ぞっとガランの視線に緊張が走り、「お前まさか……」と言った。
ロウガは初めて真剣な目つきをして、ローブを広げて見せた。そこから覗くは半透明の剣。
それを見たガランは狼狽し、数歩後ずさった。「てめえ召喚剣もちかよ、やっぱり」
「刀狩りだよ」ロウガは笑みを含んだ声に、冷えたものを忍ばせて呟く。
「クソッタレ! やってやるよ!」ガランは剣を抜くと天に掲げた。
「この手のやり取り、もう何回目だろうな」ロウガもまた抜刀するとその切っ先を天にむける。
互いの刀身が輝き、光が、高く、昇った。
二人を包むは光の柱。しかしその本質は幾つもの光の破片であった。無数の輝きが円柱状に回転しながら駆け巡っていく。そしてその柱の中で、光と光は幾度も幾度も衝突を繰り返す。柱の中で弾ける光の粒は、まるで金属の衝突音を伴うように鋭く響いた。ぶつかっては爆ぜ、そして癒着し、一つの姿に形成される。
それは人型であった。
全長八メートル、硬質な鎧をまとった巨人がそこに召喚されたのである。
完成した巨人は、その体が一歩動くたびに大地が振動する。
この巨人のことを人は、かつて存在した巨人ネフィリムになぞらえて、NFと名づけた。
そしてNFを瞬時に、形成する剣を召喚剣と呼んだ。
つまりNFと召喚剣は同一の存在で、形態の違いで言い換えているだけなのだ。
NFは圧倒的な性能を持ちながら、剣と同じの携帯性を持つ、まさに無敵の兵器であった。
NFは、かつて一国を支配したと言われる兵器で、普通の人間では到底制御できない。
NFを召喚し操る者を人々はNFライダー呼び恐れた。
今、ロウガとガラン、それぞれがNFを呼び出したために二騎の巨人が現出することになった。
ロウガは一方の巨人の胸部の中で座していた。両手には操縦桿を握っている。
ここがNFの心臓部であり、コクピットだ。NFライダーはNFが生まれる段階でその魔力法則に則り胸の位置まで上昇し、そして体形に合わせたシートの上に乗り込むのである。
NFのサイズが八メートルいう制約がある以上、体の大きなロウガには、そのコクピットはやや窮屈だった。どこか滑稽に二も見える。愛嬌のあるロウガであればなおのこと。
しかしロウガの眼は真剣そのものだ。
二騎のNFはそれぞれデザインが違った。当然だ。騎種が違うのである。
最強兵器NFにはいくつもの騎種があり、NFライダーは己にあったNFを選ぶ。
ロウガが目の前で臨戦体制をとっている巨人、つまりガランの駆るNFはシミット呼ばれるNFだった。兜つけられた三日月を思わせる鶏冠が異彩を放つ。装甲の各部は丸みを帯びているが、厚みそのものは薄いために軽快な印象を抱かせるいで立ちだった。カラーリングは辺境の荒野に相応しい、黄土色をしている。
整備性も高く、扱いやすい、辺境でも人気の騎種である。
反対にロウガの駆るNFの名は……。
「エクセキューショナーソード、処刑人の剣と言われたNF。正真正銘刀狩りなんだな、お前は!」
ガランが吠えた。シミットは搭乗者の覇気を拡散させて、ロウガに伝わるようにしたのだ。
「さっき刀狩りだと自己紹介したと思ったがな」ロウガは呆れた口調。
対立する二人には温度差があった。それはそのまま余裕の差、つまり実力の差を示す。
だがガランが叫声をはるのも当然である。彼が相対した敵、ロウガ・ロードはそれほどまでに強力なのだ。エクセキューショナーズソード、略してエクセは、刀狩りに属するライダーにのみ支給されるNFである。その力は使い手の技量とあいまって、不敗の神話で語られる。
陸海空にその性能を最大に発揮するNFは、あらゆる作戦行動で無敵とされているが、エクセはそういった汎用性を犠牲にし、対NFに特化した騎種なのである。
NFは通常最大三十分の作戦稼働が可能であるが、エクセの稼働時間十分余り。継戦能力を捨てて得たのは、分厚い装甲と強大な魔力放出機能である。魔力の大半は膂力に費やされる。つまり圧倒的な力で戦闘破壊することを旨とするNFなのである。
エクセはどこか不気味なNFだ。
頭部全体を包むフード状の兜に、腰を取り巻くスカート状の装甲は膝下まで伸びている。
フードからスカートのラインを見れば、まるで外套で身を隠した古の処刑人そのもの。
人を殺すことを生業とした処刑人と対NFに特化したエクセに似るところはあまりに多い。
エクセの持つ長剣の先端は、丸みを帯びていた。それは斬撃性能を引き上がるために作られた剣であり、NFをたち斬ること全てに心血を注いだ究極のデザインだった。
各部の装甲も鋭くエクセは実に攻撃的に見える。
ロウガの駆るエクセの装甲は灰色である。
エクセとシミットは互いに睨み合っている。
「刀狩りに狙われたら俺も終いか?」ガランは探りを入れてきた。
「そうでもないだろうぜ?」ロウガは友人に返事をするようなテンションで返す。
「なんでだ? 辺境最強集団に追いかけられて生き残れるものかよ」
「今日は集団じゃないんだよ。俺一人しか来ていないんだ。刀狩りも忙しいからな、わざわざ野良のNFを駆るのに総出することはない。だから俺さえ倒せばお前はまた逃げられるぜ」
「なるほど」ガランは暗く思い声音で、「少しやる気が出てきた」と言った。
“やる気”と言いつつも、ガランの声は少し震えていた。
それをロウガは聞き逃さない。太い笑みを浮かべた。
敵が勝手に追い詰められていく、狩人としてこんなに楽しいことはない。
「まあ、楽しもうや!」ロウガはエクセを巧みに操り、剣を上段に構えさせた。
実はNFの操縦というのは、手に持った操縦桿だけで行うものではない。
NFとライダーは、魔力によって繋がり一体なる。この同調をどこまでできるかで、NFの性能を発揮できるかどうかが変わる。中途半端な状態では、真っ直ぐ歩くのも困難であるが、完全に一つなれば華麗に踊ることだってできる。
操縦桿というのは、あくまでのその補佐のために存在だった。
エクセの動きに感応してシミットが剣を取り、走り出した。その姿勢制御と足の動きに無駄がなく、それだけでガランは一流のNFライダーだということが分かる。
だがロウガもまた一流。
エクセが稲妻のような一閃を放った。巨大な刃が大気を焦げつかせながら、シミットを襲うさまは圧巻である。その剣撃は常人では視認できない。NFの一刀は音速を裕に超えるのである。
シミットは剣でエクセの攻撃を受けた。
巨大な剣同士がぶつかり合う。凄まじい衝撃が大地の表面を吹き飛ばし、耳を劈く爆裂音が、空間を歪ませる。発生した魔力エネルギーが、蛇のようにうねってエクセのNFの装甲を焼いた。
エクセとシミットのその力は拮抗……しない。
対NFに特化したエクセのパワーは他のNFを凌駕する。
この処刑人からすれば、シミットなど子供と同義のようである。
シミットはエクセの力に耐えられず、吹き飛ばされる。まさに規格外の強さだ。
エクセは追撃、宙を舞うシミットに迅雷の速度で接近すると、斬撃を加えた。
シミットの胸に剣痕が残った。
ロウガは正確にシミットのコクピットを捉えたのだ。
中に乗っていたガランは、エクセの一刀によって、肉片も残さず消滅したであろう。
シミットは地面に激突し、尚も勢いは衰えず、地面を滑る。そして巨石にぶつかった瞬間、砕けた。
岩に破壊されたわけではない。NFライダーをやられたシミットは戦闘限界を迎えて崩壊しただけなのだ。当然NFの理にのっとり、砕けた破片は宙に消えていった。
ロウガはコクピットの中で、その光景を真っすぐに見つめていた。
意外にも、ロウガは額から一筋の汗を流していた。
「そこそこには、強かったか……」絞り出すように賞賛の言葉を口にした。
エクセは圧倒的な勝利だったはずだ。しかしロウガはガランの強さを評している。
よく見ればエクセのスカート部の装甲が歪んでいた。
シミットが蹴りを放っていたのだ。
ガランは吹き飛ばされる瞬間、ガランは最後の力を振り絞ったのだ。シミットの足をねじり上げ、エクセのコクピットを狙った。その行動には、わずかな勝機を見出そうとする執念が込められていた。
「もしもシミットの足がコクピットに届いたら結果は逆だったかもしれない……」
ロウガはこの戦いが間一髪であったことを理解していた。
「やめらえねえな」ロウガはコワい笑みを浮かべた。
「こういうやり取りがあるから、刀狩りはやめられないんだよ……」
熱い吐息と一緒に、燃えるような思いを口にする。
戦い消耗が心地よく、生を繋いだ安堵感に満たされている。
心臓が強く鼓動している。それは戦いの緊張感によってもたらされたものではない。
たぎっているのだ。脳の中で生まれた化学物質が全身を支配していた。
楽しい遊びに夢中になる子供のように、ロウガはこの戦いの快感に浸る。
戦いは生を実感させる唯一の手段――それがロウガの中で確固たる真実となっていた。
過去に味わった平穏はただの幻影。今や血と汗の匂いだけが、彼の心を満たすのだ。
ピシリ、硬質なものに、亀裂の入る音が木霊する。
戦いを終えたエクセが崩壊するまで、あと少しであった。
砕け散ったエクセの居た場所で、ロウガは一人座していた。
戦いを終えて一時間経っていた。
迎えの車を待っているのである。
エクセとシミット、二体の巨人が争ったばかりである。荒野はいっそうに荒れていた。
地面はめくれ上がり、深々と剣痕を刻まれている。
そこだけ長い戦争でも起きたかのようだ。
無残な戦いの後である。時間にして一分足らずの闘争でできた結果である。
ロウガはすることもないようで、ただ空を見て、雲の流れを追っていた。
地響きがした。視線を降ろすと、地平線の向こうで土煙を上げて、何かが迫る。
車だ。黒い車体のジープ。
そのジープの頑丈なフレームは傷だらけの勲章を纏い、泥と埃がその履歴を語る。エンジンが咆哮を上げるたびに、鉄の塊が地を震わせ、進む先をねじ伏せるような迫力を放っている。
刀狩りの援助班が使用するジープに間違いなかった。
ジープはロウガの前で止まると、中から運転席から一人の男が降りてきた。
辺境に似つかわしくない、スーツを着た柔和な老人であった。
「お待たせしましたかな?」老人は微笑みながら言った。
「ああ、随分まったぜ」ロウガは立ち上がりながら言った。
「待つのも刀狩りの仕事ですよ」老人は立ち上がるロウガに手を貸す。
刀狩り。それは辺境でNF関わる戦闘行為に介入し、これを解決する人々の総称である。NFが待機時に召喚剣になっている性質から、その事件を関わる人を刀狩りと呼ぶようになったのだ。
正式にその資格が認められた人々ではない。
帝都であれば、警察騎士団もいれば、専属のNFライダーのもいる。しかし帝都の威光が届かない辺境であれば、非合法であっても問題解決をしてくれる刀狩りは、重要な存在なのだ。
NFに勝てるものはNFしかない。その真実が彼らの存在意義をより明確なものにしていた。
帝都からしても、刀狩りに任せておけば、辺境を管理する必要がなくなるというメリットもある。公からも黙認されている、非政府組織。それが刀狩りであった。
「待つと言っても一時間だぜ? もっと早くならないもんかね」ロウガは首をなららしながら言う。
「NFの機動力を考えれば戦闘空域は、数十キロに及びます。それ以上離れるとなると、戦闘終了後にすぐ駆けつけても、これくらいにはなります」老人の口調は穏やかだ。
老人の名は、エルビス・エルドラン。刀狩りの中でも後方支援を行う、援助班の責任者であった。
「俺だったら一撃で決めるのは分かっているだろう? だったら戦線は拡大しないさ」
「一撃で負けるかもしれないのがNF戦です。それにガランという男、そんなに弱かったですか?」
笑いながらもエルビスの視線には鋭いものがあった。
「やっぱりお前さんには勝てないよ」ロウガは、剣を一本、エルビスに渡した。
ロウガの腰には半透明の剣が下げられている。それはエクセの召喚剣である。では渡した剣は?
「これがガランのシミットの召喚剣ですね」エルビスは渡された剣に真剣な眼差しを向けた。
倒されたNFも召喚剣に戻るのである。
ロウガが渡した召喚剣を、エルビスはじっと見つめていた。その目線の先には、中央部分が欠けた傷跡がある。エクセによって破壊されたコクピットに相当する箇所である。NFが破壊された箇所は、剣に戻ったままでも残る。だが召喚剣にさえもどれば、自動修復システムによって自然と治癒していく。破壊された範囲や深さによって、完治まで当然時間が異なるが、これくらいの傷であれば、半年ほどで復活するはずであった。
「これくらいの傷で済ませたのは、流石ロウガ・ロードと言ったところでしょうか?」
エルビスの声色にはお世辞じみた軽さはなく、本心からそう言っているようだった。
最小限のダメージで相手を倒すことができれば、鹵獲した召喚剣をより早く戦力に回すことができる。大破させてしまったら、数十年とかかる場合もあるのである。
NFは最強兵器であって、さらに貴重な資源でもある。打倒した後の再活用もまた、考慮されるべき事象なのだ。優秀なNFライダーは、ソフトにNFを倒すのは常識である。
「自然に任せれば半年くらいかかるが、“シュミート”が居れば一時間で使えるようになるぜ」
「そうでしょうが……。シュミートは刀狩りからしても、簡単においそれと呼べる人ではありません。これなら倉庫に寝かせて復活させますよ。今すぐ大規模な戦闘も予定されていませんしね」
エルビスはシープの後部座席に召喚剣を積みながら言った。
「アイツらも忙しそうだしな。まあ任せるよ」ロウガは助手席に座った。
シュミート。それはNF専門の整備士のことである。NFが剣と密接に関わる兵器であるがために。鍛冶屋を意味するシュミートという単語が、そのまま彼らを呼ぶ名となった。
シュミートは修繕だけでなく、ライダーや戦場に合わせて、その性能をチューニングも行うことができる。緻密な魔術によって構成されるNFを整備するということは、非常に専門的領域であり、魔力というものに精通していなければできるものではない。魔力の流れを読む才能と空間認識能力、それと帝都大学院での血を吐くような修行の果てに到達できる境地がシュミートであった。
故に絶対数が少なく、帝都においても、人数の確保が難しいと言われている。
刀狩りでも数人は確保していたが、それでも、おいそれと仕事を頼める状態ではないのである。
獰猛にすら見えるジープが荒野を駆け抜けていた。
ジープはまるで自由そのものだった。舗装された道を嫌い、荒れた地形を選んで走る。そのタイヤが地を噛むたびに、大地の鼓動を伝えるような振動がコックピットに響く。この荒々しい走りをエルビスのような老人がするのだから、人は見た目によらないのだと、ロウガは改めて思う。
「何か面白い話はないか?」無茶なことをロウガは聞く。意味はない、ただ退屈なだけだ。
「先ほどのシュミートに関わることで一つあります」エルビスは視線を正面向けたまま口を開く、「昨夜ヤパンの村が襲撃を受けました。村全体が業火に飲みこまれました。何があったかは現在調査中ですが、明らかに二騎のNFが争った形跡があり、刀狩り案件かもしれませんな……。あそこはもとより不世出のシュミート、ムクロ・カエデの統治する場所です。貴族だって顧客に持っていたくらいですから、犯人は帝都のものかもしれません。まあ界隈はざわついていますよ」
「二騎のNF争っていた、一騎は賊のNFだとして、もう一騎はヤパンの誇るNFカタナだろう? そうやすやすとは負けないはずだぜ。敵はそんなにもヤバイやつなのか?」
「そこも含めて調査中です」
「魔力の痕跡から、賊のNFの正体は分からんのか?」ロウガはゆるりと笑みを浮かべた。この男、敵になるかもしれない相手の情報に、心をときめかせているのだ。
「はっきりとは分かりませんが、ムクロはとあるNFの復元に注力したと聞きます」
「随分もったいぶるじゃないか? とあるとはなんだ」
「ムラマサです」暗い怨嗟を吐くかのように、エルビスは言ってのけた。
「呪われたNFムラマサか! 全て破壊されたと聞いていたが、残ったものがあったのか」
ロウガの目が喜びに満ちて輝いた。探していた宝石を手にした子供のような顔だ。
「まあ噂ですよ。どうも皇帝の意向も絡んでいるらいしのです。ですが、天才シュミートであるムクロであればそれくらいの仕事はありえる話です。実際ここ五年ほどは目立った活動はしていなかった。それも裏でムラマサの研究をしていたとあれば説明がつく。しかしそれが何からの事象があって、村を滅ぼすに至った。まあ推論です」
「しかしな……結局そのムクロはどうなったんだ、無事なのか?」
「行方不明です。まあ厳密にいえば、遺体が見つかっていないということですね。なんせ全て灰ですから、遺体の分別もどこまでできるかどうかでしょう」
「生き残りはいないのか? いくら小さい村と言っても、村人まで全滅ということもあるまい」
「生き残ったものもいます。今は散っているでしょうが、すぐに聞き取りはしましたよ。しかし、分からない、以上の情報はありませんでした。こちらとしても彼らに、深く関わることもできませんから、最低限の接触で終了しています」
「村を追われれば、それは難民だからな……何もできないならそっとしておく方がよいか」
ロウガの声音は暗く、先ほどムラマサの話とは一転して、彼の表情には深い哀しみが宿っていた。
だがそれは、自分の痛みではなく、他人の苦しみを背負う者だけが持つ崇高な影だ。
公的な機関や福祉など望むべくもない辺境において、住処を失った人々の末路は悲惨である。
年老いたものはその厳しい環境の前に、飢えか病で死んでいく。
若いものは、人身売買の商人たちによって、奴隷以下の扱いを受けることになる。
無用なトラブルを避けることを信条とする辺境の人々が流浪の民に手を差し伸べることはない。
誰が食うものを与える? 誰が住む場所を与える? 誰が仕事を与える?
その質問に答えられるほど裕福なものは辺境では稀なのだ。
明日の保証など、誰にもない。だから刀狩りも、最低限の質問をして去るしかない。
村を失えば、人々の運命は非業そのもの。
窓ガラスに映るロウガの目は深い憂いを帯びていた。
「救える人数には限りがありますよ。貴方は刀狩りとしてよくやっている……」
エルビスが軽く視線を投げながら、やんわりとフォローの言葉を投げる。
「分かっている」ロウガは窓の向こうを見ながらも、自分に言い聞かせるように言った。
「話を少し変えましょう。知っていますか? ここから西に二十キロといったところに、シェルターがあるんです。シェルターと言っても洞窟を改装したもので、かなり雑な作りですか、洞窟自体はしっかりしているので、戦闘時に避難したり、日ごろから食料を保管していたり重宝していたんです」
「していたとは? 今は使われていないということか?」
「ご明察。そこを領地としていた貴族が病に倒れましてね。管理もするものもおらず、荒れ果てていたんです。そうれば、丁度いい空洞です。しかも食料もある。何やら悪いものが住み着くようになったんです」
「悪いもの? それはヤパンの民のような難民か? それとも反社会勢力か?」
「人間かどうかも分かりませんよ。何やら偵察に出た帝都の警察五名を瀕死の重傷を負わせたのですから、生物としてのカテゴライズはさておき、強いやつというのは間違いないでしょうね」
エルビスの声には誘うような響きがあった。強いやつ、という単語には特段の力がこもっていた。
「辺境の悪魔が住み着いたか? 怖い話だな」そういいながらロウガは前のめりの姿勢。
『話を少し変えましょうといって話題を急に変えたが、エルビス俺に何をさせたい?』
エルビスは刀狩りにおける政治にも聡い人物であることは有名だ。その発言一つ一つにも人心を掌握するための網が張り巡らされているとみて間違いない。今だってそうだ。強者をちらつかせて、自分に何をさせようというのか分かったものじゃない。
断るのは容易い。絶対にやらなければならないという圧もない。
エルビスは自分を試している。そうロウガは思っている。誘いに乗るか乗らないかで、俺という価値を測っているのだ。これは罠か? そうかもしれない。 逆にチャンスか? そうかもしれない。
エルビス、食えない男だ。
だがしかし老人の策略など角においても、思うことがある。
強いやつ。なんとワクワクする言葉か。どんなやつが洞窟の奥で、その牙を隠しているのだろう。
しかもほっておけば、警察か、あるいは軍隊が、そいつを先に殺してしまうかもしれない。
それはまずい。もう会えなくなる。
ロウガはまだ見ぬ強者を思った。それは恋に似ているかもしれない。
魅力のある奴ほど取り合いだ。ウカウカしていれば、先に奪われてしまう。
恋愛であれば最悪、略奪という選択肢もあるが、闘争となるとそうはいかない。
相手が死んでしまっては、ワルツを踊ることはできないのだ。
ものの数秒でロウガの頭の中に、エルビスの罠という可能性は消え去っていた。
強いやつ。そいつに会いたい。あって話がしたい。力比べをしてみたい。そいつはNFを操るのか? 操れないなら、乗り方を教えたっていい。そいつの強さ、その可能性を知りたい。なぜNFという話になるのだ? 思考がまとまらなくなってきた。ああ堪らない。
「なあエルビス……」ロウガは努めて冷静な口調で「俺をそのシェルターに連れていけ」と言った。
しかしそのゴツい顔は、欲情した猿のように真っ赤になっているのだ。
冷静なエルビスも苦笑しながら「分かりました」と答えるのだった。




