第一章 災厄の炎
闇のとばりが下りて数刻。
深夜にというには、浅い時間。
本来であればその村は、家々で団欒を過ごしている頃で、静かな時が流れているはずであった。
人里離れたその村には、立ち寄る者もまれであり、住人が引きこもれば誰もいなくなるのだ。
いつも通りの日常。
しかしそれは続かなかった。静寂は破られたのだ。
衝撃が起きた。
凄まじい地響き、土壌が炸裂する轟音に、人々は異常事態が起こったことを知る。
軒並みは揺れ、慌てた人々が一斉に飛び出していた。「何が起こった!」叫ぶが、それはすぐに分かった。見上げた先には“それ”はあったのだ。
それは巨大であった。人そのものの体躯で、全身に硬質な鎧を身に纏っている。そして顔があり二つの双眸があった。その眼が虚無を讃えた光をこちらに向けている。
巨人は右手に、巨大な剣を携えている。そして村の広場には、鋭く深い、亀裂が走っていた。
その傷は、巨人の一刀が撃ち込まれてできたもので、間違いないだろう。
先の地響きは巨人の攻撃によるものだったのだ。
「NFだ。なんで、NFが召喚されいるだ? とにかく逃げろ!」
朧、闇の中に浮かび上がる巨人を人々は知っている。
そしてそれが恐ろしいものであることも知っている。
世界最強の万能兵器、それがNFなのだ。
全力で反対側に駆けだしていた。中には半裸のものがいる。
地震を察知して逃れるネズミのように混乱した様子で走り出していた。
「NFはムクロ様が管理していたはずだ。何かあったのか?」
逃げながら誰かが言った。
「あんなNFは見たこともない。敵襲だ!」人々は戸惑う。しかし走るのを止めない。
優美な曲線で構成されたその鎧は赤く染まり、まるので炎着込んでいるようであった。頭部には、捻じれた山羊のような角が突き出ており、それが星々の光を受けて、不気味に輝いていた。
その深紅のNFを人々は知らないというのである。
ただ知らなくとも、真実恐れ、逃げ惑っているのだ。
誰かが言った。
「逃げても無駄だ。NFは召喚された以上は、勝てるわけがないんだ」
誰かが返した。
「だったらこちらだってNFで反撃すればいいんだ。自衛団だっているんだからさ!」
その叫びに応えたのか、光の柱が昇った。その柱は無数の光る破片で構成されていた。
破片が密集しクルクル回り、上昇と下降を繰り返し柱となっていたのだ。
「NFが来てくれた!」誰かが歓喜の声を上げた。
光の柱から巨人が飛び出す。全身に鎧をつけ、腰に剣を備えたその姿を見れば、同じNFと言われる存在だと分かる。新しく出現したNFは、赤いNFと比べればいくらかシンプル過ぎる姿だったが、しかし同じく巨大だった。
柱から出たNFは大地を駆けた。凄まじい速さだ。
軒並みを吹き飛ばしながら、真っ直ぐに突撃。村を護ために、出撃したとみて間違い無いだろう。
その証拠に「村の防衛NFカタナだ! 赤いNFを倒してくれ!」と村人は歓声を上げるのだ。
二体の巨人は、すぐに剣の間合いに入る。カタナと呼ばれたNFは剣をかかげながら跳躍。
赤いNFは恐れる様子もなく、ゆっくりと剣を横に向けると、振り下ろされた刃を受け止めた。
衝撃。剣と剣の衝突によって魔力の火花が上がり、発生した衝撃波が周囲に拡散する。
空間が爆発したかのようだった。村を構成した要素、家・道・壁そういったものが、バラバラになって吹き飛ぶ。無論人も。逃げ遅れた人々は宙を舞い、空を散乱する瓦礫の中に身を隠す。
生あるものは飛んだ瞬間に絶命した。それほどの爆発であった。
専守防衛を任されたカタナによって、村の被害が拡大している。それは暴挙に見えたが、村人は誰も非難せずに、懸命に逃げていた。その余裕がないというのもある。だがそれだけではない。
「対NFが相手ならばそれの殲滅が最優先。カタナの動きはマニュアル通りだ」
汗を流しながら必死に走る村人が言った。
NFの一刀は凄まじく、一撃で環境を破壊する力があった。
NFが相手であれば、村人の命よりも、抗戦を優先するのも頷けるものがある。
だが……。
「お母さん!」絶叫が聞こえた。まだ背も低く、十歳にも満たないそれくらいの少女が泣いているのだ。恐らくは、先のNF同士の交戦によって親と離ればなれとなったのであろう。
戦場のマニュアルは、家族の絆を守りはしないのだ。
その少女の姿も、逃げ惑う群衆の中に埋もれていくしかない。
それを悲しむ余裕は、やはり、ない。
カタナと呼ばれたNFと赤いNFは、互いに刃を構えて睨み合っている。どちらかが動けば、合わせてもう一体も動き、そしてまた空間すらも破壊する力を発揮するだろう。
二体の巨人が攻撃のタイミングを測っている。
一、二、三。三つの呼吸。その直後、赤いNFの双眼が真紅に燃え上がった。
強烈な殺意が、空を焼きながら、カタナに伸びる。
カタナは恐怖か、緊張か、一瞬身震いした。
それは瞬きの間であっても、致命的な隙である。
悪魔のごとき赤いNFが踊りでた。月光に照らされた深紅の装甲は息を呑むほど美しい。
赤いNFの跳躍によって大地が軋むが、それはたわいもないこと、
次の瞬間にはより強力な一撃が、世界を襲うのである。
赤いNFの飛びかかりざまに、刃を横に振るった。無駄のない動き。
カタナも防御のために剣を流すが間に合わない。
何故か?
先ほどの身震いである。それが防御の姿勢を一瞬遅らせたのである。コンマ一秒以下の余分な動きが勝敗を決する。高速戦闘を基本とするNF戦では良くある話であった。
カタナの分厚い胸部を、赤い斬撃が容易く斬り裂く。
NFの鎧とは堅牢で、他の兵器など効きはしない。唯一効果があるのが、同じNFの攻撃である。
だからと言って、簡単に斬れるほどNFの装甲は、やわではない。
だがカタナは裂かれている。
赤いNFの一刀はそれほどまでに剛力であったということだ。
吹き上がるマグマのような迫力をもつ剣撃は、振るわれた後も、世界に爪痕を残した。
巨人の一刀によって大気は震え、大地の表面は浮き上がり、砂嵐が起きた。
紅の刃によって発生する烈風が、半壊した家々が吹き飛ばし、人々を上空へとさらっていく。
NFの攻撃というのは、自然災害に似る。一度力が振るわれれば、環境が激変するようなエネルギーが発生し、人間はただ逃げ惑い、祈るほかない。自然の力を神の力と信じるなら、NFの力もまた、神であると言えるのかもしれない。
NFが人の形をしているがゆえに、よりその力が神秘性を帯びもする……。
「カタナがやられた嘘だろ! カタナに乗るNF“ライダー”は帝国騎士団にもいた逸材だぞ? それを一撃で……。赤いNFの力か? それともあれに乗るライダーの力量か? 誰があの赤いNFに操っているんだよ、くそったっ!」
村人の叫びがかき消されるのは、助けてくれると信じていたカタナが仰向けに倒れたからだ。
巨人が倒れる。激しい揺れとともに、土砂が吹き上がった。
驚くのは次の光景だ。カタナと呼ばれた巨人が粉々に砕けたのである。
それはまさにガラスの瓶を床に落としたように、一瞬でバラバラになってしまった。
細かく砕けた破片一つ一つが、月の光を受けて複雑に輝く。
そしてさらなる驚愕。それら残骸は、落下することなく、空に消えていくのだ。
輝きながら溶けていく景色は幻想的ですらあった。息を呑む光景である。
「無理だ!」生き残った村人が叫んだ。その絶叫は、空を飛ぶ戦闘機に対してのものだ。
魔力を使って飛翔する戦闘機は実に静かに飛ぶし、その速度は音速を超えていた。
だが村人にとってはひどく脆弱に見えるらしい。
「そんなものでNFに勝てるわけがないだろうがっ! ただの的になるぞ!」
それはNFに対する絶対なる評価であり、絶望だ。
村人の叫びをかき消すように、戦闘機がNFに対して射撃を試みた。
苛烈な弾丸の雨が降り注ぐ。
しかし赤いNFの装甲は傷一つ、つくことはない。
むしろ硬い装甲に弾かれた銃弾が人々に降り注ぎ、多くの死を生む。
暴挙である。
赤いNFは酷くつまらなそうに剣先を戦闘機に向けた。
間合いの外であり、その刃が飛翔体に届くことはないように思えた。
刀身が赤く染まり、ほのかな燐光を帯びる。その時間は数秒。柄から剣先にかけて、閃光がはしる。それは弾丸のように打ち出されて、戦闘機を貫くのだ。
一撃であった。戦闘機は火球に包まれ、村に落下していく。墜落する戦闘機は、NFと違って、空間に吸い込まれることはない。村の中心部に激突し炎上。吹き上がる炎は瓦礫を巻き込んで広範囲に広がり、散乱する遺体を焦がし、逃げ遅れた人々を焼く。
逆巻く炎は、荒れ狂うものの怪に見えた。その中を佇む赤い悪魔は暗黒の皇にも見えた。
悪魔は恐ろしかった。
火だるまになりながら、死に物狂いで逃げる人々を、見下ろす赤い瞳は笑っているのだ。
この巨人はこの惨状を楽しんでいる。いかなる恨みがあるのか不明だが、しかし心底楽しんでいる。
それは間違いない。
赤い装甲には一筋の傷もなく、まさに先の戦いが圧倒的であったことを物語っていた。
赤いNFの刀身が月明かりを受け、血のように染まる。
世界のこれに勝てる存在などないように思えた。
しかし……。
ピシリ。音がした。ピシリリ、罅が入るような甲高い音がした。
気づけば赤い装甲に無数の傷ができている。五体に走った傷は繋がって、亀裂になった。
亀裂は体中を走り、その巨体は今にも崩れそう。
その時、目も眩む光景が現出した。
全長八メートルの巨人が、輝きを伴って、四方に砕け飛び散ったのだ。
炎を中で人の形をしたものが、四散するさまは悪夢そのものである。
NFの末路に習ってか、その破片が、地面に落ちることはなく、溶けていく。
NFいなくなったことで、風の流れが変わったのか、暴風が駆け抜けた。
その風が炎を煽り、村はより一層燃えさかった。
深紅のNFが居た場所に、一人男が立っている。暗がりで、その顔立ちは判然としない。
炎の中で、なぜそこにいるのか? 何をしているのか? それは分らない。
男が右手に持った赤い剣が、火柱の照り返しを受けて、不気味に光る。
よく見ればその刀身は半透明。まるで宝石でつくられたかのような、美しい刀身であった。
男はゆらりと歩き出した。村中で暴れ狂う炎の大蛇など気にもとめず、ただぽつぽつと歩いた。
熱をともなった突風が吹き荒れた。
男はそれを意に返さず、炎と闇のはざまにその姿を消すのだった。
少女は、炎上する故郷を見ながら、去年やったキャンプファイヤーを思い出していた。
兄、母、父、自分の四人で行ったのだ。今にも思い出すほどに、楽しい時間だった。
家族の姿は、今は見えない。村の人々と小高い丘の上まで、何とか逃げ延びたのだ。誰が生き残ったのか? まだ逃げている人はいるのか? 生と死がない交ぜとなった喧噪の中で、混乱が収束する気配はない。
右頬が痛む。逃げる時に、熱風に煽られて火傷していた。
「お父さん……」少女は漏らし、「助けてよ。お父さん!」大声で泣き叫んだ。